アゴラ

2013年7月21日 (日)

アゴラ:世界就職という選択肢について

無職のもりぞおさんが、本を献本してくれたので書評を書いてみました。
せっかくなので久しぶりにアゴラにも載せました・・・・・まあ、今回はブログのテイストに近い感じでまとめました。(万人向けというよりは、分かる人に分かればいいという感じです)

ちなみに今、マイアミですが、明日メキシコシティへと向かいます。ここマイアミでは2009年のアメリカのタンゴチャンピオンと仲良くなったことがいい思い出です・・・・・・・(なぜか車の送り迎えまでしてもらい、ほぼ毎日ミロンガ(タンゴを踊る場所)に連れて行ってもらいました。チャンピオンって、きっといい人が多いのだと思います)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「セカシュー」という言葉をご存知だろうか?
世界で就職することを指す造語である。


この本に紹介された若者5人は、それぞれインドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、それに香港という国々に就職する。いずれもアジアの国々だが、世界中の優良企業が今やアジアに注目しているので、そこで成功すれば、次は世界が舞台だ。
(実際、この本にはそのような例も紹介されている。ただし、すべては実話を元にしたフィクションという形でだが)

そういった意味で、セカシューと呼んでいるのだろう。「世界で就職」といえば、聞こえはいいが、その内実は敗者復活戦である。

おもに、新卒一括採用という制度で採用された若者たち、それに漏れた若者たちが再起を期す場として、アジアを選ぶ。アジアの国々は今のところ右肩上がりの成長を続けているので、売り手市場だ。

そのときに大事になってくるのが、日本人として当然持っているべきビジネススキルであり、コミュニケーション術である。

外国人としてコミュニケーションを取るというと、日本人はすぐに英語を思い浮かべるが、実際は英語よりもコミュニケーション能力の高さが一番重要であることが指摘されている。そして、最終的には英語よりもその国で使われているローカルな言語を身につけることが彼らに溶け込む一番の近道であることも、きちんと描かれている。

日本の社会でブラック企業や過労死がまかり通っているのは、すべては日本人の耐性が高すぎることにほかならない。ほかの国の人たちであればとっくに辞めているような過酷な労働環境でも、彼らは必死に耐えて働く。滅私奉公なんて考え方は、ほかの国では聞いたことがない。(ちなみに今、住んでいるアルゼンチンで一度、この考え方を説明しようとしたが、ポカーンとされたし、ヨーロッパでもそんな考え方は聞いたことがない)

負けてもいいし、文字通り死ぬ思いをしてでも働く価値がある職場なんて、この世の中にはほとんど存在しない。

運悪く、職場環境の犠牲者になった場合のそのセーフティーネットとして、セカシューが機能すれば、素晴らしいことだと思う。敗者復活とは聞こえは悪いかもしれないが、長い人生、一度や二度、負けても取り戻せる社会こそ健全な社会だ。(国もいかにイノベーションを生むかなんて寝言を言っていないで、負けても再度チャレンジできる社会作りこそが、イノベーションを生む源泉だと気づいたほうがいい)

仕事を辞めて日本での再就職が難しいと思う人たちは迷わずアジアを目指せばいい。きっと、それが長い目でみれば日本のためになるし、国力を取り戻す契機になると思っている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年1月29日 (火)

【アゴラ】ラテン化する世界:グローバリゼーションとともに

「グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である」
ウィキペディアより

結局のところ、基本的に我々はグローバリゼーションを是として考えている。海外との競争により、モノ自体の価格はどんどん下がり、たしかに欲しいものは安く購入出来るようになった。

そして、日本の市場は「質がいいもの」しか売れない市場なので、結果、「安くて、さらに質がいいもの」が手に入るようになり、グローバリゼーションを積極的に批判する人たちはそれほどいない。この動きを当然とする人たちが多い。

だが、世界を見渡してみると、「安くて質がいいもの」を手に入れられる国は非常に少ない。先進諸国でも規制が少ない、自由市場がある程度確立されている国だけだ。その他多くの発展途上国では、我々にとって「安くて、質がいいもの」は高くて手が出ないという事実は相変わらず変わりない。

アメリカでは、1%の富裕層が富を独占し、99%が貧困にあえいでいると言われているが、これは世界をひとつの国と見立てても同じことが言える。

あらゆる規制を取っ払い、国同士を自由に競争させると、弱肉強食が進み、結局のところ、世界の1%である20カ国程度が世界の富すべてを牛耳ることは自明の理だ。

自由の代償:アルゼンチンという国の売買について」というエントリーにも書いたが、人はとにかく自由を求める。その結果、どうなるかなど深くは考えない。自由は正義で、規制・統制は悪なのだ。

日本にいると、グローバリゼーションのなかでなんとかしてでも戦い、そのなかで確かな地位を築くことしか今後の日本の未来はないと思えるが、ここアルゼンチンのような呑気な国にいると、そうは思えなくなってくる。

この国の市場を守るために政府は輸入関税をべらぼうに高く設定し、パソコンなどは日本の倍はする。それでも道行く人たちを見ていると、日本よりも楽しそうな人が多い。(こちらの図を見ると、日本よりも圧倒的に経済的に劣っている南米諸国のほうが幸福度が高く、アジアでは唯一、スペインの影響を受けたフィリピンがかなりの幸福度の高さを誇っているの分かる)

アルゼンチン、ひいては南米全体に言えることだが、仕事に対する意識は総じて低い。それよりも「人生を楽しむこと」のほうが彼らにとってはより重要なのだ。仕事のために人生を犠牲にするという考え方は彼らにはない。そんな彼らがグローバリゼーションのなかでは戦えないのは明白だ。だからこそ、政府は輸入規制を多く設けて、その国の市場を守ろうとしている。

グローバリゼーションというものはもう世界の流れでこれが主流なのは間違いないだろう。だが、一方で個人的には「ラテン化する世界」を見てみたい気がする。だいたいの物事に対していいかげんで、時間厳守とはほど遠く、隙さえあれば仕事をサボろうとする。(実際、「職人のいない国:アルゼンチン」というエントリーにも書きましたが、こんなことが日常茶飯事です)

それでも人生楽しければいいというのがラテン文化の真骨頂だ。

世界でも辺境といえるこのアルゼンチンで、今後も世界のグローバリゼーションという大きな動きと、目の前で繰り広げられる「ラテンな世界」の狭間で、幸福な世界の在り方を考えていきたい。


中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
(現在の世界の動きを「中国化」というキーワードを元に紐解いた良書です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月30日 (金)

アゴラ:自由の代償:アルゼンチンという国の売買について

あと2週間で国が財政破綻すると聞いたらどうするだろう?

[FT]アルゼンチン債務問題、集団行動条項の重要性示す(社説)
(日本経済新聞の英国ファイナンシャル・タイムズ引用記事)

アルゼンチンがまさに今、その状況に陥っている。要約すると、2001年にアルゼンチンがデフォルトしたあとに、その国債を二束三文でアメリカのヘッジファンドが買取り、アルゼンチン相手にマネーゲームを繰り広げているのだ。

この状況は一旦解消され、本日付けの現地新聞の報道で、12月15日だった期限は2013年2月27日まで持ち越されることになったが、未だ予断が許さない事態となっている。

またこちらの記事(英語)によると、アルゼンチン対ヘッジファンドという構図ではなくなり、ブレバン・ハワードという巨大ヘッジファンドがアルゼンチンのバックについたことにより、ヘッジファンド対ヘッジファンドという構図になったとのことだ。

さらに両者を代表する弁護士が、アメリカを代表するトップ弁護士であり、ブッシュ対ゴア事件で両陣営の弁護士を務めた二人がまた法廷で争うことになった。

一国の未来を左右するのに、なぜアルゼンチン国外であるニューヨークの法廷で争うのかというと、多くの国の債券がそうであるように、アルゼンチン債も海外であるアメリカの法律に基づいているからだ。

G20のメンバーであるアルゼンチンというひとつの国の未来が、二人のアメリカ人の手に委ねられたといっても過言ではないこの事態にある種の皮肉を感じてしまう。

アルゼンチンは今年に入って経済成長が鈍化し、ウィキペディアにあるように「戦闘的な労働組合」のせいで度重なるストライキに見舞われている。

年率25%と言われる高いインフレに見舞われており、現政権の極端な保護主義的な経済政策による不満も理解できる。(詳しくは拙ブログ「アルゼンチンの落日:政治と経済と外国人であるということ」をご覧ください)

彼ら自身は国を良くしたいという一心でデモやストライキに参加しているかもしれないが、大局的に見ると彼らの思いなど全く関係ない。国の未来は彼らの首都であるブエノスアイレスで決められるのではなく、世界一の金融市場であるニューヨークで決定されるのだ。

このような事態を招いたのは元をただせば90年代に「新自由主義」という号令のもと、経済市場を開放し、一ドル一ペソのドルペッグ制を導入して国内に安い輸入品を溢れかえらせた代わりに、自国産業を壊滅状態に追いやり、挙句の果てに外資に石油、鉄道、電話などあらゆるインフラを売り払い、最終的には2001年にデフォルトしたつけだと言える。(ここに至るまでの経緯は「金貸しは、国家を相手に金を貸す」に詳しいです)

人々は常に自由を求めて戦う。だが、自由という言葉の裏には常に危険が潜む。現在、日本でもTPPが議論を呼んでいるが、日本のように経済的に成熟しきった国が「自由」といういわば喧嘩慣れした世界の強者たちの土俵にあがるのは選択肢としてありかもしれない。

しかし、アルゼンチンのような未だ発展途上国であり、大国の思惑や欲望をよく理解しないまま自国の経済市場を開放すると、大国に蹂躙されてしまう。

そして、それから十数年たった今でもその負の遺産を引きずる羽目になり、挙句の果てに国の未来を決めるのに外国の法廷で、その原因を作った外国人を代理人として争わないといけないのだ。

自由という市場では、国すらも売買出来る。両陣営にとって「アルゼンチンの未来」など関係ない。いかに自分たちのヘッジファンド、それに投資している人たちの金を増やすしかことにしか興味がない。それがいわばグローバリゼーションというものであり、自由化された経済のなれの果てなのかもしれない。

この国では人々がカセロラッソ(鍋)を手に、それを叩いて抗議することで有名だが、鍋を叩いている暇があれば、経済の仕組みを理解し、彼らが求めている自由とは一体どのようなものなのか理解する必要があるように思う。

それは彼らが思っているようなセンチメンタルな感情的なものではなく、彼らが手にしている鍋のように無機質で冷たい、いわば国自体の売買を「いかに利益を上げるか」という視点で行うようなことを意味していることに気づくだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月16日 (金)

アゴラ:オンライン大学というひとつの革命

カーンアカデミーをご存知だろうか?

もともとヘッジファンドのアナリストをしていたカーン氏がいとこたちに勉強を教えるのに、ユーチューブを使って教えたところ、「ユーチューブのほうが、実際に教えてもらうよりいい!」と言われたのがきっかけに始まったオンライン学習サイトだ。

動画だと好きなところで再生・停止が出来るし、分からないところは何度も繰り返し聞くことが出来る。考えてみれば、当然のことだ。

このカーン氏のTEDの講演会場にいて、衝撃を受けたのがドイツ人Thrun氏だ。彼は当時はスタンフォード人工知能研究所の所長であり、グーグルが開発した自動運転カーに関して同会場で講演もしていた。(グーグルXというグーグルの開発機密機関の所長でもあった)

そんな彼がすべての地位を捨てて、教育の革命に賭けて、オンライン大学の「Udacity」を始めた。「これはプロジェクトではなく、自分の使命なんだ」と英国ガーディアン紙のインタビューにも答えている。

カーンアカデミーに感動した彼は、早速スタンフォード大学で自分が受け持つ人口知能のコースをオンラインで公開することにした。せいぜい数千人集まればいいと思っていたらしいが、コースが始まる頃には16万人も集めることが出来た。リアルのコースには200人が集まったが、もうそんな少人数を教えることには飽き足らなくなり、オンライン大学を立ち上げるに至ったわけだ。

そして、Thrun氏のスタンフォード大学での同僚だった二人の教授は、スタンフォード大学やペンシルベニア大学など一流の大学と提携して、Courseraというオンライン大学を立ち上げた。今年立ち上がったばかりだが、すでに180万人の生徒を世界中から集め、33大学と提携している。

このようなオンライン大学にはグーグルなどの大企業も積極的に出資し、成績が優秀だった生徒を実際に採用している。企業側に取ってみれば、優秀な生徒を費用もかけずに世界中から集めることが出来、また学生の分母も当然大きくなるので、「選びぬかれた最優秀なエリート」を青田買い出来るメリットがある。

大学のメリットとしては、現在はこれらのサイトは課金は行なっていないが、将来的に低額な課金を行うことで、莫大な収入を得ることが可能となる。(教室に入る人数は数百人が限界だが、オンライン上ではその数は無制限だ)

そして、オンライン大学の通う生徒にとってみれば、今のところ無料で世界最高峰の教育を受けることが出来るし、フォーラムなどを通じて志を同じくする世界中の人たちとも知り合うことが出来る。さらにそこで優秀な成績を収まれば、グーグルなどの世界トップの企業にも就職の道が開かれるというまさに言うことなしの大学だ。(ほかにもハーバード大学やMITと提携しているオンライン大学「edx」などがある)

無料のオンライン学習コースが正規に“学歴”として認定へ

上記の記事によると、Courseraは正規の大学として認められる可能性が高く、それによってまさに教育界の革命を起こそうとしている。ただ、最終的には学歴というものは有名無実なものとなり、企業はそんなものよりも、より能力が高い学生をリクルートするために、あの手この手を尽くすだろう。

オンラインで学習するということは学習履歴のみならず、学習フォーラムなどの発言もすべて記録されることになる。言うなれば、学生の思考回路や社交性までも可視化できる訳だ。そうなれば、有名大学卒の肩書きよりも、より信頼のおけるデータが揃ったオンライン大学の卒業生のほうが企業の就職には有利になる可能性がある。

これから10年後、世界中の大学はもしかしたらすべての授業はオンラインで行われるようになり、インターネットが使える世界中の人々に教育のチャンスが開かれているかもしれない。

教育の不平等が世界中の混乱を巻き起こし、この世界を混迷極めるものとしているといって過言ではないが、オンライン大学がその理想的なソリューションとなる可能性もある。大卒という資格を得たいがために大学に行くのではなく、本当に何かを真剣に学びたい人たちが世界中からこれらのオンライン大学に集まり、切磋琢磨して学んでいくのだ。

そうなってくると、大学という場所はその居住地をインターネット上に移し、学生たちはFACEBOOKなどで勝手に「スタンフォード大学で人口知能を習っているやつ集まれ」などと各地でイベントが開催され、ゆるいコミュニティが形成されていくのだろう。

10年後、20年後、日本の子どもたちが「昔さ、日本に受験戦争ってものがあったらしいよ。なんか実際なんの役にも立たない知識を詰め込んで、日本でしか名が通っていない大学に合格するために必死こいていたんだって」「マジ!ありえなくない!?」などと話し合っているかもしれない。

すでに生活のインフラとなっているグーグルですら、今年で14周年だ。オンライン大学元年の今年から十数年経ったら、今の自分たちが想像も出来ないような変化が社会に生まれているはずだ。それが今から楽しみで仕方がないし、自分もなんとかそれに寄与出来たらと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 6日 (火)

アゴラ:多様性溢れる社会に向けて:海外という選択肢を考えるということ

クオリティ・オブ・ライフ」というものが唱えられて久しいけど、具体的に何を持ってクオリティがあるとするのかは結局のところ、各人の価値観による。

例えば、海外に出て2,3日もすればすぐに日本食レストランに駆け込む人たちなどは、「日本食」というものが人生に欠かせないのだろう。(ちなみに知り合いのカリスマ美容師は、毎年ハワイに休暇に行くのですが、毎日日本食です。ハワイの日本食はおいしいというのもハワイに行く理由だそうで)

いま、海外移住に注目が集まっている

ダイヤモンド・オンラインの記事だが、たしかに以前よりは海外移住を考える人は多くはなっていると思う。また最初から海外に就職してキャリアをスタートする人たちはこれから増えてくると思う。

そのような際に「自分が人生で何を求めているのか」を明確にしておかないと、判断を誤ることになる。日本人にとって日本以上に住みやすいところはほかにない。それをまず念頭において、それ以上の「何か」を求めて海外に行くことを自覚していないと痛い目にあう。

では、海外生活のメリットとはなんだろうか?

これは人によってそれぞれ感じ方が違うので一概には言えないが、自分の場合は「生活を一から作る楽しさ」が挙げられる。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに住み始めて1年半が経ったが、この国の公用語であるスペイン語を当初は全く話せなかったので、まずはそこからスタートした。(語学というのは多くの日本人にとって障壁となると思いますが、毎日現地で2,3時間勉強すれば1、2年もすればどのような言語でもある程度は話せるようにはなります)

単純に自分の場合は、「クオリティ・オブ・ライフ」を求めた結果が海外移住に繋がっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。ここ世界に誇る犯罪都市ブエノスアイレスに日本のような治安の良さを求めていないし、日本食は世界一おいしいと思っているので、肉食中心のこの国の食文化にそれほど期待していなかった。

人生を楽しむためには、100人いれば100通りの方法があっていいと思う。ほかの人から後ろ指さされようが、なにを言われようが彼らが生活を楽しんでいれば、それはそれでいい。日本で十分に満足で楽しい生活をしているのであれば、それはそれで素晴らしいことだし、海外で生活して日本と違った人生の楽しみ方を覚えるのもいい。

どちらがいいかは、本人が何を持って「クオリティ・オブ・ライフ」とするかだと思う。

海外には日本にはないものもあるが、当然のことながら日本に当然あるべきものは海外にはない場合が多い。それも生活のインフラというべきものが欠けている場合も多々ある。(例えば、いまだアジア諸国では停電が相次ぎ、まともな電力供給もままならない)

それでも海外に住むことがいいと思えば、なるべくその時間を楽しむべきだと思う。海外にいるのだから、「日本にあったものがない」と憤るのは間違いだ。

よく「日本は恋しいか?」と訊かれることはあるが、「いや、まったく」と答えている。日本に帰りたくなれば帰るし、海外に骨を埋める覚悟などない。LLCやインターネットのおかげで、海外は今までになかったほど身近なものになっている。

終身雇用制が壊れた今、これからは働き方ということについても見直していくべきだと思う。どんなに会社のために働いても、多くの会社はそれに応えるだけの体力がなくなってきている。そうであるのであれば、自分にとっての「クオリティ・オブ・ライフ」というものを根本的に見直して、海外という選択肢を含めた新しい生き方を模索してみてもいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月24日 (金)

アゴラ:平和な世界の作り方:政治と個人と友だちについて

19歳のとき、初めて中国に行った時知り合った中国人の人たちがめちゃくちゃ親切にしてくれて、とても感激した覚えがある。そして彼らが「中国の人はだれも政府なんて信用してないよ。なにかしても裁判なんかしないで、すぐ死刑」って言っていたのが印象に残っています。

あの方々は元気にしているのだろうか・・・・・

以下、アゴラに投稿した本文です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先週末、アメリカ人とアルゼンチン人たちと一緒に飲んだ。
ここアルゼンチンの政治は混迷を極めており、クリスティーナ大統領の支持率も急降下している。

そこでアメリカ人のマイクは「クリスティーナなんて、あやうくアメリカ副大統領になりかけたサラ・ペイリンに比べて全然マシだ」と言って、「たしかに」と一同納得した。

その話の流れでマイクが、自分の父親の友人に配管工がいて、その彼は大の共和党支持者で、そして猛烈にビル・クリントン元大統領を毛嫌いしていたという話をし始めた。

ニューヨーク在住の父親のその友人は、なぜかその大嫌いなビル・クリントン家から依頼があり、地下室にある配管を見ることになった。そして、その配管を見ていると当のビル・クリントンがお茶とお菓子を出してくれて、世間話などを色々と話をしたらしい。

小一時間ほど経った後、クリントン家を出たその彼はすっかり熱烈なビル・クリントン支持者になっており、民主党支持に宗旨替えしたとのことだ。

人の主義主張なんて、そんなものだと思う。たしかにビル・クリントンはカリスマ性に富む人物かもしれない。しかし、新聞やマスコミを通して知った当の人物に直接対面して、コミュケーションを取ると、たかだか小一時間もしないうちに、個人の幻想は脆くも崩れ去る。

隣の国の大統領や強権的な政府がちっぽけな島をめぐって、なんだか色々としでかしたおかげで、ずいぶんときな臭いことになっている。

また隣国では日本の文化や日本についてまともな知識がない人たちが、反日活動に熱心らしい。だがきっと彼らも実際に日本に来て、箱根の旅館あたりでゆっくりと寛いで温泉に浸かり、そして懐石料理なんぞをつまみながら、日本酒などを飲めばきっといっぺんに日本のことが好きになるだろう。

あの世界中を旅するナショナル・ジオグラフィックの写真家が日本の旅館を称して、「旅館は日本のパラダイスだ!」と狂喜乱舞したぐらいらしいから、外国に免疫のない人なんか、それこそイチコロだ。

一体、何を、誰に対して揉めているのだろう。国全体だろうか、愚策を繰り返す政治家なのか、あるいは国民全体か?

自分は典型的な日本人が嫌いという同じ文脈で、典型的な韓国人や中国人、それにアメリカ人、フランス人などが嫌いだ。その国特有の愚かな価値観から自由になれない人たちを嫌悪する。

世界は広い。
そのことに対して、いつまでも盲目である人たち全員を嫌悪している。自分が実際に見たものや、経験したことしか信じないことにしている。そして、どんな国でも素晴らしい人々がいることも自分の経験を通して知っている。

そのような人たちとずっと繋がっていたい。

「サルコジが再選したら、私彼を殺すわ!」と大統領選挙前に言い放ったフランス人や、「ブッシュ元大統領が再選したのは悪夢だった。しかもインチキによって」と冷静に言うアメリカ人と友だちでいたい。(サルコジが再選せずに、そして彼女が殺人犯にならずに安堵している)

自分たち個人は、政治と切り離したところで世界の人々と繋がるべきであり、国籍や肌の色なんかよりも、その人個人がどのような人かということを見極めて付き合っていく必要がある。

中国人、韓国人、アメリカ人と十把一からげで彼らを判断して、過激な行動を取っても世界から冷たい目で見られるだけだ。それに残念な話し、極東にあるちっぽけ島について、世界の人はとことん無知である。それよりももっと大事なことが世界でたくさん起こっているからだ。

今度、韓国人の友人に会ったら「きみのところの大統領って、ほんとどうしようもないね」と言ってからかい、そしてきっと「日本の首相のほうがもっとひどくない?毎年コロコロ変わってばかりで!」と言い返されるだろう。

そして、少しづつ自分の周りから偏見や先入観のない平和な世界を作っていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月12日 (木)

アゴラ:世界一周のすすめ:ブエノスアイレスなう

自分が住んでいる街である「ブエノスアイレス」というキーワードでツイッター検索をすると、けっこうな確率で世界一周をしている日本人のつぶやきが引っかかる。

世界一周ブログ

自分自身、17歳のときに初めて行った海外旅行で、「世界には自分と全く違った価値観、考え方を持った人たちが本当に存在する」ことに驚くとともに、「世界というものが本当に存在するのかどうか」再度確かめに翌年ヨーロッパ旅行に行った。(今を持ってすれば全くナイーブな動機だったけれども、当時は真剣だった)

そして、19歳で単身、「陸路でスコットランドの首都エディンバラに行く」というミッションを設けて、2ヶ月かけて広大なユーラシア大陸を横断した。

カタコトの英語しか話せず、インターネットもなかった頃、特にロシアという未知の国をシベリア鉄道で抜けるのは、かなりの冒険だった。(実際、バイカル湖を見るために立ち寄ってイルクーツクでシベリア鉄道の出発時間に変更があり、一悶着あった)

金も経験もないときに旅をすると、人生を飛び級で進級出来る。なぜなら金と経験で、多くのことが解決出来てしまうからだ。その武器を使えないとなると、人生はとたんにややこしくなる。

そして、今インターネットがある。

さらにこの円高だ。今、若くて金がなくて、日本に悶々としているならば、半年か一年死ぬ気でバイトすれば、100万や200万は貯まる。それで世界一周になんなり行くほうが、半端な勉強しかしない日本の多くの大学にいるよりは100倍いい。(ちなみに自分も旅行と留学費用を貯めるためにウェイターから交通量調査のバイトまで数多くのバイトを経験した・・・・全く楽しくはなかったけど、いい経験にはなった)

世界を旅することは、もうそれほどハードルが高いことではない。

重いバックパックを背負って宿探しに右往左往することもなく、ネットを使って一瞬で明日の宿の予約ができ、カタコトの英語で道を尋ねるよりは、無料のWIFiを使って自分の現在位置をGPSで知り、自力で目的地に着くことも出来る。

そして、世界で得難い経験をすればFACEBOOKやツイッター、それにブログを通じてみんなと共有することも出来る。

世界一周でも二周でもしてみればいい。べつにそれはもはや特別なことではなく、やろうと思えば誰でも出来ることだ。ただしかし、世界を実際に見た人と、インターネット上でしか世界を知らない人との間には埋めようもない差が生まれることも事実だ。それを手に入れるためだけでも日本を出る価値はある。(もちろん、自分のようにブラジルのサルバドールで一週間のうちに二回襲われたり、インドで耐え難い腹痛に悩まされたりするリスクは未だ存在するけど、その価値はある)

「ブエノスアイレスなう」という日本語のつぶやきが増えることが、ゆくゆくは日本という国の未来を明るくしてくれる希望になってくれる気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月12日 (火)

アゴラ:インターネットが学習にもたらしたもの:革命を起こすということ

今、自分が20歳前後だと仮定して、英語を習得するために留学するだろうかとふと考えた。実際に自分が留学した19歳の頃は、英語の本を読みたければ専門店に行かないと買えなかったし、英会話を習いたければ、たいていは法外な値段を払って、7人、8人ぐらいの生徒とともに学習するのが当たり前だった。

しかし、今では海外の新聞がネットで無料で読めるし、発音がよく分からなければTTSエンジンにコピペすれば、綺麗な発音で読み上げてくれる。(ほかにもこちらや、こちらがあります)

またBBCなども英語学習者のために専門サイトを立ちあげているし、古くからの英語学習の友VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)も取っつきにくい英語だけのサイトではなく、日本語で丁寧に解説しているサイトも無料で存在している。

英会話にいたっては、オンライン英会話により一ヶ月5000円前後を払えば、マンツーマンで学べるようになった。となると留学することに意味はあるのだろうか?

英語学習のためには何千、何万ものサイトが存在し、いつでもどこでもアクセス出来る。10年も前なら、「英語を学びに留学する」という人たちに向かって怪訝な顔をすることはなかったが、今は違う。それだけのために海外に行く必要はない。

ただそれでも留学する意味はあると思う。違う文化圏の人たちと触れ合う生の体験はそれだけでも得難いものだからだ。しかし、ひとつだけ留学経験者としてアドバイスさせてもらうとしたら、「英語を舐めたらひどい目に遭う」ということだ。漠然と留学してから英語を勉強すれば、なんとかなると考えがちだが、たいていの場合、なんともならない。

海外の語学学校では「英語が話せない日本人」がうようよいる。そのなかの一員とならないためにも、日本にいてもこれだけの無料、あるいは安価なリソースが揃っているのだから、それを活用しない手はない。

また結局のところ、「成功した語学学習者」になるためには自律した学習者になる必要がある。そのためには明確な目的意識、自分自身に有効な学習計画などが必要となる。(アカデミックな用語で言うところのメタ認知が重要になるということです。拙ブログの「語学学習におけるメタ認知の重要性」で詳しく説明しています)

ソーシャルメディアやインターネットのおかげで我々は何か革命が起きたように錯覚しているが、本質的には何も変わっていない。ただ、それらをいかに使うかによって実際に自分自身に革命を起こすことは出来る。道具は揃った、あとどう使うかは自分自身にかかっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月21日 (月)

アゴラ:国際社会から取り残されないために:英語学習の現状について

ちょっと気になったので、またアゴラに投稿しました。

国際社会から取り残されないために:英語学習の現状について

こんなことはもう百も承知かと思いますし、わざわざ言う必要もないことかもしれないませんが、一応書いておこうと。

「TOEIC900点取っても、英語は話せるようにはなれない」という残酷な事実について、多少なりとも指摘したほうがいいのではと思い、書いてみました。

それにしても日本でのケンブリッジ検定試験は金がかかり過ぎるので、絶対に普及しないでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 3日 (木)

アゴラ:ノマドのガラパゴス化について

久しぶりにアゴラに投稿しました。

ノマドのガラパゴス化について

なんか最近、ここブエノスアイレスでは「あの人見かけないなー」と思ったら、ザンビアやタイに行ってたりするので・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)