ノマド

2014年5月 3日 (土)

ブログ移転のお知らせ

ブログを下記に移転します。

http://oneswordnet.com

RSSなどなんらかのリーダーでお読みの方は上記アドレスを登録お願いします。

このブログ、さらにもう一つの個人ブログ、さらには英語ブログという3つのブログがありましたが、これを統合し、ついでに写真もこちらにすべて掲載しました。

そして、移転して最初の記事は下記です。

英語の正しい学び方:2020年あるいはそれ以降に向けて

これから少し改良して、もっとよくしていきたいと思っています。
では、今後共よろしくお願いいたします。

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2013年5月28日 (火)

クロアチアのスプリトにて:モンサントと世界一周を思う

スプリトはクロアチア第二の都市である。

第二の都市というのは、たいていの場合見過ごされがちだが、スプリトにいたっては、驚くほど観光資源が多く、街全体もばっちりと世界遺産に登録されており、また海に面しているのでエメラルドグリーンのアドリア海もすぐ目の前に見える。

観光客が多すぎるドゥブロヴニクよりも、よほど滞在する価値がある街であることは確かだ。

スプリトを起点にすれば、なんとかドゥブロヴニクにも日帰りで行けるし、また次にマストな観光地であるプリトヴィツェ国立公園にも日帰りで行ける。立地的にみても、とても恵まれていることは確かだ。

Split_cat_shadow

正直、ドゥブロヴニクには辟易していた。うざい呼び込みや多すぎる観光客にだ。もちろん、観光客同士、同じような感想を抱いているのだろうが、それにしてもせっかくの世界遺産が人のせいで台無しになっている。

Split_night
(スプリトの港です。散歩にはもってこいの場所です:クリックすれば拡大されます)

その点、スプリトははるかに落ち着いた街で、クロアチアの人々の生活も垣間見える。ただこの街も夏のピークシーズンとなれば、観光客だらけになり、そんな余裕もなくなるのだろう。

街自体はとても小さく半日もあれば歩き尽くしてしまうが、それでもしばらくゆっくりしたくなる街だ。しかしながら、改めてクロアチアの観光立国としての底力を見せられた気がする。ヨーロッパの人たちがこぞって訪れ、今となっては中国からの団体客に大賑わいな理由がよく分かる。

Split_cafe

またドゥブロヴニクでは世界一周で有名な飛鳥も停泊しており、多くの日本人も見かけた。

2013年世界一周クルーズAコース(横浜発着) 105日間<4月出発>(最低価格390万から、上は
2500万まで・・・・・金持ちは違うな)

個人的には観光にはほとんど興味もなく、街をぶらぶらするので十分満足なのだが、街をぶらぶらするだけで楽しい街というのは、観光地としても魅力的な場合が多い。だから余計に人が集まるのだろう。

また何年かしたらクロアチアに戻ってきて、今度はクロアチアだけで一ヶ月ぐらいゆっくりしたいと思う。そんなことを思わせてくれるとても魅力的な国だ。

Split_mosant(モンサント・・・・ヨーロッパでも嫌われ者ですね)


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2013年5月26日 (日)

アドリア海の宝石:ドゥブロヴニクにて

もう7,8年も前に、とあるフランス人の女の子に「クロアチアの海はとても綺麗!アドリア海って言うんだけど、素晴らしいリゾート地がたくさんある!」と言われて、ずっと気になっていた場所だった。

そのあと複数の人から「クロアチアはアツイ!」という話を聞き、機会があれば必ず行くと決めていた。そして、今回の旅の旅程に組み入れた。

Dubronik_main_2

Castle_wall_dubronik
(写真はクリックすると拡大表示されます)

ちょうどグラナダからドゥブロヴニクへの飛行機が手配出来たので、まずはこの世界遺産に登録された城壁の街へと行ってみた。

たしかに美しい。
旧市街は城壁に囲まれ、石畳はてかてかと光りを放ち、ディズニーランドを思わせるどこか人工的な美を放つ。

ただ何よりも驚いたのは、その観光客の多さだ。まだシーズン前の5月と言うのに、原宿の竹下通り並の込みようだった。これがピークである7月,8月となると、一体どうなってしまうのかとても疑問だ。現地の人に訊くと、「足の踏み場もなくなる」とのことだが、確かに今からこのような状態だったら、その頃はそうなっているだろうと思う。

一生に一度は訪れる価値がある風景だと思うが、ピークシーズンのドゥブロヴニクだけは避けたほうが身のためだ。

そして、中世の風景に飽きたら、近くにいくつも美しいビーチがあるので、ふらふらと散歩に出るのもいい。

Lake_conpersona


Lake_nopersona

クロアチアの建造物を見ていると、東欧というよりも、どこかラテンの香りが漂う。ついこのあいだまでいたスペインのグラナダにも通じるものがある。おそらくそれはほかの東欧諸国にはない特色ではないだろうか?(東欧はほかにはチェコのプラハに行っただけだが、プラハもいい意味で東欧のイメージからかけ離れている)

Calle_dubronik

もしかしたら、人がいない真冬のドゥブロヴニクもそれはそれでロマンチックかもしれない。だが、もし自分がこの街に再び戻ってくるとしたら、きっとシーズンが終わった9月に戻ってきて、ゆっくりと一ヶ月ぐらいかけてドゥブロヴニクから出発して、車でアドリア海沿いを走りながら、景色を楽しむだろう。

まあ、その前に運転免許証を取るのが先だけど・・・・・

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2013年5月24日 (金)

それでも世界は回る:グラナダにて

グラナダには一週間近くいた。
なぜなら、そこにはタパスがあったから。

もちろん、タパスはスペイン全土にある。タパスとはスペイン料理の小皿を指すのだから、当たり前だ。
しかし、だ。

Granada_sky

グラナダのバルに入って、ビール一杯でも注文しようならば、タパスがもれなく一つ無料で付いて来るのだ。別にビールでもワインでもコーラでも付いて来る。

とあるバルに行ったら、昼にはパエリヤが付いて来ることがあった。
一体、この街はどうなっているのだろうか?

Granada_men4

一杯、2ユーロ(260円)程度のものに、食べ物が無料で付いてしまうので、2杯程度飲めば、けっこう満足感が得られる。そして、スペイン人はそんなバルを何軒かはしごしながら、お腹を満たしていくのだ。

Granada_catedral

そして、お昼休みは1時半から4時半となっており、良い感じで軽く飲んでから、シエスタ(昼寝)という神聖な儀式に彼らは興じる。それで経済が発展していたら問題なかっただろうが、スペイン経済の窮状は世界中がもうすでに知っていることである。

それでも彼らは飲み、語り、食べる。なにせ、それがここでは人生だからだ。

Granada_calle

経済がちょっと、ほんのちょっとおかしくなっているのは彼らのせいではないのかもしれない。ほかの世界の人々がきっと働き過ぎなのだろう。みんなももっと食べて、飲んで、そしてシエスタをすれば、幸せになれるはずなのに、そうはしない。

グラナダはそんなスペインの良き文化を体現している場所だ。彼らの国自体がなんらかの経済危機に瀕しているなど微塵も感じなかった。むしろ、ここに永住したいとさえ思ったほど平和そのものだった。普段、住んでいるブエノスアイレスのような殺伐とした雰囲気はここにはなかった。彼らは人生を楽しみ、未来を信じ、何の不満もないように見えた。

Granada_calle2

僕らは余りに経済的合理性、効率などの言葉に踊らされているのではないだろうか?
別に飲み物にタパスが付いてきてもいいのではないだろうか?

結局のところ、人生はいかに楽しむかによって決まってくる。そういう観点から言うと、スペイン人は世界中の人々の一歩も二歩も先に行っているように思える。僕らが経済的合理性を持ちだして、批判するのはそもそもお門違いなのだ。

「人生、楽しければ、それでいい!」
そんなシンプルな人生哲学もありだなと思ったグラナダでの滞在だった。

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2013年5月20日 (月)

ロンドンにて:マリアのこと

コロンビア人のマリアとは15年もの付き合いになる。

Maria_best

ロンドンに住み始めて、すぐにマリアとマリアの当時の彼氏であるセバスチャンが僕の住んでいるフラットにやって来て、一緒に住み始めた。僕たちはすぐに仲良くなり、毎日のように3人で出かけて、楽しい時を過ごした。

ただお互い人生で最も貧乏な時期で、金は全くなく、住んでいる場所こそロンドンのイーストエンドのど真ん中に位置していたが、ひどく狭く汚かった。人生で一番惨めな時期でもあり、一番楽しい時期でもあったかもしれない。僕たちはまだ20歳前半で未来しか見えておらず、この先どのような人生を送るかお互いわくわくしていた。

Englishpub

僕たちが住んでいたフラットの前には古いパブがあり、「ぜひそこに行こう!」ということになり、そこでビールを2杯くらい一緒に飲んだ。僕たちは3,4年に一度は会い、お互いの近況を報告し合っているが、二人とも変化に富んだ人生を生きているので、二人で会うのはとても楽しい。

マリアは2年前に英国のパスポートを手に入れて、晴れてヨーロッパのどこでも住む権利を手に入れ、そして新車を買い、また前の彼氏と別れて、新しい彼氏と付き合い始めていた。(ついでに言うと、前のナイジェリア人の彼氏はビザ問題で帰国を余儀なくされたが、それを法廷に持ち込んで、あげく裁判に勝ち、近いうちにロンドンに舞い戻ってくることになったらしい・・・・相変わらず複雑な男関係を繰り広げているマリアさんです)

マリアは20歳の頃は自分でも「自分だったら、月ぐらい食べれる」というぐらい、世界、いや宇宙全体が彼女中心で回っていると自他共に認めさせるくらい存在感があり、僕はと言えば、セバスチャンと一緒に彼女に付き従う従者のような存在だった。

Maria_light_2

そんなマリアも37歳となったのが、本当に驚きだ。わけの分からないヒョウ柄のパンツを履いて、靴も履かずにロンドンの街中を駆け回っていたワイルドな少女は、今やアートセラピストとなり、自閉症の子供たちに癒しを与える存在となっている。

僕たちはそれから食事をし、またマリアが行きたいというバーに入り、深夜まで語り合った。毎回会うたびにもっと頻繁に会おうというが、結局のところ、僕たちは何年かに一度しか会わない。彼女はどうしても子供が欲しいらしく、タイムリミットが迫っていると焦っているが、彼女ほど魅力的であれば引く手あまただとは思う・・・・が残念ながら男を見る目がなく、また情に深すぎて一度関係した男とはいつも5年くらい関係を続けている。

クリスティーンという人

以前、ブログで紹介したクリスティーンも強烈な個性を持った女性だったが、マリアもそれに負けず劣らずで、さらに最近クリスティーンは子供も出来、とても幸せな人生を送っている。

僕のなかではこの二人の存在がかぶっており、いつか二人を会わせたいと企んでいる。だからマリアもクリスティーンに続いて、幸せなプライベートな人生を築いて欲しいと心から願っている。

ただマリアに子供が出来たら、きっと数年ぶりの再会を果たしても、「ユウキ、ついでにミルク買ってきて!」とパシリに使われるのだろうなと想像に難くない。サイモンは常々、「ラテン系の女性と付き合うということは、それはもうそれ自体が職業なんだよ!」と力説していたが、ほんと友だちですらそんな状態なのだから、付き合ったり結婚したりしたら、それはもうそれが職業になることは容易に理解出来る。

きっとこれから先、お互いひと波乱もふた波乱もある人生だと思うが、数年おきに会って、以前会った時とどれくらい自分たちが成長しているか確かめながら、ずっとこの男女の友情関係を続けていきたいと願っている。

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2013年5月18日 (土)

パリにて:サイモンと枝魯枝魯

パリには何回来たのだろう。
初めて来たのがヨーロッパを旅した18歳の時だから、それからおそらく少なくても3、4回は訪れているはずだ。

Paris01

だから今回のヨーロッパ旅行では、特に来る予定ではなかった。しかし、たまたま友人がパリ留学をしており、せっかくなので寄ることにして、そしてそのまたついでに古い友人のサイモンを呼ぶことにした。

Paris02

19歳で渡英して、たまたま入学しエディンバラの語学学校で英語の教師をしていた彼とはもうかれこれ20年近くの付き合いになる。インターネットのない時代、それにお互い色々な国を行き来していた関係で、しばらく関係が途切れたときもあったが、10年ぐらい前から関係が復活して、今に至る。

ひょんなことがきっかけで彼にプライベートのレッスンを週3回お願いすることになり、それ以外の日もなんだかんだいって会っていたので、下手すると週五回くらい会っていたかもしれない。そのおかげで英語力はめきめきと伸び、留学一年目でFCEに受かり、2年目にCAE(ケンブリッジ上級英語試験)にも受かった。

先生というよりは、兄貴分として仲良くしてもらい、その頃から彼はスペイン語もぺらぺらだったし、今ではイタリア語、中国語も結構話せるようになったとのことだ。

サイモンと会ったのは、数年ぶりと思っていたが、自分のブログを読み返したら、すでに6年以上前のことだった。月日が経つのは、早い。(そして、その前に会ったのは10年前という・・・・ほんとたまにしか会わない割には、あまり違和感がない関係性だ。それほど一緒に過ごした時が濃密だったのだろう)

Simon

そして、今回パリに来たのは、一大イベントがあったからだ。それは枝魯枝魯(ギロギロ)というパリのモンマルトルにある懐石料理屋に行くことだった。パリの友人に数ヶ月前から予約を入れてもらい、1年間ブエノスアイレスに居たので美食にすっかり飢えた状態で赴いた。

Girogiro01

フォアグラから始まり、締めの雑炊まで本当に堪能した。サイモンとは、「エディンバラに居たときは、二人で食べたのはフィッシュ&チップスだったのに、僕たちも出世したね!」と冗談を言い合った。日本人は僕たちだけだったので、店長としばらくお話でき、「平日はそれほど前でなくても、予約できる」ことや「パリもやはりラテン系のせいかユルユルであるが故の苦労」など語り合った。

「南米のパリ」と言われるブエノスアイレスほどではないにしても、本物のパリもそれはそれで大変なんだなと思った。

サイモンとは少し疎遠になっていたので、これからはパリで毎年会おうと約束し合った。そういう関係もありだと思う。そして、僕たちは昨年とどれだけ自分が成長したか、何が変わったか語ることが出来るし、いつまでも過去の昔話に浸ることもない。

「友人」の定義には色々とあるけど、僕にとってサイモンはずっとそのカテゴリーに入り続ける人だし、そのようにこれからも努力していきたいと思う。青春時代を共に過ごした人たちと英語とスペイン語を交えながら語り、これから年を取っていくのもそれもそれでオツな生き方ではないだろうか。

久しぶりのパリは、郷愁と美食とこれからのこと、そんなことを話しながら友人たちと過ごした3日間だった。

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2013年5月 6日 (月)

世界遺産のなかに人々が住む街:ポルトにて

もともとポルトに来たのは、ブエノスアイレスのアメリカ人の友人が「リスボンに一ヶ月いたけど、週末だけ過ごしたポルトのほうが良かった」と言っていたので、そうかと思い、この地まで足を運んだ。

Porto01

たしかにその気持ちがよく分かるほど、いい街だと思う。リスボンよりもずっと小さな街だが、それほど観光地然としていなくて、落ち着きのある街だ。物価もリスボンよりも少し安い。

ちっぽけな食堂みたいなところでお腹一杯食べて、ワインを飲んでも一人10ユーロぐらいだった。そして、リスボンと同じく海鮮類がとてもおいしい。

Porto2

街を歩けば歴史的な建造物にぶち当たり、特に意図しなくても観光が出来る。こんな街に住んだら毎日おいしいものを食べて、ワインを飲んで・・・・きっとバカになるだろうなと思う。ポルトガルの人たちはもう満たされ過ぎていて、働らかなくなり、経済破綻に直面することになってしまったのかもしれない。

だが、リスボンもポルトもそんな経済危機なんて嘘のように、平穏で人々は満ち足りている。ブエノスアイレスの人々とは大違いだ。ポルトガルに着いてから、車のクラクションなど聞いたことがない。通りを渡ろうと思えば、自然と車は道を譲り、せかせかとした感じもなく、穏やかな雰囲気がそこには流れている。(ブエノスアイレスはほぼずっとクラクションが鳴っているし、通りを渡るときはドライバーから殺意を感じることが多々ある)

Porto3

ここはやはりヨーロッパなのだなと思う。文化的にも経済的にも成熟しており、南米のような若い国とは勝手が違う。また日本にあるものは、やはりあくまで「洋風」でヨーロッパにある本物とは全然違うのだなと街にあったインテリアなどを売っている店で思った。(日本にある純和風のものがヨーロッパにいくと、「変な和風」になり変わることと同じだなと)

年をとって引退したら、こういう静かな街に住んで、毎日カロリーなど気にせずにおいしいものをたらふく食べ、ワインをごくごく飲んで、静かに死んでいくのも悪くない死に方だなと思う。

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2013年2月 2日 (土)

自分がやりたいようにやるには:ちょっとした経営哲学について

会社の経営って、「一瞬のうちにどれだけ判断できるか」というのが結構重要なのだなと、いまさら思ったりしている今日この頃です。

ここブエノスアイレスは真夏まっただ中で、気温は35度、体感温度は40度以上でしょうか・・・・なにせ我が新居は停電にしょっちゅう見舞われ、主戦場は近所のカフェな日々です。

朝の8時には近所のカフェに出社して、「いつもの」みたいな感じで50歳はゆうに超えるウェイターさんにカフェとメディアルナス(小さめのクロワッサン)を注文して、2,3時間ほど過ごして、また昼過ぎには違うカフェに行く毎日です。

同じ会社で同じ事業、それに同じ仲間で仕事をしていると、もうこちらの考えもだいたい読めてくる頃合いで、「ああ言えば、きっとこちらはこう言うだろう」という案件をいかに相手の期待値を若干上回りつつ、総合的にみんなが納得できる判断をするかということが重要なのだなと。

最初はみんな虫のいい話しだと思っていた「先生たちに最高の労働環境に提供する」が、きちんと「質の高いレッスンを生徒様に提供する」ことと結びついていることが分かり始めると、こちらの仕事は意外と楽になるものだと最近、実感しています。

ただの酔狂だと思われていた「ワンズワードに所属する先生を日本に招待する」ということも、すでに二回行い、三度目も手配済であることが浸透してくると、「こいつ、本気だったのか」と思われて来るのだなーと。

そして、そのすべては「優秀な先生には永続的に働いてもらい、それに呼応して集まってくるあらゆる意味で優秀な生徒様にも継続して英語を学習してもらう環境の構築」というところにすとんと落ちていくわけです。

で、自分の仕事はその範囲を少しつづ範囲を広げていき、「飽きずに働ける、かつ生徒様も先生も同時に学べる環境」というものを作っていくというものかと。

人間、「石の上にも三年」とはよく言ったもので、三年も同じようなことをずっと言い続けると、ほかの人が自主的に動くようになり、こちらも今までそこに注力していた仕事をほかのことに振り分けられるのだなと思います。

よく「ビジョン」とか「ミッション/目標」とか熱く語る経営者の方々がいますが、そんなものはどうでもいいなと。結局のところ、自分の奥深くに根付いた経営哲学に基づいた行動のみでしか、人はついてこないのではと・・・・最近、とみに思います。

まあ、3年しか経営していない、かつ小さな小さな会社ですが、それでも大切な自己表現の場でもあるので、粛々と自分がこれと思うことを実行しつつ、先生、生徒様、それに自分自身が成長できる環境を今後も作り続けていけばいいなと。

停電復旧を心待ちにしつつ・・・・ブエノスアイレスのとあるカフェにて。

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2012年11月11日 (日)

18歳の夏と38歳の夏の思い出:京都とブエノスアイレス

高校3年生の夏・・・・・普通は受験戦争の真っ最中だと思うが、そんなことにこれっぽっちも関心も湧かなかった自分は、ニーチェやらドストエフスキーやらやたらと難解の本を読みながら、「人生とはなんぞや?」となにかと物思いに耽っていた。

そんなある日のこと、たまたま実家のある京都に帰省したとき、河原町にあるとある本屋でフランセス・A.イエイツの「記憶術」という本を見つけた。

6300円という、高校生からしてみれば、「おまえ、喧嘩売ってんのか?」という値段もさることながら、そのタイトルである「記憶術」という言葉に惹かれて購入して読んでみた。文芸書のようであり哲学書のようでもあり、なんともカテゴライズが難しい本ではあったが、紙のない時代にギリシャ時代の偉人たちがいかに物事を記憶にとどめていたかということを追求しており、値段だけの価値はあるなと思った本だ。

そんなことをふと思い出しながら、英国紙ガーディアンの下記記事を読んだ。

How I learned a language in 22 hours
He's never been good with languages, so can Joshua Foer really hope to learn Lingala in a day?

この記事で紹介されているボキャブラリーを増やすためのアプリケーションである「Memrise」の仕組みがまさに、「記憶術」で書かれているとおりの仕組みを利用しており、なるほどなと思った次第だ。

To remember that bondoki means gun, I saw James Bond pointing a gun at Dr No, and saying, "Okey-dokey." If this all sounds a little silly, it is. But that's also the point. Studies have confirmed what Cicero and the other ancient writers on memory knew well: the stranger the imagery, the more markedly memorable.

ようは、単語と印象深いイメージを結び付けて、それらを紐付けして覚えるというやり方だ。ギリシャ時代の偉人たちは、さらにイメージの部屋をいくつか用意し、それらを互いに関連付けて、複雑な記憶を手繰り寄せていた。

ちなみにこのあいだスペイン語が全く話せないイギリス人とテニスをして、テニスのスコアを言うのに、30−40(サーティー・フォーティー)などは問題なかったけど、30−30(サーティー・オール)という言葉が中々出てこなかった。30分くらいずっと考え続けて、ようやく手繰り寄せたときは、我ながら感心したものだ。

記憶がしまってあった場所がおそらく同一だったために、前の記憶がすっかり消去されて、スペイン語でしか思い出せなくなってしまったのだろう・・・・

記憶というのは、本当に奥が深い。

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2012年10月25日 (木)

僕の人生最大のモテ期について:コミュケーションを取るということ

人間、褒められると誰でも嬉しい。

だが、残念なことに日本社会では、「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」という言葉に表れているように、謙虚さをよしとする文化があるので、それほど褒められる機会は多くない。

幼少時を除いて、自分もそれほど褒められた記憶がない・・・・・ここブエノスアイレスに来るまでは。

今、たぶん「人生で最大の褒められ期、分かりやすくいうと、モテ期」といっても過言ではない。僕がちょっとでもスペイン語を話すと、すぐに「すごいね、スペイン語ぺらぺらだね」「ええ!いつからブエノスアイレスに住んでいるの?たった一年ぐらいですごい話せるよね!」などと感嘆符付きで賞賛される。

このメカニズムについて、あまり深く考えて来なかったのだが、先日ここ半年ほど会ってなかったアルゼンチン人と再会して、その謎が解けた。

スペイン語を勉強して一年が経った頃は、たしかに会話は出来るが、頭の中をものすごいスピードで回転させないと言葉が出て来なかった。ただ、場数を踏む機会をたくさん作っていたので、最初の挨拶や自己紹介などはさらっと言える程度の会話力もあったし、時々気の利いたこともなんとか言える程度の会話力はあった。

だが、この半年で今まで習ったことが腑に落ちてきて、たいていのことは話せるようになり、アルゼンチン人やコロンビア人とのコミュケーションにはそれほど苦労しなくなった。少なくても相手にそれほど負担をかけずに会話が出来るようなってきたので、スペイン語で友人を作れるようになってきている。

先日、久しぶりに会ったその友人は特に僕のスペイン語の上達ぶりに驚いた様子もなく、「全然前からペラペラ話せたじゃん」と言われて、スペイン語に関しての話題は終了した。きっとガチで話したら、半年前とは雲泥の差なのだが、相手が「この人とはコミュケーションが取れる」と思ったら、その印象はずっと変わらない。

たいした語学力がなくても「この人とはコミュケーションが取れる」と思ってもらえたら、そこからは相手と友人になれたり、親友になったり恋人同士になったりするわけだ。コミュケーションは言葉でするものではなく、あくまでいかに心と心を通じ合わせるかなので、ベーシックな文法や語彙でもそれは可能だ。

僕は人の話を分かった風に聞くのがうまい。半年前なんて、その友人が言っていることの半分以下しか分からなかったが、なんとなく「ここは眉間にシワを寄せて聞くところ」「ここは、ひとつちょっと微笑みでも浮かべながら聞いておくべきところだろう」などと推察しながら聞いていた。(とくに相手の言っていることの半分以下の語彙力しかない場合、コミュケーションを円滑にするために極力、いちいち分からない単語の意味を訊くことは避けたい)

外国人とコミュケーションを取る、ひいては人とコミュケーションを取るということは、何も相手が話していることを100%理解する必要はないし、すべての単語の意味を理解している必要もなかったりするわけだ。

端的に言うと、相手に「あなたが言っていることは聞いていますよ、ちゃんと分かっていますよ」という信号をいかに発するかがより重要だ。信号の出し方が重要で、相手が言っている内容を100%理解することは二の次なのだ。(もちろん、レッスン中は分からない単語はすべて訊くことが望ましい。お金を払っている相手とのコミュケーションの取り方はおのずと変わってくる)

そして、このブログの読者だけに、僕がなぜ「人生最大のモテ期」に突入しているかお教えしよう。

それは・・・・・ブエノスアイレスに住んでいるほかの外国人のスペイン語が下手すぎるから。
もう、これに尽きる。

ブエノスアイレスの人たちは前提として、「外国人はスペイン語が話せない」という思い込みがあるので、少しでも話せたら「すげえ!スペイン語話せるじゃん」となり、そして会話が成立する語学力を身に着けると「ええ!マジ!スペイン語ペラペラじゃん!」となる。

人生のあらゆることに言えることだが、人の評価とは相対評価であり、絶対評価なんて存在しない。英語でもスペイン語でも、あらゆる能力の評価も結局は自分が所属している集団によって評価される。

ここブエノスアイレスでは外国人が英語を話せることは当たり前であり、話せないとむしろ「?」が彼らの顔に浮かぶ。日本ではまだ英語は希少なスキルだが、それもそのうち変わっていくだろう。

われわれが目指すべきは、「完璧に外国語を操る」ことではなく、「外国人ときちんと外国語でコミュケーションを成立させる」ことであり、それを履き違えてるから、日本人の多くは自分の英語力にいつまで経っても自信を持てないのだろう。

そして、それを身に着けるためには、多くの人と会い、彼らと話し、分かり合うことが必要だ。完璧な英語を話すまで彼らと分かり合えないと思っているのはただの幻想で、いつだってどこだって人と人は分かり合える。

足りないのはちょっとした勇気だったり、きっかけだけだ。

べつに知り合う人全員と分かり合う必要はない。自分と気が合う人たちと仲良くしていけばいい。ということでブエノスアイレスで若干調子をこきながら、これからもスペイン語を勉強していこうと思っています。


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