書籍・雑誌

2013年1月11日 (金)

【書評】鈴木先生を読め!:より良い人間になるために

今まで文学を越える漫画に出会ったと思えたのは、「天才柳沢教授の生活」だけだ。

しかし、またとんでもない漫画に出会ってしまった、それが「鈴木先生」である。

現代の若者はドストエフスキーやトルストイなど読むことはないだろうが、むしろ代わりに「鈴木先生」を読んでおけば、そのエッセンスを十分に知ることが出来る。(特にドストエフスキーの傑作である「罪と罰」を彷彿させる論理展開がこの一大漫画オペラにはある)

全11巻で完結している作品だが、どのエピソードも胸に突き刺さり、とても考えさせれる。思考停止に陥りがち現代人は鈴木先生に見られる「決断や判断を留保し、より深く人や物事について考察する」という首尾一貫した態度を学ぶ必要がある。(311のあと起こった反原発ヒステリーやそれに続いた自粛ムードを思い出すと、人がいかに感情の赴くままに安易に判断をしているかが分かる)

「天才柳沢教授の生活」は経済は論理で動いているわけではなく、ひとの感情によって変化し、先入観を持つ危険さと愚かさを教えてくれるが、「鈴木先生」はもっと具体的に物事をより正しく判断できる思考方法を持つにはどうすればいいか教えてくれる。

世の中には「他者への想像力」が圧倒的に欠落している人たちがいる。彼らは自分たち自身を「他者」の前提として置き、すべての価値基準を自分自身の価値基準に歪めて判断する。

この広い世の中には自分たちが到底及びもしない考えを持った人間がいたり、深慮遠謀のもとに動いている人たちがいることが想像出来ない。せめてそのような人たちの考えを認める容量の広さがあればいいのだが、自分たちと相容れない意見や考えを徹底的に糾弾し、非難する。

鈴木先生も柳沢教授も常に「なぜか?」と問い続け、一見理不尽に見える物事でも、感情的な判断を先送りし、最後まで問いかけることを辞めない。

それにしても中学校の先生とは業の深い職業だ。子どもと大人の中間に位置する彼らを指導するのは、神業に近い。そんな神業を鈴木先生は毎日こなし、その彼らと共に少しづつ成長していく。

「普通の人間同士で、不幸が起こる」と鈴木先生は語るが、たしかにみんながみんな少しづつでも相手の立場を理解する態度を示し合えば、「ちょっとは立派な大人」となり、世界の争い事も減っていくだろう。

鈴木先生 【全11巻】完結
(こちらで1巻が無料で読めますのでお試しください:2013年1月21日まで)

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2012年8月 1日 (水)

ミラン・クンデラから始まり、カズオ・イシグロ、それにポール・オースター、さらに村上春樹とニック・ホーンビーについて

英語学習のために多読は有効だというのは通説であり、全く正しい。
当たり前のように、外国語の本を読めば読むほど語彙力も付き、正しい文法も理解出来る。

多読という学習方法を行うには、なるべく自分のレベルより下、かなり下のレベルの本をたくさん読み、数をこなすことが推奨されている。だから、語彙数によってレベル分けされたラダーシリーズなどはとても有用だと思う。

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こちらをクリックすると、ラダーシリーズのページへと飛びます)

このやり方は正しい。圧倒的に正しい。

だが、正しいけど死ぬほど退屈だ。個人的には自分の興味のある本を読みたいし、自分の知らない知識を外国語を通して仕入れたい。それは人間として当たり前の欲求だ。

だから、上記のようなオーソドックスな多読の方法と違い、僕は美しい英語を読む訓練を推奨する。美しい英語とは、たいていの場合かなり簡易に書かれており、意外とそんなに難しいものではない。

例えば、原作者はチェコ人だけど、翻訳者の選定において恐ろしいほど厳しい基準を課しているミラン・クンデラの英語などはどこまでも美しく簡潔だ。

ミラン・クンデラは「翻訳とは解釈というアートである」と言い切り、翻訳者に関してとても厳しい注文を課している。だからこそ、英語に訳された彼の本はとても読みやすく、また美しい。

そして、日本と馴染み深いカズオ・イシグロもお薦めだ。ミラン・クンデラよりもよりハードルが高く、古典的な英語を意図して操るが、文章自体はとても簡潔で書かれていて、胸に響く。

この物語は「もう、スティーブンス、なんなのよ、あんた。いい加減にして告白しろよ、あほ!」と思いながらも、心にずっしりと響く名作だ。そういえば、村上春樹がカズオ・イシグロとイギリスで会い、「やっぱり思った通りの人物だった」と評していたが、どことなく自分の頭の中では、彼ら二人は共通点が多いように思える。ようは「自国にいながら、常に異国人」ということだ。

最後に文学なんてクソの役にも立たないと思っている方には、ニック・ホーンビーがお薦めです。

特にこの本は、「本当に男ってどうしようもない生き物だな」と痛感します・・・・男って、ほんと馬鹿で生きている価値がないと心の底から思ってしまう、ある意味名作です。

イギリスびいきではないですが、イギリス人作家が続いたので最後に紹介したいのは、僕が最も好きな作家、ポール・オースターです。

でも、ひとつ悲しいお知らせがあります。ポール・オースターの本はすべて日本語が読んだほうがいいです。なぜなら、柴田元幸氏の翻訳が素晴らしすぎるから。僕が最も好きな彼の本である「孤独の発明」ですが、原書も読みましたが柴田氏の翻訳のほうがはるかに素晴らしい出来です。

結局、翻訳というのはミラン・クンデラが言うように解釈のアートであり、ときには本物である原書をも上回ることもあるのだなと思った作品でした。

ちなみに僕はポール・オースター本人と19歳の頃に会ったことがあるだけではなく、個人的に会話をし、かなり貴重な体験をしました。たぶん、これは彼が自分の小説のテーマとしてよく取り上げるシンクロニシティな出来事だったのですが・・・・それはまた今度。

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2011年9月 5日 (月)

【書評】幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言

18歳のとき、同級生たちと将来のことを話し合ったことを思い出した。
「将来何をしたいか?」とか「どうやったら幸せになれるか?」とか今となっては他愛もないことを話し合った。

同級生のうちの一人が「やっぱり将来はポルシェでも買って、豪邸に住んでいい暮らししたいよな」とけっこう真顔で言ったのを覚えている。

僕は「こいつアホか」と思った。

その彼に「じゃあ、おまえは何をしたいんだ?」と訊かれた自分は「とにかく自分の人生よりも長持ちする、永続性のあるものを自分の人生で築きたい」と答えた。

ポルシェの彼は「きょとん」としていたが、そのときの自分にはそれ以上の具体的な答えは思い浮かばなかったし、今でもそれはたいして変わっていない。

この世の中の目に見えるあらゆるものははかなく、一過性のものだ。いずれは消え去っていくものにしか過ぎない。人の記憶に残る写真、文章、多くの人々のためになる持続可能なビジネスモデル、それらのどれでもいいがそういう確固としたものをこの人生を通じて築いていきたい。

そして、それに到るまでの一分一秒を心ゆくまで楽しみたいと思っている。

幸せの定義は所属する社会や性別などに多少は影響されるかもしれない。しかし、本当はとてもシンプルな原則がある。それは「自分の人生を楽しむこと」ということだ。これは日本のような集団主義的な社会では難易度が高い。本書は様々な角度から「幸せとは?」、またそれに到るまで道のりが描かれている。

本書のプロローグでブエノスアイレスの描写があるが、本当にこの街の人たちは幸せそうな人たちが多い。昨日も近所を散歩していたら、男性の老人二人組が笑いながら肩を抱き合って通り過ぎていった。

東京のような大都市ではめったにお目にかかれない光景だ。

他人のモノマネをしていては、いつまで幸せになることは出来ない。人生とは、所詮は結果論で語られるに過ぎない。今現在も生きている我々自身は、けっして自分自身が正しいか間違っているかなんて結論することは不可能だ。

だったら、くよくよ悩んでいないで「人生、楽しんだものが勝ち!」というものだ。


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2011年8月27日 (土)

【書評】大震災のあとで人生を語るということ

アウシュビッツに送られたフランクル博士は、両親、妻、二人の子どもをガス室で失い、その後自分が奇跡的に生還したあと「夜と霧」という極限状態を生き抜く人たちの心理状況を冷静に分析した本を出版する。

収容所は弱肉強食の世界で、時には友人を売ったり、同じ囚人に対してひどい暴力や窃盗を行う人達のことが描かれている。

そうして、フランクル博士は「最もよき人々は帰ってこなかった」と淡々と記している。

この本の作者である橘玲は「自由とは選択肢の数」だと考えていた自分が大震災後、いかに自分自身が無力でなおかつ、その言説のすべてが絵空事だったかに思い当たる。

3.11の大震災では選択肢を持たない多くの老人が津波に流され、生き絶えた。それは彼らの責任ではなく、ただ1000年に1度の震災に自分たちが生きているあいだに遭遇したという現実のせいだ。

最もよき人々は帰ってこなかった。
震災で亡くなった人々は彼らの責任で死んでいったわけではない。彼らの多くは善良で、日々貧しいながらも精一杯生きていた人々だ。しかし、彼らは1000年に1度の大震災のせいで命を落とした。

「自由とは選択肢の数」だと考えいた橘玲にとってみれば、自分の言説がすべて絵空事に思えてしまうほど、インパクトのある事件だった。

本書はそこを出発点としながらも、「自分たちになにが出来るか」を説いた本だ。

国として、個人として今後様々なリスクを想定しながら、具体的にその対応策を記している。個人として世界市場に投資することや、国が同一労働同一賃金、定年の廃止を導入することを提案している。

彼は「最もよき人々が死なない」ために色々なことを提案している。この際の最もよき人々は、「日本をいい国だと盲目的に愛し、将来に対して漠然とした不安を抱えながらも、総じて今は幸せに生きている人たち」を想定している。

国は一人の力で変えることは出来ないが、個人個人の人生はその個人の意識によって変えることは出来る。今度、この国でなにか大きな変化、災難が起きるときは「想定していなかった」と言い訳しないように、自分たちに出来ることは自分たちで精一杯すべきだと思っている人たちにとっては必須の本だ。


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2010年11月29日 (月)

【書評】拝金:ホリエモンの闇

今更ながら、ホリエモンの書いた小説を読んだ。

フジテレビの買収劇が表沙汰になったときに、テレビでとあるテレビ局の男性アナウンサーと討論していたホリエモンの姿を思い出した。彼はあくまで忍耐強く論理的に理論を展開しているのに、男性アナウンサーはひたすら女子アナとの合コンの話を持ち出して揚げ足を取ろうとしていた。

資産価値5000億円のオーナー経営者と一介の男性アナウンサーだと役者が違うなと思って見ていた。

なんでこんな頭のいい人が世間では悪者にされているのだろうかと訝しくも思った。そのあと逮捕されたときも大企業で経理を勤める友人が「あの程度のこと、どの企業もやっている」と言っていたので、そうだろうなと思った。当時のことはうろ覚えでしか覚えていないが、ライブドア事件を詳細に取材したAERAに特捜部の幹部のインタビューが掲載されており、「テレビで見た横柄な発言を聞いて、絶対に逮捕してやると思った」というその幹部の発言を読んで、日本という国は本当に出る杭は打たれるのだなと寒気を覚えた。

今年、久しぶりにネット中継でホリエモンを見て、相変わらず「どうしてこんな簡単なことも分からないの?」という態度でナチュラルにほかの出演者を小馬鹿にしている姿を見て、独房に入ってもこの人は変わらなかったのだなと思った。

そして、世の中には彼が思った以上に馬鹿な人たちが多かったというこの本の主張も、数々の特捜部の失態や民主党の一向に見えてこない政策、それよりも何よりも全く機能していない日本のジャーナリズムを見ていると、その通りなのかもしれないと思ってしまう。

差し押さえされたときも彼の家には33万円の個人資産しかなく、本当にお金には興味がないのだと思った。彼が心底欲しかったものは「生きている実感」だったのではないだろうか。マネーゲームは彼にとってそれを手に入れる手段でしかなく、お金自体よりも数字としてお金・・・・・どんどんと面白いように増えていく数字としてのお金に充足感を覚えたのかもしれない。

昔も今もその挙動からは主義主張なんてものは感じないが、もし彼がフジテレビの買収に成功し、彼が唯一信仰している「効率」という名のもとにテレビ局を粛清したら政治にも強大な影響力を及ぼせるようになっていただろう。

そのほうがライブドア事件のせいで起業熱も下火になり、企業買収もほとんど行われないようになった今現在よりもよほど面白い世の中だったのではないかと思う。


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2010年10月10日 (日)

【書評】残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

この本を読んで、サン=テグジュペリの「星の王子さま」に出てくる「本当に大切なことは目には見えないんだよ」という言葉を思い出した。

巨万の富を築いてもマサイ族が感じている程度の幸福感しか感じない。だったら最初から他人にとっての幸せの定義など気にせずに、自分自身にとっての幸せを追求したほうが人生うまくいく。

自分自身が楽しいと思うことを追求し、お金持ちにはなれなくても、楽しく豊かな人生が送れるのではということだ。そして、その際は搾取されないように、うまく自分の労働力を投資する必要がある。

ただこれは本当にそもそも論になってしまうが、世の中の多くの人が「自分自身が何をやりたいか、何をしたら楽しく感じられるか」それほど自覚的に考えてはいない。

今でも思い出す。
小学生2年生の頃、学校のグランドでみんなが楽しそうにドッチボールをしていた。僕も一緒にいたが、実際のところ全く楽しくなかった。そして、続けてこう思った。「ずっとこれが続くのか、小学校を卒業し、中学に行き、さらに高校に行ってもこんな退屈な毎日が続くのか」と。そこで「まずい。たぶんこんなことを考えているのがバレたら、仲間はずれにされる!」と現実的な自分の声が聞こえて、慌ててみんなの輪に戻った。

何が言いたいかというと、自分自身が人とは少し違う考え方を持っていることをその頃から自覚していた。と同時にそれが、日本の社会ではものすごいマイナス要素であることも知っていた。だから、ひたすら時が過ぎるのを待った。それが今ではインターネットが到来し、人と違う考え方を抱くことが大きなアピールポイントとなったのだから、長生きはするものだ。(学校なんて誰だって退屈だと思っているだろうが、日本の学校社会では「ほんの少しの違い(髪の毛が茶色、人より冷めた見方をしている)」などでも致命的になる、それこそ残酷な世界なのだ)

「伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ!
 恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!」

ということはとどのつまり「幸せは最大公約数であるという考え方を捨てて、自分だけの最適解を見つけろ!」ということだ。

自分自身が本当は何をやりたいか・・・・・なんてことは思春期にしか考える必要のないことで、われわれに求められているのは今後生き残るためには、自分自身のなかで最もお金を生む要素(=得意なこと)に資本を投入せよということだ。そして、得意なことに没入するのは楽しいことでもある。

頑張れば報われる時代は終焉を迎えた。一見すると残酷だが、無駄な努力はしなくても、世界へ出ていける素晴らしい時代でもある。

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2010年7月28日 (水)

人は状況次第で、いかに変わるかということ。

「急に売れ始めるにはワケがある」というなんとも軽薄な本を購入し、読了した。元々は著者であるマルコム・グラッドウェルの文章がどこかで引用されていたので、それ以来気になり、彼の名前を本屋で見つけて立ち読みしてみたら、そのあまりの面白さに迷わず購入した次第だ。

原書のタイトルは「Tipping point(ティッピング・ポイント)」といい、それを意味するところは「あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと」ということだ。

それを様々な現象を例に取って実証検証しており、とても興味深い内容だった。

特に個人的に面白かったのは、「人間はいかに状況に左右されるか」を背景の力として、様々な例を挙げて検証していることだ。人はよく「あの人は本当に利他的で、穏やかないい人」と言うが、その人をある特殊の状況(例えば戦争)に置くと、残酷非道な面が露出し、人を殺すことが生きがいななんとも酷い人間になる。

それはその人が突然豹変したわけではなく、人間は様々な要素で構成されており、状況次第である面が突出する。この本でもあの有名なスタンフォード大学で行われた囚人と看守の実験が取り上げられている。

スタンフォード監獄実験

実験開始からわずか6日間で、看守役の暴力は歯止めが効かなくなり、ついには実験中止に追い込まれるという事態になった。人間は自分自身が思っている以上に日頃から、その置かれている状況に影響されており、あなたが自分自身の個性だと思っているものも実はその状況下によって作られたものかもしれないのだ。

例えば学校のような未成熟な人間が集まっている集団のなかでは、人々の行動はその集団によって取り決められたルールに支配されやすい。イジメなどの行為も率先してやっているのは、せいぜい1人か2人だが、そのカリスマ的影響力によってほかの人間も参加せざるを得ない。

会社などでも「あの人はダメな人」と一度貼られたレッテルは剥がせにくく、貼られた人間もそれを助長する行動を無意識に行う場合が多い。「何がいいか、悪いか」という判断は絶対的なものではなく、あくまでその所属している集団のルールに則って決められているが、当事者同士ではそれはあたかも絶対的なものとして取り扱われている。特に日本はその傾向が強く、そのことについては、子供の頃から恐怖感を覚えていた。だから、それを強制されにくい「自国以外の国」に目が向き、19歳で日本を飛び出したのだと思う。「外国人」という立場は、自国のルールが通用しない、いわば特権階級であることを早い頃から自覚していたのだ。

あともう一つ個人的に気になったのは、新聞報道の弊害だ。自殺者の事件が新聞に掲載されると、その直後には自殺者が増加する傾向にあるという。新聞は本当に「不幸な事件のオンパレード」なので、誰が何のためにこんなものを読みたいのか常々不思議に思っていた。虐殺事件なども報道されるとその模倣犯が必ず現れるので、いっそのこと各都道府県ごとに「幸福新聞」でも発行して、実際にあったハッピーな事柄(〇〇町で三つ子ちゃん誕生!、隣町の山田さんが三億円当選!)だけを載せれば、世のため人のためになるのではと思う。

マーケティングという観点からはあまり役に立たない本だと思うが、人間のことをよく知るためにはとても役に立つ本だ。

追記:「急に売れ始めるにはワケがある」でGoogle検索したら、下記記事を見つけた。

勝間和代さんの本はなぜ急に売れ始めたのか

勝間さんは「どうすればブームを作れるのか、私のバイブルです」と言っているらしいが、この本を読んで実践に役立てるのはあなたのような人くらいです。

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