日記・コラム・つぶやき

2014年5月22日 (木)

5月のつぶやき

ブログは下記に移転しましたが、放置するのもどうかと思うので、一ヶ月分のツイートをまとめてみました。

http://oneswordnet.com/
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2012年2月12日 (日)

あるゆる問題には解決策は存在する:「直前予約」の開始について

以前より、弊社の会員様から「レッスンの直前予約がしたい」という要望をかなりいただいていた。なぜならば、ワンズワードはほかのオンライン英会話スクールと違い、「レッスン予約はレッスン時間の12時間前まで」となっており、正直利便性は悪かった。

これには下記の事情がある。

1. 先生方は自宅勤務のため勤務時間がまちまちである。よって厳しく就業時間が管理出来ない。

2. 早朝6時(フィリピン時間では早朝5時)よりレッスンが可能となっているために、直前予約を可能にして早朝4時などに予約されても先生が寝ていたら気づかず、遅刻が多発する。

3. 交通事情が極端に悪いマニラ在住の先生がほとんどのため、一日の予定が立てにくく、普段ならば15分で行ける所でも極端な場合は2時間かかることもあり、予約が一時間前まで可能となってしまうと、まずレッスンに間に合わないことが予想される。

また先生側からも最近は特にレッスン前12時間以降のキャンセルが多発しており、キャンセルされた時間帯は生徒様からの予約が一切出来ないので、不満の声が挙がっていた。

生徒様側、それに先生側の不満の解消するために「直前予約機能」を追加することにした。しかし、当然上記に挙げた3つの事情を考慮する必要がある。

そのために先生用のページには、レッスン時間12時間前を切った時間帯のレッスンについて「直前予約を可能にするどうか(Allow an immediate booking)」というボタンを作り、先生が自らこのボタンをクリックしない限り、生徒様の画面では直前予約が出来ないようにした。(これで先に挙げた早朝レッスン時の予約や、自分の予定が定かではないときに予約を空けないことが出来る)

Booking

すべてをオートマチックにすることも出来るが、ここではあえて先生が手動で操作をしない限り直前予約が可能にならないことにして、そのあとに起こり得る問題を最小限に抑えた。

この変更によって生徒様の「直前予約を可能にして欲しい」というご要望と、先生たちのレッスン前12時間以降にレッスンがキャンセルされたことによって生じた空き時間を有効活用出来る。(直前予約に限り、予約は1時間前まで出来、また「直前予約」を使って予約をした場合は、レッスンキャンセルは出来ないことになっている。そのほかの通常の予約に関してはレッスンキャンセルは1時間前まで可能となっています)

先生たちはキャンセルされた時間の空き時間だけではなく、その日の予定が空いていれば、直前予約を可能にすることが出来るが、先生たちを集めたスカイプによる全体会議でも「その日の予定がはっきりしており、確実にパソコンの前にいる日だけ、直前予約が出来るようにする」ように口を酸っぱくして言っておいた。

これでレッスン時間の1時間前まで新設された「直前予約」ではレッスン予約が可能となった。

あらゆる問題には解決策はあり、完璧な解決策は存在しないかもしれないが、最善の解決策は存在する。今回の解決策は完璧ではないかもしれないが、今考えられる限りの最善の策だと思っている。

今後も予想される多くの問題についても同じようにアプローチしていければと強く願っている。

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2012年1月19日 (木)

仮想敵を想定して戦う日夜:ついでにFACEBOOKキャンペーンについて

企業というところは、常に競合の動向を気にかけるものである。

で、オンライン英会話スクールという業界は、参入した頃から100社ほどあり、それらの動向を当初は気にしてはいたが、最近はあまり考えなくなった。(もちろん、情報は絶えず取得するが)

ワンズワードがターゲットとしている層は一言で言うと、「自分で時間をかけて優秀な先生を見つけるよりは、その分お金を払ってでも優秀な先生のレッスンを受講し、またなんらかの社会貢献に興味がある」という人たちだ。

今のところ、ほかにそのようなオンライン英会話スクールは見当たらない。(おそらくたいして儲からないのが明白だから。それよりも分かりやすく価格を下げて、「安い、早い、うまい」のほうがウケはいい)

漫画を売りにしたり、若い女の子を売りにしたり、料理を学べることを売りにしたり、差別化に必死な人たちが右往左往していたりするこのオンライン英会話スクール業界だが、結局のところ本当に大事なのは、「英語学習者にとってベストな学習環境を提供する」ということと「先生たちにベストな労働環境を提供する」ということだ。

目に見えるささいな違いなど、本当はどうだっていい。目に見えない部分を考え尽くし、それをどううまく表現し、それをアピールしてサービスを広げていくかということが重要だ。

時々、「5000円くらいにしてくれると入会するのに」というお声をいただくが、値下げをするくらいならば、先生たちの給料をあげたほうがよほどいいと思っている。(フィリピンと日本の経済格差を考えると、そのほうが効果的だ。体感的にはフィリピンの物価は日本の物価の5分の1程度なので)

この業界の一番の懸念は、先生が個人的に生徒を取り始めて、オンライン英会話スクールという存在が形骸化することだ。それを起こさないためには、いかに先生たちに利益を分配していくかということが重要だ。

そのためにはスクール自体の経費を極限にまで落とし、その代わりに彼等に分配する必要がある。これは何も綺麗事ではなく単純に「生き残り戦略のひとつ」である。

ただ自分も聖人君子ではないので付け加えておくと、起業家が労働者よりも利益を享受するということについては肯定的だ。そうではないと、誰も起業なんてしないし、何の夢もない。

だがだからといって、起業家たちが利益を独占することには反対だ。言い尽くされた言い方だけど、「会社、労働者、お客様のWINWINの関係を構築する」ことが一番重要だ。

それで今日も競合他社よりは自分の仮想敵を想定して、うんうんと唸りながら、「どかーん、がーんと会員増えねえかな」などとアホなことを考えているわけだ・・・・・で、やっぱりそう簡単には増えないなと思って、せこせことブログを書いたり、FACEBOOKキャンペーンなどを打ち出したりしています。

FACEBOOKキャンペーンはこちらより
(最後までお読みいただきましたら、せっかくですのでLIKEボタンを押してください。もれなくブエノスアイレスより感謝の念をお送りします!)

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2012年1月10日 (火)

結局はどう生きるかということ。

FACEBOOKやツイッターなどを見ていると、日本では放射能の汚染問題がかなり話題になっているようだ。自分自身はブエノスアイレスに住んでいるので、正直部外者ではある。だから、その問題に関してはなんとも言えないが、今年から自分も寄稿しているアゴラが専門家の情報を集めた精度の高い情報を掲載しているので、ぜひ参考にしてもらいたい。

GEPR(グローバル・エネルギー・ポリシー・リサーチ)

特に東京大学の中川 恵一先生が「放射線被ばく基準の意味」と題して、寄稿されているので、ご一読していただきたい。

また個人的には石井 孝明氏のアゴラでのコラムをいつも拝読し、自分も勉強している。

福島に朗報、「甲状腺疾患の増加は予想できない」ロシア専門家=チェルノブイリ報告から考える合理的な低線量被曝対策

最後に宮崎駿がもののけ姫についてのインタヴューで下記のように答えているので、紹介したい。

百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、チェルノブイリで、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…

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2011年12月23日 (金)

より幸せな社会を構築するために:2006年ノーベル平和賞受賞をしたユネス氏を思い出しながら

腰痛になった。
なんだろう、この残念な響き・・・・

このあいだの日曜日に、朗らかな晴れ模様のブエノスアイレスで、優雅にテニスなんぞをしているときに「ピキッ」といったわけだが、翌日の月曜日はベットから立ち上げることさえ不可能だった。腰痛持ちの人にしか分からないだろうが、国際的に認められている腰痛レベル(嘘)でいうと、「ほふく前進レベル」だ。

原因は分かっている。下記二点だ。

1.めちゃくちゃ背が高い(192cm)

2.めちゃくちゃ体が硬い(コチコチ)

オスカー・ワイルドも言っているように「自覚していることはすべて正しい」という名言の通り、原因は自覚していたので、その対処策として毎日ストレッチは欠かさなかったのだが、それでも効果はなく、今回の緊急事態となった。

全く動けないので、ベットで三日間ほど寝たきりだったのだが、腰痛の場合は当然ながら外傷は全くないので、その激痛は人には伝わらない。そのあたりがじつにもどかしい。生涯でこれほどの痛みを感じたことがないほどの痛みを感じるのだが、傍から見るとただの動きの鈍い年寄りにしか見えない。(本人は真剣)

三日間ほどたゆまぬ激痛に苛むと、「人間って、自分が痛い思いや辛い思いをしているときは、人に対して思いやりなんぞ、持てないものなんだ」と心底思う。自分が激痛に苦しむときは「世界平和」や「ソーシャルビジネス」なんて単語は全く浮かばず、ひたすらこの痛みがいつになったらなくなるかだけが気にかかった。またそれと同時に、「果たして、本当にこの痛みは消えるのか?」という恐怖も手伝い、気が気でなかった。(一日の予定を丸々キャンセルするのも気が引けるし、さらに何も出来ないという事実が気を滅入らせる)

これから導き出される結論として、幸せ人だけしかほかの人に幸せを分け与えることはできないという事実だ。2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の講演に行ったことがあるのだが、そのときの「この人、神か!」と思えるほど圧倒的なオーラをふと思い出した。(その講演の様子はこちらから。感動的な話です)

自分自身がより幸せになることがひいては、ほかの人の幸せにも寄与する・・・・・なんというか、つべこべ考えずに人はもっと自分の幸せに対して貪欲になればいいのではと思う。それを突き詰めれば、結局はほかの人も幸せのほうが自分も幸せという結論にたどり着くのだろう。

あとにも先にもあれほどの圧倒的なオーラを纏った人に会ったのは初めてだが、自分も自分の幸せを突き詰めつつ、ほかの人の幸せの手助けも出来ればと願っている・・・・・腰痛が完治してからだけど。


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2011年11月28日 (月)

旅と人生について:目的ではなく手段であるということ

ブエノスアイレスに来てからもう何度も訊かれるが質問が「どうしてブエノスアイレスに来たのか?」という質問だが、未だにうまく答えられない。

そこに山があるから・・・・・と同じニュアンスでたまたまブエノスアイレスと思いついたので、住み着いたまでだ。

そして、次に訊かれるのが「ブエノスアイレスに住んだあとはどこに行くの?」という質問だけど、これにも当然うまく答えられない。2,3年はいるつもりだけど、明日嫌になってふらっとスペインあたりに行ってしまうかもしれない。

とくに場所に関しては無頓着なので、ブエノスアイレスに住むと決めるまでは実は世界一周でもしながら仕事をしようと思っていた時期がある。

世界一周航空券

20万から40万くらいまで色々とあるが、ネックになったのは出発前に目的地と日程を決めないといけないことだった。あともう一つ、ネックになったのが・・・・・・

「世界、回るのめんどくさっ」

ということだ。すでに30カ国以上旅をしていたので、どうしても行きたい国というところもなく、がんじがらめの日程とルートで回るのは億劫だった。世界一周というコンセプトだけに、世界を同方向に回る制限などもあり、もっと自由に旅をするほうが自分に合っているなと思う。

だが、イグアスの滝やモロッコのサハラ砂漠など世界には見て圧倒される光景というものがいくつか存在するので、それらをピンポイントにピックアップして見てまわる旅はありかもしれない。

Morocco03

Morocco06
(ほかの写真はこちらのHPに掲載しております。)

新しい風景や違う価値観を持つ人々と会うたびに、「世界は広い」と痛感する。そうして、自分の小ささも同時に痛感して、より謙虚に人生に取り組むことが出来る。

旅をするということは、あくまで手段であり、目的ではない。人生もまた然り。生きるということは、それ自体が目的ではなく、何かをしたり誰かを好きになったり、事業を起こしたり仕事をしたり辞めたり、色々なことを行うための手段だ。

「人生とは?」とそれ自体の意味について悩んでいる暇があれば、世界に出てそれを経験したほうが早い。結局のところ、人生それ自体には意味はない。それはただの手段なのだから。

そんなことを考えていたら、またふらっと旅に出たくなってきた。今度、日本に帰国したらアジアをぶらぶらとまた回ってみようかなと思っている。

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2011年11月22日 (火)

生きているあいだにできること:たくさんの過ちとたくさんの幸せ

人生において、一番大事なことはなんだろう?
と訊くと、たいていの人は「家族、子供」などと答えるが実際はその時間のほとんどを仕事に費やしている。そうして、多くの場合は好きでもない仕事に多くの時間を費やしているのが現状だ。

そんな仕事は辞めてしまえばいいというのは外野の勝手な話で、生活のことを考えるとそうもいかない。そうして、できるだけ長く同じ仕事を続けることになる。ほかに人生やることないのかと考えてしまう。

これだけの世界不況のなか、あまり先のことばかり心配していても始まらない。そんなに真剣に考えても、たいしていい解決策はない。あらゆるものは流動的だし、結局のところ一日一日を一生懸命生きて、「昨日よりもより良い自分」を目指すしかない。

最近、父親が「うどん屋を開く」と言って家族中を巻き込んでいるのを傍目で見ながら、やはりほかに何かないのかと思う。もう70歳近いのだから、「1000万円持って世界を豪遊してくる!」と言っていたら、家族中が応援していただろうが、駅前によくあるような立ち食いうどん屋を開きたいと言われるとどうかと思う。

ずっと独立して自分の店か会社を持ちたいと言っていたので、今になってようやくそれが叶う状況になったから、彼の気持ちを一応は理解出来るが、正直時遅しだ。

夢や目標を持つのは素晴らしいことだ。だが、そのために色々なことを後回しすると、ろくでもないことになる。別に刹那的に人生を生きて、享楽的に時を送ることをよしと思わない。だが、自分のやりたいことをいつまでも先送りにしていると、いざやろうとしてもたいていの場合は、すでに時を逸している。

子供の頃、父親の姿はほとんど見かけなかった。たいてい夜遅く帰り、休みは週一日だけだったので、昼過ぎまで寝て過ごしていた姿しか記憶にない。当時、何を思ってそこまで仕事に時間を費やしていたのかは分からない。


Moments
(上記は英語翻訳で原文のスペイン語はこちらから)

アルゼンチンが誇る作家ボルヘスが書いたとされる詩(実際は違う人が書いたという説が有力らしいですが)を今日のスペイン語のレッスン中に読みながらふとそう思った。

家族のために朝から晩まで働いていると言う人がいるが、それはきれいごとだ。家族の誰もそんなことを望んでいない。結局、人間は自分のために働いている。それを自覚していないと、下手な言い訳をして、結局それに足元をすくわれることになる。

「会社のため」「家族のため」「社会のため」と詭弁を弄すると、自分自身ですらそれに騙される。仕事は自分のために行い、その次のステップとして他者のことを考えればいい。現実的に解決しなければならない問題は多いが、それこそビジネスライクに取り組めばいい。

世の中、自分にしか出来ない仕事なんて存在しない。どんなに偉大な作家や画家、社長だって代わりはいるし、常に時代は進歩している。逆説的に言うと、いくらでも代わりがいるから安心して人生失敗すればいい。

If I could live my life over again,
in the next one I would try to make more mistakes.
I wouldn't try to be so perfect, I would relax more.
I would be sillier than I've been,


もし、人生もう一度生きることが出来たら、
次の人生ではもっとたくさん過ちを犯そう
完璧なんて目指しはしない、もっとリラックスして、
今までよりもずっと愚かな振る舞いをしでかすよ。


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2011年11月14日 (月)

無駄をそぎ落とし、実を取る選択をするために出来ること。

ドイツの文豪ゲーテは「ローマは一個の世界であって、それを通暁するのには、まず数年を必要とする。だから、通り一遍の見物をして立ち去ってゆく旅行者を見ると、かえって羨ましいくらいだ」とその著書である「イタリア紀行」で語り、ゲーテは実際2年ほどイタリアに滞在した。

だからと言う訳ではないが、人からブエノスアイレスにどれくらい滞在するのかと訊かれたら「2年」と答えている。

ブエノスアイレスに着いてからずっと2年と答えているので、すで半年以上経った今は「あと一年半」と答えるべきかもしれないが、それも面倒くさいのでずっと2年と答えている。

せいぜい長くて半年しか滞在しない外国人たちがやれ「イグアスの滝だ!メンドーサだ!(ワインの産地)」と騒いで旅行に勤しんでいるのを尻目に、日々スペイン語の勉強をし、タンゴのレッスンを取り、日本にいるときと同じように仕事をしている自分がいる。

「日本にいるときと劇的に変わったことは?」と訊かれたらも困るくらい、通常運転な日々を送っている。はしゃぎもしないし、かと言って退屈でもない。そんな当たり前の日々だ。

行きつけの八百屋さんで、「日本語でオラ!ってなんていう?」などという質問に答えながら野菜を賈い、スーパーでは「おまえは日本人なのにマテ茶を飲むのか?」と言われ、そんななんのことはない当たり前の日々を送っている。

20代の頃にイギリスにいた頃はもっとはしゃいでいたが、今となってはそんなにはしゃぎ気にもなれず、淡々と過ごしている。ふと世界的な経済不況に思いを馳せたり、何かしら新規サービスを考え出さないとなどと考えはするが、ブエノスアイレスに住んでいるということ自体にあまり考えは及ぼない。

色々な土地に行ったし、色々な人と話したし、色々な経験もした。そうして、もっと色々な経験をするために、手を変え品を変え日々生活を改善する努力はしている。

当たり前のことだが、自分に出来ることには興味はあるが、出来ないことには興味はない。そんな切り分けがすでに出来ているので、なるべく無駄を削ぎ落として生活している。

「2年経ったら、どうするのか?」とも訊かれるが、別にそんな先のことには興味は湧かないし、その頃には必然と思える決断を下しているだろう。どこに住むかというよりは、何を成し遂げるかのほうがより重要だ。そのための選択肢を増やすために、少しつづ自分の可能性を広げていくしかないと思っている。


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2011年10月23日 (日)

初心忘れべからず:リスクを取って生きるということ。

人はよく「初心忘れべからず」と言う。
しかし、それはとても難しい。特に年を取れば取るほど、難しくなってしまう。

なぜなら年を取れば取るほど、周囲の環境に慣れ、自分自身の存在にも慣れ、また自分の人生の可能性にも慣れてしまう。いつのまにか、物知り顔で人の人生や物事に口出しをし始め、訳知り顔で本当はよく分からないことにいちいち頷くようになる。

立派な「大人」の出来上がりだ。

そういうことに対しての反発もあり、わざわざ地球の裏側にあるブエノスアイレスまでやってきたのだと思う。特に仕事の面で言えば、もう一度新しい言語であるスペイン語を一から学ぶことによって、本当に初心を取り戻すことが出来た。

何人かの先生に学ぶことによって、彼らの長所や短所を見極め、それをワンズワードの先生たちにも当てはめて考えることが出来る。すでに知っていることではあったが、体験としてもう一度焼き直すことはとても大切な作業だ。

人は人生をリセットしたいと言うが、残念ながら人生とは「壮大なひとつのバランスシート」なのだ。築き上げた資産(人間性、人間関係、思考、知力、財力など)と負債(人間的な短所、マイナスな人間関係、惰性、マイナスな感情など)はどこに行ってもつきまとう。

だからこそ、「初心忘れべからず」などだろう。

人生において大切なことはいつまでも変わらない。人生を知れば知るほど、分かった気になってはいくが、いつまで経っても本当にすべてを知ることは出来ない。そのことを思い知るために、何か新しいことに挑戦するのは素晴らしいことだ。

英語でもスペイン語でも、タンゴでも何でもいいが、新しいことを知る努力をするということは、自分の未熟さを思い知り、人間を謙虚にさせる。

次元の違う話になるがバルセロナにあるピカソ美術館に行ったときに最も感銘を受けたのは、その時系列に並んだコレクションを見て、彼が自分で一度そのスタイルを極めたと思ったら、あっさりそれを捨てて常に新しいチャレンジをしていることだ。(美術教師だったピカソの父は、13歳の少年ピカソが描いた「鳩の絵」を見てその圧倒的な写生力に驚き、それ以降絵筆を握らなかったという)

よく才能を持て余すというが、それは裏を返せば、何も新しいことにチャレンジしていないということなのかもしれない。

天才の人生を真似ようと思っても無理だが、時々自分の人生を振り返って、そこに何も新しい挑戦がなければ、リスクを犯す節目なのかもしれない。

老後は縁側の縁に腰をかけて緑茶でもすすりながら、将棋でも指して余生を送りたいと思っているが、それまでは常に新しいことにチャレンジする姿勢というものを失わないようにしたい。


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2011年10月19日 (水)

神は細部に宿る:食欲から導き出されたひとつの真理

僕は自慢ではないが、ものすごくおいしいレストランを探し出すのが得意だ。もちろん、誰にだっておいしいレストランとまずいレストランくらいは見分けられるとは思う。まずいレストランをちょっと覗くと、閑古鳥が鳴っているし、店の雰囲気がなんとなくいけていない。

だが、おいしいレストランとものすごくおいしいレストランを見分けるのには、長年のあいだ培った勘とあくなき食欲が要求される。

これは実話だが、一昔前、その頃いつも一緒にランチを食べていた友人に「もう近所のレストランは食べ飽きたので、今日こそは新規開拓して、ものすごくおいしいレストランを見つける!」と宣言したことがある。

そうして、半蔵門あたりを練り歩き、見つけ出した場所がここだ。

店は地下一階にあり、表からはどのようなお店か伺い知ることは出来なかったが、その看板ひとつ取ってもぷんぷんと「出来る店」の雰囲気を醸し出していた。そして、その予想は見事に当たり、非常に満足したランチを食することができた。

で、何がいいたいかと言うと、「本物は匂い」で分かるということだ。

ワンズワードオンラインのための先生面接でも、だいたい最初の数秒、あるいはメールのやり取りだけで、その結果はだいたい予想が出来る。やはり本物はメールからでも、強烈な香りを醸し出してくるものだ。

これはとても説明するのは難しいのだが、ニセ者も本物と同じような強烈な香りを放っていることが多いので、けっこうコロリとだまされることが多いことだ。過去、自分もけっこう痛い目に何度かあったので、細心の注意を払っているが、それでも時々足下をすくわれることもある。

どうして急にこのようなことを書いたのかというと、下記の記事を読んだからだ。

スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける

周りをどなり散らして、自分勝手な要求ばかりする経営者、他人の人生を犠牲にすることなんて会社の成功のためには当たり前と思っている経営者とスティーブ・ジョブズのような本物の経営者の違いが本当によく理解できる記事だ。

願わくば自分も「本物」の仲間入りをしたいが、それにはまだまだ本気で色々と取り組むことは多そうだ。

けれども、ひとつだけ言えるのは、少なくても自分の会社のサービスを利用している人たち、それに雇用している人たちに関しては有言実行していると断言できる。

そんな些細なこと誰も気にしないのにということまでも、なるべくケアしている。それこそ、ジョブズの言うように「神は細部に宿る」だろうから。


(これはけっこう本当です。「なぜ採用は2秒で決まるか」ご興味ある方はぜひ!)

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