スポーツ

2010年7月12日 (月)

国の代表として

南アフリカワールドカップも終り、ようやくこれで不規則な生活ともおさらばできる。結局、優勝はスペインと下馬評どおりの結果となったが、これほど実力と結果が伴った大会は珍しいかもしれない。スペインのような国と対戦して勝てるのは、スイスのように堅守速攻にかけるチームか、ブラジルのようにがっぷり四つに組んでも対抗できるチームだけだろう。その点、オランダは惜しいチームだったが、ひとつひとつのプレーのレベルはスペインが一枚も二枚も上だった。

アフリカ大陸で初めてのワールドカップはこうして、予定調和のように圧倒的な強者であるスペイン優勝で幕を閉じた。

そして、日本では選挙が行われ、こちらも予定調和のごとく国民が今までの鬱憤を晴らし、民主党が大敗を喫した。普天間基地の移設や消費税増税の提言などで失政を繰返してきた民主党は、これでもはや失敗は許されない厳しい状況に置かれた。

ただだからといって、また自民党でいいのかという声を「みんなの党」がしっかり受け止め、10議席獲得という大躍進を果たした。

このようなニュースを見て、ふと「みんなの党」ってどうよ?と思ってネットで調べてみた。色々と検索すると、反日活動家や汚職にまみれた政治家などの中傷記事が目立ったが、下記ブログのように素直に政策を支持する声も多く見られた。

「みんなの党」のマニフェストには「同一労働同一賃金」や「負の所得税」もある

最近思うのだが、国という中央集権型国家はすでに機能しておらず、また正常な判断を下せるだけの情報が彼らに届いていないように思える。だったら、税金などを集める機能だけが国が担当し、実際の判断は「生の情報が入りやすい」市や町単位で任せてしまえば、よほど効率がいいと思う。

そういう部分では、「みんなの党」が提唱する地域主権型道州制には賛成だ。だが、ここでまたふとどのような人種が政治家を目指すのかと考えてみた。今の政治家のイメージは「だらだらと無駄な会議ばかり開き、一向に物事は改善されないし、それに対して働きかけない」というイメージだ。非常に個人的なイメージだが、「なんだかきらきらしている」イメージの政治家なんて見かけたことがない。

同じ国の代表でも、サッカー日本代表のきらきらぶりとは雲泥の差だ。国の代表と言うならば、あれくらいカッコ良くあって欲しい。

それに政治家が「国民」という言葉を発するたびに、ちょっとした嫌悪感を覚えてしまう。彼らの指している「国民」とは一体誰のことなのだろうか?一般の企業だと、あるサービスや商品に対して顧客が満足しているのか調査することや、売る商品やサービスに対しての猿でも分かる説明を行うことはその企業の義務だ。

彼らは「彼らの国民」にそのような働きかけをきっちり行っているのだろうか?ひたすら名前を連呼するだけの選挙活動には誰もがあきあきしている。なんのために、どのように、なぜそれが必要なのか、それを行うと我々の生活の満足度は向上するのか、という視点でモノを言う政治家が入れば、それこそ清き一票を投じたい。

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2010年7月 1日 (木)

ワールドカップ個人史、世界の8強へ

いつからワールドカップを見始めたのだろう。記憶をたどっていけば、94年のアメリカで開催されたワールドカップにたどり着く。ちょうどスコットランドに留学する道すがらイタリアに立ち寄り、そこでイタリア人たちと一緒に決勝戦のイタリア対ブラジルを見た。

あのときのイタリアは監督がアリゴ・サッキという戦術家だったのにも関わらず、まるでチームとして機能しておらず、ひたすらロベルト・バッジョの神がかり的なプレーに頼り、実際決勝戦まで勝ち進んだ。イタリア人たちはかなりシニカルで、口々に「今回のチームは最低だ」とこき下ろしていた。

しかし、決勝戦ではそれまでケガで出場出来なかったイタリア代表のキャプテンであるフランコ・バレージがそれまでの鬱憤を晴らすかのような素晴らしいプレーを連発して、チームを鼓舞した。一人のDFのプレーにこれほどの感動を覚えたのは、後にも先にもこのときだけである。

ピンと背筋を伸ばした状態で繰り出されるパスや神がかったインターセプトは今でも忘れることができない。しかし、そんなイタリア代表も最後はPK戦によってブラジルに破れてしまう。バッジョの「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という名言を残して。

そして次のフランスで開催されたワールドカップでは、ロンドンに滞在しており、初出場した日本代表の試合を見るためにかなり骨を折った。テレビを持っていなかった僕はパブでサッカー観戦をするしかなく、ひたすら日本代表を試合を放映しているパブを探し求めた。「ワールドカップ放送中!」という看板を見て飛び込んだパブがサッカーではなく、ラグビーワールドカップを放送していたこともあり、結局アルゼンチン戦とクロアチア戦のみ見ることが出来た。

日本は3戦全敗で、日本が世界との距離を痛感した大会だった。

次の日韓大会では日本に帰国しており、国中がワールドカップ熱に染まる中、それまでの日本代表とは比べ物にならないくらい強くなった日本代表に多くを期待した。だが、トルシエ監督の奇天烈な性格は選手のやる気を削ぎ、最後のトルコ戦のあまりに呆気無い負け方は僕たちを幻滅させた。

2006年のドイツワールドカップは、きらびやかなタレントを擁したが、ジーコ監督の無策とチームとしてのまとまりに欠け、惨敗した。今回のワールドカップの時のように選手から「岡田監督を男にしよう!」なんて威勢のいい言葉は聞こえてこず、中田とその他の選手間での溝はあまりに大きかった。
(ジーコは男の前に神様と崇められていたので、それもそれで仕方がなかったのかもしれない)

今回の日本代表の試合にあれほどの感動を覚えたのは、きっとチームの一体感が観ているものにも伝わってきたからだろう。あれほど一体感があったチームは、ドーハ組と呼ばれた代表以来だと思う。あのときは柱谷哲二がチームを鼓舞し、ラモス瑠偉が吠え、カズがシュートを決めた。

あの頃はワールドカップ出場を懸けた戦いだったが、今回は世界の8強入りを懸けた戦いだった。どちらの戦いにも惜しくも敗れはしたが、20年近く経ってワールドカップ出場を夢見ていた国から世界の8強入りが視野に入る国へと変貌を遂げた。チームとして機能すれば、日本のような国でも十分に世界と戦えることが示して大会だったと言える。

次のワールドカップでは、またどこか外国で日本代表の試合を観ているかもしれないが、一緒に試合を観ているであろうイタリア人やイングランド人に対しても引け目を感じない日本代表となっていることだろう。

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2010年6月26日 (土)

どうしてみんなフットボールに熱狂するのか?

誰も予想していなかったが、日本がデンマーク相手に最高のプレーを見せて、見事一次リーグを突破した。カメルーン戦では低調の試合内容で海外メディアからはひどい評価を受けた日本だったが、この試合では非常に好意的な評価を得ることが出来た。

”A disappointing match, if only because Japan were so very, emphatically superior where I had been anticipating a real battle.”英国ガーディアン紙
(日本があまりに素晴らしかったので、ガチンコ勝負を期待していた私にとっては残念なゲームだった)

まさかこのような素晴らしい試合内容で勝ってしまうとは、本当に驚きだった。この勢いがあれば、岡田監督が目標に掲げていた「ベスト4」も、にわかに現実味を帯びてくる。当初は誰もが失笑をしていた目標だったが、今となっては誰も笑わない、いや笑えない。

サッカー熱が日本列島を支配しているが、なかにはサッカーなんて全く興味がない人たちもいるわけで、その中の一人に「サッカーのなにがそんなに面白いの?」と言われて、理由をいくつか考えてみた。

1. 手を使わず足でボールを扱うスポーツなので、それだけ不確実性が高まり、プレーの幅を広げている。

2. 11人のチームプレイなので、必ずしも身体的に優れているチームが勝つとは限らない。

3. 1足す1が3や4になる場合もあり、また1になる場合もある(今大会で前者が今の日本であり、後者はカメルーン代表だろう)

カンヌでパルムドールを2度も受賞したユーゴ人映画監督エミール・クストリッツァは「ピクシーのフェイントの美しさはほとんどのユーゴ映画よりも価値がある」とかって名古屋グランパスで活躍したストイコビッチのプレーを讃えた。(こちらの記事を参照)

たしかに彼のプレーは一個の完成された芸術であり、日本で活躍した外国人プレイヤーのなかでもその技量は突出していた。

このように人々に感動を与えるほどの高い芸術性を持ったスポーツはほかにない。

高い芸術性を内包していることがこれほどまでに人々をサッカーに熱狂させる最大の理由なのかもしれない。松井大輔のプレーのひとつひとつに「オシャレ」さを感じるのも、本田圭佑の骨太い体から繰り出されるシュートされたボール自体に何かしらの意志を感じるのも、芸術のなせる業なのだろう。

サッカー観戦のせいで寝不足の毎日だが、4年に1度のことであり、また日本が今後これほどまでに最高の状態で決勝トーナメントに進むことはそうそうないので、これからも応援していきたい。



(フットボールをこよなく愛する男の物語。洋書ですがNick Hornbyの英語はとても読みやすくお薦めです)

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2010年6月23日 (水)

はじめはみんなビギナーだった・・・・・・

三十を過ぎてからテニスを始めた。きっかけは今となっては定かではない。迫り来る老いへのささやかな抵抗だったのかもしれないし、単純に運動不足を感じていたからかもしれない。それまで一切テニスには興味もなかったし、プレーしたこともテレビで試合も見たこともなかった。ただ突然、ふとした瞬間にやってみようと思い立った。

そうして、5年が過ぎた。今ではごく平均的なプレイヤーとなり、そこそこ楽しめるくらいにはプレーは上達した。特に特別な努力をしたわけではない。週最低1回テニススクールでプレーし、週末はテニスサークルのようなもの行くようにしてなるべくテニスをする機会を増やしただけだ。トーナメントに出て勝ちたいとか、ウルトラサーブを入れたいなどという野心もない。一緒にテニスをプレーする人たちと楽しくプレーできればいいという、ごくささやかな望みしかない。

テニススクールでは何人ものコーチに教えてもらったが、「教え方が上手い」と思うようなコーチには2人しか出会わなかった。初めてテニスを教えてくれたコーチと、次にテニスを教えてくれたコーチだ。最初の出会いが良かったからこそ、続けてこれたのだろう。

テニスコーチになるような人たちはみなテニスは当然上手い。すこぶる上手い。それでも教え方はとても下手な人が多い。誰もがプロを目指してプレーしているわけではないが、彼らの中の完成形はどうしてもテレビで見るようなプロテニスプレイヤーになるらしく、それを引き合いに出してよくダメ出しをされた。

そもそもテニスが上手くないからスクールに通うのであり、そんなに上手ければスクールなんて行く必要はない。人それぞれ身の丈にあった目標を抱いており、自分のなかの理想形を押し付けられても困ってしまう。一番いやだったコーチは、こちらが出来ないことばかり指摘し、それを無理やり矯正しようとするコーチだった。

「それが出来たら、始めからスクールなんて来ねえよ、バカ」と心の中で悪態をつきながら、仕方がなく彼の練習に1回だけ付き合った。当然、そんなコーチは生徒から人気があるわけがなく、彼のクラスはいつも閑古鳥が鳴いていた。こちらはあくまで金を払う側の人間であり、彼らは我々をエンターテインする必要がある。そんなシンプルなことですら、彼のような人間には理解出来ないらしい。

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、今挙げたようなことはすべて英語学習にも当てはまる。誰もがネイティブスピーカー並の英語力(=プロテニスプレイヤー)など目指す必要はなく、身の丈にあった目標を設定し、そこにたどり着くためには粛々と学習を続ける必要がある。

そうして間違いばかりを指摘するのではなく、こちらのスタイルを理解し、それに沿った教え方をしてくれる先生(=コーチ)を見つけることだ。スクールに通っているのだから、まずは「英語を上手く話せない」ことは前提条件となる。そのような人たちをどのように勇気付けて、間違いを怖れず話せるように導けるかは先生に懸かっている。

そうしてお金をもらっている以上、その時間はお金を払っている側にとって「楽しい時間」である必要がある。もちろん、ただ享楽的な楽しさではなく、「内から沸き上げるような喜びの感情」を共有する必要があるのだ。毎回そのような喜びがあれば理想的だが、実際そこまでたどり着くには多少時間がかかる。でも、方向性さえ合っていれば、やがてそのような時はくるはずだ。

テニスとは、ただラケットを振ってボールを打つというとてつもなくシンプルなスポーツだ。そして、そもそもあらゆるスポーツはごくシンプルな原理によって支配されている。サッカーはボールを蹴ってゴールを決めるスポーツだし、ゴルフは犬のように打ったボールを追い掛け回して穴に入れるスポーツだ。

それらと比べると英語は仕組み的には恐ろしく複雑だ。だが、複雑なだけに間口は広い。シンプルな仕組みのスポーツは圧倒的な優劣の差がついてしまうが、英語はそれほど目に見える圧倒的な差は出にくい。それに言ってしまえば、英語に勝ち負けは存在しない。自分が設定した目標に到達できるかどうかに懸かっている。

そういう意味では英語学習に似ているスポーツはマラソンかもしれない。粛々と自分が設定したタイムに向かって一歩一歩踏み出していくスポーツ。そこに美しさやカタルシスがあるわけではないが、ある種の自己満足に似た達成感が味わえる。

「コミュニケーションを成立させる英語力」という目標に向かって雨の日も風の日も、こつこつと一歩一歩マラソンランナーのように走り続けることが英語上達の一番の近道なのだろう。


(マラソンというスポーツを通して語られる村上春樹の哲学。体力があるからこそ、あれほど長大な物語を書き続けることができるのだろう。春樹さんが嫌っている三島由紀夫はボディビルを選び、あくまで自然体な春樹さんはマラソンを選んだ。どこか示唆的な事実だ)

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2010年6月15日 (火)

ワールドカップ初勝利!海外での評価

4年に1度のお祭、FIFAワールドカップが開幕し、昨夜日本が記念すべき1勝を挙げた。高校の頃、僕はサッカー部だった。そんな僕は深夜帯でサッカー中継をよく見ていたが、当時の日本サッカーを知る人間として、日本がよもやカメルーンのような強豪にワールドカップという大舞台で勝利することができる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

両チームが入場するときに、ピチピチのユニフォームを着たカメルーン代表の面々が映し出されていたが、日本代表の面々とは明らかに違うレベルの筋力とバネを持っていた。個々の勝負では相手にならないだろう。しかし、サッカーは集団スポーツだ。1足す1が、3にも4にもなる、それがサッカーの醍醐味だろう。あんなに体格の差があるにも関わらず、ワンチャンスをものして日本はカメルーン相手に勝利するという番狂わせを演じてしまった。

カメルーンの出来の悪さにおおいに助けられ、特に右ウイングにエトーを配置するという愚かなフォーメーションのおかげで、カメルーンは得点のチャンスがほとんどなかった。
(エトーにはサイドで何度か突破されたが、あれがバルセロナやインテルのときのように中央でプレーしていたら、結果は違ったものになっただろう)

世界のこの結果に対する評価に興味があったので、イギリスの新聞の記事を調べてみた。

1. 英国インディペンデント紙の記事 

There have not been many surprises at this World Cup but this probably counted as the biggest shock so far.(今回のワールドカップではそれほどの多くの驚きはなかった。しかし、この結果は今までのなかでは最大の驚きだ)

という文で始まるが、最後は「This was their first World Cup victory outside their own country and there were some who might have been happy to return home with just a point.」(この結果は日本にとって海外で開催されたワールドカップで初めての勝利であり、二敗一引き分けという結果でもハッピーな気持ちで帰国するファンがいたはずだ)

で締められている。ようは3ポイント(勝利)取るなんて日本のファンにとっては僥倖以外なにものでもなく、これ以上の結果は今大会においては望むべくもないと言いわけだ。暗にこれであなたたちはウルトラハッピーで国に帰れるでしょうということを示している。

2. 英国ガーディアン紙の記事

"This game is so soporific I am actually contemplating watching the James Corden World Cup Bonanza on ITV Player to keep me awake," writes John Reid. Don't be so ridiculous, man. Nothing's that bad. (このゲームはあまりに眠気を催すから、ITVの「James Corden World Cup Bonanza」を見て、なんとか寝ないようにしようかと考えているとジョン・ リードは書いている。おいおい、馬鹿なこと言うなよ。あれより最悪なものなんてないだろ)

これは記事というよりはツイッター的なつぶやきに近いので、かなりカジュアルな内容だが、それにしても言いたい放題だ。だが、自国以外の国がこんな試合内容でゲームを繰り広げていたら、確かにチャンネルを変えるか、ネットでもしながらぼんやり聞いているだけの試合だったかもしれない。

「ベスト4」を宣言している岡田監督に対して、イギリスのジャーナリズムは「あほか」という論調が多く、それが日本に対しての厳しい見方に繋がっている一面もある。

岡田監督の今回の布陣は「対カメルーン」のために徹底的に考えられたものであり、次戦どのような戦いをするのか全く見えない。かといってコンディションが上がらない中村俊輔を入れて、オランダに対抗できるわけでもない。結果、スタメンは同じメンバーでいき、後半は様子を見ながらマイナーチェンジしていくのだろうか。

今回の戦いでも岡田監督が徹底したリアリストであることが分かったので、次戦のオランダ戦はいわば捨て試合であると彼は認識していると思う。そうなるといかにデンマークに勝つかいうことが焦点になってくる。(日本に負けたカメルーンがオランダに勝つ可能性は限りなくゼロに近く、オランダが予選リーグを突破することは自明の理なので、残り一枠はデンマークと日本の争いになる)

いずれにせよ、次戦はとにかく守りに守って、失点数をいかに少なくするかだろう。最後はデンマークとの争いになることを考えると、2点以上は失点したくはないが・・・・・あの早くて強いアタッカー陣を防ぐ手立てがあるのだろうか。今回のようにワンチャンスをものにする可能性もあるにはあるが、もしそれが出来たらイギリスのジャーナリストも岡田監督の「ベスト4」発言を馬鹿に出来なくなるだろう。

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