サービスと親切の狭間で:日本とラテン
正直、日本は最高だ。
でも、だから疲れる。
おいしいし、サービスのクオリティは高いし、なにをやるにしても、それほどストレスが感じることなく出来てしまう。
ブエノスアイレスでは、ATMでお金を下ろすにしても、隣国ウルグアイに行ってドルで下ろさないと、大金を失う羽目になる。
(闇レートと公式レートに大きな差があり、ATMでお金を下ろすと当然公式レートが適用され、かなりの損をする)
メキシコですら、夜タクシーを乗るのは、とても危険なので、よく知ったタクシーを手配する必要がある。
そんな国々から来ると、日本は天国だ。
どこに行っても地図はあるし、交番もある。スマートフォンがなくても、行き場所にたどり着ける。
でも、こういう安心感は当然、それなりのコストがかかる。
長時間労働やサービス残業といった労働者の努力と忍耐で賄っている部分が大きい。
自分のようにたまに来て、それを満喫して帰る人間には最高だが、たぶんずっとここにいると、とても疲れてしまうなとは思う。
贅沢な話なのかもしれない。
多くの日本人は、知らないうちに発展途上国の人々が目指している「幸せ」をすでに手に入れている。
毎日、安くておいしいものが食べられて、インフラはばっちり整っている。ネットが繋がらない事態などそうは起らないし、あらゆることは何も言わずにスムーズに事が運ぶ。
でも、それは多くの日本人の幸せを同時に犠牲にしているのかもしれない。
ブエノスアイレスのマクドナルドに行けば、カウンターの先には10人くらいのアルゼンチン人がスマフォ片手に談笑している姿が見受けられる。
とても楽しそうだ。
そして、彼らの目の前には「お客様」が長蛇の列を作っている。
日本では、そんな光景はあり得ない。
「お客様」のために分刻み、秒刻みで働かないとクビになってしまう。
あらゆることはトレードオフの関係だ。
すべてを手に入れることは出来ないのかもしれない。
ただ今は、日本にたまに来て、そんな先進諸国的な幸せを享受して、普段は「何事も前に進まない」発展途上国で試行錯誤しながら、色々と試して生きていくのが性に合っている。
日本での親切の多くは、「サービス」であり、ラテン諸国の多くの親切は生身の血が通っている。だから、まあ、そんなに多くの親切を受けることはそうはない。
彼らの国が日本のような国になるとは思えない。
ただ、なにかもっと違った彼らなりの発展を遂げるのでは期待している。
そして、そのなかで自分が何が出来るのかを考えていきたい。
(時々、「日本ではおいしいスイーツはあるのか?」とメキシコで訊かれる・・・・・日本で手に入るもので、メキシコよりも劣っていると思うのはタコスぐらいだ)
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