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2014年2月

2014年2月24日 (月)

終わりなき旅:とある日曜日のメキシコシティにて

去年の7月初めに日本を発って以来、もう100回以上は自己紹介しただろうか。

オンライン英会話スクールを経営していると、みんな「きょとん」とした顔になるが、「仕事はすべてインターネットで出来るから、世界を自由に旅できる」と言うと、なぜか納得顔になる。

時々、なぜ写真家からオンライン英会話スクールの経営をするようになったのか、疑問に思う人たちがいるが、自分のなかではしっかりと繋がっている。

そもそも10代の頃に写真家を志したのは、「仕事は場所を選ばず、世界中を旅できる」という理由だからだ。

ついでに言うと、小学校3年生の頃に、タイムカプセルに「将来の夢」という題で作文を書き、2000年にそれを開けるという試みをした。どういう経緯かその作文は21世紀になって、きちんと自分の手元に届き、そこには「コックさんになって、世界中を旅して料理を振る舞って、みんなの喜ぶ顔を見たい」という趣旨のことが書いてあった。

「世界を旅する」ということは、まだ「世界」がなんたるか分からなかった時からの自分の夢だったらしい。

世界を本当の意味で自由に旅することが出来るようになったのは30代後半になってからだが、出来る限り長くこのライフスタイルを継続したい。なにせ、小学生からの夢だからだ。

自分にとっては、そのためにどうすればいいかと考えることが仕事であると言っても過言ではない。別に偶然に今のようなポジションを手に入れたのではなく、そのように常に考えていた結果だ。そして、もちろん、運がとても良かったと思う。

やりたいことが見つからないと人は言う。
でも、本当にそうだろうかと疑問に思う。

ただ単純に自分には無理だからとか、今の仕事の状況がそれを許さないからという理由で、夢を諦めているだけじゃないだろうか。

起業する前のほんの4、5年ほど前に、「数年後にはブエノスアイレスに行って、そこに住み、スペイン語を流暢に話すようになり、そしてタンゴを踊り、それからメキシコシティに行って君はサルサを踊るようになるよ」と占い師に言われても、「こいつ、頭がおかしいのだろうな」と思って、聞く耳を持たなかっただろう。

その頃の仕事は壊滅的だったし、貯金もなく、将来の展望というものも特になかった。ただ、それでも「世界を旅する」という夢は捨てていなかった。そして、ほかの人がどんなに自分のことをとやかく言おうが、自分が何者であるかけっして忘れなかったし、自分への期待を捨てなかった。

やりたいことが見つからないとか、自分の人生への目的が見えないとか言っている人は、たぶんどこかで自分の人生を諦めてしまっているのだと思う。

信じれば夢が叶うとは思わないし、誰でも夢が叶うわけではない。
しかし、だからといって、それが自分の夢を諦める言い訳にはならない。

夢や目標は時間が経てば、変わる。
でも、それをずっと追い続けることは重要だ。

たまたま運がよく、神様の機嫌が良ければ、ふとした瞬間に叶うこともある。
人生とは必然と偶然の積み重ねだ。偶然を必然にするためには、ずっとチャレンジする必要がある。

それに人生は何かを手に入れる旅ではなく、「自分とは一体何者であるか」を発見する旅だ。大事なものは外の世界にあるのではなく、すべて自分の内側にある。

南米の人々はとても陽気だ。
笑いたいときに笑い、食べたいときに食べ、飲みたいときに飲む。そして、毎日が楽しければそれでいい。

べつにそれでもいいと思う。
幸せには色々な形があり、自分の幸せを見つければいいだけだから。

人生なんていくらでも時間をかけてもいい。
人が本当の意味で年を取るのは、自分がなんたるかを忘れ、自分を見失い、それを諦めたときだけだ。

それに究極的には自分の人生を失敗しても、それもそれでありだ。
世界には素晴らしく優秀で、やさしい人々がたくさんいる。

1人の人生の失敗なんて、世界から見れば取るに足りないものだ。

南米の人たちが陽気なのは、明日のことをあんまり考えていないからかもしれない。
それはある意味、とてもいい考え方だ。

「今、なにをしたいか」
それを追求することはとても重要だからだ。

「意義ある人生や意味ある人生を送ろう」なんて殊勝なことは考えずに、まずは「今、自分自身をどうやって楽しませるか?」を考えれば、きっとその先には夢や目標がぼんやりと見えてくるようになるだろう。

ここメキシコシティは日曜日。
そして、今だ午後一時過ぎ。
これから一日を始めるにはけっして遅くはない。

今日は何も予定が入っていないが、きっとそれなりの出会いもあり、ちょっとした気の利いた会話もすることがあるかもしれない。それに仕事も貯まっている。

悪くはないと思う。
何をすればいいかは分かっているし、どのようにすればいいかも分かっている。でも結果は分からない。

それでいい。
結果が分からないから面白いし、続けられる。

今日の終わりに、昨日の自分よりも少し、ほんの少し「なにか」を分かっていればいいなと思う。

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2014年2月21日 (金)

ガリバー旅行記:メキシコシティにて

メキシコ人はとにかくよくキスをする。

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こちらから拝借しました)

でも、そこはやはりずんぐりむっくりで小太りな人たちだ。
視覚的にきつい場合も多々ある。

地下鉄やメトロバスで、「くちゃくちゃ」と音がしてガムでも噛んでいるのかと思ったら、たいていカップルがキスをしている。

メキシコは昨年度、アメリカを抜いて世界の肥満率ナンバーワンに輝いた肥満大国だ。地下鉄に乗って席に座ると、目線がメキシコ人女性のお腹にいくことになり、「果たして、彼女たちは妊娠しているのか?」と悩むほど、立派なお腹を持っている人が多い。

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そんなメキシコにも美人が多いことで有名なシナロアという街がある。行ったことがあるメキシコ人いわく「いやー、みんな背高いし、色白いし、金髪も多くて、ほんとメキシコと思えない!」とのことだ。

だが、いかんせんカルテル(マフィアです)がいることで有名な街でもある。間違えってカルテルのボスの女にでも声かけたら、殺されかねない危険度マックスの街でもある。

ブエノスアイレスに住んでいたというと、必ず訊かれるのが、「メキシコとアルゼンチンの女はどっちがいい?」というアホな質問だ。そして、「アルゼンチン人のほうが綺麗」と素直に答えると、決まってこのシナロアという街を引き合いに出される。

メキシコ人はどこか自虐的なところがあるとは思う。
そして、日本の女性についてよく訊かれるが、日本で「キレイ」と言われるためにかかるコストと時間を彼らは知らない。

30歳超えた女性が変な花がらのプリントされたドレスや、キャラクターものの絵柄のシャツを恥ずかしげもなく着ている国だ。日本の高度に発展したオシャレ文化は理解出来ないだろうとは思う。

アグレッシブに腹が出ている若いメキシコ人女性を見ながら、心底そう思う。

そういうことを考えると、やはりこの国は幸せだとは思う。
日本のファッションは行き過ぎな感もあるし、あれほどの努力と時間をかけて、それほどの見返りがあるのか疑問だ。

そういえば、日本の大福神もずんぐりむっくりで小太りだ。
少しぐらい太っていたほうが人は幸せになれるのかもしれない。

これからけっこうな経済発展を遂げるかもしれないが、いまのままのゆるい感じのまま、なんとなく成功して欲しい国だ。

でも、メキシコ人はもうちょっと痩せて方がいいとは思う。

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2014年2月18日 (火)

幸せとは:ラテンな世界にて

メキシコ人はとりあえず、踊っている。

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踊っているというか、ずんぐりむっくりで小太りなその体を揺すっている。
ぬいぐるみみたいでかわいくもある・・・・たぶん。

ステップとかどうてもよくて、とにかく体を揺するのが好きな人たちだ。アルゼンチンはタンゴの国として名高いが、国民のほとんどはタンゴを踊れない。しかし、メキシコ人の大部分はサルサを踊る・・・というかサルサを踊れると思っている。

そして、メキシコ人の習性のひとつに、予定は当日の気分次第というものがある。そして、遅刻は当たり前だ。

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シーフードバーベキューをやるというので、アビマエルと魚市場まででかい鯛を買ったが、当日来たのは10人未満だった。きっと招待したのは30人以上だろう・・・・
(主催したセルヒオくんはでかい鍋に大量のパエリアを作ったが半分以上残った)

当日の予定を複数ブッキングしていて、そのときの気分でやることを決めるのだろう。いいかげんな感じだ。こういう面ではアルゼンチン人よりもタチが悪いとは思う。

日本人をパーティーに呼んだら、来ると言ったら必ず来るし、これない場合は来れないと連絡がある。素晴らしい。そして、時間はきちんと守る。

これはアルゼンチン人にもメキシコ人にも共通している要素だが、とりあえずなんでも「Yes」という人たちだ。出来そうにないことも、行けないパーティーでもとりあえず「Yes」だ。そして、その当日か実際に出来なかったときにどうするか、そのときになってから考えるわけだ。

ラテンの国は総じてそうだろうと思う。
その色を色濃く受けているフィリピンなどもそうだろう。

ラテンな人たちは幸せなわけだ。
なんでも「Yes」だし、問題は先延ばしにするし、今日が楽しければ明日はどうにかなると思っている。

日本人こそが世界では特殊な民族だ。
そのことを深く自覚していないと、海外では痛い目を見る。

世界では予定は先延ばしにされ、言ったことは実行されず、遅刻は日常茶飯事だ。
それがグローバルスタンダードであることを知ることは重要だ。

ラテンな世界で最も重要視されるのは、「その日の気分」であり、将来的な展望や利得などは関係ない。刹那的な世界なのだ、ここは。

どんなに付き合う人たちを選んでも、限界はある。
(アビマエルのような時間厳守な人はまれだ。ほかに知らないぐらいだ)

そして、いつも思うのは「学ぶ」という習慣がない。
たとえば、サルサでも英語でもテニスでも、何かに自分の時間を投資して向上しようとする意欲がない。

ちょっと練習して出来るようになれば、それで満足してしまう。日本人みたいにドMになって、自分を追い込むようなことをするのは、その道の「プロ」だけだ。

それでもそれなりに楽しいと思い、人生をエンジョイしているので、それはそれでいいのかもしれない。(個人的には、とてもツマラナイと思うが・・・・)

でも、そんな真面目で優秀な日本人が年間3万人も自殺していることを考えると、トレードオフ的にはラテンな世界のほうがいいのかもしれない。

まあ、メキシコでは自殺するよりは、殺される確率が高いのかもしれないけど。

メキシコではフィリピンと同じように月2回給料があり、給料日には銀行のATMには長蛇の列が出来る。宵越しの金は持たない国だ。

個人的には、日本的な価値観が世界に浸透するよりは、ラテンな世界が世界を支配するほうが面白いし、楽しいとは思っている。

所詮は一度きりの人生だ。
やりたいことをやって、周りからとやかく言われずに、好きなことをずっとやっていくほうがいい。

ラテンな世界は、総じて競争率は高くないので、普通の人よりちょっと努力すれば成り上がることは可能だ。そのうち、競争に疲れた先進諸国の人たちが大挙して押し寄せてくるかもしれない。
(今流行のフィリピン留学やアジア就職にはそういう側面もある)

ラテン化する世界:グローバリゼーションとともに

上記にも書いたが、「競争」とは無縁なラテンな価値観が、広がればそれはそれで世界の人は幸せになれるのかもしれない。
(幸せのレベルという問題が残るが・・・・自殺するよりはより良い選択肢な気もする)

さて、今日がどんな一日なるか、楽しみだ。

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2014年2月13日 (木)

そして父になる:奇跡について

19歳のときに、是枝裕和監督の「幻の光」を見た。
しょっぱなの街灯が写っているシーンで、すでに名作だと思った。

それからずっと彼の作品を見続けているが、「幻の光」を超える作品を作るのは無理なのではないかと思っていた。

でも、是枝監督は「奇跡」という映画を作った。映画好きにはたまらない映画だ。

映画は歴史だ。
というかあらゆる芸術はすべて歴史を反映しないといけない。過去作られたあらゆる作品を上回れるかどうか、ということが芸術家には問われるのだ。

村上龍が文学を志したのは、「音楽ではけっしてビートルズを超えることはできないから」という理由だ。それはある意味正しい。

でも、彼はドストエフスキーやトルストイなど並みいる文豪を彼なりのやり方で超えられるとは思ったから文学を志したのだろう。そして、それはある意味、成功しているとは思う。

「コインロッカー・ベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」それに「希望の国のエクソダス」はその時代を反映しつつ、その時代でしか作られないものでもあり、またなおかつその時代を超越している。

「奇跡」という作品が素晴らしかったのは、それまであった映画の文法を捨てて、前田兄弟という素晴らしい素材をもとに、彼らを映画の共犯者に仕立てて、映画を超えたところで映画を成立させたことだろう。

たとえば、北野武が映画を解体して、新しく映画の文法を彼なりの解釈で作り直し、「ソナチネ」を作り上げ世界をあっと言わせて、それをさらに昇華させて、ひとつの映画の完成形を「HANA-BI」で見せたように。
(「HANA-BI」公開当時にはロンドンに住んでいたが、あのTimeoutをして、「ロンドンという街で今上映されているただひとつ映画史上に残る傑作」と評されていたことをいまだに覚えている)

「幻の光」が映画のひとつの完成形だったように、「奇跡」もまた映画のひとつの完成形だった。
だから、そのあとに作られた作品である「そして父になる」はどうしても見たい作品だった。

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前評判が非常に高く、またカンヌで審査員賞を受賞しいるので否が応にも期待感は高まった。
しかし、見て正直、なんとも思わなかった。

自分の判断がおかしいのかと、英紙ガーディアンの辛口映画評論家のPeter Bradshaw氏の批評を読んでみて、なるほどと納得した。(ちなみに彼も大の是枝ファンだ)

Like Father, Like Son – review

いわく「but however well acted, the film has a black-and-white assumption(どんなにうまく演技されていても、結局のところ最初から白黒と決着が着いている)」と言っている。

是枝作品のいいところは、白黒はっきりと映画自体では何も言わず、観客任せにしているところだ。それがこの作品には決定的に欠けている。

だからこそ、「奇跡」は素晴らしく、また「幻の光」は全く違った意味で情緒豊かで心に響くのだ。最初から答えの分かったテストなど意味がないように、やたらと評判が高いこの映画「そして父になる」は最後まで見続けるのがとても苦痛な映画だ。

もちろん、これは是枝監督のファンだからこその意見といえる。
特になんの先入観なく見たら、もっと素直に感動していたのかもしれない・・・・・ただ個人的な意見としては、「生みの親より育ての親」と思っているので、主人公の心の動きには共感は出来ない。

題材が題材なだけにもっとコミカルな要素をふんだんにいれておけば、楽しめたかもしれない。
悲劇な結末な「誰も知らない」ですら、もっと映画的で楽しい瞬間があった。

子役が前田兄弟ほどの魅力もなく、唯一の救いがリリー・フランキーさんが出ている場面か・・・・まったく芸達者な人だと思う。完全に福山雅治を演技で食っているし。

結論的には、「奇跡」を見ていないのであれば、マストで見るべきかと。

(「パッチギ!」でもそうだったが、ダメ男を演じたらオダギリジョーの右に出るものはいない)

コアな映画ファンも楽しめるし、またそうでなくても娯楽作品として非常に完成度が高い。世の中は悲劇や重厚なテーマの作品を評価しすぎる傾向があるが、こういう作品こそもっと評価されてしかるべきだと思う。

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2014年2月11日 (火)

ネタの宝庫:アルゼンチンについて

メキシコ人は陽気だなと思う。

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2ヶ月ぶりに会っても、みんな声をかけてくれて、大歓迎をしてくれる。
正直、ブエノスアイレスに2年も住んでもこれだけ多くの人と親しくはならなかった。

まあ、なんだかみんな丸くてずんぐりむっくりしているけど、いい人たちだ。
(逆にこっちが2m近い巨人だから、珍獣扱いされて、よくしてくれているのかもしれないが・・・・)

アルゼンチンからやってくると、やはりすべてがまともな国だと思う。

新聞やニュースで見るメキシコは麻薬や殺人事件ばかりだが、それもほとんどがアメリカとの国境、あるいはマフィアがらみの事件で、一般市民には関係がない。

レストランに入ったら、何も言わずにメニューが出てくるし、サービスのクオリティーは高い。アルゼンチンでは、レストランに入ったらなぜか機嫌の悪いウェイトレスを相手に、こちらが接待しないといけない場合もある。
(ちなみに年を取っているウェイターさんだったら、きちんとしたサービスを受けられる場合が多い)

もちろん、日本と比べれば治安は悪いので油断は出来ない。
だが、どのメキシコ人と話しても、みんなこの国の未来に希望を持っている。

おそらく、そこがアルゼンチンとの最大の違いだろう。
アルゼンチン人があんなに働く意欲がないのは、高いインフレで「働いてもしょうがない」という諦めと、いつも「来年にはまた財政破綻する」というある種の絶望感を背負っていることもあるかもしれない。

ただ多くの人を見ていると、単純に勤労意欲がないだけに見える。

アルゼンチンで今、一生懸命に働いている人は、おそらく仕事が好きか、あるいはそこにやりがいを見出しているかのどちらかなので、たとえばベーシックインカムなどが導入されても、彼らはきっちりと働き続けるのだろう。
(つまりはお金目当てで働く人は少ないということだ)

そう考えると、「ベーシックインカムが導入されたら、誰も働くことはなくなる」というのはただの杞憂なのかもしれない。

アルゼンチンはそういう意味では世界最先端の経済政策を実行しているのかもしれない・・・・・あとは富裕層の金を取り上げて、全国民に配ればベーシックインカムの完成だ。
(アルゼンチンの人口の1%ぐらいはとんでもない金持ちなので、彼らの金で全国民の生活くらい保証できるだろう。相続税がないから、どうせ彼らもただ親の遺産で金持ちになっているだけだし)

アルゼンチンにいたときによくメキシコのことを訊かれたが、いつもメキシコのことは絶賛していた。そして、逆にメキシコに来て、アルゼンチンのことを訊かれたら、けっこうな笑いの種にしてしまっている。

褒めるところはタンゴと、美男美女が多いことくらいか。
よく肉がうまいというが、日本の焼き肉や神戸牛のほうが100倍うまいから、残念だ。

でも、なんというかアルゼンチンはネタの宝庫なので、話すことが尽きない。
みんな興味津々で訊いてくるし・・・・・とりあえず、タンゴを国の柱として今後も頑張っていくしかないのではないだろうか。

メキシコと全く違う意味で、アルゼンチンは目が離せない国だ。

バス氏はアルゼンチン債有望視、ローラーコースター200年でも

名うてのヘッジファンド運用者が今後はアルゼンチンは有望と言っている。シナリオとして考えられるのは、アメリカが財政破綻して、次いで日本もヨーロッパもやられたときに、残るは南米を中心とした反米の国だろう。

今のアルゼンチンの輸入規制を考えれば、世界中が財政破綻をしても、あまり関係はない。それにドルが下がれば借金は帳消しになるし。

結局、アルゼンチンが這い上がるのは、そういうシナリオしかないのだろうなとは思っている。今、世界で一番財政破綻しそうなのはアメリカなので、あながちないシナリオとは言えない。

そうなっても、きっと外資に根こそぎ持って行かれるだろうけど。ただ外資がきちんとアルゼンチンという国に投資すれば、インフラも整って、住みやすい国になるかもしれない。

アルゼンチンのことを考えると、妄想は尽きることはない。
ああ、なんて突っ込みどころ満載な国なのだろうか。

アルゼンチンと関係を持つと、世界経済の仕組みを考えざる得ないので、とても勉強になることは確かだ。これからもただでは起きないように、じっくりと観察をしながら、どんなことが起きても対応していきたいと思っている。

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2014年2月 8日 (土)

出会いと別れと人生について

メキシコ・シティに舞い戻ってきた。
二度目となるので、特に興奮もなく、ただ懐かしい。

早速、メキシコ人の親友アビマエルと日本食を食べに行き、それからパーティーへと参加した。久しぶりに会う人たちで懐かしい反面、いつも一緒にいたフランス人女子ノエミがいないのは少し寂しい。

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グローバルマッチョ!フランス人女子、ノエミについて

考えてみれば、メキシコ・シティにいるときは週に3,4回は顔を合わせていた。そんな気のおけない女友達がまたこの土地で出来るかどうか疑問だ。

彼女は今はポーランドにあるフランス大使館で働くために滞在しているらしい。ヨーロッパのエリートは若いころからスケールが違う。

出会いあり、別れもあるが、ここメキシコ・シティにはアビマエルがいるので、それだけでも心強い。

ただノエミは自分がいなくなったからサルサ教室は辞めてしまい、アビマエルは膝を悪くして、今はサルサを踊っていないとのことだ。ということはあのスパルタなサルサ教室には一体、誰が通っているの非常に疑問だ。

わずか二ヶ月の間に色々なことがあったわけだ。
このメキシコには3月末まで滞在して、それから日本に一時帰国し、そのあとはおそらくまたブエノスアイレスに戻ることになるだろう。

ここメキシコで3月末までにどうしてもやらなければならないことがあるので、それの進捗次第だが、おそらくうまくいくだろう。

メキシコやブエノスアイレスにいるあいだにヨーロッパの友達も増えたので、また彼らを訪ねに色々と回ってみたいと思っているが、それは先の話になるだろう。

この先、どこに住むかは分からないが、今年一年間はメキシコ、ブエノスアイレス、日本の三本立てでいこうかと思っている。それから先は神のみぞ知るだ。

一年前はまさか自分がメキシコに住むことになり、そこで多くの出会いを経験するとは想像すらしていなかった。

それでいい。
そういうふうにこれからもこの人生を生きていきたい。

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2014年2月 7日 (金)

マルチリンガルであるということ:メキシコシティにて

タンゴのクラスで知り合った台湾人女性から「あなたは本当にマルチリンガルで、スペイン語も英語もうまく使いこなして、すごいわね」と言われた。

たしかに、考えてみるとブエノスアイレスでは常に英語とスペイン語を話す環境があった。2週間ほど家にはアメリカ人マイクとその友人ティムが居候していたので、家ではずっと英語を話し、そとではスペイン語か英語を交えて話していた。

ミロンガに行くとスペイン語が話せない外国人はたくさんいるので、必然的に彼らとは英語で話す。彼らはタンゴのためにブエノスアイレスに来ているので、スペイン語までは頭が回らないのだろう。

メキシコシティの外国人とはそこが決定的に違う。
彼らはたいてい仕事で来ているので当然のようにスペイン語を話すので、彼らとはずっとスペイン語だ。

英語とスペイン語をバランスよく話す環境としては、ブエノスアイレスは最適かもしれない。

ただどうしてもここ最近はスペイン語を話す機会のほうが多いので、英語のボキャブラリーが段々とスペイン語化してきた。

マイクと話している時に、「彼らはそういうことに慣れているんだよ」と英語で言った時に、普通に「to be accustomed to」を使ってしまった。

もちろん、別に意味は合っているけど、以前なら「They are used to it.」と言っていたところだ。スペイン語では日常的に「何々に慣れている(accustmobrase )」を使っているので、それの名残だと思う。
(ついでに英語で言う時も、ふと「se」は付かないのかという一抹の不安がよぎるときがある・・・深刻だ)

あと英語が完全にスペイン語に書き換わってしまったこともある。

ずっとスペイン語でテニスをしているので、たまたま外国人と一緒に英語でプレイして、スコアを言う時になんていうのか出てこなくて、そのゲームの最中ずっと考えていたことがあった。

日本語でも普通に「15−40(フィフィティーン・フォーティー)」と言うところをずっと「キンセ・クワレンタ」の言っていたので、もうテニスのスコアは完全にスペイン語化してしまったのだろう。

四ヶ国語、五ヶ国語を操る人たちはどのように頭のなかを整理しているのか疑問だ。均等に使っているのであれば問題ないけど、何カ国語も話せても、やはりメインとなる言語に語彙が侵食されてくるのではないだろうか・・・・・言語学者の人はこういうことも研究しているのだろうか。

言語間の切り替えはけっこううまく出来ているのだが、それでも三ヶ国語を切り替えながら話すのはけっこうきつい。英語とスペイン語の切り替えは出来ても、さらにそこに日本語が加わると、変な日本語になってしまうことがある。
(たぶん、英語とスペイン語の脳の収納場所はお互いに近接している感じだけど、日本語だけはどこか遠い感じがある。もちろん、気のせいかもしれないが)

人間の脳は未知の部分がまだまだ多いというが、このあたりのことを研究すると、効率のいい言語習得の仕方が判明するのかもしれない。

バイリンガルやマルチリンガルはボケになりにくいという研究データはあるが、言語切替のときに脳のどの部分に負荷がかかっているか調べれば、そこを集中的に鍛えることによって、スムーズに外国語が話せるようになるのかもしれない。
(たぶん、きっとすでに研究している人はいるのだろうけど・・・・)

以前行った学会で、「3D(映像)と2D(写真)で前置詞を暗記しようとしたときに、どっちがより効率的に暗記できるか」という研究テーマで発表している研究者がいた。

うんこな研究テーマだ。
どっちでもいいし、ぶっちゃけ前置詞すらどうでもいいと思う。
(もちろん、英語マスターとなるためには大事な要素だけど、前置詞を間違えてもたいてい英語は通じる)

今度はイタリア語あたりを習得して、スペイン語にどのような影響を及ぼすのか個人的に実験してみるのも面白いかもしれない。
(タンゴの先生のエルナンとフロールが来年からジェノバに住むらしいし、メキシコで知り合ったノエミもミラノに行くらしい・・・周りがイタリアづいているのでちょうどいいかもしれない)

言語習得は飽きることはない。

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2014年2月 3日 (月)

タンゴとブエノスアイレス、それにシャンパンについて

優雅さはなんだろうと思う。

ブエノスアイレスに来て、2ヶ月近く、アンドレスとその奥さんのグループレッスンに週2−3回通っていた。値段は一回につき300円というあり得ないほどリーズナブルな価格だ。

ビデオではよくわからないが、このアンドレスというおっさんは実際見ると、ちょっとお腹が出ている小太りなおっさんだ。だが、踊ると100倍かっこよく見える。そのステップひとつひとつが、かっこいい。

よくタンゴの先生は「ステップは重要ではない」というが、実際そのとおりだ。ステップの動き自体はそのひとつのひとつの動きの質を高める難しさに比べれば、簡単だ。

時々、「ステップは重要でない」ということを額面通りに受け取って、ステップを覚えようとしないタンゴ馬鹿がいるが、それは違う。ステップの動きそのものより、その動きひとつひとつのクオリティーを高めろということであって、ステップを覚えるなんてことは基礎中の基礎だ。

ちなみにグループレッスンに行って、先生の見本を見て、そのステップをすぐに覚えてこなせるようになるまでに2年ほどかかった。タンゴ道の先は長い。
(まあ、形だけでも覚えるのは、それなりに大変だ。同じクラスのご年配の方々のほとんどはそこで止まっている・・・・)

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そして、この二人にも世話になった。あまり知らなかったが、2008年の世界タンゴ選手権で準優勝しているらしい。どうりでめちゃくちゃ優雅で上手いわけだ(今更だが・・・・)

しかし、その世界水準でいつも指導されるので、その要求の高さは半端ない。メキシコ行っても、毎日練習しろと言われている・・・・一体、何を目指しているのか自分でも疑問だ。

そんな二人を自宅に呼びつけて、プライベートレッスンをいくつか取った。
(ちなみにそれでも3000円程度だ・・・・ブエノスアイレス、タンゴに関しては価格破壊だ)

時々、「タンゴを習ってどれくらいか?」とあまり意味のない質問を受けるが、ブエノスアイレスでタンゴを習うとの、ほかの国でタンゴを習うのとでは、質も量も圧倒的に違う。ブエノスアイレスには世界チャンピオンクラスの先生が溢れている。
(たいてい彼らはヨーロッパにお呼ばれするので、一年の大半はブエノスアイレスにいないけど。彼ら二人も3月からはデンマークに行くらしい。それでもうまくタイミングが合えば密度の濃いレッスンがたくさん取れる)

ブエノスアイレスはタンゴ天国だ。
そこだけは本当に質と量共に世界一だろう。

ほかがダメなだけに、そこが際立つ。

たぶん起業と同じで、何事もゼロから始めるのが好きなのだろう。
そして、どんどん自分なりに向上することに快感を覚える。そのために自分に合った適度な負荷をかけるようにして、少しづつ向上させていく。そのプランを考えるのも楽しい。

仕事も大切だが、プライベートでも、何かひとつそのようなものを持っていると生活に張りが出る。別にプロを目指す必要はない。自分が到達出来る最高地点を目指せばいい。そのためにどうするかを考えるのはとても楽しい。

Medialunas

そんなエルナンとフロールに呼ばれてミロンガをはしごして、最終的にはLa Virtaというところに行ってきた。ここは毎日深夜3時を過ぎると入場料が無料になるので、それ以降に行くと、先生クラスの人たちがわんさかいるというところだ。
(まあ、元々入場料は500円くらいだけど・・・・)

今回のブエノスアイレス滞在、最後の週末ということで、シャンパンを注文した。そして、深夜4時になると出来立てのメディアルナス(クロワッサンの小さいやつ)が注文出来る。

シャンパンとクロワッサン。
ブエノスアイレスにしか存在しないであろう組み合わせだ。

そして、朝6時に解散となった。
まったくのシラフで朝帰りするなんてことは、日本では考えられないが、ブエノスアイレスではそれが普通だ。

結局、夜の18時から踊り始めて、ミロンガを3つはしごして、朝の6時になってしまった。こんなことはもう当分やらないと思う。

メキシコに行ったら、また違う生活が待っているだろう。
それはそれで楽しみだし、ブエノスアイレスに離れがたい魅力を感じてるのも事実だ。

これからのどうなるか分からないが、タンゴをしに、この地に舞い戻ってくることは確実だろう。その日が今から待ち遠しい。

※アンドレス先生のクラスは毎週火曜日と金曜日の夜7時半から9時半にCarlos Calvo 3745で行われています。フロールとエルナンのFACEBOOKはこちらから。そこでグループレッスンの最新情報が更新されています。


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