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2013年10月

2013年10月30日 (水)

4年間トップでセンターを貼り続ける意義:AKB48よりもすごいぞ

栄枯盛衰は世の習いと人はいう。
おそらくは多くのことにそれは当てはまる。

テレビなどで「あの人は今?」なんてものがあるのも、人はそのことを確認したいからかもしれない。

この移ろいやすい世の中で、何一つ確かなことなどない。
思えば、オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」も創業して、そろそろ丸四年になる。

組織も、経年劣化というものもある。ある程度、新陳代謝をしないと、腐っていく。人もものも入れ替えはある程度、必要だ。そんな考えで、今年からは自分が丸二年住んだブエノスアイレスで先生採用を進め、現在合計3名のアメリカ人が勤務している。

今後、その割合をもっと増やすつもりだ。それを「いい刺激」として、フィリピン人の先生方にも頑張ってもらいたいと思う。

起業して3年で70%の会社が倒産するという中、残りの30%のなかにどうにかとどまっている。でも、やはり栄枯盛衰の世の中だ。10年以内には90%以上が倒産するという厳しい世界に身を置いている自分は常に危機感を持って生きている。

一寸先は闇だ。

でも、この4年間、ひたすらトップを走り続けてきた先生がいる。
言わずもがな、JOY先生だ。

4年間トップ。
AKB48もその昔のおニャン子クラブすら成し遂げられなかった偉業だ。

もちろん、今まで色々とあった。
新規に採用した先生のなかには一時的に人気を博して、人気を独占した先生もいたが、そのあとなんらかの理由で凋落していった先生もいる。組織として、できる限りのことはするが、それでもやはり最終的には個人の努力がすべてを決定する。

そういう意味では我々はとてもフェアな組織だ。
個人的な努力には金銭的に報いるようにしているし、そのなかでも多くの貢献をすれば、日本に招待して、接待三昧の日々を過ごすことが出来る。(詳しくはこちら→フィリピン人先生相手に限界マックスで接待をしてみるの巻。)

それでもトップでセンターはいつもJOY先生だった。
よくは知らないけど、前田敦子よりもすごいとは個人的には思っている。

クローン技術が発展すれば、JOY先生クローンでオンライン英会話業界を席巻出来るのではと、ひそかに目論んでいる。

ただ彼女を見ていて思うのは、何があっても言い訳せずに、ひたすら「自分の努力が足りない」という思う謙虚な態度、それに生徒様に対しての限りない情熱と愛情、それを4年間も失わないモチベーションの高さは特筆に値すべきだろう。

彼女を特別扱いするのは簡単だが、やはりほかの先生も彼女を見習って、その心を学んで欲しいと思う。人は自分の出来ることを限界までやってから、それでもダメな場合のみ、諦めることが許される。ほかに原因を求めるのはとても簡単なことだ。

起業して10年後、その生存率は10%未満だ。
だからこそ、自分もできる限り可能性を突き詰めて、さらに組織として発展させていきたい。

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(これほっておいたら、あっという間に順位が下がるのですねえ・・・・・うちもトップを取りたい!)

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2013年10月27日 (日)

有限なパーマネント・トラベラー:メキシコシティにて

『ひとつの場所にいると、やがて嫌悪感がやってくる。そうなると、その土地を離れないとだめになる』

ジム・ジャームッシュの長編処女作にあるセリフだが、実際、そのような生活が可能となると、その嫌悪感の先にあるものを見たくなる。

きっとその嫌悪感の先に生活があり、人々のリアルがある。

表面だけをなぞるような旅に意味はない。その先にある、ドロドロとした人間関係や、醜悪な人間性などのもっと先に、この長い人生を生きるヒント、そのきっかけのようなものがあるのではないだろうかと思う。

生活するというのは、総体的に楽しいものではない。
毎日、違う場所に行き、違う風に吹かれ、違う人々と交じり合うほうが、それは楽しいに決まっている。

そういう旅はもうすでに散々したので、今はずっとひとつの土地に留まり、異国の人たちとなるべく接して、彼らのことをもっと深く知りたいと思う。

人はよく人生を旅に例える。
だが、それには違和感が残る。

人生はどこまでいっても、日常であり、旅は非日常の連続だ。
旅は割り切れる感情の連なりであり、人生は割り切れない感情の塊だ。

切っても切れない人間関係が人生では一番大事であり、旅の人間関係はいつでも切れる。そして、旅では新しい非日常のなかへと埋もれることが出来る。

もちろん、このまま一生、メキシコシティに住むつもりもないし、ブエノスアイレスにも住むつもりもない。それでもなるべくその土地で知り合った人たちとの関係は大事にしていきたい。

ただ、やはりフェアではないとは思う。
自分はいつでも脱出可能な生活者だ。例えば、その国に何かあったら、違う国に行って、新しい生活をいつでも始めることが出来る。

築き上げた人間関係も時間とともに廃れ、さびれて、彼らもすっかり自分のことを忘れてしまうかもしれない。それでも、やはり同じ時間を共有しているあいだは、出会いを大切にしたいとは思う。 

今まで彼らが自分の人生を明るく照らしてくれたように、自分も少しは彼らの人生を明るく照らせればと願っている。

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2013年10月25日 (金)

英語を話せることよりも重要なこと:コミュニケーションとはなにか

昨日はいつものサルサ教室のあと、ちょっと一杯ということでみんなと飲みに行った。もちろん、世界一周中の宮崎県人二人も連れて。

そして、メキシコ人のアビマエルなどと「メキシコ人男性は意外とシャイ」という話になり、確かにアビマエルもほんとシャイだし、ほかのメキシコ人男性もシャイな人が多いと思う。

と言っているそばから、一人の宮崎県人が「日本人もシャイだし、自分もシャイだ!」と宣言して、メキシコ人女性と踊り始めた。

Salsa01

おそらく、宮崎県では異国では「ノリノリで現地女性と踊ること」が推奨されているのだろう。そして、それが当たり前過ぎて、本人たちは「けっこうシャイ」と勘違いしているのかもしれない・・・・

ただちょっと面白いなと思ったことがある。

アビマエルは普段自分たちといるときは一切英語を話さず、以前「自分の英語にあまり自信がないから、英語を話すのはあまり好きじゃない」ということを言っていた。
(スペイン語を話したい自分としてはありがたい話だけど)

だが、彼はメキシコで一番と言われるモンテレイ工科大学の特待生として入学し、現在オラクルに勤務しているスーパーエリートだ。彼の英語は文法的に完璧だし、特に強い訛りもないので、聞き取りやすい。
(ちなみにメキシコの現大統領もこの大学出身です)

きっとTOEICなんてものを彼が受ければ、満点かそれに近いスコアを叩きだすだろう。

それが宮崎県人二人のブロークンイングリッシュに刺激を受けたか、あるいはそれを聞いて単にリラックスしたか、ずっと昨日は英語を話していた。むしろ、それが楽しかったらしく、いつもよりもアビマエルは饒舌で長居をした。
(「What are you going to do NOVEMBER ツー?」って訊かれて、一同キョトンとなり、「on 2nd of November」と理解するのに少し時間がかかりました・・・・日本の英語教育って)

ブロークンイングリッシュであっても、ノリノリで現地女性と踊れる度胸があれば、外国人とコミュニケーションは可能だ。そして、逆にアビマエルのように文法的に完璧な英語を話せても、そのプライドが邪魔をして、うまく話せないこともある。(きっと彼は完璧さを期するあまり、英語を話すときはそれがストレスとなるのだろう)

どっちがどうということもないし、当然最低限の語学力は身につけなければ、世界何周したところで得られることは微々たるものだと正直思う。だが、所詮は語学だ。言葉が出来ても、それでコミュニケーションが完璧に取れるということではない。プラスアルファが重要だ。

それはその人の個性であったり、技術であったり、愛嬌だったりする。
あるいはお金かもしれない。

言葉はただの言葉であって、それ以上でもそれ以下でもない。
それに付加価値を付けるのは、自分自身だ。

そういうことも今後、ワンズワードの先生たち、それに自分のブログや言葉を通じて、広く世界に伝えていきたい。

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2013年10月23日 (水)

恒常的な真理と相対的な真理との狭間で:スペイン語の真実

スペイン語は本当に面白い言語だなと思うときがある。

例えば、今日はスタバに行っていつものように仕事をしていたら、お客さんが店員さんに「Wifiのパスワード教えてください」と訊いていた。

すると、店員さんは「Es abierta.(意訳すると、パスワードかかっていません)」と答えた。で、ふと「Abierta(英語でいうと、OPEN。でもスペイン語は名詞にも性別があるので、この場合は女性名詞が主語だったので、Abiertaとなった)」にかかる名詞は、Wifiのことかと思ったので、Wifiは男性名詞のはずだからどうして女性名詞となったのだろうと思った。

そして、次に「Es(エス)」はどうして、「Estar(エスタール)」の変形であるEstáではないのかと疑問に思った。

英語で言う、「Be動詞(Isなど)」はスペイン語では恒常的な状態を表す場合の「Ser」と一時的な状態の場合を指す「Estar」のふたつがある。

哲学的にいうと、恒常的な真理を表す場合は、「Ser」を使い、相対的な真理、あるいは一過性の状態の指す場合は、「Estar」を使うわけだ。

例えば自分は日本人ですの場合は、当然恒常的な状態だから、「Ser」を使い、レストランに人が一杯いるというときは一時的な状態なので、「Estar」を使う。

スペイン語を勉強したことがない人は、もうこの時点でお手上げだと思う。名詞に性別があるという時点で混乱するし、英語でよく使う「IS、ARE」も恒常的な状態と一時的な状態で使い分けが出来ないとダメなわけだ。

まずお店の人が、「Está abierta(パスワードがかかっていない)」と言っていれば、意味は同じだが含意するところは「以前はパスワードがかかっていたけど、今は一時的に問題があって今はかかっていない」ということになる。そして、お店の人は「Es abierta 」と「Ser(恒常的な状態を表すBe動詞)」を実際には使ったので、これが含意するところは、「私が知っている限りではずっとWifiのパスワードはかかっていない」ということになる。

そして、店員さんが「Abierta」と言ったのは当然Wifiを指すのではなく、「Contraseña(スペイン語でパスワード。ちなみにアルゼンチンではClave(パスワード)のほうが一般的」が女性名詞だから、「Abierta」と言ったわけだ。よくよく考えれば当然のことだが、特に意識せずに人の話を聞きかじった程度では、なかなか判断が難しい場合がある。

本当にスペイン語は実際に日々使わないと、上達出来ない言語だなと痛感した。基本的なルールはあるが、人々が実際にはどのような言い回しで、どのように言っているか聞いていないと、正しい言い回しは習得出来ない。

英語でもスペイン語でも、そして日本語でも日々人々の言い回しは変わっていく。何も変わらないものなどこの世の中には存在しない。そういう意味ではあらゆる真理は相対的なものと言えるかもしれない。

という言い訳は、スペイン語を話すときは通用しないけど・・・・

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(世界一周というか、たぶん30年くらいかけて、世界ふらりとゆっくり周るのが理想かなと・・・・)

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2013年10月21日 (月)

これからの国:メキシコシティにて

宮崎県人って、馬鹿なんだろうか?

金丸文武 世界放浪日記のフミくんとブログを通して知り合ったというケータくんという二人の宮崎県人と共にハロウィーンパーティーへと昨日は行ってきた。

世界のどこかで会いましたよね?
(メキシコで野宿って、正気の沙汰とは思えない。アメリカとの国境付近に行けば、生首が転がっているという噂のこのメキシコで。この二人の得意技、野宿は本当に誰も真似しないで欲しい)

宮崎県では宿泊方法のひとつとして、野宿が県内で推奨されているのだろうか・・・・謎は尽きない。

Halloween02
(ハロウィーンパーティーなんて名前だけでたいして仮装しないと思ったら皆さんバッチリ仮装していたので、急遽メイクをしてもらい参加しました。ちなみに今、仕事が絶賛炎上していまして・・・・人生色々あるな、ほんと)

Halloween04
(宮崎県人もどうかと思うが、メキシコ人はほんとどうかと思う。これ、体感温度5度くらいのところで上半身裸ですから。昨日は雨も降っていたし、ほんと寒かったのにこの格好って・・・・おかしいよ、あんた)

Halloween03
(フミくんの友人のリックの彼女・・・・あんた、美人が台無しだよ)

言いたいことがあるから、話せるようになるということ:語学習得の近道
(一生懸命スペイン語を勉強した甲斐があり、昨日のパーティーでは終始スペイン語で話が弾んだ)

思えば2年前はブエノスアイレスでハロウィーンパーティーに参加した。それが、2年後に今度は宮崎県人2人とメキシコシティでハロウィーンパーティーに参加するとは夢にも思わなかった。というかむしろ、メキシコに住むとは夢にも思わなかった。

本当に人生は色々とある。

ただ思うのは来年も再来年も、自分は受け取る側の人間ではなく、人に何かを与えられる人間でありたいと思う。ある意味、世の中の不公平さに嫌気が差して始めた会社だが、今ではそれだけでは満足できなくなっている。

このメキシコという可能性のある国で、果たして自分が一体何を出来るのかしっかりと見極めたい。人は年を取るごとに何かを諦める。そんなことを聞いたことがある。でも、きっと中には年を取るごとに何かを得る人生もあるはずだ。

この「これからの国」であるメキシコで、自分の活かし方を徹底的に模索していきたい。

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(応援よろしくお願いします。。。世界、本当は何周しているか分かりませんが)

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2013年10月20日 (日)

これから世界を何周するのだろうか?:異国で日本人と過ごす一週間

ブエノスアイレスに住んでいる頃によく「日本人とは付き合わないですか?」とたまたま知り合った日本人の方に言われたことがある。

アジアならまだしも、南米、しかもブエノスアイレスに住んでいる日本人は少ない。わざわざ探さないと見つけられないレベルだ。たまたま、自分の行動範囲にはほとんど日本人はいなかった。けっして、別に日本人との付き合いを避けているわけではない。それにまず自分のプライオリティーは「スペイン語をマスターする」ことだったので、アルゼンチン人たちとの付き合いをなるべく優先させていたのも事実ではある。

またメキシコに来てからも、運良くメキシコ人の友人がたくさん出来たので、今までほとんど日本人の方々と交流してこなかった。しかし、今週は現在、絶賛世界一周をしている金丸文武くんとほぼ毎日一緒に過ごしてしまった。

Fumi012
(アメリカで知り合ったリックに誘われて、突如メキシコシティのライブハウスで演奏することになり、テンパっているフミくん)

Fumi013
(オリジナル2曲と、ニール・ヤングの「Heart of Gold」を熱唱。オリジナルの曲はやはり母国語の日本語で歌うからか、非常にエモーショナルな演奏でとてもよかったです)

Fumi014
(うちのサルサ教室のアイドルとなったフランス人のノエミとトロールとの一コマ。まあほかのメキシコ人女子はアリシア先生のスパルタに耐えられなくなって辞めたという噂も・・・・)

Fumi015_2
(サルサ教室のメンバーとともに。ちなみに中央の男性はオスカーというのですが、うちのアリシア先生に目の敵にされているのか、いつもものすごくイジメられています。あれはほんとイジメだと思うわ。でもオスカーに「すごい忍耐力あるね!」と言ったら、「ガハハハ」と大笑いされました。強いな、メキシコ人男性は)

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(そして、みんなに乗せられてメキシコ特産のメスカルというアルコール度45度くらいの一杯やり、そのあと記憶が飛んだフミくんです)

自分の日常の光景に一人、異邦人が迷い込むのは変な感じだが、見事にその光景に溶け込んでいるのはすごい。その後、カウチサーフィンのパーティーにも連れて行ったが、誰よりも多くの人と話していた。彼もすっかりメキシコシティの虜になったようだ。

自分も久しぶりに日本語をたくさん話せて楽しい。今は英語すらそれほど使わず、完全にスペイン語の毎日だ。もちろん、語学は使ってナンボのものだし、それに今まで死ぬほどインプットしてきたので、それを活かしてさらにスペイン語力を上げるチャンスだと思っている。

いつも思うのだが、日本人とかメキシコ人とかアルゼンチン人、それにアメリカ人というのはどうでもいいと思う。一緒にいて楽しいか、楽しくないか、その一択だ。

国籍とか性別とか、そんな表面的なことよりも、人と人との繋がりをこれからも大事にしていきたい。

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(世界一周ブログって、世界を何周もしている人は参加資格はないのだろうかと思いつつ・・・応援よろしくお願いします。ちなみにフミくんに「上で待っているんで」と高飛車に言われたので・・・嘘です。そんな言い方はしない、実直な九州男児です)

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2013年10月16日 (水)

世界一周の人がメキシコシティにやって来た!:金丸文武 世界放浪日記

旅は非日常である。
誰かがそんなことを言った気がする。

でも、きっと自分は人生をかけてずっとその旅を日常とするために生きてきた気がする。18歳のときにヨーロッパで一人で旅にしているときに、素晴らしい出会いはいくつもあったが英語が出来ずに悔しい思いをしたので、翌年英国へと留学した。

そして、仕事がインターネットで完結出来ることをなったので、再度海外へと行き、ブエノスアイレスで生活を始めた。

旅を日常にするためには当然のようにいくつかの武器が必要となる。英語やスペイン語といった語学はもちろん、タンゴやサルサもここ南米では立派な武器となり、人々との出会いを助けてくれる。それらを手に入れるためには多くの忍耐を必要とするし、海外生活の多くは自分の許容範囲をいかに広げて、問題が起きた時にいかに適切に処理出来るかにかかっている。

Fumi01

メキシコシティのことを調べていることをきっかけに、「金丸文武 世界放浪日記」というブログを知り、彼は野宿をし、ギターを弾いて日銭を稼ぎ、外国人の友人をたくさん作っているその旅に惹かれて、連絡してメキシコシティで会って一日話した。

自分も忘れていたし、周りのメキシコ人もすっかり忘れているが、一応自分も世界一周中ではある。

世界一周航空券の世界一安い購入方法:ブエノスアイレス発

予定はすでに大幅に変更になり、9月にはブエノスアイレスに帰る予定がいまだメキシコシティに滞在している。そして、旅は生活となり、メキシコシティが自分の生活拠点となった。自分の世界一周には期限も行き先もない。でも金丸くんの旅は2年と区切りがあり、また当然行き先は日本だ。

世界なんて何周したところで未知であり続け、多くのことを見ることは可能だが、その多くは理解することなんて不可能だと思う。ギリシャの哲学者ソクラテスは「私は何も知らないということを知っている」と言ったが、人は多くのことを知れば知るほど、そのような境地に達するのだろうと思う。

金丸くんはギターひとつで世界を渡り歩き、現地の人と交流し、なんだかとても楽しそうな旅をしている。音楽というのは旅の強力な武器だと思う。下手な英語よりもよほど役に立つ。

世界を旅すると自分が世界に比べていかに卑小でちっぽけな存在か、よく分かる。人は自分が無知であることを思い知るために世界を旅するのかもしれない。金丸くんの旅の魅力はきっと彼がそのことをきちんと理解し、出会う人に対してきちんといつも感謝の気持ちを持ち続けているからだろう。

メキシコシティで密かに「やせ細った金丸くんを小太りにする計画」を立てており、昨日も韓国焼肉、夜は日本料理屋で豚の角煮、豚のしょうが焼き、寿司、それにラーメンとてんこ盛りだった・・・・・まあ、これからハードになる南米の旅において、少しでもこのグルメの街であるメキシコシティで精力と体力をつけてもらいたいものだ。

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金丸くんに触発されて一応参加しておこうかと・・・前にもそんなことを言った気がしますが。応援クリックよろしくお願いします。(世界何周するか分かりませんが・・・・・)

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2013年10月12日 (土)

ブエノスアイレスへの旅:ラテンの経済について考える

ついに11月24日にブエノスアイレスに向うことにした。

当初は片道切符を買い、ブエノスアイレスに2ヶ月いたあとは、そのまま日本に一時帰国する予定だった。しかし、メキシコシティからブエノスアイレスまでの片道切符と往復切符が同じ値段だったので、往復切符を購入して一度メキシコシティに戻ってから日本に行くことにした。

慌ててチケットを買ったのは、メキシコ人の友人アビマエルがブエノスアイレスに来たいと言っており、あろうかと自分よりも先にブエノスアイレス行きのチケットを買ったので、自分も慌ててその日に購入した。

12月、1月はブエノスアイレスは真夏なので、今から楽しみだ。ここメキシコシティは年中気温が20度程度なので、変わり映えしないが、ブエノスアイレスはきちんと四季があるので、それだけでテンションは上がる。

だが、年25%のインフレ、それに治安など抱える問題は多いので、そのことを考えると憂鬱にはなる。また1月からは人々はバカンスなので、毎年12月はその前に問題を処理したいのか、様々な問題が持ち上がり、政治も一年で一番不安定になる時期と言われている。

政治や経済などの問題は日本にいると、それほど注意を払わなくても、なんの心配もなく暮らしていけるが、アルゼンチンではマストな情報なので、常にアンテナを張っておかないといけない。

アルゼンチンに2年も過ごすと、どこの国でも生きていけるような気がするのは自分だけだろうか?そのために自分はきっとアルゼンチンに行ったのだろうと今では自分を納得させるようにしている。

日本に一時帰国したあとの予定は未定だが、ここメキシコで進行中のプロジェクトがいくつかあるので、またメキシコシティに戻ってくる予定だ。この国には可能性を感じる。それだけでもそこにいる価値がある。アルゼンチンにいたときは、「この国では絶対にビジネスはしたくない」と思ったものだが、メキシコにいると「どうやってこの国でビジネスをするか」という思考回路になる。

数年前から日本では「アジアが熱い!」とインドネシア、フィリピン、シンガポール、ベトナムなどに進出する企業が相次いだが、その理由はよく分かる。日本以外にはその場所にいるだけで、チャンスを掴むことが出来る国があるからだ。

以前、ブエノスアイレスのとある中国系レストランで食事をしているとき、アルゼンチン人の友人が「この店、けっこう流行っているだろ。この店のオーナーは中国人だけど、アルゼンチン人だったらこんなに安い値段にしないで価格を倍にして、それで客が半分に減っても仕事も半分に減って、それでも売上が同じだから、そのほうが得だと考えるんだ」と何か自慢気に言われたことがある。

アルゼンチンの高いインフレ率のわけの一端を知った気がした。

経済は競争によって伸びる。他社との差別化をはかり、価格を出来るだけ抑えて、なんとかほかよりも抜きん出ようとすることが経済を活性化させるわけだ。そんなシンプルな原理がまだまだない国はけっこう多い。

メキシコにはそのような経済のダイナミズムを感じるし、それが将来性を感じる要因になっている。一国の経済発展はいかに中流層を増やすかということにかかっている。その最も成功した例が日本かもしれない。(今はそれがだんだんと崩れてきてはいるが、まだまだ世界から見れば、日本の中流層はお金持ちだ)

自由の代償:アルゼンチンという国の売買について

以前、アゴラに上記記事を書いたが、この問題はまだまだ尾を引いており、デフォルトの危機も高まっている。(詳しくはこちらの記事で)

アメリカも10月17日までに問題が解決しないとデフォルトに陥るが・・・・自国の問題にきっちり対処してアルゼンチンのことはほっておいて欲しいというのがアルゼンチン人の本音だろう。

色々と考えると不安は募るが、とりあえずはまだ二ヶ月近くもメキシコシティで暮らす予定なので、ここでの生活基盤をしっかりと作り、不測の事態に備えたいと思っている。


(なんの関連もないですが、Spotifyでたまたま流れきたので、貼っておきます。自分がイギリス留学時に全映で大ヒットした曲です)

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2013年10月 9日 (水)

世界で話されるスペイン語:そして英語の宿命について

スペイン語は大別すると、4つに分けられる。

まずもちろん、スペインのスペイン語、そしてカリブ海沿岸にある中南米、南米のスペイン語(コロンビア、メキシコ、グアテマラなど)、それにチリのスペイン語、それからアルゼンチンのスペイン語だ。
(もっと細かく分けることは可能だが、中南米や南米の人たちと話していると、だいたいこの分け方をしている。ペルー、ボリビアなどの各国は上記の国々と比べて存在感で劣るからだろう)

これらのなかでもこのラテンの国々において、一番評判のいいスペイン語はコロンビアのスペイン語だ。実際、コロンビアに行ったし、アルゼンチンにはたくさんのコロンビア人がいるので彼らと話した経験からすると、たしかに聞き取りやすいスペイン語を話す。

また特にコロンビアの首都ボゴタ出身の人たちのスペイン語はとてもゆっくりだし、それほど多くのスラングも使わないので、外国人にとってもコミュニケーションが取りやすい。

ここメキシコのスペイン語もとても評判がいい。コロンビアのスペイン語とほぼ変わらずクリアだし、聞き取りやすいスペイン語を話す。では、どうしてコロンビアのスペイン語ほど評価が高くないかというと、スラングを多用するし、doble sentido(ドーブレ・センティード:double meaning(両義語))がたくさんあるからだ。

メキシコ人の友人アレックスからの携帯メールは8割がたスラングで占められ、メキシコ人に訊いても時々首をかしげることもある。

そして、この大陸で最も評判が悪いのが、チリのスペイン語だ。

みなさん、こぞって「あれはスペイン語ではない!」とバカにしている。
(チリの経済成長が著しいので、そのやっかみも多少含まれているかもしれないけど。ただ歴史的にアルゼンチンとチリは特に仲が悪く、アルゼンチン人はチリ人が大嫌いだ)

自分がスペイン語を習ったアルゼンチンのスペイン語の評判もすこぶる悪い。

ただ、これはアルゼンチンのスペイン語の評判が悪いというよりは、アルゼンチン人の評判が悪い。いわく、「あいつらはおれたちと同じ南米の国なのに、自分たちの国があたかもヨーロッパの国であるかのように振る舞うイケ好かない奴ら」というのが一般的な評価だ。

アルゼンチン人からしてみれば、彼らの祖父母はたいていイタリア、スペイン、それにドイツからの移民なので、自分たちのことをヨーロッパ人と思って、何が悪いということなのだろう。その態度が、ほかの南米の国の人々からは煙たがれる原因なのだけど。

個人的にはアルゼンチンのスペイン語は気に入っている。アルゼンチン訛りのスペイン語を話すと、ここメキシコでは「笑いの種」なので、今ではすっかりメキシコ流の言い回しに変えたが、どうしても時々出てしまう。そんなときは、メキシコ人の友人に直され、矯正される・・・・アルゼンチンでは正しいという言い訳は許してもらえない。

日本では、スペインのスペイン語が「標準のスペイン語」というようなイメージがあるが、スペインはもうひとつの南米大陸と思ったほうがいいほど語彙、発音、言い回しも各地方によって違う。

日本でも独立運動が話題になるバスク地方は、言語体系が全く違うバスク語という言語を話し、これはスペイン語をはじめとするどのラテン言語、さらにゲルマン系の言語とも異なる、唯一無二の言語体系を持つ言語だ。(ほかにもバルセロナを州都するカタルーニャ州はスペイン語ではなく、カタルーニャ語を話す)

このようなことを踏まえて、スペイン語を学ぶのにはどの国がいいかと言うと、一概には言えないが、カリブ海沿岸の国々がやはり一番だと思う。特にコロンビアの首都ボゴタは環境もよく、治安も改善されて住みやすい。(ついでに言うと雨がよく降るので、それがネックだ。また同じコロンビアのカタルヘナというカリブ海沿岸の街のスペイン語はわけがわからない。コロンビア人も何を言っているのか分からないことがあると言っていた。スペイン語は本当に各地方によって違うので厄介だ)

自分がもし、今からスペイン語を習うとしたらやはり圧倒的にメキシコシティだと思うが、このあたりはもう好みだ。日本人のバックパッカーに有名なグアテマラなどでスペイン語を習うという手段もあるかもしれないが、スペイン語学習という以外の側面ではあまり魅力的ではないように思える。

ちなみに自分は英語は訛りで有名なスコットランドで習い、スペイン語もこれまた訛りで有名なアルゼンチンで習ったが、あまり不自由を感じていない。悪名高いチリでスペイン語を習ったイタリア人の友人フレデリックもメキシコで特にスペイン語で苦労しているように思えない。

スペイン以外では基本的な文法は同じなので、中南米、南米の国のなかで気に入った国、その文化に親近感を感じられる国でその言語を学ぶのが一番だ。(スペインのスペイン語はvosotrosというラテン大陸では使わない主語を使うので、ひとつ苦労が増える)

日本人は英語に対して、あほみたいに「ネイティブ・・スピーカーの発音や言い回し」にこだわっているが、英語もそのうちスペイン語のように各国よって、それぞれ特色がある言語となっていくだろう。それが多くの国で話される言語の宿命だからだ。

結局は細かいことにこだわらずに、とっとと単語のひとつでも暗記したほうが、自分のためになるということだろう。

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2013年10月 5日 (土)

そして誰もいなくなった・・・・動物園へようこそ!

なんの話かというと、通っているスパルタ・サルサ教室の話だ。
(日本にいた頃は、サルサというと六本木にいるチャラチャラした人たちがシャカシャカして踊っているイメージがあったが、まさかスパルタとは・・・メキシコって、ある意味すごい!)

メキシコ人の友人アビマエルに誘われて、なんの興味もなく始めたサルサだが、すっかりハマってしまい、もう2ヶ月あまりが経った。そして、この二ヶ月のあいだに始めた人たちがほぼ全員いなくなってしまった。残っているのはそれ以前に始めていた4、5人、それに自分が引き入れたフランス人の女の子、ノエミだけだ。

色々と理由は考えられる。
まずはこの教室の主であるアリシア先生はスパルタであるということも一因だろう。ただ、それよりもメキシコ人女性のことごとくがあっという間に辞めていくのは、目標設定の甘さに起因する。そして、自分自身への過信が加わって、数回クラスを取った後は、「自分はサルサを踊れる」と思い、あっさり辞めていく。

これはある意味、語学習得にも通じるところだ。
目標設定をきっちりしないと、いつまで経っても英語もスペイン語も話すことが出来ない。

彼女たちの目標設定はせいぜい「パーティーでそこそこ踊れればいいや」程度のものなので、モチベーションは限りなく低い。そして、タンゴやほかの踊りにも共通していえることがだが、男性のリードで踊るので、男性のほうが圧倒的に覚えることが多く、彼女たちはその間、「なに、これ退屈」と思い、辞めていく。

そもそも「忍耐強いメキシコ人女性」なんてイメージは全く湧かない。

このような状態なので、アリシア先生のサルサ教室は男性ばかりという緊急事態に陥ってしまった。今まで何人かメキシコ人女性を引き入れたが、もう辞めてしまったので、さらにもう一人知り合いを誘ってみた。

これが間違いの始まりだ。

てっきりそこそこ踊れると思ったが、全くリズム感がなく、ステップも知らず、踊りにならない。しかし、その肝心の彼女は「自分は踊れる」と思っているから、こっちの言うことを訊かず、自分が正しいと思うあまり、「あんた、そのステップ違う」と言う始末だ。

巷では「ブッタ」並と言われる自分の忍耐力も限界が来て、もうほっておくことにした。
(自分がリズム感ないのに、こちらのせいにされて、若干キレそうになったことは内緒です)

そして、翌日、最近知り合ったクラシックバレエの先生をしているボリビア人とともに、プライベートのクラスを取りにアリシア先生のサルサ教室へと行った。

そしたら、アリシア先生激怒!

「あなたが連れてきた、昨日のあの子!なによ!全くリズム感もないし、変なステップを踏むし、あんな子、サルサ教室になんて連れてこないで!」と開口一番、ワタクシ怒られました。

えー、一応、生徒を増やす努力を一生徒である自分がしているのですが・・・・自分の紹介で2,3人入校したのも事実だし。(うちのオンライン英会話スクール・ワンズワードをほかの方に紹介してくれた方々には、感謝の気持ちを込めて大和田常務並の土下座を厭わないと思っている自分と正反対の反応です)

しかし、アリシア先生激怒!

「あんな子なんて初心者クラス、いや初心者クラスよりももっと下のクラスに行かないと無理!
あんな子、教えるのなんてほんと無理!」

とアリシア先生はヒートアップしました。

そもそも、初心者クラスよりも下のクラスって、何クラスだよ・・・というツッコミは怖くて出来ませんでしたが。(アリシア先生のクラスでは初心者クラスからスタートし、そこからサルサ教室にステップアップするのですが、その彼女は初心者クラスに呼んだのに、一時間遅刻したのが災いして、その次のクラスを取ることになったのが致命的だったなと)

それにしてもメキシコ人、面白いな。

確かに自分が連れてきたメキシコ人の女の子は、もう動物っていいだろう。何かを学んだことなんてないから、「学ぶ態度」なんて最初から持ち合わせていない。そして、全く根拠のない自信だけは豊富に持ちあわせており、それがまた災いを招く。

ただアリシア先生も正直、どうかと思うが・・・・嫌いではない。多大な時間と労力をかけてサルサを身につけた彼女からしてみれば、あの女の子の態度は許せなかったのだろう。いかにも「サルサなんて簡単!」なんて態度を取り、そのくせ全く踊れないという現実。それなのに、人の言うことを全く聞かない。

アリシア先生が彼女に直接、文句を言わなかった分別を持ちあわせていただけ、幸運だった。
(でも、男にはもっと厳しく、うちのクラスにいるオスカーというメキシコ人男性には、めちゃくちゃ辛く当たっている。彼は腰が固く、うまくターンできないのだが・・・・それぐらい見て見ぬふりしてあげればいいのにと個人的には思うけど。そんな彼はめげずに毎回クラスに来ているので、ある意味すごいと思う)

ラテンの国って、ほんと動物園だなと思う今日このごろだ。

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2013年10月 1日 (火)

ラテンな世界観:踊るということについて

ブエノスアイレスから世界一周の旅に出発したが、あっさりとメキシコシティで頓挫し、とりあえずは世界一周航空券ではなく、普通のチケットを別途購入して、11月末にはブエノスアイレスに戻る予定だ。
(チケットは一年間有効なので、4月末までに残りのチケットを使用して、グアテマラとペルーに行こうかと検討している)

それから2ヶ月くらいは滞在して、2月には一旦日本に帰国しようと考えている。
またそのあとメキシコシティに戻って、今度は本格的に住む予定だ。

ブエノスアイレスも魅力的な街だが、一度メキシコシティのような街に住み始めると、その住み心地の良さが気に入り、ブエノスアイレスのように常にインフレ、ストライキの場所に戻るのは気が引ける。

一生に一度も南米に住みたいと思ったことがない自分が、すっかりラテンの魅力にやられているのはなんか自分でもおかしくなってしまう。

アジアも魅力的だが、最近ではすっかり「日本化」が進んでおり、その点あまり魅力を感じなかった。
(たぶん、その点に魅力を感じて、移住するのが当たり前なのだが・・・・)

単純に言葉も違う、全くの異文化を体験したいという思いが根底にあり、自分では未開の地であった南米くんだりまで行ったのだと思う。

自分に全くなかったものを取り入れることによって、自分の幅も広がるし、実際にこっちに来てから、スペイン語、タンゴ、それにサルサとそれまで全く知らなかったものを取り入れて、随分と世界観が広がった。
(まさか自分がサルサまで踊るようになるとは夢にも思わなかったけど)

ラテンの国では、スペイン語も当然重要なコミュニケーションの手段だが、踊りもまた違う形のコミュニケーションの手段だ。日本でいうところのカラオケと同じストレス発散の手段だと思うが、カラオケはどこか一方的なコミュニケーションの手段だが、踊りは相手がいないと成立しないので、双方向なコミュニケーションだ。

そのあたりの違いが、ラテンの人たちの漠然とした幸福感にも繋がっていくのかもしれない。

カラオケで自分の歌声に酔いしれて歌っている人を見ると、「気持ち悪い」としか思わないが、メキシコ人の友人アビマエルがサルサのリズムに合わせて、楽しそうに踊っているのを見ると、微笑ましくなる。
(ドイツの哲学者ニーチェも踊りというのを高く評価して、幸福感を感じる重要な要素としていた。彼がイタリアではなく、メキシコあたりに夢中になっていたら、もっと幸せな人生を送れたかもしれない)

ラテンの人たちを見ていると、幸福というものは精神的なものではなく、身体的なものだと強く思わせられる。この人生、欲しいものは手に入らないかもしれないし、誰がも金持ちになれるわけではもない。でも、体をリズムに乗せて、ゆすって踊ればだれでも多少は幸福になれる。

幸福とは、本当はそんな身近な、どこにでもある小さなものなのかもしれない。そして、それを継続的に手に入れるためには、日々努力してベストを尽くすしかないのだろう。

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