« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

2013年5月29日 (水)

そこには絶対に負けられない戦いがあった:フィリピン人の日本の短期滞在ビザ取得

それは優雅にスペインのグラナダでタパスを楽しんでいる時に起こった。

その日の夜にはバルセロナを経由して、クロアチアのドゥブロヴニクに行く予定だった。ただ問題はバルセロナには深夜0時に到着して、その日の朝8時バルセロナからにドゥブロヴニク向かうことだった。

そんなことを考えながら、やおら愛用のMacBook Airを開くと、JOYさんから一通のメールが来ていた。5月30日に3名のフィリピン人先生が来日予定だが、そのビザに関してだった。

過去2年、フィリピン人先生を日本に招待し、何の問題もなかった。だから、今回もなんの問題もないと思って、メールを開いてみると、「日本の短期滞在ビザが却下された」という文面だった。もう一秒後にはJOYさんにスカイプで連絡して事情を聞いた。

フィリピン国籍の方が短期滞在を目的として日本へ渡航する場合

過去2年、上記にある文書を書き、ほぼ同じ文面で提出してなんの問題もなかったので、今回も同じ内容でいいと判断して、提出した。それなのに却下である。この時点で来日まであと10日くらいしか残されていなかった。

詳しく事情を聞くと、「ビザ却下理由は一切教えてもらえず、そのあと短期滞在ビザの申請は半年間出来ない」とのことだ。JOYさんは涙を浮かべ、今回のビザ申請を行ったBEEJAYに至っては微妙な精神の均衡を保っている表情でなんだか怖い。彼女たちはもう120%日本行きを諦めていることだけは理解した。

「とにかく一度、大使館の人と話して、なんとか理由を訊くようにするから、それまでKristinとShawieには言うな」と言ってスカイプを切り、マニラにある大使館に電話したがあいにく営業時間外だった。そこで、猛スピードで「フィリピン人の日本短期滞在ビザ」について調べ始めた。

そして、一点気になる条項を見つけた。彼女たちの言うとおり、申請が却下された場合は半年間は申請出来ない。だが、「同じ目的では申請」出来ないということだ。(ちなみにこの情報は日本語のサイトでのみ確認でき、英語では書かれていない。だからJOYさんたちが120%諦めたのも理解出来る)

各種目的に応じた提出書類について

上記には同じ短期滞在ビザ申請でも合計7つもの目的に分かれている。今回、および過去二回は「商用目的」で申請し、今回のみ却下された。だから、理論上ほかの目的による申請・・・・例えば「観光目的」で申請することは可能なわけだ。

ただ問題はフィリピン人の観光ビザ取得はとても難しく、ほぼ無理との話しだ。だが、ほかに選択肢がないので、この一択に賭けるしかなかった。

バルセロナの空港に着いても、有料wifiで色々な情報を確認し、そして深夜2時半(マニラ時間朝8時半)になってマニラにある日本大使館に電話した。だが、音声案内で「ビザ申請については、代理店を通してください」というアナウンスが流れるだけで話すことは出来なかった。緊急の時以外は対応してくれないらしい。

仕方がないので、その代理店に電話して、詳しく事情を話し、「今回は商用目的でビザ申請が却下されたが、今度は観光目的で申請出来るか?」という点に確認したら、「問題ない」と返答を得た。(フィリピン人の日本滞在ビザ申請は、大使館に直接申請するのではなく、「代理店」と言われるところを通して行う。ちなみにJOYさんたちが確認してもこの情報は教えてもらえず、あとで確認するという一点張りだったらしい)

そこからまたJOYさんに連絡し、事の経緯を話し、3人の先生の出生証明書、婚姻証明書(Shawie)などが早急に必要あることを伝え、こちらもまた新しく文書を書き、日本の自分の銀行に電話して残高証明書などを発行してもらう手はずを整えた。

今回は追加の種類など出せと言われてももう時間がないので、考えつく限りの書類を集めた。

Img_75260_98032_0

と、安西先生もおっしゃっているとおりだ。何でも人の言っていること、二次情報を鵜呑みにしないで、自分で調べ、その情報の裏を取り、確認してから行動すべきなのだ。(英語だと「Don't give up... Cleave to hope till the very end. When you give up, that's when the game is over.」とのこと)

諦めたら、そこでおしまいだ。

すべての文書の用意を整え、あとは文書が揃い次第、マニラにFEDEXで送るだけだった。そして、JOYさんからの「ビザ却下」のメールが来てから4日後にはマニラにすべての書類を送った。マニラには金曜の夕方到着し、ほかの書類を合わせて、土曜日の朝に提出した。

この時点で日本来日まで、あと5日間。ビザ発給までギリギリのタイミングである。
そして、そこから眠れない毎日が始まり、深夜に何度も起きては、フィリピンからメールが来ていないか確認し、観光どころではなくなった。

そして、今日だ。
もう明日出発という段階になり、「いよいよやばい」ということなった。BEEJAYやJOYのさんが何度も代理店に電話したのが功を奏して、大使館直通番号を手に入れた。

そこで大使館の人に連絡し、事情を話し、「明日出発だから、確認してください」と頼み調べてもらった。大使館の人からは折り返し連絡するよう言われ、10分後に連絡すると、「フィリピン人の不法滞在は群を抜いて多いので、くれぐれも身元保証人の方がきちんとフィリピンに返すように責任を持って対処するよう」注意をされた。

「もちろんです」と即答し、ということはビザの発給を受けられるのかと訊くと、「はい」という返事が返ってきた。

今回あまりの理不尽なビザ却下に大使館に対しては怒り心頭だったが、直接話しを聞くと、「大使館の人も大変だな」と心底思った。そして、BEEJAYに電話したが出られなかったので、JOYさんに電話したら、電話の向こう越しから歓喜の雄叫びが聞こえてきた・・・・・

それにしても長い、長い戦いだった。すべてのチケット、宿泊先は2ヶ月前に予約および支払いが終了しており、これで来れないということになったら、すべてパーになるところだった。それらに費やした時間も半端ない。

今回得た教訓は「準備は徹底的に抜かりなくやり、それでダメでも決して諦めず、再度チャレンジしろ」ということだろうか。まあ、あとこういう場合は日本にいることにしないと周りに迷惑をかけるし、自分も死ぬほど大変だということを痛感した。

心身ともに消耗したが、それで彼女たち3人に日本に来て、新しい経験や知見を手に入れてくれたら安いものだと思う・・・・・でも来年もこれをやると思うと気が引けるのは事実なので、今年で最後になるかもしれないのでぜひご参加を!←冗談です、ほんと冗談です・・・・

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2013年5月28日 (火)

クロアチアのスプリトにて:モンサントと世界一周を思う

スプリトはクロアチア第二の都市である。

第二の都市というのは、たいていの場合見過ごされがちだが、スプリトにいたっては、驚くほど観光資源が多く、街全体もばっちりと世界遺産に登録されており、また海に面しているのでエメラルドグリーンのアドリア海もすぐ目の前に見える。

観光客が多すぎるドゥブロヴニクよりも、よほど滞在する価値がある街であることは確かだ。

スプリトを起点にすれば、なんとかドゥブロヴニクにも日帰りで行けるし、また次にマストな観光地であるプリトヴィツェ国立公園にも日帰りで行ける。立地的にみても、とても恵まれていることは確かだ。

Split_cat_shadow

正直、ドゥブロヴニクには辟易していた。うざい呼び込みや多すぎる観光客にだ。もちろん、観光客同士、同じような感想を抱いているのだろうが、それにしてもせっかくの世界遺産が人のせいで台無しになっている。

Split_night
(スプリトの港です。散歩にはもってこいの場所です:クリックすれば拡大されます)

その点、スプリトははるかに落ち着いた街で、クロアチアの人々の生活も垣間見える。ただこの街も夏のピークシーズンとなれば、観光客だらけになり、そんな余裕もなくなるのだろう。

街自体はとても小さく半日もあれば歩き尽くしてしまうが、それでもしばらくゆっくりしたくなる街だ。しかしながら、改めてクロアチアの観光立国としての底力を見せられた気がする。ヨーロッパの人たちがこぞって訪れ、今となっては中国からの団体客に大賑わいな理由がよく分かる。

Split_cafe

またドゥブロヴニクでは世界一周で有名な飛鳥も停泊しており、多くの日本人も見かけた。

2013年世界一周クルーズAコース(横浜発着) 105日間<4月出発>(最低価格390万から、上は
2500万まで・・・・・金持ちは違うな)

個人的には観光にはほとんど興味もなく、街をぶらぶらするので十分満足なのだが、街をぶらぶらするだけで楽しい街というのは、観光地としても魅力的な場合が多い。だから余計に人が集まるのだろう。

また何年かしたらクロアチアに戻ってきて、今度はクロアチアだけで一ヶ月ぐらいゆっくりしたいと思う。そんなことを思わせてくれるとても魅力的な国だ。

Split_mosant(モンサント・・・・ヨーロッパでも嫌われ者ですね)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月26日 (日)

アドリア海の宝石:ドゥブロヴニクにて

もう7,8年も前に、とあるフランス人の女の子に「クロアチアの海はとても綺麗!アドリア海って言うんだけど、素晴らしいリゾート地がたくさんある!」と言われて、ずっと気になっていた場所だった。

そのあと複数の人から「クロアチアはアツイ!」という話を聞き、機会があれば必ず行くと決めていた。そして、今回の旅の旅程に組み入れた。

Dubronik_main_2

Castle_wall_dubronik
(写真はクリックすると拡大表示されます)

ちょうどグラナダからドゥブロヴニクへの飛行機が手配出来たので、まずはこの世界遺産に登録された城壁の街へと行ってみた。

たしかに美しい。
旧市街は城壁に囲まれ、石畳はてかてかと光りを放ち、ディズニーランドを思わせるどこか人工的な美を放つ。

ただ何よりも驚いたのは、その観光客の多さだ。まだシーズン前の5月と言うのに、原宿の竹下通り並の込みようだった。これがピークである7月,8月となると、一体どうなってしまうのかとても疑問だ。現地の人に訊くと、「足の踏み場もなくなる」とのことだが、確かに今からこのような状態だったら、その頃はそうなっているだろうと思う。

一生に一度は訪れる価値がある風景だと思うが、ピークシーズンのドゥブロヴニクだけは避けたほうが身のためだ。

そして、中世の風景に飽きたら、近くにいくつも美しいビーチがあるので、ふらふらと散歩に出るのもいい。

Lake_conpersona


Lake_nopersona

クロアチアの建造物を見ていると、東欧というよりも、どこかラテンの香りが漂う。ついこのあいだまでいたスペインのグラナダにも通じるものがある。おそらくそれはほかの東欧諸国にはない特色ではないだろうか?(東欧はほかにはチェコのプラハに行っただけだが、プラハもいい意味で東欧のイメージからかけ離れている)

Calle_dubronik

もしかしたら、人がいない真冬のドゥブロヴニクもそれはそれでロマンチックかもしれない。だが、もし自分がこの街に再び戻ってくるとしたら、きっとシーズンが終わった9月に戻ってきて、ゆっくりと一ヶ月ぐらいかけてドゥブロヴニクから出発して、車でアドリア海沿いを走りながら、景色を楽しむだろう。

まあ、その前に運転免許証を取るのが先だけど・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月24日 (金)

それでも世界は回る:グラナダにて

グラナダには一週間近くいた。
なぜなら、そこにはタパスがあったから。

もちろん、タパスはスペイン全土にある。タパスとはスペイン料理の小皿を指すのだから、当たり前だ。
しかし、だ。

Granada_sky

グラナダのバルに入って、ビール一杯でも注文しようならば、タパスがもれなく一つ無料で付いて来るのだ。別にビールでもワインでもコーラでも付いて来る。

とあるバルに行ったら、昼にはパエリヤが付いて来ることがあった。
一体、この街はどうなっているのだろうか?

Granada_men4

一杯、2ユーロ(260円)程度のものに、食べ物が無料で付いてしまうので、2杯程度飲めば、けっこう満足感が得られる。そして、スペイン人はそんなバルを何軒かはしごしながら、お腹を満たしていくのだ。

Granada_catedral

そして、お昼休みは1時半から4時半となっており、良い感じで軽く飲んでから、シエスタ(昼寝)という神聖な儀式に彼らは興じる。それで経済が発展していたら問題なかっただろうが、スペイン経済の窮状は世界中がもうすでに知っていることである。

それでも彼らは飲み、語り、食べる。なにせ、それがここでは人生だからだ。

Granada_calle

経済がちょっと、ほんのちょっとおかしくなっているのは彼らのせいではないのかもしれない。ほかの世界の人々がきっと働き過ぎなのだろう。みんなももっと食べて、飲んで、そしてシエスタをすれば、幸せになれるはずなのに、そうはしない。

グラナダはそんなスペインの良き文化を体現している場所だ。彼らの国自体がなんらかの経済危機に瀕しているなど微塵も感じなかった。むしろ、ここに永住したいとさえ思ったほど平和そのものだった。普段、住んでいるブエノスアイレスのような殺伐とした雰囲気はここにはなかった。彼らは人生を楽しみ、未来を信じ、何の不満もないように見えた。

Granada_calle2

僕らは余りに経済的合理性、効率などの言葉に踊らされているのではないだろうか?
別に飲み物にタパスが付いてきてもいいのではないだろうか?

結局のところ、人生はいかに楽しむかによって決まってくる。そういう観点から言うと、スペイン人は世界中の人々の一歩も二歩も先に行っているように思える。僕らが経済的合理性を持ちだして、批判するのはそもそもお門違いなのだ。

「人生、楽しければ、それでいい!」
そんなシンプルな人生哲学もありだなと思ったグラナダでの滞在だった。

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月20日 (月)

ロンドンにて:マリアのこと

コロンビア人のマリアとは15年もの付き合いになる。

Maria_best

ロンドンに住み始めて、すぐにマリアとマリアの当時の彼氏であるセバスチャンが僕の住んでいるフラットにやって来て、一緒に住み始めた。僕たちはすぐに仲良くなり、毎日のように3人で出かけて、楽しい時を過ごした。

ただお互い人生で最も貧乏な時期で、金は全くなく、住んでいる場所こそロンドンのイーストエンドのど真ん中に位置していたが、ひどく狭く汚かった。人生で一番惨めな時期でもあり、一番楽しい時期でもあったかもしれない。僕たちはまだ20歳前半で未来しか見えておらず、この先どのような人生を送るかお互いわくわくしていた。

Englishpub

僕たちが住んでいたフラットの前には古いパブがあり、「ぜひそこに行こう!」ということになり、そこでビールを2杯くらい一緒に飲んだ。僕たちは3,4年に一度は会い、お互いの近況を報告し合っているが、二人とも変化に富んだ人生を生きているので、二人で会うのはとても楽しい。

マリアは2年前に英国のパスポートを手に入れて、晴れてヨーロッパのどこでも住む権利を手に入れ、そして新車を買い、また前の彼氏と別れて、新しい彼氏と付き合い始めていた。(ついでに言うと、前のナイジェリア人の彼氏はビザ問題で帰国を余儀なくされたが、それを法廷に持ち込んで、あげく裁判に勝ち、近いうちにロンドンに舞い戻ってくることになったらしい・・・・相変わらず複雑な男関係を繰り広げているマリアさんです)

マリアは20歳の頃は自分でも「自分だったら、月ぐらい食べれる」というぐらい、世界、いや宇宙全体が彼女中心で回っていると自他共に認めさせるくらい存在感があり、僕はと言えば、セバスチャンと一緒に彼女に付き従う従者のような存在だった。

Maria_light_2

そんなマリアも37歳となったのが、本当に驚きだ。わけの分からないヒョウ柄のパンツを履いて、靴も履かずにロンドンの街中を駆け回っていたワイルドな少女は、今やアートセラピストとなり、自閉症の子供たちに癒しを与える存在となっている。

僕たちはそれから食事をし、またマリアが行きたいというバーに入り、深夜まで語り合った。毎回会うたびにもっと頻繁に会おうというが、結局のところ、僕たちは何年かに一度しか会わない。彼女はどうしても子供が欲しいらしく、タイムリミットが迫っていると焦っているが、彼女ほど魅力的であれば引く手あまただとは思う・・・・が残念ながら男を見る目がなく、また情に深すぎて一度関係した男とはいつも5年くらい関係を続けている。

クリスティーンという人

以前、ブログで紹介したクリスティーンも強烈な個性を持った女性だったが、マリアもそれに負けず劣らずで、さらに最近クリスティーンは子供も出来、とても幸せな人生を送っている。

僕のなかではこの二人の存在がかぶっており、いつか二人を会わせたいと企んでいる。だからマリアもクリスティーンに続いて、幸せなプライベートな人生を築いて欲しいと心から願っている。

ただマリアに子供が出来たら、きっと数年ぶりの再会を果たしても、「ユウキ、ついでにミルク買ってきて!」とパシリに使われるのだろうなと想像に難くない。サイモンは常々、「ラテン系の女性と付き合うということは、それはもうそれ自体が職業なんだよ!」と力説していたが、ほんと友だちですらそんな状態なのだから、付き合ったり結婚したりしたら、それはもうそれが職業になることは容易に理解出来る。

きっとこれから先、お互いひと波乱もふた波乱もある人生だと思うが、数年おきに会って、以前会った時とどれくらい自分たちが成長しているか確かめながら、ずっとこの男女の友情関係を続けていきたいと願っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月18日 (土)

パリにて:サイモンと枝魯枝魯

パリには何回来たのだろう。
初めて来たのがヨーロッパを旅した18歳の時だから、それからおそらく少なくても3、4回は訪れているはずだ。

Paris01

だから今回のヨーロッパ旅行では、特に来る予定ではなかった。しかし、たまたま友人がパリ留学をしており、せっかくなので寄ることにして、そしてそのまたついでに古い友人のサイモンを呼ぶことにした。

Paris02

19歳で渡英して、たまたま入学しエディンバラの語学学校で英語の教師をしていた彼とはもうかれこれ20年近くの付き合いになる。インターネットのない時代、それにお互い色々な国を行き来していた関係で、しばらく関係が途切れたときもあったが、10年ぐらい前から関係が復活して、今に至る。

ひょんなことがきっかけで彼にプライベートのレッスンを週3回お願いすることになり、それ以外の日もなんだかんだいって会っていたので、下手すると週五回くらい会っていたかもしれない。そのおかげで英語力はめきめきと伸び、留学一年目でFCEに受かり、2年目にCAE(ケンブリッジ上級英語試験)にも受かった。

先生というよりは、兄貴分として仲良くしてもらい、その頃から彼はスペイン語もぺらぺらだったし、今ではイタリア語、中国語も結構話せるようになったとのことだ。

サイモンと会ったのは、数年ぶりと思っていたが、自分のブログを読み返したら、すでに6年以上前のことだった。月日が経つのは、早い。(そして、その前に会ったのは10年前という・・・・ほんとたまにしか会わない割には、あまり違和感がない関係性だ。それほど一緒に過ごした時が濃密だったのだろう)

Simon

そして、今回パリに来たのは、一大イベントがあったからだ。それは枝魯枝魯(ギロギロ)というパリのモンマルトルにある懐石料理屋に行くことだった。パリの友人に数ヶ月前から予約を入れてもらい、1年間ブエノスアイレスに居たので美食にすっかり飢えた状態で赴いた。

Girogiro01

フォアグラから始まり、締めの雑炊まで本当に堪能した。サイモンとは、「エディンバラに居たときは、二人で食べたのはフィッシュ&チップスだったのに、僕たちも出世したね!」と冗談を言い合った。日本人は僕たちだけだったので、店長としばらくお話でき、「平日はそれほど前でなくても、予約できる」ことや「パリもやはりラテン系のせいかユルユルであるが故の苦労」など語り合った。

「南米のパリ」と言われるブエノスアイレスほどではないにしても、本物のパリもそれはそれで大変なんだなと思った。

サイモンとは少し疎遠になっていたので、これからはパリで毎年会おうと約束し合った。そういう関係もありだと思う。そして、僕たちは昨年とどれだけ自分が成長したか、何が変わったか語ることが出来るし、いつまでも過去の昔話に浸ることもない。

「友人」の定義には色々とあるけど、僕にとってサイモンはずっとそのカテゴリーに入り続ける人だし、そのようにこれからも努力していきたいと思う。青春時代を共に過ごした人たちと英語とスペイン語を交えながら語り、これから年を取っていくのもそれもそれでオツな生き方ではないだろうか。

久しぶりのパリは、郷愁と美食とこれからのこと、そんなことを話しながら友人たちと過ごした3日間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月15日 (水)

バルセロナにて:フランソワのこと

バルセロナには3日いた。
最後にバルセロナに来たのはもう20年近く前だ。

Barcelona_calle_2

その頃に比べると、あまりに自分の状況が変わりすぎていて比べようもないが、それでもマドリッド、それにバルセロナと旅した20年前ですら、バルセロナのほうが断然いいと思ったことは強く印象に残っている。

Photo

今、バルセロナ在住のフランソワに会ったのは、トルコのカッパドキアだ。もう、かれこれ4、5年前になるだろうか。

カッパドキア DAY1

僕らはたまたまカッパドキアの空港から遺跡に向かうバスのなかで出会い数日間一緒に過ごした。率直に言えば、それだけの仲だ。人生のなかでの数日なんて、あまり意味はない。でも、トルコのことを考えるたびに彼のことを思い出すし、FACEBOOKを通じてそれから何度もやり取りをしているので、とても近しい存在に感じていた。

当時からプロジェクトマネージャーとして、EUに勤務しており、EU圏内の27カ国をまとめる役目を負っていた。彼と会った当時、僕は隣国にとあるソフトウェアの開発を委託しており、たかが一カ国相手に四苦八苦していた。正直に告白すれば、その国特有の独自の価値観に由来したあまりの横暴さに白旗同然の状態だったわけだ。

フランソワはその27倍である、EU圏内の27カ国相手にそれをやってのけていたので、当時の自分からしてみれば、彼はスーパーマンに近かった。そんな彼とバルセロナで再会した。彼と初めて会った当時は、彼はスペインのアリカンテというところに住んでいたが、4ヶ月ほど前にバルセロナに引っ越したとのことだった。EUの仕事も辞めて、今はしばらくの休暇を取っていた。

Barcelona_gaudi

スーパーマンだと思っていた彼も実は27カ国相手の折衝は過酷を極め、そのストレスから結局皮膚病を患い、それもあってその仕事を辞めて、違う土地であるバルセロナに移ったとのことだった。EUには仕事も評価され、さらに重要な仕事のオファーももらい、それも10年間の長期間に渡るプロジェクトだったらしいが、彼はそのオファーも断り、この土地バルセロナに越したとのことだった。

「周りの友人からはクレイジーと言われたよ」と彼は淡々と語った。でも、彼にとっては仕事は第一義ではなく、人生そのものを楽しみたいという欲求のほうが強かったらしい。それにすでにEUの仕事のために6年過ごしたアリカンテには嫌気が差しており、違う土地に移りたかったとのことだ。嫌気が差した土地にあと10年いるのは、確かに彼のような人にとっては地獄に近い。

僕らは今まで会っていなかった時を埋めるために、色々なことを話した。僕はと言えば、手に負えないプロジェクトには早々と見切りをつけ、自分の会社を立ちあげて、そして自由に旅をする資格を手に入れたこと。その仕事はとてもやりがいのあることを伝えた。

でも、率直に言って彼のような人から見れば、僕は周回遅れで走ってきたに過ぎない。エリート中のエリートが集まるEUという共同体のなかで、切磋琢磨した彼にはまだまだ及ばない。フランス人である彼はスペイン語、英語、それにもちろんフランス語を流暢に操り、それらを駆使して各国の担当者とやり合っていたわけだ。

「英語、英語」言っている日本が少し滑稽に聞こえる話しだ。フランソワは英語だけでもなく、スペイン語、それに母国語であるフランス語を完璧に話すが、それでもコミュニケーションがうまく取れない場合がある。27カ国相手にすれば、それは当然のことだ。そんなことも知らずに英語さえ出来れば、すべての外国人と問題なくコミュニケーションが取れると思っているバカな人たちが日本にはたくさんいる。

それにフランソワのコミュニケーションスキルは驚くほど高い。初対面の人でも簡単に打ち解けて仲良くなることが出来るだろう。そんな人でも外国人相手の仕事では、ストレスを抱えてしまう・・・・もちろん、世界トップクラスの人たちが集まるからこそのストレスかもしれないが、言葉や高いコミュニケーションスキルを持ってしても解決出来ない問題が各国間に横たわっていることを前提にしないとこれからは生きていけないことも事実だ。

ただ彼の話し、彼のプロジェクトを聞いていると、ヨーロッパは間違いなくひとつの国になるためにあらゆる布石を打っていることが伝わってくる。たかが小さな島のために隣国たちと揉めている極東の島国からしてみれば、スケールの違う話だ。

Barcelona_night

アジアのエリートは英語を何かの通行許可証と勘違いしているが、ヨーロッパのエリートは複数言語を流暢に操りながら、遠大な目標に向かってすでに数歩先を歩み、そして我々が気がつく頃には彼らはまた世界の中心に我が物顔に居座っているのかもしれない。

ヨーロッパの人たちからしてみれば、僕たちは最初から数歩後を歩むハンディを背負っているのかもしれない。それを今までは努力と根性で克服し、経済を発展させてきたが、それが通用しない今となっては、新しいスキル、方法を見つける必要がある。そのことに気づかないままに突進しているとすごく痛い目を見ること確かだと思う。

バルセロナで久しぶりに旧交を暖め、そしておいしい海鮮料理を舌鼓を打ち、街をぶらぶら散歩しながら買い物をした。全く住むには悪くない街だが、お金にはやさしくない。おいしいもので溢れ、おしゃれな洋服やインテリアが簡単に見つかり、充実したナイトライフがある。

半年ブエノスアイレスでしのいで、残りの半年はバルセロナという生活を本気で考え始めている今日このごろだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 6日 (月)

世界遺産のなかに人々が住む街:ポルトにて

もともとポルトに来たのは、ブエノスアイレスのアメリカ人の友人が「リスボンに一ヶ月いたけど、週末だけ過ごしたポルトのほうが良かった」と言っていたので、そうかと思い、この地まで足を運んだ。

Porto01

たしかにその気持ちがよく分かるほど、いい街だと思う。リスボンよりもずっと小さな街だが、それほど観光地然としていなくて、落ち着きのある街だ。物価もリスボンよりも少し安い。

ちっぽけな食堂みたいなところでお腹一杯食べて、ワインを飲んでも一人10ユーロぐらいだった。そして、リスボンと同じく海鮮類がとてもおいしい。

Porto2

街を歩けば歴史的な建造物にぶち当たり、特に意図しなくても観光が出来る。こんな街に住んだら毎日おいしいものを食べて、ワインを飲んで・・・・きっとバカになるだろうなと思う。ポルトガルの人たちはもう満たされ過ぎていて、働らかなくなり、経済破綻に直面することになってしまったのかもしれない。

だが、リスボンもポルトもそんな経済危機なんて嘘のように、平穏で人々は満ち足りている。ブエノスアイレスの人々とは大違いだ。ポルトガルに着いてから、車のクラクションなど聞いたことがない。通りを渡ろうと思えば、自然と車は道を譲り、せかせかとした感じもなく、穏やかな雰囲気がそこには流れている。(ブエノスアイレスはほぼずっとクラクションが鳴っているし、通りを渡るときはドライバーから殺意を感じることが多々ある)

Porto3

ここはやはりヨーロッパなのだなと思う。文化的にも経済的にも成熟しており、南米のような若い国とは勝手が違う。また日本にあるものは、やはりあくまで「洋風」でヨーロッパにある本物とは全然違うのだなと街にあったインテリアなどを売っている店で思った。(日本にある純和風のものがヨーロッパにいくと、「変な和風」になり変わることと同じだなと)

年をとって引退したら、こういう静かな街に住んで、毎日カロリーなど気にせずにおいしいものをたらふく食べ、ワインをごくごく飲んで、静かに死んでいくのも悪くない死に方だなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 4日 (土)

最高の休日:リスボンでの日々

ポルトガルと聞いて、ピンと来る人たちが日本にどれだけいるだろうか?
サッカー好きならば、「クリスティアーノ・ロナウド」という名前は挙がるだろうし、歴史オタクならば「フランシスコ・ザビエル」の名前が挙がるだろう。
(ザビエルくんは本当はスペイン人で、ポルトガル王の依頼を受けて、インドに行くことになって、あれやこれやで日本にたどり着いたのですがね)

Lisboa01

で、個人的な感想は「ポルトガル、オシャレ過ぎて、鼻血出そう!」です。ポルトガル全体というかその首都リスボンを歩き回って、思った感想ですけどね。

スペイン、イタリア、それにフランスなどの観光立国と比べるとどうしても決め手の欠くポルトガルですが、すべてがクオリティーが高い。(ブエノスアイレス比較)

まず通りにう◯こが落ちていないし、治安も最高にいいし、歩行者道も下を見ないでつまずくことなく歩ける。(片やブエノスアイレスは・・・・すべてその逆です。特に歩道はお金がないのか、舗装がなってなく穴ぼこだらけです)

Lisboa2

風の便りで聞いたのですが、ブエノスアイレスに特に用もないのに行ったオンライン英会話スクール経営者がいて、もう2年もそこに住んでいるらしいが・・・・・きっと真性バカなんでしょうね。どうしてヨーロッパに行かなかったのでしょうか?

一説によると、イギリスに4年近く住んだから、「ヨーロッパはもういい」と思ったらしいですが、イギリスと南欧を比べるバカって、まだこの世に存在するのですねえ。(遠い目)

Lisboa3

食べ物も最高においしいです。とくに海鮮物が豊富なので、日本人の舌には最高に合います。むしろ、ここに骨を埋めてもいいのではないかと・・・・・思い付きでブエノスアイレスに行くなんて、ほんとバカ!

ただこれだけポルトガル、ひいてはリスボン最高となっていますが、やはりこの国に住めないと思うのは、ナイトライフがないということかと。ブエノスアイレスの金曜日の夜となると、ある種の狂気を感じるほど盛り上がりますが、この国はしらっとしたもので。

Lisboa4
(国旗すら、オシャレ・・・でもアルゼンチンの国旗もオシャレですけどね・・・・国旗って関係ないのか)

ついでに日本人にとって朗報ですが、英語がこの国では通じます。僕は3ヶ月以上毎日、ポルトガル語の個人レッスンを受けましたが、そのポルトガル語を使う機会はゼロですね。こちらがポルトガル語で話しかけても全部英語で返ってくるので。

それがポルトガル語圏でもブラジルとの大きな差ですね。

おフランスとか、イタリアしか行ったことがない日本人はポルトガルはめっちゃお薦めです。これが今日の結論かと。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »