« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月30日 (金)

アゴラ:自由の代償:アルゼンチンという国の売買について

あと2週間で国が財政破綻すると聞いたらどうするだろう?

[FT]アルゼンチン債務問題、集団行動条項の重要性示す(社説)
(日本経済新聞の英国ファイナンシャル・タイムズ引用記事)

アルゼンチンがまさに今、その状況に陥っている。要約すると、2001年にアルゼンチンがデフォルトしたあとに、その国債を二束三文でアメリカのヘッジファンドが買取り、アルゼンチン相手にマネーゲームを繰り広げているのだ。

この状況は一旦解消され、本日付けの現地新聞の報道で、12月15日だった期限は2013年2月27日まで持ち越されることになったが、未だ予断が許さない事態となっている。

またこちらの記事(英語)によると、アルゼンチン対ヘッジファンドという構図ではなくなり、ブレバン・ハワードという巨大ヘッジファンドがアルゼンチンのバックについたことにより、ヘッジファンド対ヘッジファンドという構図になったとのことだ。

さらに両者を代表する弁護士が、アメリカを代表するトップ弁護士であり、ブッシュ対ゴア事件で両陣営の弁護士を務めた二人がまた法廷で争うことになった。

一国の未来を左右するのに、なぜアルゼンチン国外であるニューヨークの法廷で争うのかというと、多くの国の債券がそうであるように、アルゼンチン債も海外であるアメリカの法律に基づいているからだ。

G20のメンバーであるアルゼンチンというひとつの国の未来が、二人のアメリカ人の手に委ねられたといっても過言ではないこの事態にある種の皮肉を感じてしまう。

アルゼンチンは今年に入って経済成長が鈍化し、ウィキペディアにあるように「戦闘的な労働組合」のせいで度重なるストライキに見舞われている。

年率25%と言われる高いインフレに見舞われており、現政権の極端な保護主義的な経済政策による不満も理解できる。(詳しくは拙ブログ「アルゼンチンの落日:政治と経済と外国人であるということ」をご覧ください)

彼ら自身は国を良くしたいという一心でデモやストライキに参加しているかもしれないが、大局的に見ると彼らの思いなど全く関係ない。国の未来は彼らの首都であるブエノスアイレスで決められるのではなく、世界一の金融市場であるニューヨークで決定されるのだ。

このような事態を招いたのは元をただせば90年代に「新自由主義」という号令のもと、経済市場を開放し、一ドル一ペソのドルペッグ制を導入して国内に安い輸入品を溢れかえらせた代わりに、自国産業を壊滅状態に追いやり、挙句の果てに外資に石油、鉄道、電話などあらゆるインフラを売り払い、最終的には2001年にデフォルトしたつけだと言える。(ここに至るまでの経緯は「金貸しは、国家を相手に金を貸す」に詳しいです)

人々は常に自由を求めて戦う。だが、自由という言葉の裏には常に危険が潜む。現在、日本でもTPPが議論を呼んでいるが、日本のように経済的に成熟しきった国が「自由」といういわば喧嘩慣れした世界の強者たちの土俵にあがるのは選択肢としてありかもしれない。

しかし、アルゼンチンのような未だ発展途上国であり、大国の思惑や欲望をよく理解しないまま自国の経済市場を開放すると、大国に蹂躙されてしまう。

そして、それから十数年たった今でもその負の遺産を引きずる羽目になり、挙句の果てに国の未来を決めるのに外国の法廷で、その原因を作った外国人を代理人として争わないといけないのだ。

自由という市場では、国すらも売買出来る。両陣営にとって「アルゼンチンの未来」など関係ない。いかに自分たちのヘッジファンド、それに投資している人たちの金を増やすしかことにしか興味がない。それがいわばグローバリゼーションというものであり、自由化された経済のなれの果てなのかもしれない。

この国では人々がカセロラッソ(鍋)を手に、それを叩いて抗議することで有名だが、鍋を叩いている暇があれば、経済の仕組みを理解し、彼らが求めている自由とは一体どのようなものなのか理解する必要があるように思う。

それは彼らが思っているようなセンチメンタルな感情的なものではなく、彼らが手にしている鍋のように無機質で冷たい、いわば国自体の売買を「いかに利益を上げるか」という視点で行うようなことを意味していることに気づくだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月23日 (金)

アルゼンチンの落日:政治と経済と外国人であるということ

アルゼンチンに二日ほど前、またストライキがあった。

最近、ストライキばかりなのであまりどうこう思わなかったが、スペイン語のレッスンでこのストに関しての新聞記事を使ってレッスンをしたので興味が湧いた。

いわく、アルゼンチンには伝統的な労働組合であるCGTと、15年ほど前に出来た比較的新しいCTAという労働組合があり、その二つがこのストライキを機に共闘することになったとのことだ。

ここでひとつ説明しておかないといけないのは、アルゼンチンでは労働組合が絶大な力を持っており、政府よりも力が大きいのが特徴だ。そのなかでもこの二つの労働組合は最大規模であり、それだけ影響力を持っている。CTAという労働組合は数年前までは現在のクリスティーナ政権とは仲良くやっていたのだが、あまりに要求がエスカレートしてきたので、クリスティーナ大統領の堪忍袋の緒が切れ、仲違いしてしまった。

それからというものずっと政府のやることなすことにケチを突きつけて、現在に至っている。

またアルゼンチン最大のメディアグループであるクラリンも同じように数年前からクリスティーナ政権と仲違いしたので、現政権はとても不安定な状態に置かれていることは確かだ。そして、この「政権を不安定にさせる」という目的のもとに今回のスト、また現在頻繁に起こっているストがある。

A7tagrbcqaamgxn
(つい先日も8Nと呼ばれる50万規模のデモがあった。写真はこちらからの転載です)

クラリングループというのは、表立っては「Clarín」という新聞だけを保有しているように見えるのだが、実際はラジオ、テレビなどあらゆるメディアを牛耳っており、その数は地方ラジオなどを合わせると400を超えると言われている。日本だと、読売グループとフジサンケイグループ、それNHKが合わさったくらいの影響力があるメディアグループだ。

新聞、ラジオ、テレビを付けるとすべてのメディアが「現政権は腐りきっている」などという過激な意見が飛び交うのがアルゼンチンメディアの実態だ。それは単純にクラリンの利益に反している現政権をどうにかして倒したいという欲望からなる所作だ。

傍目から見ると、現政権に不満を抱いた市民がストやデモを繰り返しているように見えるが、蓋を開けてみるとそうではない。あくまで労働組合の利害、それにクラリンという巨大メディア・コングロマリットに先導された民衆が、行なっているだけである。

片や政府の政策も最近のところ失策が続いているのも確かだ。昨年の経済成長率は9%程度だったのが、今年は2%にまで落ち込んだ。その原因は多岐に渡るので一概に何が原因とは言えないが、要因のひとつには政府の極端な保護政策がある。

不動産の売買など多くの取引でドルが使用されていたのを、ペソに切り替えるために一般人の「ドル購入」を一切ストップしたこともこのような混乱に一役買ったのも確かだ。そのためにドルの闇両替のレートが公定のレートよりも30%ほど高くなり、逆にペソの価値を極端に下げることになってしまった。(ただ統計ではアルゼンチン国民の11%程度しかドルを持っていないということもあるので、一般レベルの人の生活にどれほどの影響があるのかは未知数だ)

ただ長い目でみれば、ずっとドルに依存した経済取引はリスクが高く、間接的にアメリカ経済に依存することになるので、方向性としては間違ってはいない政策だと言える。だが、このようなことをいちいち噛み砕いて説明はしないので、混乱だけを引き起こしているのが現政権の最大の罪と言える。

市民にとって最大の懸念は高いインフレ率であり、年間25%を超えると言われている。この不満のはけ口に、労働組合のボスたちやメディアを牛耳っている黒幕が目をつけ、それを利用して組織だったストを頻繁に起こしている。

このようにアルゼンチンの経済と政治を俯瞰してみていると、極端な理想主義的な政策を掲げる政府と、自己の利益しか興味がない労働組合、それにクラリンとの争いであることが見えてくる。

そして、その最大の犠牲者であり、加害者足りうるのが一般市民だ。特に投票は国民の義務なので、アルゼンチンの投票率は90%を超える。彼ら一人一人が、自己の利益ばかりではなく、国の未来を考えればこのような状態は抜け出せるかもしれない・・・・理想論だけど。

自分自身は外国人であり、「この国に住まわせてもらっている」くらいの立場なので、文句を言える立場ではないが、クリスティーナ大統領にはもう少しトーンダウンして、ゆっくりと改革をやってもらい、労働組合の人たちは対政府ではなく、対企業で交渉するという本来の目的に立ち戻って欲しい。(ちなみに労働組合はそもそもエビータの旦那だったペロン元大統領が作ったのだが、今となっては組織がでかくなりすぎており、労働組合というよりはひとつの巨大企業になっている)

アルゼンチンから学べる我々の教訓は、新聞やテレビなどのメディアは一切信用ならず、デモやストライキは表面的には国民全体の意見を反映しているように見えても、実態は一団体の利益を代表しているだけであるという可能性をきちんと認識しておくことだ。

目先の出来事に囚われては本質的な出来事はいつまでも見えてこない。今後、世界規模で様々な危機が訪れることが予想されるが、そのことだけは肝に命じておこうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月21日 (水)

外国語でのコミュケーションを円滑にするために

昨日は久しぶりにミクロセントロと呼ばれるブエノスアイレスの中心街に行った。携帯のSIMカードを買いにいくためだ。携帯自体はすでに購入済だったので、プリペイドのSIMカードが必要だったわけだ。

無事お店にたどり着き、購入の手続きをしたのだけど、そのときお店の人がまずこう訊いてきた。

「Sólo un chip o con equipo?(SIMカードだけ、それともエキポも?)」

エキポというスペイン語を直訳すると、サッカーチームなどのチームという意味だ。しかし、明らかにこのシチュエーションではおかしい。だから考えられる意味としては、「SIMカードと一緒に携帯を購入したいか」というふうに考えた。

だから、「ノー」と答えたのだけど、日常生活はこのようなシチュエーションがたくさんある。
(ちなみにほかに考えられる意味としては保険のようなものも考えたけど、どちらにしても答えはノーなのでノーと答えた)

今回のように知っている単語でも、違う意味で使われると、一瞬戸惑ってしまったり、また会話のなかでもたくさんの意味が分からない単語を使われるときがある。

そんなときにいちいち聞き返したら、会話が前に進まないし、また100%理解することがコミュケーションを成立させるために必要なことではない。会話の大意をつかみ、その話のキモを理解出来れば、会話は続けられる。

正直に告白すると、スペイン語の固有名詞に関してはたいして覚える努力をしてこなかった。最近までスプーンやフォークなどもスペイン語で言えなかった有り様だ。でも、たいていの人とは会話は出来るし、スペイン語で意思疎通をはかることに問題はない。

まずは動詞の活用を死ぬほど練習して暗記し、コミュケーションを取ることを優先させてきたからだ。多くの固有名詞は「あれ」「それ」で代用出来るし、自己紹介などで使う固有名詞に関しては暗記した。

すべての単語を覚える必要もないし、また使う機会もない。

状況から判断して的確に意味を推察する能力を磨くことのほうが、外国語を操る上では重要なことだ。相手の質問に答える許される間は、1秒くらいかもしれない。しかし、そのあいだに意味を推察すること会話を前に進ませる上で重要だと思う。(もちろん、基本的な語彙力は付けないと、どうしようもない)

マンツーマンレッスンのいいところは、会話を止めて知らない意味を常に訊けることだが、たとえばグループレッスンの場合などはそうはいかない。みんなの前で、「この単語知らない」というのは恥ずかしいものだ。

リアルな会話だったら、なおさら聞きづらいことが多い。

そのような場に慣れるためには、まずはグループレッスンなどから慣れていくに越したことがない・・・・・というわけで弊社が主催する無料のグループレッスンで皆様をお待ちしております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月16日 (金)

アゴラ:オンライン大学というひとつの革命

カーンアカデミーをご存知だろうか?

もともとヘッジファンドのアナリストをしていたカーン氏がいとこたちに勉強を教えるのに、ユーチューブを使って教えたところ、「ユーチューブのほうが、実際に教えてもらうよりいい!」と言われたのがきっかけに始まったオンライン学習サイトだ。

動画だと好きなところで再生・停止が出来るし、分からないところは何度も繰り返し聞くことが出来る。考えてみれば、当然のことだ。

このカーン氏のTEDの講演会場にいて、衝撃を受けたのがドイツ人Thrun氏だ。彼は当時はスタンフォード人工知能研究所の所長であり、グーグルが開発した自動運転カーに関して同会場で講演もしていた。(グーグルXというグーグルの開発機密機関の所長でもあった)

そんな彼がすべての地位を捨てて、教育の革命に賭けて、オンライン大学の「Udacity」を始めた。「これはプロジェクトではなく、自分の使命なんだ」と英国ガーディアン紙のインタビューにも答えている。

カーンアカデミーに感動した彼は、早速スタンフォード大学で自分が受け持つ人口知能のコースをオンラインで公開することにした。せいぜい数千人集まればいいと思っていたらしいが、コースが始まる頃には16万人も集めることが出来た。リアルのコースには200人が集まったが、もうそんな少人数を教えることには飽き足らなくなり、オンライン大学を立ち上げるに至ったわけだ。

そして、Thrun氏のスタンフォード大学での同僚だった二人の教授は、スタンフォード大学やペンシルベニア大学など一流の大学と提携して、Courseraというオンライン大学を立ち上げた。今年立ち上がったばかりだが、すでに180万人の生徒を世界中から集め、33大学と提携している。

このようなオンライン大学にはグーグルなどの大企業も積極的に出資し、成績が優秀だった生徒を実際に採用している。企業側に取ってみれば、優秀な生徒を費用もかけずに世界中から集めることが出来、また学生の分母も当然大きくなるので、「選びぬかれた最優秀なエリート」を青田買い出来るメリットがある。

大学のメリットとしては、現在はこれらのサイトは課金は行なっていないが、将来的に低額な課金を行うことで、莫大な収入を得ることが可能となる。(教室に入る人数は数百人が限界だが、オンライン上ではその数は無制限だ)

そして、オンライン大学の通う生徒にとってみれば、今のところ無料で世界最高峰の教育を受けることが出来るし、フォーラムなどを通じて志を同じくする世界中の人たちとも知り合うことが出来る。さらにそこで優秀な成績を収まれば、グーグルなどの世界トップの企業にも就職の道が開かれるというまさに言うことなしの大学だ。(ほかにもハーバード大学やMITと提携しているオンライン大学「edx」などがある)

無料のオンライン学習コースが正規に“学歴”として認定へ

上記の記事によると、Courseraは正規の大学として認められる可能性が高く、それによってまさに教育界の革命を起こそうとしている。ただ、最終的には学歴というものは有名無実なものとなり、企業はそんなものよりも、より能力が高い学生をリクルートするために、あの手この手を尽くすだろう。

オンラインで学習するということは学習履歴のみならず、学習フォーラムなどの発言もすべて記録されることになる。言うなれば、学生の思考回路や社交性までも可視化できる訳だ。そうなれば、有名大学卒の肩書きよりも、より信頼のおけるデータが揃ったオンライン大学の卒業生のほうが企業の就職には有利になる可能性がある。

これから10年後、世界中の大学はもしかしたらすべての授業はオンラインで行われるようになり、インターネットが使える世界中の人々に教育のチャンスが開かれているかもしれない。

教育の不平等が世界中の混乱を巻き起こし、この世界を混迷極めるものとしているといって過言ではないが、オンライン大学がその理想的なソリューションとなる可能性もある。大卒という資格を得たいがために大学に行くのではなく、本当に何かを真剣に学びたい人たちが世界中からこれらのオンライン大学に集まり、切磋琢磨して学んでいくのだ。

そうなってくると、大学という場所はその居住地をインターネット上に移し、学生たちはFACEBOOKなどで勝手に「スタンフォード大学で人口知能を習っているやつ集まれ」などと各地でイベントが開催され、ゆるいコミュニティが形成されていくのだろう。

10年後、20年後、日本の子どもたちが「昔さ、日本に受験戦争ってものがあったらしいよ。なんか実際なんの役にも立たない知識を詰め込んで、日本でしか名が通っていない大学に合格するために必死こいていたんだって」「マジ!ありえなくない!?」などと話し合っているかもしれない。

すでに生活のインフラとなっているグーグルですら、今年で14周年だ。オンライン大学元年の今年から十数年経ったら、今の自分たちが想像も出来ないような変化が社会に生まれているはずだ。それが今から楽しみで仕方がないし、自分もなんとかそれに寄与出来たらと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月14日 (水)

【重要】グループレッスンのシステム化について:ワンズワードオンライン

オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」が創立してから、丸3年近くが経過した。そのあいだ、システム的にも色々と追加、改良し現在でも自分でもかなり満足な形で運営出来ている。

そして、今年最大の追加機能として、「グループレッスンのシステム化」を行う。

開校当初から、ほぼ毎日無料でグループレッスンを行なっていたが、実施時間や予約方法などが分かりづらいという声も多く、またシステムとして組み込んではいなかったので、予約する面でマイナス面が多かった。それを会員画面より予約出来るように、より使いやすく、より分かりやすくすることにした。

【オンライン英会話】ワンズワードオンラインレッスン、グループレッスンの感想

ranさんのブログに書いてあるように、まだまだ参加者が少なく、固定化している。ほんの一部の方々がその恩恵を享受している。それはスクールの運営者としてあまり好ましくない状況であり、それを改革することが常々必要だと思っていた。

すでにこの「グループレッスンの重要性」というエントリーで、さんざんその重要性を述べたが、新しく付け加えるとするならば、ワンズワードオンラインというスクールを媒介とした「英語学習者コミュニティ」を形成することがその最大の目的だ。

「英語学習」という共通した目的を持った方々が、グループレッスンを通じてお互いに知り合い、ツイッターやFACEBOOKなどを通じてどんどんと情報交換し、オフ会なども自由に開催してもらいたい。

年に1回は、フィリピン在住の先生方を招いてワンズワード主催のオフ会を開催しているが、それだけではなく、非公式のオフ会や学習会なども開催されていけばと願っている。(昨年のオフ会の様子は「第二回ワンズワードオフ会:刺激的な交流の場を目指して」に詳しいです)

最終的になぜ英語を学習するかと言えば、外国人と英語でコミュケーションを円滑にはかるためだと思う。そのためには、まずは同国人で英語でコミュケーションを取りつつ、経験値を増やすということは有効な方法だ。

もちろん、人と人のコミュケーションなので、もしかしたら嫌な思いをすることもあるだろうし、なんらかの問題を引き起こすこともあるだろう。世の中のすべての問題は、人と人とのコミュケーションによって生じるから当たり前のことだ。

だが、そんなことをいちいち考えいたら、生まれも文化も違う外国人と一生きちんとコミュニケーションを取ることは不可能だ。英語を話せる、話せない以前の問題でもある。

言い方は悪いけど、マンツーマンレッスンでの英語学習という場は、いわば「お金を払って、先生たちに英語を教わり、自分たちの拙い英語を聞いてもらったりする場」だ。(このような場でもコミュケーションとしてきちんと成立させれば、本当に学ぶことは多い)

ただ現実には、自分にさほど興味がない人たちに母国語ではない英語という言語で、一生懸命コミュケーションを取る必要がある。そのような場所できちんと円滑にコミュケーションを取るためにも、グループレッスンという場所を通して、現実を疑似体験すれば、かなりの自信になる。

このような機会をぜひ有効活用してもらい、新しい発見や成長の場として機能させていければと願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月11日 (日)

18歳の夏と38歳の夏の思い出:京都とブエノスアイレス

高校3年生の夏・・・・・普通は受験戦争の真っ最中だと思うが、そんなことにこれっぽっちも関心も湧かなかった自分は、ニーチェやらドストエフスキーやらやたらと難解の本を読みながら、「人生とはなんぞや?」となにかと物思いに耽っていた。

そんなある日のこと、たまたま実家のある京都に帰省したとき、河原町にあるとある本屋でフランセス・A.イエイツの「記憶術」という本を見つけた。

6300円という、高校生からしてみれば、「おまえ、喧嘩売ってんのか?」という値段もさることながら、そのタイトルである「記憶術」という言葉に惹かれて購入して読んでみた。文芸書のようであり哲学書のようでもあり、なんともカテゴライズが難しい本ではあったが、紙のない時代にギリシャ時代の偉人たちがいかに物事を記憶にとどめていたかということを追求しており、値段だけの価値はあるなと思った本だ。

そんなことをふと思い出しながら、英国紙ガーディアンの下記記事を読んだ。

How I learned a language in 22 hours
He's never been good with languages, so can Joshua Foer really hope to learn Lingala in a day?

この記事で紹介されているボキャブラリーを増やすためのアプリケーションである「Memrise」の仕組みがまさに、「記憶術」で書かれているとおりの仕組みを利用しており、なるほどなと思った次第だ。

To remember that bondoki means gun, I saw James Bond pointing a gun at Dr No, and saying, "Okey-dokey." If this all sounds a little silly, it is. But that's also the point. Studies have confirmed what Cicero and the other ancient writers on memory knew well: the stranger the imagery, the more markedly memorable.

ようは、単語と印象深いイメージを結び付けて、それらを紐付けして覚えるというやり方だ。ギリシャ時代の偉人たちは、さらにイメージの部屋をいくつか用意し、それらを互いに関連付けて、複雑な記憶を手繰り寄せていた。

ちなみにこのあいだスペイン語が全く話せないイギリス人とテニスをして、テニスのスコアを言うのに、30−40(サーティー・フォーティー)などは問題なかったけど、30−30(サーティー・オール)という言葉が中々出てこなかった。30分くらいずっと考え続けて、ようやく手繰り寄せたときは、我ながら感心したものだ。

記憶がしまってあった場所がおそらく同一だったために、前の記憶がすっかり消去されて、スペイン語でしか思い出せなくなってしまったのだろう・・・・

記憶というのは、本当に奥が深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 6日 (火)

アゴラ:多様性溢れる社会に向けて:海外という選択肢を考えるということ

クオリティ・オブ・ライフ」というものが唱えられて久しいけど、具体的に何を持ってクオリティがあるとするのかは結局のところ、各人の価値観による。

例えば、海外に出て2,3日もすればすぐに日本食レストランに駆け込む人たちなどは、「日本食」というものが人生に欠かせないのだろう。(ちなみに知り合いのカリスマ美容師は、毎年ハワイに休暇に行くのですが、毎日日本食です。ハワイの日本食はおいしいというのもハワイに行く理由だそうで)

いま、海外移住に注目が集まっている

ダイヤモンド・オンラインの記事だが、たしかに以前よりは海外移住を考える人は多くはなっていると思う。また最初から海外に就職してキャリアをスタートする人たちはこれから増えてくると思う。

そのような際に「自分が人生で何を求めているのか」を明確にしておかないと、判断を誤ることになる。日本人にとって日本以上に住みやすいところはほかにない。それをまず念頭において、それ以上の「何か」を求めて海外に行くことを自覚していないと痛い目にあう。

では、海外生活のメリットとはなんだろうか?

これは人によってそれぞれ感じ方が違うので一概には言えないが、自分の場合は「生活を一から作る楽しさ」が挙げられる。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに住み始めて1年半が経ったが、この国の公用語であるスペイン語を当初は全く話せなかったので、まずはそこからスタートした。(語学というのは多くの日本人にとって障壁となると思いますが、毎日現地で2,3時間勉強すれば1、2年もすればどのような言語でもある程度は話せるようにはなります)

単純に自分の場合は、「クオリティ・オブ・ライフ」を求めた結果が海外移住に繋がっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。ここ世界に誇る犯罪都市ブエノスアイレスに日本のような治安の良さを求めていないし、日本食は世界一おいしいと思っているので、肉食中心のこの国の食文化にそれほど期待していなかった。

人生を楽しむためには、100人いれば100通りの方法があっていいと思う。ほかの人から後ろ指さされようが、なにを言われようが彼らが生活を楽しんでいれば、それはそれでいい。日本で十分に満足で楽しい生活をしているのであれば、それはそれで素晴らしいことだし、海外で生活して日本と違った人生の楽しみ方を覚えるのもいい。

どちらがいいかは、本人が何を持って「クオリティ・オブ・ライフ」とするかだと思う。

海外には日本にはないものもあるが、当然のことながら日本に当然あるべきものは海外にはない場合が多い。それも生活のインフラというべきものが欠けている場合も多々ある。(例えば、いまだアジア諸国では停電が相次ぎ、まともな電力供給もままならない)

それでも海外に住むことがいいと思えば、なるべくその時間を楽しむべきだと思う。海外にいるのだから、「日本にあったものがない」と憤るのは間違いだ。

よく「日本は恋しいか?」と訊かれることはあるが、「いや、まったく」と答えている。日本に帰りたくなれば帰るし、海外に骨を埋める覚悟などない。LLCやインターネットのおかげで、海外は今までになかったほど身近なものになっている。

終身雇用制が壊れた今、これからは働き方ということについても見直していくべきだと思う。どんなに会社のために働いても、多くの会社はそれに応えるだけの体力がなくなってきている。そうであるのであれば、自分にとっての「クオリティ・オブ・ライフ」というものを根本的に見直して、海外という選択肢を含めた新しい生き方を模索してみてもいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 2日 (金)

悲しみのメカニズム:ブエノスアイレスより

マテアスの母親が亡くなった。
先週の木曜日のことだ。夜中の1時半過ぎに携帯に彼からメールが着信し、知らせがあった。

彼とはもう知りあって1年以上になる。週4回から5回、スペイン語をマンツーマンで習っている間柄だ。いわば、それ以上でもそれ以下でもない。知り合いかと言われたら、もちろんそうだけど、「友だちか?」と言われたら、首を縦に振ることを躊躇する・・・・そんな間柄だ。

ここブエノスアイレスで過去ほかに3人ほどからスペイン語を習ったが、彼との関係が一番長続きしている。何よりも先生としてとても優秀だし、自分が分からないことを理路整然と説明してくれるので、頼りにしている。

だが、ほかの三人に比べて、関係性は最も遠いかもしれない。それはあくまで彼が「先生然」としてプロフェッショナルな感じを貫き通していることもその一因のひとつだ。

それでも週の大半を一緒に過ごし、ほぼ毎日1時間半一緒に二人きりで過ごしている間だ。自分の今の日常生活において、最も多くの時間を過ごしている1人と言っても過言でもない。

メールで知らせがあってから、お悔やみの言葉と「自分に出来ることがあったら、何でも言ってくれ」という内容のメールを送った。それから、何度かメールで「明日からクラスを再開する」という知らせがあったが、直前に彼のほうから取りやめたりしたので、今日一週間ぶりに再会した。

お互い大事なことに触れずに、淡々とスペイン語のレッスンを再開した。本人を前にすると、正直何を言っていいか分からないし、何を言っても嘘っぽく聞こえる気がした。彼とは毎日のように会ってはいても、彼の母親とは当然のように面識はない。

友だちに対してならば、もっとずけずけと懐に入っていけるが、この関係性のなかだとそれもはばかられた。

よくよく考えたら彼の父親の話は聞いたことがあったが、母親の話は聞いたことがない。病気だったのかもしれないし、あるいはそうでなかったかもしれない。それさえも、今のところ分からない。

少しづつお互い歩み寄りをして、不自然ではない頃に、彼の傷が少し癒えた頃に母親のことを訊いてみたいとも思うが、当分そっとしておいたほうがいい気もする。

今年は色々と「死」と縁深い年となってしまったが、今回の件が一番リアルに死を感じ取った。たぶん、それは死は概念ではなく、どこまでも肉体的なもので、身体距離が近ければ近いほどリアルに感じ取れるのだろう。

明日はもう少し、もっときちんと不自然ではない程度にマテアスと接せられればいいなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »