僕の人生最大のモテ期について:コミュケーションを取るということ
人間、褒められると誰でも嬉しい。
だが、残念なことに日本社会では、「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」という言葉に表れているように、謙虚さをよしとする文化があるので、それほど褒められる機会は多くない。
幼少時を除いて、自分もそれほど褒められた記憶がない・・・・・ここブエノスアイレスに来るまでは。
今、たぶん「人生で最大の褒められ期、分かりやすくいうと、モテ期」といっても過言ではない。僕がちょっとでもスペイン語を話すと、すぐに「すごいね、スペイン語ぺらぺらだね」「ええ!いつからブエノスアイレスに住んでいるの?たった一年ぐらいですごい話せるよね!」などと感嘆符付きで賞賛される。
このメカニズムについて、あまり深く考えて来なかったのだが、先日ここ半年ほど会ってなかったアルゼンチン人と再会して、その謎が解けた。
スペイン語を勉強して一年が経った頃は、たしかに会話は出来るが、頭の中をものすごいスピードで回転させないと言葉が出て来なかった。ただ、場数を踏む機会をたくさん作っていたので、最初の挨拶や自己紹介などはさらっと言える程度の会話力もあったし、時々気の利いたこともなんとか言える程度の会話力はあった。
だが、この半年で今まで習ったことが腑に落ちてきて、たいていのことは話せるようになり、アルゼンチン人やコロンビア人とのコミュケーションにはそれほど苦労しなくなった。少なくても相手にそれほど負担をかけずに会話が出来るようなってきたので、スペイン語で友人を作れるようになってきている。
先日、久しぶりに会ったその友人は特に僕のスペイン語の上達ぶりに驚いた様子もなく、「全然前からペラペラ話せたじゃん」と言われて、スペイン語に関しての話題は終了した。きっとガチで話したら、半年前とは雲泥の差なのだが、相手が「この人とはコミュケーションが取れる」と思ったら、その印象はずっと変わらない。
たいした語学力がなくても「この人とはコミュケーションが取れる」と思ってもらえたら、そこからは相手と友人になれたり、親友になったり恋人同士になったりするわけだ。コミュケーションは言葉でするものではなく、あくまでいかに心と心を通じ合わせるかなので、ベーシックな文法や語彙でもそれは可能だ。
僕は人の話を分かった風に聞くのがうまい。半年前なんて、その友人が言っていることの半分以下しか分からなかったが、なんとなく「ここは眉間にシワを寄せて聞くところ」「ここは、ひとつちょっと微笑みでも浮かべながら聞いておくべきところだろう」などと推察しながら聞いていた。(とくに相手の言っていることの半分以下の語彙力しかない場合、コミュケーションを円滑にするために極力、いちいち分からない単語の意味を訊くことは避けたい)
外国人とコミュケーションを取る、ひいては人とコミュケーションを取るということは、何も相手が話していることを100%理解する必要はないし、すべての単語の意味を理解している必要もなかったりするわけだ。
端的に言うと、相手に「あなたが言っていることは聞いていますよ、ちゃんと分かっていますよ」という信号をいかに発するかがより重要だ。信号の出し方が重要で、相手が言っている内容を100%理解することは二の次なのだ。(もちろん、レッスン中は分からない単語はすべて訊くことが望ましい。お金を払っている相手とのコミュケーションの取り方はおのずと変わってくる)
そして、このブログの読者だけに、僕がなぜ「人生最大のモテ期」に突入しているかお教えしよう。
それは・・・・・ブエノスアイレスに住んでいるほかの外国人のスペイン語が下手すぎるから。
もう、これに尽きる。
ブエノスアイレスの人たちは前提として、「外国人はスペイン語が話せない」という思い込みがあるので、少しでも話せたら「すげえ!スペイン語話せるじゃん」となり、そして会話が成立する語学力を身に着けると「ええ!マジ!スペイン語ペラペラじゃん!」となる。
人生のあらゆることに言えることだが、人の評価とは相対評価であり、絶対評価なんて存在しない。英語でもスペイン語でも、あらゆる能力の評価も結局は自分が所属している集団によって評価される。
ここブエノスアイレスでは外国人が英語を話せることは当たり前であり、話せないとむしろ「?」が彼らの顔に浮かぶ。日本ではまだ英語は希少なスキルだが、それもそのうち変わっていくだろう。
われわれが目指すべきは、「完璧に外国語を操る」ことではなく、「外国人ときちんと外国語でコミュケーションを成立させる」ことであり、それを履き違えてるから、日本人の多くは自分の英語力にいつまで経っても自信を持てないのだろう。
そして、それを身に着けるためには、多くの人と会い、彼らと話し、分かり合うことが必要だ。完璧な英語を話すまで彼らと分かり合えないと思っているのはただの幻想で、いつだってどこだって人と人は分かり合える。
足りないのはちょっとした勇気だったり、きっかけだけだ。
べつに知り合う人全員と分かり合う必要はない。自分と気が合う人たちと仲良くしていけばいい。ということでブエノスアイレスで若干調子をこきながら、これからもスペイン語を勉強していこうと思っています。
| 固定リンク
「英語」カテゴリの記事
- マルチリンガルであるということ:メキシコシティにて(2014.02.07)
- 世界の車窓から:変わりゆく世界について(2014.01.14)
- ビジネス英語とは:ブエノスアイレスで考える(2013.12.27)
- みんなフィリピン人じゃない!多様な英語を理解するために(2013.12.12)
- JOE先生から日本人英語学習者へのメーセージ(2013.12.10)
「スペイン語」カテゴリの記事
- 恒常的な真理と相対的な真理との狭間で:スペイン語の真実(2013.10.23)
- 世界で話されるスペイン語:そして英語の宿命について(2013.10.09)
- それでも世界は回る:グラナダにて(2013.05.24)
- 僕の人生最大のモテ期について:コミュケーションを取るということ(2012.10.25)
- 自分の料理の仕方を学ぶということ:ブエノスアイレスにて(2012.10.06)
「ノマド」カテゴリの記事
- ブログ移転のお知らせ(2014.05.03)
- クロアチアのスプリトにて:モンサントと世界一周を思う(2013.05.28)
- アドリア海の宝石:ドゥブロヴニクにて(2013.05.26)
- それでも世界は回る:グラナダにて(2013.05.24)
- ロンドンにて:マリアのこと(2013.05.20)
この記事へのコメントは終了しました。

コメント
人の話を聞いてるフリが得意で、コミュニケーションをとる為に外国語を習得・・?
どういうことなんでしょ。
投稿: 空 | 2012年10月26日 (金) 15時26分
コメントありがとうございます。
言い方が悪かったかもしれませんが、単語単語の意味がわからなくても、相手が言っている大筋のことを理解して、外国語がうまく話せない頃でもコミュケーションは取れるということです。
80%程度分かるぐらいになれば、相手に分からない単語の意味を訊いても問題ないですが、それ以下ですと相手の話の腰を折ることになり、コミュケーションは取れません。
ちなみにレッスン中は当然すべての分からない単語は訊くべきです。リアルライフで、それをするといつまで経っても外国人と仲良くなれないということを指摘したかっただけです。
投稿: ユウキ | 2012年10月26日 (金) 21時03分