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2012年10月

2012年10月30日 (火)

オンライン英会話業界をちょっとだけdisってみた

アマゾンのキンドルが世の中を現在席巻しているが、3,4年前から電子書籍の時代が来ると誰でも予見出来たので、日本で有名な複数の出版社に電子書籍化を持ちかけたことがある。そのときもやはり抵抗が強く、とある出版社とは毎月定例会議までしたが、一向に話は進まなかった。

で、ワンズワードとしても他の事業をする必要があり、まずは今あるオンライン英会話スクールを始めたわけだ。当初は、総合的な英語学習サイトを目指しており、アプリ開発や英語学習プログラムなども開発しようと意気込んでいた。

だが、色々とサイトを見るうちに気持ちが萎えた。たとえば、英国BBCは「BBC Learning English」など無料で運営しているし、日本でも「iKnow」、それに自分も多少関わったことがある「English Central」などの英語学習サイトがある。(ちなみに両者ともアメリカのベンチャーが日本をターゲットとしたサービスだが、きちんとマネタイズ出来ているのかは疑問です)

そうやって色々とリサーチしていくうちに、「これ、無理」と思った。まずサイトを作りこむには、ある程度の資金が必要であり、それなりの投資が必要だ。そして、その投資をどうやって回収するのか・・・・当初はどれも無料でスタートし、次に500円なり安価な課金をしていくのが主流だが、2,3億と投資した場合、いつマネタイズ出来るのか不明だ。

そこで「ただ英語を話す人」ではない、「超優秀な先生だけを採用する」ということに特化し、メジャーではないが、「知る人ぞ知る隠れた名店」的な立ち位置のスクールを目指すことにした。

例えば、英語を話す人だけのスクールにお金を払うのであれば、テキストを打ち込んでコンピューターに音声を再生してもらえる、こちらのようなTTSエンジンでも十分に事足りる。それと先に紹介したイングリッシュ・セントラルや、英文添削が無料で出来る「Lan-8」などを組み合わせたほうが効率がいい。(でも、本当に毎日レッスンを受講するのであれば、一ヶ月30回レッスンを受講して5000円の格安オンライン英会話スクールのほうが合理的だと思う・・・・本当に30回受ける人がいればだけど)

ただいずれにせよ、ウェブの世界では人を介したサービスにしか課金は難しい。そのような意味では、今後は上記に紹介した学習サイトよりはオンライン英会話スクールのほうが主流になるだろう。

では、優秀な先生に英語を習う意味は一体なんなのだろうか?安くて、そこそこの先生でいいのではないか?

これは純粋に自分の経験から来ているのだが、本当に優秀な先生に英語、あるいはほかの言語を教わると「ほー、なるほどそうなのか!」「今までもやもやしていたけど、実際そういうことなのか!」と思うことが多々ある。それが語学学習のモチベーションとなり、彼らがファシリテーターとなることにより、継続した語学学習が可能となる。

本当に彼らによって急に視界が開けることがある、そのような経験を共有したいがために、このような方針でオンライン英会話スクールを運営している。

で、結局何が言いたのかというと、最近、「安くて優秀な先生が多数在籍」と謳っているスクールが増えてきて、なんだかなと思っている次第です。日本語的に間違っていると思う。牛丼じゃあるまいし、優秀な先生は安くはなかろうと。優秀な人を雇うのであれば、それなりの待遇を用意し、彼らに対して最高な労働環境を提供する必要があるのではないかと。

このあいだフィリピンの先生たちとも話して、フィリピンでも「オンライン英会話スクールの先生」というと、相当立場が低いと。ようはプロフェッショナルな仕事とは思われておらず、訛りの強い下手な英語で、適当に外国人相手に教えればいいよ的な感じになっているらしい。

だんだん泣けて来たけど、そのような時流には飲まれずに、圧迫面接と恐れながらも超厳しい面接を課して、ひたすら「本当に優秀な先生のみ」を採用し、彼らの能力に見合った報酬と待遇をこれからも提供していきたい。

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2012年10月25日 (木)

僕の人生最大のモテ期について:コミュケーションを取るということ

人間、褒められると誰でも嬉しい。

だが、残念なことに日本社会では、「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」という言葉に表れているように、謙虚さをよしとする文化があるので、それほど褒められる機会は多くない。

幼少時を除いて、自分もそれほど褒められた記憶がない・・・・・ここブエノスアイレスに来るまでは。

今、たぶん「人生で最大の褒められ期、分かりやすくいうと、モテ期」といっても過言ではない。僕がちょっとでもスペイン語を話すと、すぐに「すごいね、スペイン語ぺらぺらだね」「ええ!いつからブエノスアイレスに住んでいるの?たった一年ぐらいですごい話せるよね!」などと感嘆符付きで賞賛される。

このメカニズムについて、あまり深く考えて来なかったのだが、先日ここ半年ほど会ってなかったアルゼンチン人と再会して、その謎が解けた。

スペイン語を勉強して一年が経った頃は、たしかに会話は出来るが、頭の中をものすごいスピードで回転させないと言葉が出て来なかった。ただ、場数を踏む機会をたくさん作っていたので、最初の挨拶や自己紹介などはさらっと言える程度の会話力もあったし、時々気の利いたこともなんとか言える程度の会話力はあった。

だが、この半年で今まで習ったことが腑に落ちてきて、たいていのことは話せるようになり、アルゼンチン人やコロンビア人とのコミュケーションにはそれほど苦労しなくなった。少なくても相手にそれほど負担をかけずに会話が出来るようなってきたので、スペイン語で友人を作れるようになってきている。

先日、久しぶりに会ったその友人は特に僕のスペイン語の上達ぶりに驚いた様子もなく、「全然前からペラペラ話せたじゃん」と言われて、スペイン語に関しての話題は終了した。きっとガチで話したら、半年前とは雲泥の差なのだが、相手が「この人とはコミュケーションが取れる」と思ったら、その印象はずっと変わらない。

たいした語学力がなくても「この人とはコミュケーションが取れる」と思ってもらえたら、そこからは相手と友人になれたり、親友になったり恋人同士になったりするわけだ。コミュケーションは言葉でするものではなく、あくまでいかに心と心を通じ合わせるかなので、ベーシックな文法や語彙でもそれは可能だ。

僕は人の話を分かった風に聞くのがうまい。半年前なんて、その友人が言っていることの半分以下しか分からなかったが、なんとなく「ここは眉間にシワを寄せて聞くところ」「ここは、ひとつちょっと微笑みでも浮かべながら聞いておくべきところだろう」などと推察しながら聞いていた。(とくに相手の言っていることの半分以下の語彙力しかない場合、コミュケーションを円滑にするために極力、いちいち分からない単語の意味を訊くことは避けたい)

外国人とコミュケーションを取る、ひいては人とコミュケーションを取るということは、何も相手が話していることを100%理解する必要はないし、すべての単語の意味を理解している必要もなかったりするわけだ。

端的に言うと、相手に「あなたが言っていることは聞いていますよ、ちゃんと分かっていますよ」という信号をいかに発するかがより重要だ。信号の出し方が重要で、相手が言っている内容を100%理解することは二の次なのだ。(もちろん、レッスン中は分からない単語はすべて訊くことが望ましい。お金を払っている相手とのコミュケーションの取り方はおのずと変わってくる)

そして、このブログの読者だけに、僕がなぜ「人生最大のモテ期」に突入しているかお教えしよう。

それは・・・・・ブエノスアイレスに住んでいるほかの外国人のスペイン語が下手すぎるから。
もう、これに尽きる。

ブエノスアイレスの人たちは前提として、「外国人はスペイン語が話せない」という思い込みがあるので、少しでも話せたら「すげえ!スペイン語話せるじゃん」となり、そして会話が成立する語学力を身に着けると「ええ!マジ!スペイン語ペラペラじゃん!」となる。

人生のあらゆることに言えることだが、人の評価とは相対評価であり、絶対評価なんて存在しない。英語でもスペイン語でも、あらゆる能力の評価も結局は自分が所属している集団によって評価される。

ここブエノスアイレスでは外国人が英語を話せることは当たり前であり、話せないとむしろ「?」が彼らの顔に浮かぶ。日本ではまだ英語は希少なスキルだが、それもそのうち変わっていくだろう。

われわれが目指すべきは、「完璧に外国語を操る」ことではなく、「外国人ときちんと外国語でコミュケーションを成立させる」ことであり、それを履き違えてるから、日本人の多くは自分の英語力にいつまで経っても自信を持てないのだろう。

そして、それを身に着けるためには、多くの人と会い、彼らと話し、分かり合うことが必要だ。完璧な英語を話すまで彼らと分かり合えないと思っているのはただの幻想で、いつだってどこだって人と人は分かり合える。

足りないのはちょっとした勇気だったり、きっかけだけだ。

べつに知り合う人全員と分かり合う必要はない。自分と気が合う人たちと仲良くしていけばいい。ということでブエノスアイレスで若干調子をこきながら、これからもスペイン語を勉強していこうと思っています。


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2012年10月23日 (火)

【重要】外国人とコミュケーションを取るときに気をつけたいこと:挨拶の大切さ

外国人はよく挨拶をする。
バカみたいに聞こえるが、とりあえず何でも挨拶から始まる。

時々、「How are you?/ Cómo estás?」を日本語でなんて言うか訊かれるが、正直困る。せいぜい「元気?」としか訳しようがないが、その後に続く、「I'm O.K./Todo bien!」に当たる日本語の適当な訳は難しい。

「元気、元気」とでも訳せばいいのだろうが、外国人はたぶん納得しない。それに誰にでも使えるような言い回しではない。英語やスペイン語の場合は上記のような挨拶は全方位で使える。たとえ大統領に言ってもそれほど失礼にあたりはしない。だが、日本の首相に、「元気?」ってかますのはどうかと思う。

そして、もっと深刻な問題に週末問題がある。
いわゆる、「How was your weekend?(週末どうだった?)」と訊く、あれだ。

キリスト教の国の人たちにとって週末とは一週間のハイライトというべき日であり、それはもうあんなことやこんなことをしでかす日である。

ロンドンに住んでいた頃は、金曜の夜ともなると、街全体が異様な雰囲気となって、おちおち落ち着いて眠れないほどだった。ここブエノスアイレスでもそれは同じだ。

だが、別に週末どんなどんちゃん騒ぎをやらかしたのか、彼らは知りたいわけではない。これもほぼハワユーと同じ程度、特に深い意味はない挨拶なのだ。

「週末どうだった?」「一週間、どうだった?」という質問は英語では当たり前の挨拶だが、日本語に直すと結構重い。なんだか人のプライベートを根掘り葉掘り訊かれている気がするのも事実だ。

特に英語の先生たちは、過去形を練習させたい時などは、このような質問を多発することもある。(実際、スペイン語をメルセデス先生に習っている時には、それを連発されました・・・・週5回、同じ質問は辛かったですけど)

外国人と相対して、特にこのような質問に答えたくないときは、「Great! How was yours?」とでも言えば、向こうもそれほど深く詮索せずに次の話題へと移る。そもそも、本当に「週末何していたか?」とか「一週間何していたか?」なんてことに彼らも興味はないからだ。

ただの挨拶なのだ。

あまり深く考えずに、適当に答えるか、英語の練習と割り切ってきちんと答えるかはその人次第だが、深刻に「この人、私のプライベートをそこまでして知りたいのかしら」と思い悩むことはない。

このように考えると、日本語のコミュケーションというのは本当に難しい。
英語やスペイン語のように決まりきった挨拶すら、自分の相手のポジションや年齢などを考慮して、変えていかないと失礼に当たるからだ。

これから「日本語がうまい外人のふり」をして生きていこうかと真剣に考えている今日この頃だ。

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2012年10月21日 (日)

2012年10月17日に起こった奇跡について語りたい:ワンズワードのターニングポイントと革命

10月17日、ワンズワードの先生たちがフィリピンのタガイタイで一泊二日の研修旅行を行った。

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ここニカ月ぐらい、週一回開かれるフィリピン側スタッフとの定例のスカイプ会議はずっとこの研修旅行についてだった。そもそもの発端は今年の3月に僕がマニラに行った時に、「先生同士もっと仲良くする機会を設けて欲しい」と言ったことだ。

でも、僕が言う前に彼らもそのことについて考えていたらしく、3月の時点でタガイタイに行って研修するのはいいアイディアかもしれないと言ってくれていた。僕がしたことと言えば、せいぜい彼らの背中をちょっとばかり押したことぐらいだ。

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ただ僕にとってはこれは画期的なことだ。なぜなら、僕が何一つせずに、彼らが自主的に行動して、場所を決めて、研修内容を一から組んで、それを実行に移したからだ。

僕がせいぜい言ったことと言えば、「請求書は僕宛に全部送ってね」ということと、「先生がびた一文払う必要がないように、すべての費用をワンズワードが持つこと」またさらに「1日彼らが働けない分は日当分としてきちんとワンズワードが払う」ということだ。

まあ、ぶっちゃけ日本の会社として、至極当たり前のことをしたまでだ。そしてぽろっと「せっかく、みんな集まるのだから、マッサージにでも行ってリラックスしてくれば?」と言ったことを彼らがきっちりと実行に移したことも付加しておく。

3年前にオンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」は立ち上がったわけだが、そのときに「先生にとって、ベストな労働環境を提供する」ということを第一目標に挙げた。先生がハッピーじゃなければ、その先生たちに教わる生徒様も当然不満足だからという理由も一端にはある。

でも、その根底には「優秀な人たちをきちんと評価し、彼らが継続して喜んで働けるような仕事を提供する」というものがあった。優秀な人たちが、彼らの性根の良さを利用して搾取されるような状況に我慢がならなかった。

でも、立ちあげ当初、僕のことを信じた人はいなかったと思う。僕がどれだけそのことについて本気か、誰も心底には理解していなかったはずだ。

そうして、3年が経った。

僕はもうこのことについて一生懸命説明する必要がなくなった。ワンズワードで働く先生たちは、いかに自分たちが恵まれた環境で働いているか自覚するようになり、それを自分たちのあいだで共有するようになった。

僕たちの冒険があと何年続くか分からないが、2012年の10月17日は僕にとって一生忘れられない日になった。きっとこれがワンズワードのターニングポイントだろう。

僕はワンズワードで唯一のビジョナリーではなくなり、みんな僕の価値観を共有し、それをほかの人たちに広めてくれる。

僕たちのオンライン英会話スクールはとてもちっぽけな存在だ。吹けば飛んでしまうようなそんな儚い存在であることを自覚している。そして、根本的な問題は僕たちが自分たちのこの価値観を変えない限り、それほど大それた成功を期待出来ないことだ。

でも、僕にとって・・・・・少なくても今はこのプロジェクトが大成功したと言える。3年前、誰も信じなかったアホみたいな無垢な価値観である「先生たちにとって、ベストな労働環境を提供する」ということを今では誰も疑ってはいないからだ。誰もが僕が本気であり、それをベースにしてこのスクールを運営していることを自覚してくれている。

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ワンズワードオンラインにという場所にとって、僕はもう先頭を走る必要がなくなったのかもしれない。彼らは世の中には、彼らのことをきちんと評価し、損得抜きで賞賛してくれる存在がいることに気づいたはずだ。

でも、僕の彼らに対する期待感は「優秀な英語の先生」だけにとどまらない。願わくば、停滞しているフィリピン社会を根底から変えて欲しいと願っている。もちろん、これは自分勝手な思い込みに過ぎない。しかし、考えてみて欲しい。

3年前、誰も僕のことを信じなかったことを。

僕は適切な人たちを選び、彼らを信じ、彼らが自由に行動出来るように仕向けることには長けている。僕たちは確かにちっぽけだけど、小さな革命を起こしたことは確かだ。それをもっと大きなものに発展していければ素敵なことではないか。

僕は意外と欲深い。
彼らはもっと出来るのではないかと勘ぐっている。

そうして、色々と策謀を巡らし、また3年後、ひとつの新しいターニングポイントを迎えていられれば素敵なことだと思っている。


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2012年10月18日 (木)

自分のなかとそとにあるデーモンについて:創造力について考える

今日の朝、FACEBOOKを見ていたらスウェーデン人のマルカスが、ニューヨーク・タイムズの村上春樹についての記事に「いいね」ボタンを押していたので、読んでみた。

THE HARUKISTS, DISAPPOINTED
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スウェーデンのことを思い出すのは、ノーベル賞のときぐらいだが、例年のごとく村上春樹はノーベル賞最有力候補と言われ、例年のごとく今回も落選した。

べつにそんなことに興味はない。だが、この記事にあった彼がインタビューのたびに語っている小説を書く時のプロセスはとても興味深い。

“When I write novels, I have to go down into a very deep, dark, and lonely place,”
(僕が小説を書くときは、とても深いところ、寂しくて暗いところに潜らないといけません)

“And then I have to come back, back to the surface. It's very dangerous. And you have to be strong, physically and mentally strong, in order to do that every day.”
(そして、そこからまた地表へと戻らないといけません。それは本当に危険なことです。そして、また肉体的にも精神的にも強くないと、毎日それを行うことは出来ないのです)

そうして、彼は日の出とともに起きて、毎日ジョギングをし、陽が登り切る頃には、その仕事を終えているのだろう。

だけど、「食べて恋して祈って」の作者であるエリザベス・ギルバートはTEDの講演で、創造力は大昔、デーモンや妖精のような外部のエネルギーによってもたらされており、人間が持つ内部の力と考えられていなかったと指摘している。

そして、そのほうがいいじゃないかと。

ちょっと調子が悪くていい作品が書けなくても、デーモンや妖精の働きが悪かったせいで人間が悪いわけじゃないから・・・・・われわれ人間に出来ることは、毎日きちんと自分がやれることだけやれるだけだと。たまに目に見えない神か妖精か何か訳が分からないものが手助けしてくれたら、それはそれでラッキーだけどねと。

個人的には村上春樹のスタンスには一ミクロンも共感出来ないが、彼女の考え方には共感出来る。

正直な話し、報われない努力のほうが報われる努力よりも圧倒的に多い。比率的に言うと10対1ぐらいではないだろうか。でも、だからと言って努力をすることをやめるのもお門違いだ。

われわれは自分たちが出来ることを毎日行い、あとは天の配分次第ということなのだろう。僕らはどう向き合っても毎日日の出とともに起きて、体を清めるがごとくジョギングをし、毎日自分のデーモンと向き合って仕事をすることは出来ない。

食べ過ぎたり、飲み過ぎた翌日は、たっぷりと朝寝坊したいし、毎日ジョギングなんてしたくない。でも、それでも自分の役割だけはきちんと全うし、少しでも前進し、人類の進歩とやらには貢献したい。

創造力を自分のなかに置こうが外に置こうが、結局は同じことかもしれないが、成功したら運が良かったと思い、失敗したら自分の努力が足りなかったと思って生きていけばいいじゃないか。

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2012年10月17日 (水)

アゴラ:なぜ日本人は英語が話せないか?

よく英語やスペイン語の単語の日本語の意味を訊かれる。だが、そのような場合、その単語だけを取り出して訊かれても、多くの場合答えることが出来ない。なぜなら、英語やスペイン語などの西洋の言語は「文脈重視」の言語であり、日本語のように「単語重視」の言語ではないからだ。

どういうことかと言うと、こちらのブログに詳しくあるが、日本語の9割を理解しようとすると1万語の語彙を覚える必要があるが、英語やスペイン語だと3000語で済む。

よって、ひとつの単語でも多くの場合、複数の意味があり、文脈によってその意味が変わる。だが、日本語の場合は、だいたいはひとつの単語にはひとつの意味しかないので、その分覚えるべき単語が増えるが、単語だけ抜き出しても意味は分かる。

英語の場合はパラグラフ全体を読まないと、その正確の意味を日本語にすることは出来ない。なぜなら、文脈によって意味が異なってくるからだ。

9000~10000語レベルの「手本」「判例」「駆け引き」「選抜」「裏口」に相当する英単語「model / example」「precedent」「tactics」「selection」「back door」を VocabProfiler(http://www.lextutor.ca/vp/eng/)という語彙水準判定サイトで調べると 「model」「example」「tactics」「back」「door」は、頻出順500語の中にあり、「precedent」「selection」は頻出順2000語以内には無いものの、学術共通語彙を集めたAWL (Academic Word list 570words)にはしっかり含まれている。

上記のように日本語で一見難しいと思う単語も英語に直すと、意外と簡単になる。だが、日本人の英語学習者の多くはまずは日本語で考えてから英語を話そうとするので、「駆け引き」なんて単語がまさか「tactics(タクティックス)」なんて簡単な英単語で表現できるなんて思いつかない。

また英語の場合句動詞(Phrasal Verbs)が事態を非常にややこしくしている。例えば「drop in」という表現があるが、日本語に訳すと「ちょっと立ち寄る」という意味になり、逆に「drop off」になると、「うとうとまどろむ」という意味になる。

動詞と前置詞(あるいは副詞)の組み合わせによって、その意味が全く違ってくるが、日常的によく使う表現が多いので、きちんと覚える必要がある。(英文のサイトですが、こちらにたくさんの例が載っています)

受験英語の弊害だと思うが、いつまでも単語重視でひたすら実用性ゼロの難しい英単語を覚えるよりは、上記のような句動詞をできる限り覚えたほうがはるかに実用的だ。

英語は単語で表現する言語ではなく、文脈で表現する言語だ。だから、日本語から英語への翻訳はすこぶる相性が悪い。だからこそ、まずは頭の中で日本語から英語を訳すのを止めて、自分が知っている単純な英単語だけを使って話すことから始めるのがいい。話すことがハードルが高いのであれば、Lan−8などの無料サイトで、英文添削をしてもらい、それを丸暗記して話すことに役立ててもいい。

日本語の弊害で、難しいことを英語で言うのに、難しい単語を使うと思いがちだが、英語での表現はなるべく簡単に簡潔に言うのがとても重要だ。SVO(主語・動詞・目的語)の構文を使い、簡単な英単語を並べるだけでも、コミュケーションの9割は問題なく取れる。

とにかく受験英語は一旦忘れて、いかに英語でコミュケーションを取るかという観点から英語を一から学び直すことが重要だと思う。


(英語を話すための文法はこれ一冊で十分)

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2012年10月15日 (月)

ウルグアイの首都モンテビデオにて:21世紀の処世術

ウルグアイに来るのは、三度目だ。
一度目はブエノスアイレスの対岸にあるコロニアという街に行き、二度目は温泉があるサルトに行った。

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そして、今はウルグアイの首都モンテビデオに来ている。

とてもいい街だ。
特にブエノスアイレスのような若干物騒なところに住んでいると、この街の良さが身に染みる。

日本では、友だち、いや友だちの友だちを含めて、空き巣や盗難に遭った人はいなかったが、ブエノスアイレスでは空き巣や盗難にあったことがない人を見つけるのが難しい。

モンテビデオの街を歩いても、ブエノスアイレスにいるときのようなひりひりとした緊張感はあまりない。もちろん、日本に比べるとずっと危険だと思うが、ブエノスアイレスなんかと比べると雲泥の差だと言える。

南米は今まで、ブラジルを初めとして、チリ、ウルグアイ、コロンビアと旅したが、アルゼンチンという国はどの国よりも経済面で立ち遅れ、インフラや治安でも大きく劣っているように思える。(唯一、ブラジルはアルゼンチンよりは危険だとは思うが、ほかの国はいたって安全だ)

時々どうして、「自分はこの国に住んでいるのだろうか?」と自問自答しているが、答えはいまだに見つからない。不確定要素がより多いアルゼンチンという国、そしてどこかメランコリックな雰囲気を漂わせたブエノスアイレスという街が意外と自分で思っている以上に気に入っているのかもしれない。

例えば、ここ「モンテビデオに住みたいか?」と問われたら、「イエス」とは答えないだろう。明らかにブエノスアイレスよりは住みやすいし、色々な制限もない。だが、やはりそれでは物足りない。

スパイスが足りないというか、もっと香ばしい何かが欲しい。便利さや快適さなどもはや求めていない。自分のなかにないもの、何か新しいものがある世界を見たいのだろう。

それにしてもアルゼンチンという国は多大な可能性を秘めていると思うが、全くそのポテンシャルを活かしていない世界でも非常に稀な国だと思う。すべての天然資源があり、広大な土地が広がり、さらに食料自給率は200%を超えている。

規制だらけの国だが、逆に規制がないと何をするのか分からない国民性がある。日本では投票率が向上すれば、政治は良くなると思っている人が多いが、ここアルゼンチンでは投票は義務なので、投票率は軽く90%を超えている。

だが、そうなると国民の大多数を占める貧困層に取り入る政策を取らざるを得ないので、結局は国民を甘やかすことになる。(子供を産めば補助金がもらえるので、ばかばか子供を生む貧困層が後を絶たなかったりする)Montevideo01
「宗教で悪い人は良くはならないが、いい人が悪くなる可能性がある」と言うが、これは政治にも当てはまる。政治や宗教で人が自由になることはなく、むしろがんじがらめにする。そのしがらみから抜けることがまずは第一歩だと思う。

21世紀の処世術は、国や人種の枠を超えて、個人としていかに生きていくか、その術をしっかりと身につけていくことにあるのだろう。

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2012年10月 9日 (火)

千里の道も一歩から:三ヶ月間で英語をマスターする方法

千里の道も一歩からということわざがある。

スペイン語を毎日のように勉強していて、いつもよく思い浮かべるフレーズだ。スペイン語の勉強を始めてから1年以上が経過して、ある程度無理なくコミュケーションが取れるようになっては来ているが、それでもまだまだ先は長い。

自分の最初の計画は、「毎日勉強して、2年でスペイン語の1人前の使い手になる」という大雑把な計画だったが、その計画はある程度順調に進んでいる。

英語でもスペイン語でも、「3ヶ月くらい毎日やれば、ペラペラになれる」と心底思い込んでいる楽観的なのか、ただのアホなのかよく分からない人たちがいる。もちろん、1日8時間くらい勉強すれば、ある程度まではいくだろうが、それでも限界がある。

それにこういう人たちが犯す戦略的な間違いは、全くスペイン語や英語が出来ない頃に現地の語学学校に行ってしまうことだ。そこで自分の母語を話す人たちとたくさん知り合いになり、1日8時間どころか1時間も勉強しなくなる。

イギリスやここブエノスアイレスでもたくさんそういう人たちも見てきている。

Learning Egyptian Arabic to fluency in 3 months… in Brazil! Benny’s new language mission!

そういう意味では、以前も紹介したことのあるアイルランド人バニーさんの取り組みである「アラビア語をブラジルで習得する」という一見馬鹿げたアイディアは意外と的を得ている。

彼は3ヶ月間、毎日8時間程度勉強して、CEFRで言うところのB1からB2(中級者)を目指すスタイルで11ヶ国語をマスターしている。

実際のレッスンはすべてスカイプレッスンで行い、あとは自学自習しているので、別にブラジルだろうが、北極だろうがどこでもいいわけだ。

一部、頭の固い言語学者や語学学習者は、「三ヶ月で語学をマスター出来るわけがない!」と批判しているが、彼も「外国語を完璧に話す必要もなく、3ヶ月でコミュケーションがある程度取れるようになる」ということを目指していると言っているだけだ。

ちなみに1日8時間勉強して、それを90日続けると合計勉強時間は720時間となる。そして、例えば自分のようなケースだと週5日、1日3時間勉強して、それを1年間続けると合計勉強時間は780時間となる。

その差は誤差60時間となるので、彼の言っていることがあながち検討はずれではないことが体感的に理解出来る。ただ学習したことすべてをそれほどまでの短期間で運用レベルまで持っていくことが出来るかどうかは疑問の余地はあるが、多くの言語を勉強した経験でそのあたりのことをクリアーしている可能性もある。

また現地に住むメリットは「現地の人とコミュケーションが取れる機会が多い」ということだが、これはある程度話せるようにならないとコミュケーションなんて取れないので、そのメリットが出てくるのは彼の場合だと3ヶ月以降、自分のようなケースだと1年目以降だと思う。(実際、今はアルゼンチン人の友人が何人も出来、彼らとマンツーマンで話したり、数人で会話したりする機会が飛躍的に増えた。1年目はそのような機会は皆無に近かった)

そのようなことを合わせて考えると、死ぬ気になって3ヶ月間、1日8時間勉強して、それから留学するなり現地に就職するなりすれば、現地ではコミュケーションを取りながら実際に使う語彙や表現を学べるということなる。

いずれにせよ、ハードコアだ。

普通に仕事しながら英語やスペイン語などの習得を日本で目指すのであれば、毎日1時間勉強して、それを3年間続けてB2レベルを目指すということが現実的ではないだろうか?

千里の道も一歩からということだろう。

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2012年10月 6日 (土)

自分の料理の仕方を学ぶということ:ブエノスアイレスにて

ふと思うことがあり、なんとなくではあるがアルゼンチンで正式に滞在許可証なるものを申請することにしてみた。

別に永住するつもりもないし、観光ビザを三ヶ月更新することに不満もないが、ここらで一つきちんと正式に許可を取っておくのも悪くないアイディアだと思う。

ちょうど友人のコロンビア人がビザを申請して、無事許可が下りたので、色々と情報を仕入れて、あんなことやこんなことを手取り足取り教えてもらっている。

まだスペイン語を習い始めて1年ちょっとなのに、スペイン語でやたらとややこしい入管関係の語彙を聞きながら、ずいぶん遠いところまで来たなと実感した。

当初は弁護士を立てて行うつもりだったけど、とりあえずはやれるところまで自分でやってみようかと思っている。

これもひとつの社会勉強だし、いいスペイン語の勉強になる。

ややこしい事柄をきちんと色々と情報を集めて、それらを筋道立てて整理し、ひとつひとつ解決していくことは結構好きだ。

思えば19歳の時に「とりあえず、陸伝いで東京からスコットランドの首都エディンバラに行くか」と思い立った時も、同じだった。インターネットなんかなかった当時は、観光局や各国の大使館などをめぐってロシアや中国のビザを自分で取り、すべての準備を自分でやった。

ついでに言うと会社を起業したときも、会社の登記まですべて自分でやった。特にそれほど難しいものでもなかったけど、自分でやってみて税金関係や行政のことなど多くのことを学んだ。

英語やスペイン語の勉強にも同じことが言える。

やたらと巨大な分野に一つ一つ楔を打ち込みながら、ちょっとづづ前に進んでいくのだ。大事なことは、自分のなかできちんとゴールを持って、それに至るまでの道筋をいかにイメージするかだ。

今はマテアス先生という最良のパートナーを見つけたので、随分と助かっているが、それまではストレスが貯まる日々だったのも事実だ。現状に満足したら終わりだと思い、ずっと継続して自分が満足できる先生を見つける努力をして良かったと思っている。

人生を料理に例えると分かりやすい。

うまい料理を食うためには、まずは厳選した材料を揃えることが重要だ。それに下準備も欠かせない。それらを使って、いかに自分を料理するか、それが問題だ。

現状に不満を抱いている人は、きっと材料選びがうまくいっていないのだろう。鮮度が悪い野菜や魚を使っても、うまい料理は作れない。そんなときは環境を変えればいい。(自分の場合は、東京からブエノスアイレスという環境に変えてみた。今のところうまくいっている・・・・とても幸運なことだけど)

料理と同じですべてがうまくいくわけでもない。色々と失敗するのは当たり前だ。

そんな試行錯誤を繰り返しながら、料理の腕前を上げていけばいい。料理の仕方を習いにスクールに通う必要がないように、とりあえず「うまいもんが食えればいい」という態度でいきなり料理してみるのも手だ。そんな気楽な気持ちで取り組みながら、少しづつ成果を出していきたい。

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2012年10月 2日 (火)

マウロくんと僕:Mr. Mauro & I

Mr. Mauro is 23 years old and I'm 38.
Even though, we have such an age difference, we hang out together quite often.

For example, we played tennis twice and he invited everyone to his home and had a blast in last week.

He lives in an area called "Recoleta" in Buenos Aires, that's the place all the wealthy people live. On the other hand, I live in Villa Crespo where all the ordinary....let's say common people live.

He has a Jaguar and usually comes to play tennis by his beloved Jaguar.
Well, I don't even have a driver's licence and he is kind enough to give me a lift every time.

O.K, I have other Argentinian friends who have a car but they never take me to my home....they drop me off in the middle of nowhere. (Hey, I have no harm, I am really thankful to them and appreciate the fact that they take me in their car.)

Mr. Mauro is 23 years old and I'm 38.

Sometimes it makes me think about how things have turned out so differently.
Is there anything that I have and he doesn't ?

He always takes care of others and whenever we go out to have a drink, he is the one who sends everybody home by his car and do not drink much alcohol.

On last Saturday, he had a party and on the same day, he sent us a message via Facebook saying:

"Hi all, I am about to go out and buy staff for tonight, what would you fancy to drink?"

A 23-year-old kid should ask his guests to bring drinks when he has a party at home. Why shouldn't he?

Predictably, he plays tennis much better than I do. Actually, he is a Federer and I'm just somebody who loves to play tennis.

When we play together in doubles, I am the one who stupidly makes mistakes over and over again. But he comforts me with his words saying:

"Yuki, it's not your fault, I should have hit harder and scored it well before."

I repeat, he is 23 years old and I'm 38.
The world seems to have gone too far and I don't even understand why I'm well taken care of.....

Mr. Mauro teaches me many things and makes me realize that we can all learn from no matter how old they are.

3374_10151184067072162_248424665_n( From right to left: Nick from Belgium, Mauro from Argentina, Mike from the United States, and I)

マウロくんと僕

マウロくんは23歳で、僕は38歳だ。
一回り以上も年は違うけど、先週は2回一緒にテニスをし、土曜日の夜にはみんなが彼の家に招待され、夜3時まで飲んだりした。

彼はブエノスアイレスの金持ちが住む高級住宅街レコレータ地区に住み、僕は庶民の人たちがたくさん住むビシャ・クレスポという地区に住んでいる。

マウロくんは愛車ジャガーに乗って、テニスにいつもやってくる。
そして、車どころか免許すら持っていない僕は、いつも彼の車に乗せてもらって、送迎をしてもらっている。

ほかのアルゼンチン人の友だちは、いつも自分が都合のいいところで車から僕を降ろすが、マウロくんはいつも家まで送ってくれる親切な人だ。(別にほかの友だちが悪いと言っているわけではない。普通ならそうするだろうし、送ってもらえるだけでもありがたいと思っている)

マウロくんは23歳で、僕は38歳。

ふと、彼が持っていないもので僕が持っているものはあるのだろうかと考えた。
マウロくんはいつも人に気を使い、一緒に飲みに行ったら自分は飲まないで、車でみんなの送迎までしてくれる出来る男だ。

このあいだも自分の家でパーティーをしたときは、フェースブックで「これからさ、スーパーに今日のために買い出しに行くけど、何か飲みたいものない?ワインとビール、それ以外飲みたいものあったら買ってくるよ」とメーセージを送ってきた。

23歳の独身男性足るもの、招待客に対して「ちゃんと自分の飲み物持ってきてね」と言ってもなんの差し障りもない。

マウロくんは当然のように僕よりも圧倒的にテニスがうまく、全く太刀打ちできない。
ダブルスで同じチームとなり、僕がしょうもないミスしても「ユウキ、気にすることないよ、僕がいけないんだ。僕がきちんと決めておくべきだった」と言ってくれる。

重ねて言うが、マウロくんは23歳で、僕は38歳だ。なぜか彼にいつも慰められている気をするのは気のせいだろうか?

人は年は関係ないと言うが、たしかにそのとおりだ。マウロくんは僕に人は年齢なんて関係なしに、多くのことを教えてくれるということを再認識させてくれた。

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