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2012年8月

2012年8月31日 (金)

一番大切なものを見失わないために:無料なものを有料にするということ

気がつけばオンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」を運営して、もう3年近くになろうとしている。そして、弊社にとってみれば一大事件であった「トライアルレッスンの有料化」を行なってから、すでに1年以上が経過した。

オンライン英会話スクールはもう完全に供給過多の状態であり、そのほとんどが格安オンライン英会話スクールであり、彼らは当然のように無料トライアルレッスンを実施している。

そのなかで弊社だけが、そもそも無料だったトライアルレッスンを有料化した。詳しい理由はこちらのブログに書いたが、今から考えてみればかなり感情的な判断だったと思う。

自分たちが手塩にかけて育ててきた先生たちの貴重な時間をモラルの低い人たちのために使わせるのが我慢ならなかった。彼らほど優秀な人たちに会ったことはない。そんな彼らの貴重な時間を有効活用するのは自分の役割だと思い、思い切った決断に出た。

経営的な判断ではなかったが、それでもここ一年なんとか生き抜いてこれた。別にこれは自分の決断の正しさが証明されたということではなく、「対価を払う価値があるものに対しては、きちんと払う人たち」が一定数いたということだ。

これからもこのスタンスを変えずにやっていきたいと思っている。「本当に英語をマスターしたい方」のみをターゲットとし、彼ら彼女たちのために役に立つサービスを提供していきたい。

そして、そんななか今までかなり長期間に渡って弊社のレッスンの体験談を書いてくださっているブロガーの方々がいらっしゃるので、紹介したい。

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2012年8月30日 (木)

目に見えない革命:スペイン語とブエノスアイレスの狭間で

昨日、以前ブエノスアイレスにしばらく滞在していたアメリカ人のウェンディさんと久しぶりにスカイプチャットをした。彼女は自分でグラフィックデザインの会社を経営していたのだが、その会社をたたんで1年間の期限付きの旅に出た。

最初の滞在地として彼女が選んだのが、ブエノスアイレスであり、彼女と知り合ったのはちょうど1年前になる。

お互いブエノスアイレスに来て数ヶ月ということもあり、毎日のように色々と出歩いた。ただブエノスアイレスは彼女にとってみれば「旅の一部」だったが、自分にとっては「生活の一部」だった。

そのことを思い知ったのが、「ブエノスアイレスの生活はどう?何か変わったことある?」と訊かれて、僕は「いや、1年前とは変わらないよ。相変わらずスペイン語のレッスンを週五日取って、テニスを週二日している・・・・・」と答えたときだ。

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2012年8月27日 (月)

人生は見方によって決まる:ブエノスアイレスの日本民家にて

「遠くにいる人は愛することは出来るが、隣人を愛することは出来ない」 ドストエフスキー

ブエノスアイレス郊外に日本の古い民家をそのまま船で運び、そこを美術館にしたところがあると聞き、見に行ってきた。その名もMINKAという。

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60歳ぐらいのアルゼンチン夫婦が福井県にあった合掌造りの家を買取り、それを解体して遠路はるばるアルゼンチンまで運んで来たという。ヘタすれば、それだけで1億円程度のプロジェクトではないかと思ってしまうが、この国の金持ちにはホントとんでもない金持ちがいるものだと思う。

ご主人が懇切丁寧に日本の建築、芸術について説明してくれ、まさかブエノスアイレスくんだりまで来てアルゼンチン人から「日本の建築はすべて(ケン)によって計られており、非常に合理的に作られている」と説明されるとは思わなかった。

家屋のなかには、日本の現代美術品が飾られており、10%は彼らのコレクションらしいが、残りの90%は彼ら自身がキューレーターとして収集して、定期的に入れ替えを行なっているという。年に一回、2月から3月にかけて日本に滞在して、美術品を集めたりしているとのことだ。

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ご主人が南米の銀行の東京支店に勤めていた関係で、30数年日本に住んでいたという。もうすっかり日本文化にハマり込んでいて、日本の建築や芸術に関して一般の日本人よりもはるかに詳しい見識を披露してくれて、まさに目からウロコだった。

日本には西洋文化からはかけ離れた生活様式と文化があるので、おそらくそのギャップにやられてしまったのだろう。ご主人が「神道は西洋の観点から見ると、宗教ではない」と言っていて、たしかに宗教とは言えないよなと納得した。宗教というよりは、生活習慣と言ったほうがしっくりくる。

親兄弟を見ていれば分かるように人間は近しい存在に対しては激しい感情を抱くが、遠く離れたものに関しては畏敬の念を抱く。一部の中国人や韓国人の日本に対する激しい感情を見ていて、本当にそう思う。

でも、本当に大事なのは自分の国に住んだ外国人や、旅行に来た外国人に自国の文化を理解してもらい、その人たちが祖国に帰った時にその良さ、素晴らしさを広めてくれることではないだろうか。

ご夫婦が30数年通じて日本で知り合った人たちは、彼らに素晴らしい思い出と印象を植え付け、地球の裏側に日本の民家を丸ごと運んでしまうほどの熱情を彼らに植え付けた。学校では人に親切にすることは教わるけど、これからグローバリゼーションが進む世界では、「人には親切に、外国人にはもっと親切に」と教育したほうがいいかもしれない。

自分のアルゼンチン人に対するイメージは総じてポジティブなものだし、この国と文化をとても気に入っている。人はフラットな視点を持つことが大事と説くが、最終的にはどんな困難なことやネガティブなことが起きても、それをいかにプラスに持っていくかにかかっている。

人生は所詮、主観的なものだ。どのように物事を見るかによって、すべては決まる。これからこの国は経済危機や暴動やスト、その他色々と起きる可能性が高いが、それらすらもポジティブに変えられるように強くいたい。

自分が変えることが出来ないどうしもない現実に対して文句を言う暇があれば、自分が出来ることから一歩つづ変えることを始めたい。

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2012年8月24日 (金)

アゴラ:平和な世界の作り方:政治と個人と友だちについて

19歳のとき、初めて中国に行った時知り合った中国人の人たちがめちゃくちゃ親切にしてくれて、とても感激した覚えがある。そして彼らが「中国の人はだれも政府なんて信用してないよ。なにかしても裁判なんかしないで、すぐ死刑」って言っていたのが印象に残っています。

あの方々は元気にしているのだろうか・・・・・

以下、アゴラに投稿した本文です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先週末、アメリカ人とアルゼンチン人たちと一緒に飲んだ。
ここアルゼンチンの政治は混迷を極めており、クリスティーナ大統領の支持率も急降下している。

そこでアメリカ人のマイクは「クリスティーナなんて、あやうくアメリカ副大統領になりかけたサラ・ペイリンに比べて全然マシだ」と言って、「たしかに」と一同納得した。

その話の流れでマイクが、自分の父親の友人に配管工がいて、その彼は大の共和党支持者で、そして猛烈にビル・クリントン元大統領を毛嫌いしていたという話をし始めた。

ニューヨーク在住の父親のその友人は、なぜかその大嫌いなビル・クリントン家から依頼があり、地下室にある配管を見ることになった。そして、その配管を見ていると当のビル・クリントンがお茶とお菓子を出してくれて、世間話などを色々と話をしたらしい。

小一時間ほど経った後、クリントン家を出たその彼はすっかり熱烈なビル・クリントン支持者になっており、民主党支持に宗旨替えしたとのことだ。

人の主義主張なんて、そんなものだと思う。たしかにビル・クリントンはカリスマ性に富む人物かもしれない。しかし、新聞やマスコミを通して知った当の人物に直接対面して、コミュケーションを取ると、たかだか小一時間もしないうちに、個人の幻想は脆くも崩れ去る。

隣の国の大統領や強権的な政府がちっぽけな島をめぐって、なんだか色々としでかしたおかげで、ずいぶんときな臭いことになっている。

また隣国では日本の文化や日本についてまともな知識がない人たちが、反日活動に熱心らしい。だがきっと彼らも実際に日本に来て、箱根の旅館あたりでゆっくりと寛いで温泉に浸かり、そして懐石料理なんぞをつまみながら、日本酒などを飲めばきっといっぺんに日本のことが好きになるだろう。

あの世界中を旅するナショナル・ジオグラフィックの写真家が日本の旅館を称して、「旅館は日本のパラダイスだ!」と狂喜乱舞したぐらいらしいから、外国に免疫のない人なんか、それこそイチコロだ。

一体、何を、誰に対して揉めているのだろう。国全体だろうか、愚策を繰り返す政治家なのか、あるいは国民全体か?

自分は典型的な日本人が嫌いという同じ文脈で、典型的な韓国人や中国人、それにアメリカ人、フランス人などが嫌いだ。その国特有の愚かな価値観から自由になれない人たちを嫌悪する。

世界は広い。
そのことに対して、いつまでも盲目である人たち全員を嫌悪している。自分が実際に見たものや、経験したことしか信じないことにしている。そして、どんな国でも素晴らしい人々がいることも自分の経験を通して知っている。

そのような人たちとずっと繋がっていたい。

「サルコジが再選したら、私彼を殺すわ!」と大統領選挙前に言い放ったフランス人や、「ブッシュ元大統領が再選したのは悪夢だった。しかもインチキによって」と冷静に言うアメリカ人と友だちでいたい。(サルコジが再選せずに、そして彼女が殺人犯にならずに安堵している)

自分たち個人は、政治と切り離したところで世界の人々と繋がるべきであり、国籍や肌の色なんかよりも、その人個人がどのような人かということを見極めて付き合っていく必要がある。

中国人、韓国人、アメリカ人と十把一からげで彼らを判断して、過激な行動を取っても世界から冷たい目で見られるだけだ。それに残念な話し、極東にあるちっぽけ島について、世界の人はとことん無知である。それよりももっと大事なことが世界でたくさん起こっているからだ。

今度、韓国人の友人に会ったら「きみのところの大統領って、ほんとどうしようもないね」と言ってからかい、そしてきっと「日本の首相のほうがもっとひどくない?毎年コロコロ変わってばかりで!」と言い返されるだろう。

そして、少しづつ自分の周りから偏見や先入観のない平和な世界を作っていきたい。

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2012年8月19日 (日)

夢を語ることと、日々に感謝することと、起業と経営について

よくアホな社長が「社員も経営者と同じような視野や考えを持って、会社に貢献して欲しい」とのたまっているが、そもそもそんなことが出来たら社員なんてやってないで、とっとと起業している。

そんな重い責任を負わずに、一日8時間ほど仕事して、余暇は好きなことをしたいというのが一般的な考え方で全く間違っていない。

で、最近やたらと「どんな仕事をしているの?」と訊かれるので、「オンライン英会話スクールをやってんだよね」的なことを言うと、みんな「いいねえ、場所を選ばないから好きなところに行けたりして」という話の流れになる。

そのとおりだし、別に向こうも軽い気持ちで訊いているのだから、こちらもそれに乗って「だから、好きなんだよね、今度ヨーロッパにでも行こうかと思っている」などと向こうの夢を補強してあげたりする。

でも、実情はこちらも必死にこの競争激しいオンライン英会話スクール業界で戦っており、いつ潰れるかもしれないぎりぎりの戦いだったりするわけだ。でも、そんなことは説明しないし、わざわざブログでも書かない。

いわば白鳥のように優雅な生活をしていると見せかけて・・・・・水面下では必死にバタバタ手足を動かしている。

世の中には想像力が全く欠如している人たちがいて、そんな人たちがマイクロ起業とかいって、起業を無責任に薦めたりする例もある。ただ起業した会社の90%は10年後にはすべて倒産しているという事実をきちんと踏まえたほうがいい。

だから常に5年後、10年後のことを考えて、次のステップを考えている。それが経営者にとっては最も大事なことだからだ。(こんなちっぽけなスクールでも、HPを丸パクリしたり、文言をコピペしたりする後発スクールが後を絶たない。うちのスクールに潜入して先生への引き抜き活動を行い、挙句の果てには「きみの名前を冠したスクールを作ったから、ぜひ一緒にやってくれ!」と口説く輩もいる・・・・あなたがた、全部バレてますよ、はい)

ワンズワードの企業コンセプトは「ソーシャル・ビジネス」であり、雇用した先生をとても大事にしている。だから、そのような引き抜き活動にあっても、「私はワンズワードでずっと働きたい」と言ってくれるし、その気持をとても嬉しく思う。

語学学習と同じで、会社の経営も日々の努力が大切だ。だてに採用の段階から先生たちと関わり、年に一回は必ずフィリピンに行き、彼らと一対一で会話をする努力を常にし、彼らの要望をきちんと訊く姿勢を見せているわけではない。彼らが働きやすい環境を作ることがまず第一に考えているので、ちょっとやっそっとでは、揺るがない屋台骨は出来たと思っている。

ワンズワードのコアバリューは、「お金ではない何か」であり、目に見えない何かを提供することだと思っている。それが分かってもらっている人たちが生徒となってやってきているので、先生たちも「教え甲斐のある生徒」と思って、ヤル気を持って教えてくれている。

でも、きっといくらこんなことを書いたところで分かる人にしか分からず、今後も先生の引き抜きを試みる人たち、うちのHPの見かけだけを真似して、参入障壁が低いからオンライン英会話スクールを始める人たちがどんどん増えていくのだろう。

そうして、10年後にはその90%は潰れているわけだ。

ワンズワードが10年後、存続出来たとして「仕事はなにしている?」と訊かれても、「いやー、オンライン英会話スクールをやっててさ、だから好きなときに好きな場所で仕事できんだよね」と特に何でもない風を装って答えるだろう。(オンライン英会話スクールという業態自体がそのときまで存在しているのか疑問だけど)

そうやって人は本当に大事なことはけっして語らず、自分の胸のうちにそっとしまっておく。そんなことも分からない人たちが、起業や経営を軽く考えているから、世の中の倒産は決して減らず、不幸は増えるばかりだ。

人生は経験するものであって、軽々しく語るべきものではない。

そうして、そんな価値観を共有する人たちと一緒に働いていることを今日も地球の裏側から感謝している。

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2012年8月17日 (金)

ソーシャルな時代にふさわしい?:時代に先駆けるアルゼンチン社会

マテアスメソッドの生みの親、マテアス先生からスペイン語の宿題で「なぜ日本人はクオリティーを追求するのか?」というライティングの課題が出た。

色々と考えてみたけど、自分が納得する答えは出なかった。宿題は宿題なので、スペイン語で諸々書いてはみたけど、どれもいまいちしっくりこない。

クオリティーが高い例として、今現在の例と過去の例としてひとつづつ挙げる必要があったので、現在の例としてGoogleで「キャラ弁」を画像検索した画面を見せた。

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たぶん、日本人が総じて変態だということが理解出来たと思う。このディテールにこだわる徹底した追求心はほかの追随を許さない。ただ日本人が思っている「クオリティーの高さ」というのがグローバルスタンダードではないので、それが通用しなくなりつつある意味、多少この考え方を変える必要はあると思う。

もともと、日本の文化は中国などの大陸に多くの影響を受けているが、それらも独自に解釈して、ある種べつものを作っている。(ラーメンとかは典型的な例だと思う)

ここアルゼンチンでは、「Trabajo chino(中国人の仕事)」という言葉がかってあり、それが意味するところは、「アホみたいに時間を使った芸術的なまでの高度な仕事」という意味だったらしいが、今では中国製が意味するところはアルゼンチンでは「安いけど低品質」ということになってしまった。

品質へのこだわりというのは、もうすでに日本人のDNAに刻み込まれてしまっており、たかだか子供のお弁当にすら、途方もない工夫と時間を使って、あり得ないお弁当を完成するのが日本人だ。そして、日本の問題点はあらゆることに高品質、ハイクオリティーを求めているから、閉塞感たっぷりの社会が形成されてしまっていることだろう。

例えば、レストランに行っても黙っていればメニューとお水がおかれ、頃合いを見計らって注文を取りに来て、食べ終わったら少し間隔をあけて皿を下げるという芸術的な行動を一言もこちらが口を利かずとも成し遂げてしまうのが日本人だ。

これが海外だと、もう全身を使って自分の存在をアピールしないとメニューすら持ってきてもらえない。

アマゾンで注文した商品は早ければ当日、遅くても翌日に届き、不在であれば不在票に書いてあるドライバーさんの携帯に電話すれば、それから1時間もしないで持ってきてもらえる。

神かと思う。

ここアルゼンチンでは海外からの荷物なんて届くだけで奇跡だし、このあいだも税務署からの大事な書類がなんの関係もない我が家に届いており、こちらから該当する数軒先の家に届けてあげた。

そんなアルゼンチンでもほかに負けないハイクオリティーなものがあり、マテアス先生いわくそれが「友情」とのことだ。たしかに友だちや家族はとても大切しており、人々の距離はとても近い。だからFACEBOOK中毒な人が多い国でもある。

ついでに言うと日本人の問題は「友情」かもしれない。仕事繋がりで仲良くなったら、その人たちは「仕事仲間」と認識され、それ以上の仲には中々ならないし、団塊世代なんかは仕事ベースの付き合いが中心なので、定年退職すると暇を持て余してしまう人たちが多いのが現状だ。(ちなみに日本にいるときは意図的に色々と違う畑の人たちを集めてパーティーなどをしていたが、自分以外にそんな酔狂なことをしている人をほかに知らない) 

結局、「日本人がなぜクオリティーを追求するのか?」という問いは解けない。そのおかげですっかり息が詰まる世の中にはなってしまったけど、立派な「ゆとり世代」がそれを破壊してしまうだろうし、あまり心配はしていない。その先に何が待っているのかはよくわからないが、案外アルゼンチンのような「友だち中心社会」かもしれない。

そのほうが進歩的だし、それこそ、このソーシャルな時代にふさわしい気もする。

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2012年8月15日 (水)

人は踊りたいから踊り、歌いたいから歌う:ラテンな生き方について

南米の人たちを見ていると、本当に人生楽しそうだなと思う。

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外国語を学ぶ楽しみのひとつに、違う価値観を持つ人たちと交じり合って新しく色々と発見するということがある。外国語、特に英語を学ぶ人たちのなかには、「ただ英語を学ぶため」に英語を学んでいる人がいるが、もったいない話だ。

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最近、Polyglot(多言語を話す人々)のブログを読んで思うのだけど、特に普段使うことをない言語をいくつ習っても意味はない。正直、英語さえ話せれば、世界で生活することは出来る。ただ、より生活を楽しもうと思った時に、その土地の言語を覚える必要があるのだ。

「生活だったら、召使いでも出来る」とある19世紀の文豪が言ったが、たしかにそのとおりだ。ただ起きて、食べて、寝るだけの生活にはさして意味がない。特に先進諸国に生まれてきた日本人は、それ以上のなんらかのことを、この世界に寄与することが求められている。

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とか難しいことを考えても、無邪気に楽しそうに踊り狂うアルゼンチン人やコロンビア人たちを見ていると、こちらも楽しくなる。きっと彼らの生活には、日本が経済発展のために犠牲にした、「豊かさ」があるのではと最近、とみに思うようなってきた。

日本ではやたらと難しいことを語る人たちが多いが、自分の生活を楽しんでいる人をあまり見かけたことはない。こちらでは、難しいことなんて誰も語らないが、多くの人はより生活を楽しんでいる。人に馬鹿だと思われようが、理解されまいが別にどうでもいいことだし、隣の国が「この島、おれのもの」と言ってきても、個人的にはどうでもいい。

周りの人たちが生活を楽しく送り、自分が起こした事業で多くの人たちが、それまでの生活をより一層楽しんだり、個人的な成長を遂げたりするのを見ることが自分の楽しみである。みんな国とか、会社とか、家族とか大きなフレームで考える前に、「自分」という最小ユニットで考える癖をつければいいと思う。

結局ところ、人は自分が見ている世界で生き、それは案外そのひとだけの世界であり、ほかの人たちは違う世界に属していたりするわけだ。だから、僕たちはきっと永遠に完璧に分かり合えることはない。そのことを前提に外国語を学んで、異国の土地で生活し、へらへら笑いながら楽しく生きていくことは意外とスキルがいる。(見かけは同じだけど、考え方が全然違うと日本ではかなり生き辛くはありますがね)

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明日の自分が今日よりもより良き存在になっていることを祈りつつ・・・・・それにしても、南米の人たちは酒も飲まずに、コーヒー片手に人様の家で夜の8時から楽しそうで踊れるなと思う。

ほんと毎日、新しい発見があるものだ。

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2012年8月11日 (土)

ネイティブ信仰なんてくそくらえ!

親米家が比較的多いアジアにいると感覚的によく分からないかもしれないが、ほかの地域ではだいたいアメリカという国は嫌われていたりする。特にここアルゼンチンでは、言われたい放題だ。

だからと言って特に悪気があるわけでもなく、みんな喜んでハリウッド映画を見て、レディ・ガガも大好きだったりするわけだ。好きな国も嫌いな国も自分が知っている国になるわけで、例えばザンビアなんて国のことを嫌うにも情報が乏しすぎて、なんの感情も湧いてこない。

このあいだ、ニュージーランド人、アメリカ人、アルゼンチン人、イギリス人と一緒に飲んだのだけど、そこでも「やっぱりアメリカって、最低だよね」って、みんなでDisったりしていた。すると、あろうことか当のアメリカ人が「ほんと、そうなんだよ。アメリカって国は最低な国だ」とがちで言い出したので、ちょっと戸惑った。

暗黒のブッシュ政権時代のときはアメリカ人の友人が、ブッシュの再選挙のとき、「マジ、今度もまたブッシュ勝ったら、おれカナダ人になるよ。世界に対して申し訳ない」と言っていた。たいていこのようなことを言う人は知識層が人が多い東海岸(ニューヨークなどがある)に多い。

一方で多くのアメリカ人はやはり「アメリカ最高!」って思っている人が圧倒的に多くて、80%の人たちが実際にそう思っている。(ワンズワード調べ)

このあいだカリフォルニア出身の24歳ぐらいのアメリカ人の女の子が、「ニュージーランドに交換留学に行ったんだけど、そこでルームメイトになったフランス人に、私今度パリに行くって言ったの。そしたら、そのフランス人の女の子が、絶対にアメリカ人ってことをフランス人に言わない方がいいって。なんでかって言ったら、アメリカ人のことが好きなフランス人なんて居ないからって言われた」と言っていた。

その子がショックだったのは、それまで無邪気に「世界の人はアメリカのことが大好き」と思っていたらしい。だが実際はその逆だったことにショックを受けたとのことだ。日本にいる英語だけしか話せないくせして偉そうなアメリカ人はみんなフランスに強制送還して、少しは謙虚さを身に着けて欲しいものだと思う。

で、結局何が言いたいのかと言うと、英語を話すときに相手がネイティブスピーカーだからと言って、べつに引け目を感じる必要はないということだ。アメリカやイギリスに住んでいると確かにその国の言葉を話すのは義務なので、若干負い目はあるかと思うが、日本にいる外国人なんてどうせ日本語がカタコトの「外国語が出来ない外国人」というジャンルの人たちがほとんどなので、上から目線で接してもいいくらいだ。

英語でコミュニケーションが取るのが重要なのだから、それがネイティブスピーカーでもほかの国の人々だろうが関係ない。これからはもっと世界中の人たちが入り乱れて英語でコミュニケーションを取る時代になるだろう。そのときにどの程度の英語を身に着ける必要が自分にはあるのか目的をはっきりとさせて、日々勉強する必要があるだけだ。(ちなみに日向先生もCEFRに絡めて、「ネイティブ信仰の怪」というエントリーを書いていらっしゃいます。複数言語主義というのは、より現実的で理にかなったモデルだと思います)

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2012年8月 7日 (火)

とある週末:ブエノスアイレスで小松亮太を知る

ふとしたきっかけでブエノスアイレスのジャズクラブに行くことになり、そこでたまたま隣り合わせた60代のアルゼンチン人のご夫婦が、同じジャズクラブで演奏した日本人のバンドネオン奏者がとても素晴らしかったと聞いた。

「えーと名前は・・・・ほら、日本のメーカーで工事現場とかでよく使う重機とかのメーカーで・・・・すごく有名でしょ?」とそのバンドネオン奏者の名前が思い出せないご夫婦だったが、あんまりピンと来ない自分も分からなかった。

そして、しばらくすると「あああ!小松亮太だ!」と教えてくれた。奥さんのお姉さんはアルゼンチンでも有名なピアニストらしく、でもそのことはあまり人には言いたくないとのことで、その奥さんがタバコを吸いに外に出た時に、ご主人がこそっと教えてくれた。

そんな音楽大好きアルゼンチンご夫婦が絶賛した小松亮太氏の演奏です。

な、なにこのハイクオリティ!小松亮太氏の名前は知っていたが、こんなにも素晴らしい演奏家だったとは・・・・・自分の不明を恥じた。

アルゼンチン人から絶賛されるだけあり、タンゴというものを完璧に理解し、それをさらに自分なりに解釈してアレンジして演奏しているのが素晴らしい。

YOUTUBEのコメントにも「que éxito, eres brillante y ASTOR estaría orgulloso como lo estamos todos los argentinos de escucharte atentamente! GRACIAS!!!!!!!!」とあり、意訳すると「ほんと、素晴らしい!作曲者のピアソラ(故人)もこの演奏を聴いたアルゼンチン人全員と同じようにあなたのことを誇らしく思っているに違いない、ありがとう!!」というアルゼンチン人のコメントがある。

日本人って、ほんといい意味で変態だなと時々思う。自国にない文化を自分のなかに取り込み、それを昇華してアウトプットする能力にこれほど長けた民族もそうそういないと思う。例えば、尺八を日本文化の文脈に沿って理解し、それをさらに高めた形でアウトプットしているアルゼンチン人演奏家が日本で演奏することを想像して欲しい。

それはそれで素晴らしいことだけど、なかなかそう出来ることではないことが容易に想像出来るはずだ。

小松亮太という素晴らしい演奏家を知ったことだけでも、非常に有意義な週末だった。

※ちなみに行ったジャズクラブはNotoriousというところです。雰囲気も演奏の質も高い良質なジャズクラブだと思います。

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2012年8月 4日 (土)

日常会話が出来る英語のレベルについて:ブエノスアイレスにて

ブエノスアイレスに住み始めてから、早くも1年が過ぎ、と同時にスペイン語を学び始めたからも同じ年月が経った。

今のスペイン語力は一年前の頃と比べて雲泥の差だと言えるが、自分が思い描えた成長曲線に照らし合わすと、ある程度予想の範囲内に収まっている。

「可もなく、不可もない」その程度だ。

一対一のコミュニケーションにはあまり不自由は感じないが、でもやはり「負い目を負った外国人」という立場からは逸脱できてはいない。

自分のスペイン語のレベルを一言で表現すると「ネイティブスピーカーとさほどのストレスなく会話は出来るが、スラングや独特の表現などは分からず、あくまで外国人としてならば、そこそこ出来る言語能力」と言ったところだ。

ヨーロッパで幅広く使わている言語能力を計るCEFRのB2レベルは、一般的に言って、「日常会話が話せるレベル」だと思うが、下記が具体的な内容である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1)何かを的確に論じるというスキル

✓ 例を出したりして自分の主張を裏づけることができる
✓ 選択肢のメリット・デメリットを挙げながら、ある問題に対する自分なりの考えを補強できる
✓ 「かくかくしかじかだから、こうだ」「そうとすれば、こう言える」というふうに筋道のとおった構成で話を展開できる
✓ 一つの視点を支持し、または支持しない角度から自分なりの主張を展開できる
✓ 問題点を明らかにして、相手に分が悪いことを納得させることができる
✓ 考えられる原因や結果につき推論を展開し、あるいはある状況を想定した上で推論ができる
✓ 自分の知っている事柄であれば、議論に参加して積極的に発言でき、その際、コメントし、自分の立場を明確に示し、選択肢を評価し、また仮定をした上でものごとを論じることができる

2)普段の会話で、話が途切れないようにするスキル

✓ 話が自然に続き、しかも、状況に応じて的確に発言できる
✓ まわりがうるさい環境でも、相手が標準語で話してくれる限り、何を言っているのか、細かい点まで理解できる
✓ 自分が話す番になったらそれに乗り遅れず、話を続けることができ、また、切りのいいところを見きわめて会話を終えることができる(ただ、ときにはこのあたりに手間取ることがある)
✓ That's a difficult question. といった決まり文句で時間をかせぎながら、何を言うかを考えることができる
✓ 話を途切れさせず、また、必要に応じて会話のイニシアティブを取ることができるので、相手に余計なストレスを感じさせることなく、やりとりを続けることができる
✓ 話の方向が変わる、急にインフォーマルなスタイルに変わる、あるいは話の焦点が変わるといった、通常の会話にありがちな展開についていくことができる
✓ 意図しないで相手が笑うようなことを言ってしまう、あるいは、いらだたせるといったこともなく、また、仲間のネイティブスピーカーと話しているときとは違う格別の努力を相手に強いるようなこともなく、普段からごく普通につきあい、話すことができる

3)言葉の使い方に問題意識を持ち、必要に応じて軌道修正するスキル

✓ 誤解につながっているとわかったところで、その間違いを修正できる
✓ 自分で間違いやすい点をきちんと記録しておき、話しているときも注意を払い続けることができる
✓ うっかりミス、言い間違いに気づくつど訂正するよう心がけている
✓ どういう言い方をすべきかを予めちょっと考え、それが相手にどう伝わるかにも注意している。

要するにつっかえずに予め組み立てたとおりに話をし、間違いがあれば自分で気づき、修正できるスキルレベルです。(引用元は「英語で「きちんとものが言える」レベルはCEFRのB2」です)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
正直、今のスペイン語は上記当てはまるかどうかは微妙だ。特に「意図しないで相手が笑うようなことを言ってしまう、あるいは、いらだたせるといったこともなく、また、仲間のネイティブスピーカーと話しているときとは違う格別の努力を相手に強いるようなこともなく、普段からごく普通につきあい、話すことができる」が難しい。

まずは目指すはB2レベルの語学力なのではあるが、このすべてをクリアするのには骨が折れると思う。

日本人はよく少し英語が出来ると「日常会話ぐらいはなんとかなる」と言っているが、日常的に英語を使っていないからそんなことを言っているだけで、日常的に外国語を使う側から見ると、ものすごく違和感を感じる。

「日常会話がストレスなく出来る」というレベルは、CEFRでいうとB2レベルという認識が正しいと思う。それ以下だと実際かなりのストレスを感じるはずだ。

人生において何かをマスターする際に一番重要なのは、「いかに襟を正して、謙虚に自分と向き合えるか」だと思う。自分の能力を過信せずに、地道に今日もスペイン語を勉強しようっと。

※ちなみにワンズワードでもB2レベルに相当するケンブリッジ試験対策コースという英語試験を開設しています。この試験のいいところは、試験に受かるということよりも試験に向けて勉強することのほうが価値があります。それほどコンテンツとして、非常に役に立つ要素が満載ですので、ぜひお試しください。

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2012年8月 1日 (水)

ミラン・クンデラから始まり、カズオ・イシグロ、それにポール・オースター、さらに村上春樹とニック・ホーンビーについて

英語学習のために多読は有効だというのは通説であり、全く正しい。
当たり前のように、外国語の本を読めば読むほど語彙力も付き、正しい文法も理解出来る。

多読という学習方法を行うには、なるべく自分のレベルより下、かなり下のレベルの本をたくさん読み、数をこなすことが推奨されている。だから、語彙数によってレベル分けされたラダーシリーズなどはとても有用だと思う。

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こちらをクリックすると、ラダーシリーズのページへと飛びます)

このやり方は正しい。圧倒的に正しい。

だが、正しいけど死ぬほど退屈だ。個人的には自分の興味のある本を読みたいし、自分の知らない知識を外国語を通して仕入れたい。それは人間として当たり前の欲求だ。

だから、上記のようなオーソドックスな多読の方法と違い、僕は美しい英語を読む訓練を推奨する。美しい英語とは、たいていの場合かなり簡易に書かれており、意外とそんなに難しいものではない。

例えば、原作者はチェコ人だけど、翻訳者の選定において恐ろしいほど厳しい基準を課しているミラン・クンデラの英語などはどこまでも美しく簡潔だ。

ミラン・クンデラは「翻訳とは解釈というアートである」と言い切り、翻訳者に関してとても厳しい注文を課している。だからこそ、英語に訳された彼の本はとても読みやすく、また美しい。

そして、日本と馴染み深いカズオ・イシグロもお薦めだ。ミラン・クンデラよりもよりハードルが高く、古典的な英語を意図して操るが、文章自体はとても簡潔で書かれていて、胸に響く。

この物語は「もう、スティーブンス、なんなのよ、あんた。いい加減にして告白しろよ、あほ!」と思いながらも、心にずっしりと響く名作だ。そういえば、村上春樹がカズオ・イシグロとイギリスで会い、「やっぱり思った通りの人物だった」と評していたが、どことなく自分の頭の中では、彼ら二人は共通点が多いように思える。ようは「自国にいながら、常に異国人」ということだ。

最後に文学なんてクソの役にも立たないと思っている方には、ニック・ホーンビーがお薦めです。

特にこの本は、「本当に男ってどうしようもない生き物だな」と痛感します・・・・男って、ほんと馬鹿で生きている価値がないと心の底から思ってしまう、ある意味名作です。

イギリスびいきではないですが、イギリス人作家が続いたので最後に紹介したいのは、僕が最も好きな作家、ポール・オースターです。

でも、ひとつ悲しいお知らせがあります。ポール・オースターの本はすべて日本語が読んだほうがいいです。なぜなら、柴田元幸氏の翻訳が素晴らしすぎるから。僕が最も好きな彼の本である「孤独の発明」ですが、原書も読みましたが柴田氏の翻訳のほうがはるかに素晴らしい出来です。

結局、翻訳というのはミラン・クンデラが言うように解釈のアートであり、ときには本物である原書をも上回ることもあるのだなと思った作品でした。

ちなみに僕はポール・オースター本人と19歳の頃に会ったことがあるだけではなく、個人的に会話をし、かなり貴重な体験をしました。たぶん、これは彼が自分の小説のテーマとしてよく取り上げるシンクロニシティな出来事だったのですが・・・・それはまた今度。

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