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2012年1月

2012年1月30日 (月)

英語の先にある未来:カウチサーフィンを通じて

うちにカウチサーフィンを利用して、居候(?)しているオランダ人ルーカスくん(23歳)の話を色々と聞いていると面白いなと思うことがけっこうある。

ルーカスくんの話では、オランダおよびヨーローッパ各国では交換留学が確立されており、どの国の大学に行っても単位も取れて、また学費も自分の国で納めておけば追加で費用がかかることもないという。

それを利用してルーカスくんはカリフォルニアの大学へと1年留学していたとのことだ。ご存知のようにアメリカの大学の学費はべらぼうに高いので、普通のヨーローッパ人が進学するには無理があるが、交換留学を利用すればたやすく出来てしまう。

そう考えると、ヨーローッパ人にとっては直接MITやスタンフォード大学に行くよりは、それらの大学と提携しているヨーローッパの大学に行ったほうが経済的利点が大きいのかもしれない。

そして、オランダでは古くから移民を受け入れており、近頃問題になっているのは、モロッコ系移民が暴力事件を起こし、その背景となっているのは、オランダで生まれ育った彼らはオランダ人としても正式に受け入れられず、またモロッコに行ったところでモロッコ人としては受け入れられないので、「アイデンティティの崩壊」を起こしているのも一因としてあるとのことだ。

日本ではさかんにグローバリゼーションや国際化が叫ばれている中、ヨーローッパの人々はそれらが進みすぎて、現状直面している問題が多々あるらしい。

今、日本でもしきりに「英語公用語化」やとにかくアジアへと進出するのが成功への近道と言われてはいる。だが、その先には一体何があるのだろう?

あまりにも性急に事を急ぎすぎると、結局のところ百害あって一利なしという状況になりかねない。

時々、彼らは英語が話せるようになって何をしたいのだろうと思うことがある。英語は勉強するためにあるのではなく、あくまで話すため、外国人とコミュケーションを取るためにある。そして、その前提となるのが違う文化への理解と、自分と他人に横たわる絶対的な深淵を認めることだ。(大げさだけど)

英語は出来ることに越したことないけど、コミュケーション能力が高いほうが、英語の運用能力が高いより価値がある。世界中にコミュケーション能力が高い人が溢れるほうが、英語の運用能力が高い人が増えるよりは、絶対に平和で豊かな社会になる。(アメリカ人が外国に行くたびに戦争を起こしているのも示唆的だ)

もしかしたら、より多くの日本人が英語を学ぶメリットは、「言わなくても分かるよね?」的な常識が世界では非常識であり、全く通用しないことを潔く認め、他人は自分と違うことを認める多様な価値観を容認できる豊かな社会を目指す一歩となり得ることなのかもしれない。


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2012年1月27日 (金)

旅人のオアシスを目指して:カウチサーフィンを利用する

最近、カウチサーフィンというサービスを利用して、若い旅行者をただで自分の家に泊めている。今、泊まっているのはオランダ人のルーカスくん(23歳)で、夏にオランダの大学院に行くまでの間、アジアとラテンアメリカを旅する予定だという。

Lucas

ルーカスくんは彼女と一緒にインドの砂漠地方であるラジェスターンに2週間ほど滞在したあと、今度は一人でブエノスアイレスに来て、これからチリに行くとのことだ。チリではボランティアで農業体験などをしながら、長期滞在する予定らしい。

彼にとってみれば、オンライン英会話スクールという形態が珍しく、「どうやって始めて、どうやって運営しているのか?」など根堀り葉堀り訊かれた。旅人である彼にとってみれば、自分が行なっているどこでも好きな場所で働ける「ノマド」なワーキングスタイルは理想的に映るらしい。

カウチサーフィンでホストする場合は、当然無償で相手を泊めて、多くの場合は料理などを振る舞うので、こちらの金銭的なメリットは全く存在しない。しかし、彼のように自分で色々と考えて、これからの人生について頭を巡らしている人たちと出会うととても刺激になる。

特に自分のように家で仕事をし、学校にも行っていない場合、向こうからわざわざこちらに会いに来てくれるカウチサーフィンのようなサービスを利用することはとてもメリットがある。

もちろん、誰でも彼でも泊めているわけではない。どちらかと言うと、けっこうな確率で相手の「泊めてくれ」という申し出を断っている。こちらも多くの時間を割く以上、自分にとって魅力的な人間ではないと泊めたくはない。

今回は彼のファーストメールがかなり好感が持てる内容で、実際に会ってみるとそのとおり謙虚で信頼に足る人だった。23歳とは思えないほど、老成しているので、ときどき同い年の感覚で話してしまうこともあるほどだ。

自分にとって刺激にもなるし、彼のようにこちらがいい刺激となる場合、双方にとってとてもメリットがある。いつでも人の旅の話を聴くのは楽しいものだし、スペイン語ではなく英語だけの会話もまた楽しい。今後もしばらくはこのサービスを利用して、自分の家が多くの旅人の憩いの場になればと思っている。

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2012年1月24日 (火)

明日の自分に期待せず、今日を楽しみ、いつの日かに期待する

今、世間で言われている「習い事」と言われているものを3つほどやっている。

ひとつは言わずと知れたスペイン語である。これが今、一番プライオリティが高く、週5回から6回ほど習っている。次に30過ぎてから始めたテニスで、これも週二回ばかり習っている。そして、ブエノスアイレスに来てから始めたタンゴだ。これも全くリズム感がないながらも、なんとか続けている。

優先順位を表すと下記のようになる。

1.スペイン語
2.テニス
3.タンゴ

だが実際は下記が本当のところだ。

1、スペイン語
2と3がなくて、4がテニス
5. タンゴ

物事には優先順位がある。例えば仕事優先の人は、それ以外のものは一切目もくれずにただひたすらそれに打ち込むという人もいる。

また日本人がこぞって勉強する英語と違い、今自分が習っている3つのものはすぐに何か自分の人生に変化をもたらしてくれるものではない。

あるいは結局のところ、何ももたらしてくれないかもしれない。
では、なぜやっているかというと、楽しいからに過ぎない。

「いやー、ほんと、もうやめられない!」というような楽しみは一切ない。むしろ辛い。
実際、これらを習っている間、じつはそれほど楽しくなかったりする。

だが、たまに今まで自分が出来なかったことが出来るようになったり、数ヶ月前に比べて明らかに向上したと自分で思えると、それはそれで嬉しい。

結局のところ、自分の人生になんらかの刻印を刻みつけるのは、そういう不確かな何かをものしたときではないだろうか。はっきりとした効果も分からないし、自分たちが費やした時間と努力に比例して、どれほどの成果を得たかも目に見える形ではっきりと証明出来るわけではない。

いかに毎日単語を100個覚ていると言い張っても、外国人に話しかけられて、「うごうご」言ってしまったら、周りの人からは「この人、ダメな人」というレッテルを貼られてしまう。(ちなみに僕なんかは、スペイン語ではもちろん、日本でもだいたいカミカミだ)

それぞれのレベルで、それぞれに応じた形で、それを形にすればいいのではと思う。周りから評価をされたくて、「習い事」をやっていても意味はない。きっと日本に帰ったら「スペイン語、話してみてよ!」と軽く言われて、「メンドセー」と思いつつも彼らをなんらかの形で納得させないといけないかもしれない。

別に彼らに認められたくて、自慢したくてスペイン語を習っているわけではない。またついでに言うと、誰かに何かを自慢したくて生きているわけでもない。

自分自身が欲しいものを手に入れ、その過程をなるべく楽しみ、そしてあわよくば何らかの貢献を次世代のためにしたいがために生きているわけだ。

明日のためにというよりは、何年後かの自分を想像しながら、こうありたいという自分になるべく近づけるために今日を生きている。そして、その過程すら笑いながら楽しみながら、充実させたいと願っている。

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2012年1月19日 (木)

仮想敵を想定して戦う日夜:ついでにFACEBOOKキャンペーンについて

企業というところは、常に競合の動向を気にかけるものである。

で、オンライン英会話スクールという業界は、参入した頃から100社ほどあり、それらの動向を当初は気にしてはいたが、最近はあまり考えなくなった。(もちろん、情報は絶えず取得するが)

ワンズワードがターゲットとしている層は一言で言うと、「自分で時間をかけて優秀な先生を見つけるよりは、その分お金を払ってでも優秀な先生のレッスンを受講し、またなんらかの社会貢献に興味がある」という人たちだ。

今のところ、ほかにそのようなオンライン英会話スクールは見当たらない。(おそらくたいして儲からないのが明白だから。それよりも分かりやすく価格を下げて、「安い、早い、うまい」のほうがウケはいい)

漫画を売りにしたり、若い女の子を売りにしたり、料理を学べることを売りにしたり、差別化に必死な人たちが右往左往していたりするこのオンライン英会話スクール業界だが、結局のところ本当に大事なのは、「英語学習者にとってベストな学習環境を提供する」ということと「先生たちにベストな労働環境を提供する」ということだ。

目に見えるささいな違いなど、本当はどうだっていい。目に見えない部分を考え尽くし、それをどううまく表現し、それをアピールしてサービスを広げていくかということが重要だ。

時々、「5000円くらいにしてくれると入会するのに」というお声をいただくが、値下げをするくらいならば、先生たちの給料をあげたほうがよほどいいと思っている。(フィリピンと日本の経済格差を考えると、そのほうが効果的だ。体感的にはフィリピンの物価は日本の物価の5分の1程度なので)

この業界の一番の懸念は、先生が個人的に生徒を取り始めて、オンライン英会話スクールという存在が形骸化することだ。それを起こさないためには、いかに先生たちに利益を分配していくかということが重要だ。

そのためにはスクール自体の経費を極限にまで落とし、その代わりに彼等に分配する必要がある。これは何も綺麗事ではなく単純に「生き残り戦略のひとつ」である。

ただ自分も聖人君子ではないので付け加えておくと、起業家が労働者よりも利益を享受するということについては肯定的だ。そうではないと、誰も起業なんてしないし、何の夢もない。

だがだからといって、起業家たちが利益を独占することには反対だ。言い尽くされた言い方だけど、「会社、労働者、お客様のWINWINの関係を構築する」ことが一番重要だ。

それで今日も競合他社よりは自分の仮想敵を想定して、うんうんと唸りながら、「どかーん、がーんと会員増えねえかな」などとアホなことを考えているわけだ・・・・・で、やっぱりそう簡単には増えないなと思って、せこせことブログを書いたり、FACEBOOKキャンペーンなどを打ち出したりしています。

FACEBOOKキャンペーンはこちらより
(最後までお読みいただきましたら、せっかくですのでLIKEボタンを押してください。もれなくブエノスアイレスより感謝の念をお送りします!)

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2012年1月18日 (水)

生きる技術:ブエノスアイレスにて。

ブエノスアイレスの一月は、気が抜けたコーラのようなものだ。
日本と季節が真逆なブエノスアイレスは、当然今は真夏・・・・・そして、一般的なアルゼンチン人は1月の丸一ヶ月バカンスに出かける。

Park2012

新年の抱負などはきっと寒い国では真剣に考えられるだろうが、ここの人たちはとにかく「ビーチ!ビーチ!ビーチ!」という思考回路だ。年末にウルグアイのダイマンに温泉に浸かりいったのだが、そのことをロレーナ先生に言うと、「なんでビーチに行かないの?夏なのに温泉に入って何が楽しいの?」ともっともなことを言われた。

1月→バカンス→ビーチというのがここでの常識なのだ。

日本に一時帰国するまでに2ヶ月強しかないので、ここはひとつスペイン語レッスンを増やして頑張ろうと新年早々決意を新たにした。しかし、今一番のお気に入りの先生であるマテアス2号はちょっと週末ウルグアイのビーチに行ってくると言って、それでそこが気に入ったのか「やっぱり今月末までここにいることにするから、よろしく!」と連絡があった。

さすがはアルゼンチン人である。

今のところ、来年もブエノスアイレスに滞在する予定だが、来年の1月はとっとと違う国へと行こうと思う。ブエノスアイレスに居ても、あらゆることが停滞し、こちらのやる気も削がれてしまう。

今年は自分の生活を制限してスペイン語の勉強に多くの時間を注いだが、4月にブエノスアイレスに戻ってきたら、もう少しペースを落として色々な国を見てまわる機会を作ろうと思う。

今は空前の円高、ユーロ安なのでヨーロッパに行くチャンスでもある。スペインのスペイン語はアルゼンチンのスペイン語と全く違うといってもいいほど違うので、きちんとブエノスアイレスでスペイン語を身に着けてから行こうと思っていたが、そんなこと言っているとこのユーロ安を見逃してしまう。

それに「食べて、祈って、恋をして」を見て以来、すっかりイタリア熱に取り憑かれて、スペインに行くついでに寄ってみたいと思っている。(イタリアには19歳の頃行ったきりで、それ以来行っていない。あのときは3週間くらい滞在したけど、まだまだ見足りない国だ)

もともとブエノスアイレスに来たのもたまたまであり、日本を発つときに成田空港で買った「地球の歩き方」で情報を仕入れた程度の知識しかこの街についてもっていなかった。それが今では9ヶ月間も滞在し、とても気に入っている。

ドイツの哲学者ニーチェは「問うな、踊れ!」と書いたが、たしかに考えている暇があれば、楽しく踊ったほうがいい。そして、人生を楽しく躍るためにはそれなりに技術が必要なわけで、それをいかに自分自身に身に着けさせるかということが重要だ。

英語やスペイン語もそのための大切な技術だし、知識や経験などもそのために意図的に手に入れる必要がある。(だから、人は旅をし、恋をし、食べて、仕事をして、またとんでもない失敗をやらかす)

高校生の頃にニーチェを読んでとても共感し傾倒したが、実際に彼の哲学を自分の人生に反映させることが出来たのは、35歳で起業して、36歳でブエノスアイレスに来てからかもしれない。

考え方を真似したり、知ったかぶって人に言いふらしたりすることは簡単だが、それを実践に移すのはとても難しい。

最近、やれノマドやセルフブランディングなどという言葉が一人歩きしているが、そんなラベルはどうでもいい。ようはどのように人生を楽しみ、そして楽しむためには戦略的に自分の人生を見つめて、適度のプレッシャーと課題をどう自分に与えるかが重要だ。

そのようなことを考えると、もしイタリアに住んだらイタリア語も勉強しないといけないか・・・・もう少し自分の人生、見つめ直してみる必要があるかもしれない・・・・


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2012年1月16日 (月)

アゴラ:国というレイヤーで物事を考えてみる

あんまり偉そうなことを言える立場ではないのですが、アゴラに投稿しました。

国というレイヤーで物事を考えてみる

ふとこのようなことを考えていたら、例のセヴァン・スズキのスピーチを思い出しました。

ちなみに今、住んでいるアルゼンチンは政治家が国民の人気取りに走ったために、国が財政破綻をしました。国民一人一人が、視野を広げないと国というものはそのような道を歩むのだろうなと実感しています。

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You are beautifulのあの人のコンサートに行って来ました

「今週の土曜日、ジェームズ・ブラントのコンサート行くんだよ?」

アルゼンチン人Aさん「いいね!・・・・・・って、誰?」
アルゼンチン人Bさん「・・・・・・ジェームズ・ブラウン?」

「違うよ、あの"You are beautiful"の人だよ!!」

アルゼンチン人Aさん、Bさん(二人声を揃えて)「あああああ!!!!」

このような会話がブエノスアイレスの至る所で繰り広げられたのは間違いないわけですが、一応彼のアルバムをすべて持っているファンとしては、行かねばならないと思い、ブエノスアイレスで初めてのコンサートに行って来ました。

(そのほかの曲にいい曲あるの?と言われがちな彼ですが、けっこういいバラードがあったりします)

会場はルナ・パークという元ボクシング場で比較的ハコとしては狭いほうで近くで見れました。

Jamesblant01

日本と違いカメラの持ち込みがOKなので、写真は撮り放題なのですが、なぜかカメラを掲げてずっと動画を撮っている人たちが目立ち、なんだかなと思いました。

今までイギリスのバンドを中心に何度もコンサートに足を運び、オアシス、プライマル・スクリームなど往年のブリットポップなども見てきましたが、このジェームズ兄さん、そんな方々と比べてめちゃくちゃ健康そうです。

前述したロックスターたちはライブとなると、前日の酒とドラックで調子が悪いのか、けっこう気だるそうに時にはビールを飲みながら、また時にはタバコをふかしながら、だましだまし歌っていることが多いですが、このジェームズ兄さんは「ギターを抱えながら、腕立て伏せをしつつ、なおかつほふく前進」でもしそうなくらいキビキビした動きで歌いまくっていました。

身も蓋もない話ですが、「きっと歌を歌うことが本当に好きなんだなあ」とこっちが素直に関心するくらい、真っ直ぐなシンガソングライターです。

Jamesblant02

「自分で切ったのか?」と思わる髪型と、変なTシャツを着ているジェームズ兄さんでしたが、歌が上手いのでそれだけで満足です。

昔、たまたまNHKのB'zのドキュメンタリーを見て、そのなかで稲葉さんがコンサートツアーの一か月ほど前から自分を追い込み、酒も断ち、筋トレに励んでいる様子を見たことがあります。

個人的には「なんかロックじゃないな」と思ってしまいましたが、たぶんジェームズ兄さんはそこまで追い込む必要もなく、体力が有り余っている感じです。

きっと昨日のコンサートが終わったあとも、「おれ、ちょっと軽くジム行ってくるわ!」と言ってそうな感じです。明らかにドラッグをやっている思われるハイテンションなプレイでベーシストが演奏中にコケたり、ビールを会場にばらまくボーカリストなどの印象しかないUKロックファンとしては、ある意味新鮮なコンサートでした。

いつまでもドラックや酒浸りになっていないで、彼のように腕立てでもしながら作曲しているほうがより生産的だなと・・・・・そんなのロックじゃねえと言われたらそれまでですけど。


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2012年1月11日 (水)

上を向いて歩こう:とある語学学習者の心得え

英語を本格的に始めたのは20歳になってからだった。もちろん、学校では勉強はしていたが、基本的には全く興味が湧かなかったので、いつも赤点スレスレだった。なぜ興味が湧かなかったのかと言うと、学校英語をそのまま一生懸命勉強しても、一向に英語を話せるようにならないという確信めいたものがあったからだ。

だが、高校3年の時にヨーロッパを一人旅して、「英語を話せないと、やばい!」という危機感が芽生えた。どんなに素晴らしい出会いがあっても会話が一切続かなかったので、とても恥ずかしい思いをしたし、道を訊くことすら満足に出来なかった。

それで、翌年にはスコットランドの首都エディンバラに留学をして、2年間英語の勉強をした。最終的にはケンブリッジ英語上級試験というものに受かり、「まあ、いっか」と思えるレベルまでは話せるようになった。

またそれから15年の時を経て、ここブエノスアイレスでスペイン語の勉強をしている。

20歳の頃と37歳の今と、何か違うことがあるかと言うと、「心理的な余裕」だろうか。英語を学んでいるときは、とにかく気ばかり急いでいたが、今は「どうせ時間がかかるから、気長にやろう」とかなり気楽に取り組んでいる。(とは言いつつも、毎日最低2時間、週12−3時間をスペイン語の勉強に費している)

仕事でも趣味でも語学でも、続けるコツは「飽きないように工夫すること」だと思う。だから、当初は超スパルタのメルセデス先生に週五回習っていたが、今は4人の先生を毎日取っ換え引っ換えして、習っている。そして、息抜きにタンゴをやったり、テニスをしている。

それでも飽きるし、時々やってられないなと思うことも多々ある。そのようなときは今までの努力を顧みて、今辞めた場合に失う時間と努力を考えて、「スペイン語の勉強を辞める」ということを諦める。

今まで投資してきたものを途中で放棄することは愚の骨頂だし、一度辞めたら再開するときのエネルギー負荷は並ではない。

そうして、勉強を辞めるという行為を諦め、また机に向いスペイン語の宿題をこなしている。だいたいこのような無限ループが繰り返され、きっとあと1年か2年すれば自分が満足するスペイン語のレベルに到達しているのではないかという希望的な観測を抱いている。

自分が体験してみて思ったことは語学に関しては年齢は関係ない。ただ単に根気と忍耐力を支えるモチベーションをいかに保つかということだ。

何事もそこで満足したら成長は望めない。途中で疲れたら足を止めることも必要だけど、常に上を見て歩いて行きたい。自分よりもスペイン語がうまいやつはゴマンもいて、英語にもそれが言える。そして、ついでに言うならば自分よりも優れた人間も腐るほどいる。

そのような人たちがわんさかいることを自覚しつつ、自分なりに一歩一歩進んでいけたら、それなりに素敵な人生になるのでは思っている。

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2012年1月10日 (火)

結局はどう生きるかということ。

FACEBOOKやツイッターなどを見ていると、日本では放射能の汚染問題がかなり話題になっているようだ。自分自身はブエノスアイレスに住んでいるので、正直部外者ではある。だから、その問題に関してはなんとも言えないが、今年から自分も寄稿しているアゴラが専門家の情報を集めた精度の高い情報を掲載しているので、ぜひ参考にしてもらいたい。

GEPR(グローバル・エネルギー・ポリシー・リサーチ)

特に東京大学の中川 恵一先生が「放射線被ばく基準の意味」と題して、寄稿されているので、ご一読していただきたい。

また個人的には石井 孝明氏のアゴラでのコラムをいつも拝読し、自分も勉強している。

福島に朗報、「甲状腺疾患の増加は予想できない」ロシア専門家=チェルノブイリ報告から考える合理的な低線量被曝対策

最後に宮崎駿がもののけ姫についてのインタヴューで下記のように答えているので、紹介したい。

百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、チェルノブイリで、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…

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2012年1月 6日 (金)

人生を楽しむための処世術

今日、たまたまカウチサーフィンのイベント欄を見ていたら、La Bomba de Tiempoというバンドのイベントが、無料で開催されていることを知った。

(ブエノスアイレスではすごく有名なドラムのバンドで、みんなが大絶賛しています)

彼らは毎週、月曜日にブエノスアイレスのこちらの場所でプレイをしているのだが、何かのイベントで彼らをちらっと見ただけできちんと見ていないなと思い、行ってみることにした。

夜7時から開始とあったのだが、行くと決めたのはすでに夜6時を回っていた。イベントの詳細を見ると彼らのFACEBOOKに姓名を書けば無料で入場出来ると書いてあったので、すでに開始1時間前だが自分の名前を記入して申し込んでおいた。

イベント開催場所を確認すると、ざっと見積もって自転車で30分ぐらいのところだと検討をつけて6時半くらいに家を出ると、きちんと7時きっかりに会場に到着した。しかし、すでに長蛇の列が並んでおり、もう開始時間のはずなのだが、一向に列が動く気配がない。

仕方がないと諦めて列に並ぶと会場の入り口までたどり着いたのは、八時ちょっと前だった。入り口では自分の苗字のアルファベット順に並ぶよう指示され、「二時間前にFACEBOOKに書いたばかりだから、どうせ自分の名前なんてないだろう」とたかをくくっていたが、やはり彼らのリストに自分の名前はなかった。

これが日本だと「残念!」となるかもしれないが、ここはブエノスアイレスなので、受付の人が手書きでリストに名前を付け足して、なんの問題もなく入場できた。

Labomba01

結局、演奏がスタートしたのは8時過ぎだったが、さすがはブエノスアイレスで一、二を争う人気バンドだけあり演奏は素晴らしく、楽しい時間を過ごした。

今日の一連の出来事で思ったのだが、「楽しむこと」に関して、この国は日本より圧倒的に敷居が低いということだ。

日本で何をするにも予約が必要で、人気のバンドや劇団を見ようと思うと何ヶ月も前から予約しないといけない。またべらぼうに値段が高い。ほんの思いつきでさっと自転車を30分走らせただけで、無料で人気バンドのイベントに参加出来るということはありえないし、日本ではリストに名前がないと絶対に入れてもらえない。

そんなこんなで、バンドがひと通り演奏を終えると、今度はDJが音楽を鳴らし始めた。

Labomba02(お酒も飲まずに、ひたすら踊る人々はブエノスアイレスの風物詩です)

まだ夜9時を過ぎた頃だけど、もう会場の人たちは上半身裸になるは、踊り狂うはで大変なことになった。この地の人たちはお酒をあまり外では飲まないが、夜出かけるのは大好きだ。そして、たいして飲むこともなしに朝5、6時までひたする踊る。

そんな人たちを見ながら、やはりブエノスアイレスに来てよかったなと思った。一見、「バカ」としか思えない風景が広がっていたが、彼らは少なくても日本人より「自分の人生を楽しむ」ことにはるかに長けている。

なぜならば、そのための敷居が驚くほど低いから。

日本、特に東京だと人生を楽しむためには、奇妙な話だが一生懸命に努力をしないといけない。なにをするにも、時間とコストがかかるからだ。ブエノスアイレスでは少なくても、ちょっとした処世術さえあれば、たいしてお金をかけずに人生を楽しむことが可能だ。

アルゼンチンはバラマキ政策が原因で財政破綻を経験し、経済はずっと落ち込んでいたが、最近になってようやく上昇の気配を見せている。

ただ彼らを見ていてふと思うのは、財政破綻をし、度重なるひどいインフレを経験して、経済的な辛酸をさんざん舐めたあとも、彼らのように日本人は人生を楽しめるほどの強さがあるのだろうか、ということだ。

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2012年1月 4日 (水)

一生徒としての心得:レッスン以上に素晴らしいことを学ぶために

新年早々、すでにスペイン語の勉強は通常通り再開している。最近のお気に入りは、マテアス2号で彼は事細かに文法的な違いや細かい言い回しの違いなど説明してくれるので、とてもためになる。
(現在、4人の先生から合計6回、週10〜12時間ほどレッスンを受けており、マテアス先生が二人いるので、便宜的に一号、二号と呼んでいる)

ロレーナ先生は今週はバカンスに行ってしまったので、代わりにマテアス2号のレッスンを余分に受けているが、来週はマテアス2号がバカンスで一週間程いないので、代わりにロレーナのレッスンを余分に受ける予定だ。

Lorena(僕の人生史上でも、一、二を争うほどいいかげんな人ですが、憎めない魅力的な人です)

ロレーナ先生はレッスンの準備はおろか、レッスン自体についてそれほど深く考えていないが、地頭が異常にいいので、その場の思いつきでやるレッスンがそこそこためになるので、侮れない。

このあいだまでは「一緒にビジネスしましょう!」と言っていたのが、ちょっと前は「大学の心理学学科に再入学しようかしら」と言ったと思えば、「11月からイタリアに住んでいる友達がアジアに旅に出るから、私も一緒に行くかも」と言っている。

内心、「好きにすれば」と思っているが、「はいはい」といつも話を聴いてあげている。だいたい人が話をするときは、話を聴いてもらいたから言っているだけで、「アジアに行ってどうするの?」とか、ましてや「人生どうするの?」的な根本的な問題を問い質してはいけない。

時々、思うのだが先生として優秀な人というのは重要だけど、マンツーマンレッスンでもっと重要なのは、その人が自分にとって魅力的かどうかだなと思う。

ロレーナ先生を例えば大企業などでよく使う「人材評価シート」的なもので計ると、きっとろくでもない結果が出るけど、僕は個人的に彼女のことが好きだから、そんな客観的な評価と言われているものはどうでもいいと思う。

理想の組織マネージメントについて

上記にも書いたが、客観的な評価なんてものは仮に存在するとしても、どうでもいい。生徒から人気があるかどうかだけが、評価の対象になる。願わくば、ロレーナ先生がマテアス2号くらいに事細かにレッスンをコーディネートしてくればと思うが、人生すべてを手に入れることは難しい。

「英語のレッスン」「スペイン語のレッスン」「〇〇のレッスン」・・・・どれも味気ない。正直、そんなものに関わり合いたくない。自分が自分の時間を費やしてまで行いたいのは、なにかもっと違うことだ。長い人生、週に一時間でも二時間でも一緒に過ごすのであれば、やはりその人達は魅力的であって欲しい。

個人的には先生として優秀どうこうよりは、個人としてその人が魅力的かどうかという判断基準で今後も先生採用をしていきたいし、自分のスペイン語の勉強でも同じ基準で先生を選んでいきたい。


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2012年1月 2日 (月)

出会い多き一年にするために:ノマドワーカーのひとりごと

激動の2011年が過ぎ去り、2012年がやってきた。年末はウルグアイのダイマンと温泉地に行き、ゆっくり休養し、新年に備えた。

Salto2011

そして、大晦日は以前、ご近所だった国際カップルであるアルゼンチン人のラウラとスウェーデン人のマルカスに招かれ、彼等のパーティーに参加した。

Newyearseve

ラウラの実家の屋上で開かれたパーティーだったので、新年も迎えた瞬間に各地で上がる花火がよく見えた。日本やほかの国と違い、ブエノスアイレスでは気の向いた人が自分たちで花火を買って勝手にあげるので、全方位から花火が見れてなかなかオツだった。

日本だと色々な規制があるかもしれないが、さすがは自由の国アルゼンチンはそんなものはなく、盛大な花火やちんけな花火など色々な花火が見ることができた。

ブエノスアイレスに来なければ出会えなかった人たちと2012年を迎えるのは、意義深い。今年も積極的に色々な人たちと関わりを持ち、コミュケーションを取っていきたい。

Katrin
カウチサーフィンというサービスで時々、人を泊めているのだけど、その第一号となったドイツ人のカトリンは日本に2年も滞在したこともある大の日本通だった。

FACEBOOKやツイッター、それにカウチサーフィンなど今ではネットのおかげで人と知り合う機会は激増している。人と知り合うためのツールは増えたけど、人と仲良くなるツールというものは存在しない。自分がどれだけ彼らにとって魅力的であるか、それが一番重要だ。

今年もきっと様々なと土地へ行き、色々な人と会う機会があるだろう。そのようなときに自分は一体何を語ることが出来るのだろうか。

そのためにはより多くのインプットが必要だ。そして、またそれらをビジネスやあるいは社会貢献という形で表現していければと願っている。

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