« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月28日 (水)

映画評:Eat Pray Love<食べて、祈って、恋をして>

この映画を見終わったら、ちょうど夜行バスに乗って深夜アルゼンチンの草原を走っていた。見渡す限り、夜空が広がりとても星が綺麗な夜だった。

この一年、いいことも悪いことも色々とあったが、目の前いっぱいに広がる星空を見ながら、「悪くない一年だった」と思えた。

人生では自分自身のコントロールを手放すことは中々難しいことだ。それは年が経つにつれて、顕著になる。20代の頃は何も持っていないから何にでもチャレンジできるが、30代40代になるにつれて、所有するものも増え、それについ執着してしまう。

この映画の主人公リズも、そんなにっちもさっちもいかない状況に陥って、一年間の旅に出る。

旅は人をフラットな視点に立ち返らせるいい機会を提供してくれる。特に一人旅だとなおさらだ。人は年を取り続けることによって、何かを失い続ける生き物なのかもしれない。それは若さだったりチャンスだったりするわけだが、だが逆に失った数だけ新しいことを学んだり経験したり、色々なことを自分のなかに取り込むことも出来る。

いかにコントロールを手放すか、ということがこの映画のテーマの一つになっているのだが、リズも最後の最後までそれが出来ないで苦しむことになる。(一部、モテるアメリカ女性の典型的な悩みだなということもあり共感できないこともある)

今年、東京からブエノスアイレスに移り住んだわけだが、東京で培ったものもすべて手放しても、やはりブエノスアイレスに来た甲斐があったと思う。来年も、そして再来年も、これからもずっと何かを手放し、何かを得るというプロセスを繰り返し、自分自身を成長させていければと願っている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年12月27日 (火)

アゴラ:電子の時代になったのに気づかない人たちへ

昨日、ソファに寝そべりながらテレビを見ていたら、ハリーポッターの作者であるJ・K・ローリングの実人生を描いたドラマがやっていた。

ぼーとしながら見ていたのだけど、彼女が紆余曲折を経て、ようやく第一作の本が出版されて彼女の家にその本が届けられたシーンがとても印象的だった。本が届いた直後、きっと彼女はその本の匂いを嗅ぐだろうなと直感したが、やはりその直後彼女は実際に本の匂いを嗅いだ。

もし、自分が初めての本を出版したら、きっとその本の匂いを嗅ぐだろう。それに本好きは本の匂いがたまらなく好きなのだ。

電子の時代になったのに気づかない人たちへ

しかし、それでもやはり電子書籍が今後の主流になることは間違いない。アマゾンのようになんでもアメリカ式の輩に漫画や日本の文学が蹂躙されるまえに、頭のかたい人たちが世界でも稀なコンテンツ大国である日本の権利を守ってくれることを祈っている。

だが、最終的にはユーザーを味方にしたところが勝者となる。そのような発想が未だ両者に見られないので、この戦いは長引くかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月23日 (金)

より幸せな社会を構築するために:2006年ノーベル平和賞受賞をしたユネス氏を思い出しながら

腰痛になった。
なんだろう、この残念な響き・・・・

このあいだの日曜日に、朗らかな晴れ模様のブエノスアイレスで、優雅にテニスなんぞをしているときに「ピキッ」といったわけだが、翌日の月曜日はベットから立ち上げることさえ不可能だった。腰痛持ちの人にしか分からないだろうが、国際的に認められている腰痛レベル(嘘)でいうと、「ほふく前進レベル」だ。

原因は分かっている。下記二点だ。

1.めちゃくちゃ背が高い(192cm)

2.めちゃくちゃ体が硬い(コチコチ)

オスカー・ワイルドも言っているように「自覚していることはすべて正しい」という名言の通り、原因は自覚していたので、その対処策として毎日ストレッチは欠かさなかったのだが、それでも効果はなく、今回の緊急事態となった。

全く動けないので、ベットで三日間ほど寝たきりだったのだが、腰痛の場合は当然ながら外傷は全くないので、その激痛は人には伝わらない。そのあたりがじつにもどかしい。生涯でこれほどの痛みを感じたことがないほどの痛みを感じるのだが、傍から見るとただの動きの鈍い年寄りにしか見えない。(本人は真剣)

三日間ほどたゆまぬ激痛に苛むと、「人間って、自分が痛い思いや辛い思いをしているときは、人に対して思いやりなんぞ、持てないものなんだ」と心底思う。自分が激痛に苦しむときは「世界平和」や「ソーシャルビジネス」なんて単語は全く浮かばず、ひたすらこの痛みがいつになったらなくなるかだけが気にかかった。またそれと同時に、「果たして、本当にこの痛みは消えるのか?」という恐怖も手伝い、気が気でなかった。(一日の予定を丸々キャンセルするのも気が引けるし、さらに何も出来ないという事実が気を滅入らせる)

これから導き出される結論として、幸せ人だけしかほかの人に幸せを分け与えることはできないという事実だ。2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の講演に行ったことがあるのだが、そのときの「この人、神か!」と思えるほど圧倒的なオーラをふと思い出した。(その講演の様子はこちらから。感動的な話です)

自分自身がより幸せになることがひいては、ほかの人の幸せにも寄与する・・・・・なんというか、つべこべ考えずに人はもっと自分の幸せに対して貪欲になればいいのではと思う。それを突き詰めれば、結局はほかの人も幸せのほうが自分も幸せという結論にたどり着くのだろう。

あとにも先にもあれほどの圧倒的なオーラを纏った人に会ったのは初めてだが、自分も自分の幸せを突き詰めつつ、ほかの人の幸せの手助けも出来ればと願っている・・・・・腰痛が完治してからだけど。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月22日 (木)

アゴラ:英語学習者への朗報、フリーの時代を生き抜くために:動画見放題サイトから見る未来

アゴラに投稿しました。

フリーの時代を生き抜くために:動画見放題サイトから見る未来

以前から紹介したかったサイトですが、違法かもしれないサイトを紹介するのはどうかと思いました。しかし、CNNのインタビュー記事を読んで、CNNでも記事をしているのならばと思い、記事を書きました。

英語の映画はすべてスペイン語字幕ですが、英語学習者にとってはとても使えるサイトです。ご利用ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月18日 (日)

アゴラ:仕事だけが人生ではない

自分で言うのもなんだけど、けっこうな雑草人生だと思う。ロンドンに行ったときは銀行口座に20万しかなかったので早急に現地で仕事を見つける必要があった。だから、とりあえずバイト探しに奔走し、ホテルのバーテンダーの仕事をすぐに見つけた。

それからも生活のためだけに働いたけど、どの仕事も心底嫌いだった。イギリスは徹底した階級社会なので、ウェイターやバーテンダーなどをしていると人から馬鹿にされる機会も多い。日本に帰国してからもカメラマンアシスタントや翻訳、派遣などもやってどうにか食いつないだ時期も長い。20代全般を通して常にお金はなかったけど、人生自体けっこう楽しんでいた。

だからちきりんが書いた「退職決断のための「黄金基準」はこれだ!」というエントリを読んで、違和感があったので、それに対する自分の意見をアゴラに書いてみた。

「仕事だけが人生ではない」

自分の経験を含めて考えると、「楽しくない仕事」を続けるのも悪くない選択肢だと思う。ロンドンに居た頃は、ロンドンに住みたいがためだけに多くの「楽しくない仕事」をしたけど、ロンドン生活は今でもいい思い出になっている。それはほかの仕事についても言える。

仕事も人生も楽しいのは理想であることに変わりはないけど、仕事が楽しくなくてもそれほど悲観することはない。だいたい仕事なんて、そんなものなわけで。(身も蓋もないけど)

重要なのはいかに人生を楽しむかという戦略だと思う。そのなかに仕事という戦術があるだけで、それがイコールではけっしてないということは肝に銘じるべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月16日 (金)

アゴラ:自爆スイッチを押さないための処方箋:自己を客観視するということ。

今日ロレーナ先生とのスペイン語のレッスンで、「どうして日本ではそんなに自殺者が多いのか」ということを話した。

自爆スイッチを押さないための処方箋:自己を客観視するということ。

で、アゴラに書いてみたが、きっと本質的なことはもっと根が深く、到底ブログ記事としてはアップ出来ない分量になると思う。

自殺率が高い理由のひとつに、日本人は自分たちが思っている以上に感情論で動くということの自覚の無さがあると思う。自殺という行動はどんなに考えても論理的な帰結としては成立し得ない・・・・ただこの問題は考えても考えても、なかなか結論が出ない根深く問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月11日 (日)

フェアな関係を築くということ:トップがフェアプレイをする限り、組織は公平になる

ワンズワードオンラインで自他共に認める人気実力ともにナンバーワンであるJOY先生が現在、長期休暇を取っている。(生徒様にご迷惑をおかけして大変申し訳ないと思っていますが、長期休暇後の彼女はさらにパワーアップして帰ってくるかと思いますので楽しみにしていてください)

その発端となったのは、彼女を去年日本に招いたことだ。15年ぶりの海外、それに10年近く長期休暇を取っていなかったので、そんな働き詰めの彼女に違う価値観を持って欲しいと思い、日本に招待した。

彼女にとってはとても刺激的な体験だったようで、その経験がきっかけとなって今回は自分から「アメリカに住んでいる友達に会いたい」ということで、一ヶ月の長期休暇を取った。

真面目な彼女はアメリカに行っている間も働くと言ったが、あっさり却下した。せっかくの休暇を「スカイプがうまく繋がるか」とかレッスンの準備などに費やして欲しくなかったからだ。

会社という場所は、個人が成長できる場所であって欲しい。今回のように自分の意志で、何か新しい刺激的な体験をする機会を作ってくれることを応援したい。きっと、彼女が以前まで勤めた会社では、一ヶ月の休暇はおろか一週間の休暇すら取りにくかったかもしれない。しかし、ワンズワードでは可能だ。会社に貢献している人間は、その分自由に振舞っていい。

自分が出来ることは、個人が成長出来る場所を提供することだ。何か特別なことを言ったり、普段から彼らに声をかけて、やる気を促すようなことはしない。成長したいと思っている人間が自然と成長出来る場所を提供したい。

彼らと自分の関係は、ワンズワードという会社が彼らにとって有用であり続ける限り続いていく。そうして、当然のようにワンズワードにとって彼らが有用でなくなったら、関係は終わる、そのような意味においては、とてもフェアな関係だと思っている。

僕が必死こいて彼らにベストな労働環境を作ろうとするのも、ワンズワードが彼らのためにならないと、この素敵な関係が終わると自覚しているからだ。別に特別な親切心からではない。

ややこしいことは嫌いだ。
彼らにとって自分の存在、自分の会社が役に立たないようになったら、我々の関係は終わる。だからこそ、お互いに努力をする。そのシンプルなルールを理解している人たちのみ雇用していきたい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 8日 (木)

語学習得のための残酷な事実について

最近、イギリス人やオーストラリア人とブエノスアイレスで会う機会があり、彼らの共通しているスペイン語の学び方が、「一日最低4時間、ときには6時間から7時間ぐらい語学学校で勉強する」という学習スタイルということを知った。

そんな彼らと話すたびに「なんだかなー」という気持ちになる。仮に彼らがもっと長い期間集中して学ぶのであれば賞賛に値するが、多くの場合は長くて2,3ヶ月しかスペイン語を勉強をしない。

そうして、とりあえずなんとか日常生活で使う言葉は覚えてアルゼンチン、あるいはほかのラテンアメリカ諸国を旅する。母国に帰って2,3年したら一ミクロンもスペイン語を覚えていないだろうが、そのようなことについてあまり彼らは頓着していない。

語学をマスターするのに、集中して勉強することは非常に有効である。でも、結局のところそれにも限界がある。限られた一部の人はそのような方法でマスター出来るかもしれないが、多くの人にとってみれば、そのような勉強方法は苦痛でしかない。日本の受験勉強の延長で、語学を勉強しても意味がない。

ひとつ言えるのは、語学勉強の初期段階において集中して勉強するのは、とても有効だ。自分もブエノスアイレスに来た当初は、毎日のレッスンに加えて、宿題が山ほど出されたので、合計すると一日4,5時間は勉強していた。

だが、最初から自分のなかで明確だったのは、「スペイン語を自分が満足できるレベルで話せるようになるには、少なくても二年はかかるだろう」ということだ。だから、比較的長い目でもっと自分の成果を冷静に判断することが出来たし、なかなか上達しない時期も気落ちしないでどうにかして続けることが出来た。

結局のところ、語学学習の肝は「いかに学習を継続させるか」というただ一点に尽きる。

そうして、語学力向上のカギを握るのは、同じような負荷をかけ続けても、一生今のレベルからは抜け出せないという残酷な事実だ。

手を変え品を変え、自分の足りない部分を見極めて、足りない部分を補って勉強していくしかない。

最初から一日4時間勉強するという目標を掲げることは、馬鹿げている。勉強した時間=学習成果にはけっして繋がらない。語学学習においては、努力が期待を裏切ることが多々ある。

「そこそこのスペイン語」「そこそこの英語」「そこそこの〇〇語」から抜け出るのは、至難の業だ。

人はなんでも誰かや何かを頼りにしたい弱い生き物だ。だから、あほかと思うような「寝てるだけでマスターできる英語学習方法」とか「聞くだけでマスター出来る!」というキャッチコピーに踊らされるのだろう。

「何時間勉強したから、きっと自分は上達する!」というのも幻想だ。最終的には学習の質がモノを言う。誰でも勉強なんてしたくない。だからこそ、最短距離で走ることを目指すべきだと思う。そうしても結局は遠回りになるのだから。

何度も言うようだが、「質で量を補うことは出来るが、量で質を補うことは出来ない」ということだ。
オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」を開校前から常々思っていたことだが、まさか日本から遠く離れたブエノスアイレスでこのことを自分自身で追体験するとは想像していなかった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 6日 (火)

アゴラ:グローバルで通用する人材の作り方:日本サッカーを見よ!

仕事がら、学校の先生たちをよく知っている。彼らの多くは現場でよく頑張って、創意工夫を凝らして授業をしている。(もちろん、なかにはどうしようもない人たちもいるけど、そういう人たちとはなるべく付き合わないようにしている)

それでも、限界がある。それこそ現場でいくら頑張っても、根本的なところが間違っていればどうしようもない。そのような気持ちでコラムを書いてみました。

グローバルで通用する人材の作り方:日本サッカーを見よ!


以前、元日本サッカー代表の名波氏が、中村俊輔を「天才」と評していたが、そんな天才がいかに努力していたかが分かる本です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 1日 (木)

仲間と社会貢献について:嘘くさいほんとの話について

ワンズワードでは、定期的に先生たちに集まってもらって、色々と催しものをしている。普段は皆さん自宅勤務ということもあり、顔を合わせることはないので、このような機会を通じてなるべくお互いを知っておいてもらいたいと思っている。

やはり一度でも実際に会うとお互い仕事がしやすい。そのような意味でもとても大事なことだ。

Onesword_party05

前回はボウリング大会、今回はカラオケ大会で盛り上がったとのことだ。そして、この日の主役はこの人!

うまっ!って、いうか、うまっ!
(ちなみにJOE先生はいつもご夫婦で参加。いつも仲が良さそうで何よりです)

JOE先生、さすがはプロの歌手としても活躍しているだけあって、めちゃくちゃ歌がうまい。こんな風に歌われたあとの次に歌う人は相当神経が太くないと無理だな。

Onesword_party02

研修を終えたSheila先生も参加して、みなさんと打ち解けた様子で何よりだなと思う。ただ問題はどうしても全員参加といかず、いつもなんだかんだと言って半分くらいのメンバーしか集まらないことだ。イロイロ島に住んでいるリッチー先生は仕方がないが、ほかの先生にはなるべく参加してもらいたいと思い、あの手この手を尽くしている。(お車代も出したり、一等賞がデジカメのゲーム大会などもしたが、効果が出ず・・・・)

特に自分がフィリピンに行く場合は、先生たちに会うことが最優先事項としてあるので、色々と手を尽くす。だが、逆の立場で考えてみれば「あの背の高い日本人オーナーが来るのか、うざっ」と思われている可能性も高いなと思う。

だいたい「社長」とか「オーナー」とかいう言葉自体、重い。なるべくならば、そのような肩書きの人物と会うことを避けたい気持ちは分かる。そのようなことを省みて、もうこちらとしては「会っていただくだけでありがたい!」という感謝の気持ちで持って今後接していきたいと思う。

時々、勘違いしたボスが何を思ったか目下のものに対して、わざわざ宴の場で説教や小言、さらには自慢話まですることもあるが、あれは愚の骨頂だろう。ましてや「おごってやるんだから、おれの話聞けや!」的な態度は最凶最悪だと言える。

もう、恋人と接するときにように「アゲアゲな感じ」でいかないと・・・・それは無理かもしれないが、ただでさえ怖い存在である目上のものは、その場でへらへらと笑って、「ああ、この人なら大丈夫かも」と思われたら、それで成功と言える。

New Encounters: A ONE’S WORD Experience

ちなみに昨年、自分がフィリピンに行ったときに、仕事の都合でどうしても退職しなければならなかったMARIE先生がその時の体験を書いてくれていました。(これ、最近知りました。LANI先生という新しい先生を面接しているときに、「あなたのことがとあるブログに書かれていて、だから興味を持ったの」と言われて初めて気づきました)

MARIE先生も書いているように、当日何か特別なことを言ったわけでもなく、それどころかただ冗談を言い合っていただけのような記憶がありますが、それでも感じてくれる人は感じてくれるのだなと嬉しく思いました。

結局のところ、人生その場で取り繕うことは出来ず、日々の行いこそが反映されるのだなと強く印象付けられました。今後も彼らの期待を裏切らないように、忠実に出来ることは実践していき、彼らに会ったときは、「会って頂いてありがとうございます!」ぐらいな謙虚な気持ちで接して、あとは余計なことは言わずにへらへらと笑っていよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »