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2011年11月

2011年11月28日 (月)

旅と人生について:目的ではなく手段であるということ

ブエノスアイレスに来てからもう何度も訊かれるが質問が「どうしてブエノスアイレスに来たのか?」という質問だが、未だにうまく答えられない。

そこに山があるから・・・・・と同じニュアンスでたまたまブエノスアイレスと思いついたので、住み着いたまでだ。

そして、次に訊かれるのが「ブエノスアイレスに住んだあとはどこに行くの?」という質問だけど、これにも当然うまく答えられない。2,3年はいるつもりだけど、明日嫌になってふらっとスペインあたりに行ってしまうかもしれない。

とくに場所に関しては無頓着なので、ブエノスアイレスに住むと決めるまでは実は世界一周でもしながら仕事をしようと思っていた時期がある。

世界一周航空券

20万から40万くらいまで色々とあるが、ネックになったのは出発前に目的地と日程を決めないといけないことだった。あともう一つ、ネックになったのが・・・・・・

「世界、回るのめんどくさっ」

ということだ。すでに30カ国以上旅をしていたので、どうしても行きたい国というところもなく、がんじがらめの日程とルートで回るのは億劫だった。世界一周というコンセプトだけに、世界を同方向に回る制限などもあり、もっと自由に旅をするほうが自分に合っているなと思う。

だが、イグアスの滝やモロッコのサハラ砂漠など世界には見て圧倒される光景というものがいくつか存在するので、それらをピンポイントにピックアップして見てまわる旅はありかもしれない。

Morocco03

Morocco06
(ほかの写真はこちらのHPに掲載しております。)

新しい風景や違う価値観を持つ人々と会うたびに、「世界は広い」と痛感する。そうして、自分の小ささも同時に痛感して、より謙虚に人生に取り組むことが出来る。

旅をするということは、あくまで手段であり、目的ではない。人生もまた然り。生きるということは、それ自体が目的ではなく、何かをしたり誰かを好きになったり、事業を起こしたり仕事をしたり辞めたり、色々なことを行うための手段だ。

「人生とは?」とそれ自体の意味について悩んでいる暇があれば、世界に出てそれを経験したほうが早い。結局のところ、人生それ自体には意味はない。それはただの手段なのだから。

そんなことを考えていたら、またふらっと旅に出たくなってきた。今度、日本に帰国したらアジアをぶらぶらとまた回ってみようかなと思っている。

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2011年11月26日 (土)

人を信頼するということとは:ワンズワード流の育て方

来年、3月下旬にEgo Ugan三姉妹を日本に呼ぶつもりだ。本来はもっと早い時期に呼ぶ予定だったが震災の影響などもあり少し遅らせた。

JOY先生を日本で呼んでからもう丸一年経つが、今後定期的に先生たちを日本で呼んで、生徒様と交流してもらいたいと思っている。

でも、たぶんそれは大義名分で、本当はそういう場を創るのが好きなんだと思う。人と人が出会う場所をプロデュースするのが好きなのだ。もちろん、誰でもいいわけではない。自分が信頼した人たちが有機的に繋がって、なにかが生まれるのが好きだし、うまく彼らを繋げてまた新しい何かが生み出されればと想像するだけで楽しい。

思えば去年JOY先生を呼んだ時は事業としては一円も儲かっていなかったが、それでも呼んだ。働き詰めの彼女に違った経験をさせたかったし、お金というモノサシで計れない何かが世の中にあるということを理解して欲しかった。それにやはり日本という国と人をより深く理解して欲しかった。

今回は三人呼ぶので、自由に行動させようかと思っている。好きなところに行って、好きな食べ物を食べて、好きに行動させようかと。無責任かもしれないが、いい大人三人、いちいち指図やアテンドしなくても行動できるだろう。あっちいけ、こっちいけと言われるよりは、より自分を成長させることができるのはと思っている。

会社としては、成長させるチャンスを与えることは重要だ。結果、成長しなかったら、それは会社の責任ではなく、個人の責任だ。だから最初からなるべく厚遇をし、昇給やボーナスなども与える。わかりやすいシステムが一番だと思っている。

人を信用すると裏切られるのが怖いという人がいる。
しかし、人を信用するということは、それも込みでその人に期待することだと思っている。

信頼を裏切られたら、その人にとってロスだと思うが、自分にとってあるいは会社にとってロスだと思わない。なぜなら、自分がベストだと思える環境を彼らに提供している自負があるからだ。

100%リスクのない人生なんてありえないし、リスクを率先して取ったほうが見返りが大きい。ルールでがんじがらめにして人を管理するのはある意味簡単かもしれないが、そんなことには興味はない。

自由な環境を与えて、そこで心底努力する人間と一緒に働きたい。
自宅でスカイプを使ってレッスンを行うという形態を取っている以上、それは変わらない。

「言語を教える」ということはとてもクリエイティブな作業だ。とすれば、レッスンの質は先生たちの創造力にかかるところは大きい。研修をして、ある程度の教え方を指示することは出来るが、最終的には本人たちの努力がものを言う。

このやり方が絶対的に正しいとは思わないし、間違っているかもしれない。だが、自分の会社では自分が信じている信念で持って経営をしていきたい。結果は、長い目で見れば出るだから、焦ることなく自分たちが出来ることを行なっていきたい。


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2011年11月22日 (火)

生きているあいだにできること:たくさんの過ちとたくさんの幸せ

人生において、一番大事なことはなんだろう?
と訊くと、たいていの人は「家族、子供」などと答えるが実際はその時間のほとんどを仕事に費やしている。そうして、多くの場合は好きでもない仕事に多くの時間を費やしているのが現状だ。

そんな仕事は辞めてしまえばいいというのは外野の勝手な話で、生活のことを考えるとそうもいかない。そうして、できるだけ長く同じ仕事を続けることになる。ほかに人生やることないのかと考えてしまう。

これだけの世界不況のなか、あまり先のことばかり心配していても始まらない。そんなに真剣に考えても、たいしていい解決策はない。あらゆるものは流動的だし、結局のところ一日一日を一生懸命生きて、「昨日よりもより良い自分」を目指すしかない。

最近、父親が「うどん屋を開く」と言って家族中を巻き込んでいるのを傍目で見ながら、やはりほかに何かないのかと思う。もう70歳近いのだから、「1000万円持って世界を豪遊してくる!」と言っていたら、家族中が応援していただろうが、駅前によくあるような立ち食いうどん屋を開きたいと言われるとどうかと思う。

ずっと独立して自分の店か会社を持ちたいと言っていたので、今になってようやくそれが叶う状況になったから、彼の気持ちを一応は理解出来るが、正直時遅しだ。

夢や目標を持つのは素晴らしいことだ。だが、そのために色々なことを後回しすると、ろくでもないことになる。別に刹那的に人生を生きて、享楽的に時を送ることをよしと思わない。だが、自分のやりたいことをいつまでも先送りにしていると、いざやろうとしてもたいていの場合は、すでに時を逸している。

子供の頃、父親の姿はほとんど見かけなかった。たいてい夜遅く帰り、休みは週一日だけだったので、昼過ぎまで寝て過ごしていた姿しか記憶にない。当時、何を思ってそこまで仕事に時間を費やしていたのかは分からない。


Moments
(上記は英語翻訳で原文のスペイン語はこちらから)

アルゼンチンが誇る作家ボルヘスが書いたとされる詩(実際は違う人が書いたという説が有力らしいですが)を今日のスペイン語のレッスン中に読みながらふとそう思った。

家族のために朝から晩まで働いていると言う人がいるが、それはきれいごとだ。家族の誰もそんなことを望んでいない。結局、人間は自分のために働いている。それを自覚していないと、下手な言い訳をして、結局それに足元をすくわれることになる。

「会社のため」「家族のため」「社会のため」と詭弁を弄すると、自分自身ですらそれに騙される。仕事は自分のために行い、その次のステップとして他者のことを考えればいい。現実的に解決しなければならない問題は多いが、それこそビジネスライクに取り組めばいい。

世の中、自分にしか出来ない仕事なんて存在しない。どんなに偉大な作家や画家、社長だって代わりはいるし、常に時代は進歩している。逆説的に言うと、いくらでも代わりがいるから安心して人生失敗すればいい。

If I could live my life over again,
in the next one I would try to make more mistakes.
I wouldn't try to be so perfect, I would relax more.
I would be sillier than I've been,


もし、人生もう一度生きることが出来たら、
次の人生ではもっとたくさん過ちを犯そう
完璧なんて目指しはしない、もっとリラックスして、
今までよりもずっと愚かな振る舞いをしでかすよ。


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2011年11月19日 (土)

経営するということについて:スペイン語オンラインスクールの将来性

最近、スペイン語の勉強がダレてきたので心機一転するために、今日初めて新しい先生のレッスンを受けてきた。彼もまたマテアス先生といい、これで男はマテアス先生二人、あとはメルセデス先生、姉のロレーナ先生からレッスン受けることになった。

合計4人の先生を取っ替え引っ替えしながら習うことになるので、刺激もあり、またこれで心を入れ替えてレッスンに望めるだろう。

しかし、仮にアルゼンチン人を雇ってオンラインスペイン語スクールを開くとして、彼らを雇いたいかという視点で見ると、どの先生もピンとこないなと思う。一生徒として、自分の努力で諸々至らない点をカバーするのであれば彼らはとても優秀な先生だと思うけど、自分が雇う側になると色々とリスクもあるので慎重にならざるを得ない。

今、一番お気に入りのロレーナ先生も、あらゆる点でルーズなので、ちょっと躊躇すると思う。個人的に鼻歌まじりで「ウン・モメンティート(ちょっと待ってね)」と言いながらレッスン中に友達の電話に出たり、「お腹空いたから、バナナでも食べる?」と言って有無を言わさずバナナを食べたりする彼女は好きだ。

一度、うちでレッスンをしたときなんか自分の都合で約束の時間の1時間前に来て、「ちょっとパソコン使っていい?」と言ってメールを数通送って用事を済ませて、「お腹空いた。いちごでもない?」と言って人の家の冷蔵庫を開け、腹ごしらえをしてから来てからきっかり2時間後には去っていったときもちょと微笑ましい事件として記憶に残っている。

日本人のサービス業に対する要求の高さを重々承知している身としては、そうそう安易に雇うことは出来ないと思う。それに「どうしてそういうことをしてダメか?」ということについて説得力のある説明ができる自信がない。(究極的には「対顧客」という関係性がアルゼンチンと日本では違うということに尽きる。ここでは友人のように振舞っても許されるが、日本ではまずありえない)

そう色々と考えるとビジネスとしてオンラインスクールを経営するのはそれほど簡単なことではないなと今更ながら思う。たまたまいい出会いがあったので今はうまくいっているが、それを継続していくには少しづつ物事を改善していくしか道はない。

ブエノスアイレスで出会う人たちにオンライン英会話スクールを経営しているというと、「きみが英語を教えているわけではないのだろう?だったら何をしているの?」と言われるが、一言では済ませられない色々なことをやっているわけで・・・・・・「テニスをしたりタンゴを踊ったりしているのは仮の姿で、うんぬん」と歯切れが悪い説明しか出来ない。

きっとただの運がいい人と思われているかもしれないが、それもあながち的外れではないので、それはそれでよしとしよう。

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2011年11月17日 (木)

プロとは:ワンズワード流の教え方

「だから、どうした!」と言われそうだが、もうかれこれテニスを始めて7年近く過ぎた。30歳を過ぎた頃から始めて、せいぜい週1,2回プレイするのがやっとだから、たいして下手でもなく上手くもないというレベルだ。

いわゆる趣味というやつだ。

「30歳を過ぎたから健康のために、いっちょ運動でもやってみるか」という程度の動機で始めたので、周囲もどうせすぐ辞めると思っていたのだろうが、意外と気が長い質で今でも続けている。

試合に出る予定もないし、出たいとも思わない。ただ楽しくテニスが出来ればいいと思っている。ブエノスアイレスに住み始めても週1回程度の頻度で続けている。だが、今習っているコーチが来月から夏休みでニュージーランドに三ヶ月行くというので、「まあ、そのあいだ代わりのコーチでも探すか」という案配で、色々と知り合いを頼りに訊いてみた。

そうして、たまたま見つけたコーチに昨日、テニスを初めて習った。するとまず「グリップの握り方が違う」と指摘され、細かい修正が入った。

「これか!」と思った。

そのあともするどい指摘がずばずばと入った。そのたびに「なるほど!」といたく感心した。下品な話し、これならお金を払う価値があると心底思った。たかだが趣味程度のことでも、本物に会うといたく感動する。当人にとってみれば当たり前のことを指摘しているだけなのだろうが、「今までの練習がなんだったんだ!」というくらい違う。

ワンズワードもかくありたい。

自分たちが提供しているサービスはお金に換算できないくらい素晴らしいものでありたいと思う。「趣味で習っているから」とか「生徒にやる気がないから」というのは、所詮はアマチュアな人間の言い訳にしか過ぎない。

プロはまずは自分が納得するレベルで教える。そうして、相手のレベルに応じて、より分かりやすい教え方を選択する。

出来る人間というのは結果に関して無頓着なものだ。なぜなら、常に自分がベストを尽くしたのを知っているから、そのあとの結果に関してはとやかく詮索はしない。そういうかっこいいプロたちのみを今後も雇用していきたい。

彼ら彼女たちは、毎日のように同じことを教えている。ヘタをすれば、毎日がけだるい時間の連続になりがちだ。だが、それでも教える相手は毎日違い、彼らは「ただのレッスン」以上のものを要求している。そのことを深く自覚している人たちを雇用して、大切にしていきたい。

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2011年11月14日 (月)

無駄をそぎ落とし、実を取る選択をするために出来ること。

ドイツの文豪ゲーテは「ローマは一個の世界であって、それを通暁するのには、まず数年を必要とする。だから、通り一遍の見物をして立ち去ってゆく旅行者を見ると、かえって羨ましいくらいだ」とその著書である「イタリア紀行」で語り、ゲーテは実際2年ほどイタリアに滞在した。

だからと言う訳ではないが、人からブエノスアイレスにどれくらい滞在するのかと訊かれたら「2年」と答えている。

ブエノスアイレスに着いてからずっと2年と答えているので、すで半年以上経った今は「あと一年半」と答えるべきかもしれないが、それも面倒くさいのでずっと2年と答えている。

せいぜい長くて半年しか滞在しない外国人たちがやれ「イグアスの滝だ!メンドーサだ!(ワインの産地)」と騒いで旅行に勤しんでいるのを尻目に、日々スペイン語の勉強をし、タンゴのレッスンを取り、日本にいるときと同じように仕事をしている自分がいる。

「日本にいるときと劇的に変わったことは?」と訊かれたらも困るくらい、通常運転な日々を送っている。はしゃぎもしないし、かと言って退屈でもない。そんな当たり前の日々だ。

行きつけの八百屋さんで、「日本語でオラ!ってなんていう?」などという質問に答えながら野菜を賈い、スーパーでは「おまえは日本人なのにマテ茶を飲むのか?」と言われ、そんななんのことはない当たり前の日々を送っている。

20代の頃にイギリスにいた頃はもっとはしゃいでいたが、今となってはそんなにはしゃぎ気にもなれず、淡々と過ごしている。ふと世界的な経済不況に思いを馳せたり、何かしら新規サービスを考え出さないとなどと考えはするが、ブエノスアイレスに住んでいるということ自体にあまり考えは及ぼない。

色々な土地に行ったし、色々な人と話したし、色々な経験もした。そうして、もっと色々な経験をするために、手を変え品を変え日々生活を改善する努力はしている。

当たり前のことだが、自分に出来ることには興味はあるが、出来ないことには興味はない。そんな切り分けがすでに出来ているので、なるべく無駄を削ぎ落として生活している。

「2年経ったら、どうするのか?」とも訊かれるが、別にそんな先のことには興味は湧かないし、その頃には必然と思える決断を下しているだろう。どこに住むかというよりは、何を成し遂げるかのほうがより重要だ。そのための選択肢を増やすために、少しつづ自分の可能性を広げていくしかないと思っている。


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2011年11月11日 (金)

けっして諦めないことの大切さ:ことばを覚えるということ。

最近、スペイン語に対しての熱も若干冷め始めている。約半年間、根詰めて勉強して、結局この程度かという落胆から来ていることは自覚している。もちろん、それぐらいは十分に予測していたことだが、実際にずっと自分の語学力が足踏み状態だと、嫌になる。

初級から中級になるには、スポーツでも語学でも比較的簡単だ。

しかし、その長い中級レベルを経て、上級レベルに上がるのが非常に難しい。その間、どのようにモチベーションを保つかが鍵になる。

結局のところ、一番手っ取り早い方法は「ライバルを見つける」ということではないだろうか?身近に自分よりもちょっとうまい人がいると、モチベーションは上がるし自分も教えてもらえるしでとても有意義な関係が築ける。(だからこそ、ワンズワードではグループレッスンを無料で開催している)

ただそれでもダレる。それは仕方がない。そんなときは違う先生のレッスンを取ったりしてモチベーションを上げたりするのもいいかもしれない。一番ダメなのは「ちょっと息抜きも必要」と思って学習をおそろかにすることだ。(まあ、かくいう自分も今週疲れたなと思ってレッスンをサボろうとしましたが、身を再度引き締めました)

そんなわけで、今日はロレーナ先生に今週から毎回のレッスン時には作文を書くと高らかに宣言し、少し自分にプレッシャーをかけた。ほんとに小さなことだけど、「口に出す」ことによって逃げ場を失くして、ともかく自分を追い詰めないと、人間なんて努力しない。

そうして先生を変えるということについても、今新しく先生を探しており、ローテーションの編成をいじるかもしれない。まわりに優秀な先生を揃えておくに越したことはない。

「ライバルを見つける」ということに関しては、非常に難しいが、もう少ししたら語学学校に通うことも視野に入れている。今の語学力ではまだ早いかもしれないが、そんなことを言っていたらきりがないので、どんどん自分にプレッシャーをかけて追い詰めないといけない。

と色々と考えていくうちに、僕はドMじゃないかと思い始めた。
他人との競争やテストなどの目に見える成果よりも、自分だけが上達が感じられる瞬間のほうが心底満足感を得られる。

たとえば、テニスなどでも試合の結果よりは、自分がその日に満足できるサーブを打てたかどうかのほうが気になる質だ。なにか精神的に病んでいるのかもしれない。言い訳をするならば、人生なんて所詮は自己満足の結果だ。人にとやかく言われるよりは、自分の満足を優先させたほうがより健康的だ。

語学習得なんて、目に見えない成果の積み重ねしかない。どんなに頑張って暗記したところでどんどんと忘れていく。しかし、たぶん記憶の深層には粘膜のようにそれがべったりと貼り付き、繰り返し補強することによってしっかりと根付く。

そうして、初めて言語化かされコミュケーションが可能となるのだろう・・・・・なんて気が遠くなる作業なのだろう。時々、「ボケたか、おれ?」と思うけど、それはまだまだ「粘膜の補強」が足りないのだろう。

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2011年11月 8日 (火)

アゴラ掲載記事:ノマドという時代の大きな波について:ジョブズの伝記を読んで感じたこと

人間は感情的な動物である。
そして、物事を成就する・・・・もっと砕けた言い方をすると、仕事を前に進めたり、物事を前に進めたりするためには、その感情を抑えるか、爆発させるか二通りの方法がある。

スティーブ・ジョブズの仕事のやり方はもちろん後者で、若い頃は「怒れる若者」そのもので常に体制に対してアンチで、自分が正しくないと思ったものや人に関しては、徹底的に攻撃をした。

後年、アップルをクビになってからは、物事の進め方が少しはスムーズになり、その後アップルに戻ったあとは「あんな怒りっぽいやつにCEOが務まるわけはない」という懸念をよそに、素晴らしい成果を出した。

ただ彼は変わらなかった。アップルに戻ってからもめちゃくちゃだったし、常に相手をやり込めていたが、そのやり方がより巧妙に効果的になっただけだ。相手の弱点を見抜き、そこを徹底的につき、時には感情を爆発させて、相手をやり込める。

見方によっては詐欺師と変らないが、彼は自分が「より良いもの、より美しいものを作る」ためにすべてを犠牲にする覚悟でいたし、結果、世界を変えた製品をいくつか世に残した。
(ニューヨークのMOMAにその製品がいくつか飾られてもいる)

一方、日本的なマネジメントはいかに感情を抑えて、人を制御するかにかかっている。何度か、アメリカ人のビジネスマンの営業に通訳として付き添ったが、彼らは日本人が一体何を考えているか分からないとこぼしていた。

「社内で検討します」「なにかあったら、ご連絡差し上げます」などは基本的にはすべてNOという返事だと教えても、彼らは納得は出来ないし、では次のステップとして何を提案すべきかを知りたがった。

日本では「イエス」というとその仕事に対して責任を持たないといけないので、誰もがイエスと言いたがらない。成果主義とは名ばかりで、最初の持ち点は100点としたら、あとはひたすら減点される。アメリカは最初の持ち点がゼロ点なので、とにかく目に見える成果をだそうと必死だ。日本の大企業ではミスを恐れるあまり、決断が遅くなりがちで、結果何かを成し遂げた人ではなく、ミスをしなかった人が出世することもままある。

そうして、ソーシャルメディアの波が日本を襲った。

佐々木俊尚 「ノマドの時代」

「それは会社としては許されない」「個人としてならばいいけど、会社として取り組むとのは・・・・」という言い訳に我々は聞き飽きたのかもしれない。やりたいことをやり、ダメならばダメで自分で責任を取る、そういう社会のほうが健全だと誰でも薄々気づいているはずだ。

出来るやつは出来るし、出来ないやつは出来ない、そのような当たり前のことを認めず、「全員平等」という幻想を企業として信じ込む時代はとっくに終焉を迎えて、我々一人一人がノマドとなり、自分という責任を全うする時代が来たのかもしれない。

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2011年11月 4日 (金)

経験をアウトプットするために:オンラインでの語学習得について

今日のロレーナ先生のレッスンはずっとビジネスの相談だった。以前も「オンラインスペイン語スクール」を一緒に立ち上げようと相談されたが、あまり乗る気ではなかったので色々とアドバイスだけをしたら、今度は生徒のアメリカ人と一緒に立ち上げるという。

オンラインでの語学スクール(日本ではポピュラーなオンライン英会話スクールなど)というのは、ビジネス的にかなりおいしく映るらしい。

1.在庫を持つ必要がない。
2.あまりランニングコストがかからない。
3.先行投資がそれほど必要ではない。
4.定期的な収入が見込め(月額課金)、なおかつそのために仕入れを必要としない。

そしてあとはきちんと月額料金は払ってもらって、いかに多くの収益を上げるかを考えるわけだ。受講している人たちにはお金だけを払ってもらって、あとは受講していること自体を忘れてくれることが望ましい。

このビジネスモデルの代表的なものが、「フィットネスクラブ」だったり、「一度破綻した駅前留学で有名になったN◯◯A」だろう。(ワンズワードなんて、ボーナスレッスンチケットなんて謳って、レッスンをスケジュール通りに受講すれば、ただでチケットがもらえる。酔狂なシステムだと思う。ビジネス的な観点からは間違っているが語学習得論で言うと正しい・・・・誰もそんなことは話題にしないけど)

ビジネスとはそういうものかもしれないし、それはそれでいいと思う。「お金を儲けたい!」というのは純粋な動機として、もっと評価されてもいいし、そのために頭を悩ますことも尊いものだ。(ホリエモンなどは「拝金主義」と揶揄されたが、みんなお金を儲けたいと内心では思っているくせに、ひどい言い草だ)

でも、自分はそれにはあまり興味が湧かない。こればっかりは仕方がない。もうシステムはあるので、韓国語でもスペイン語でもやろうと思えば明日からでも出来るが、食指が動かない。

そうして、自分に触発された人がどんどんオンラインスクールを立ち上げていくのを、ぼーと見ている。それもそれでひとつの在り方だ。

では、自分は何をしたいのかと考えると、まずは「問題解決」が念頭にある。オンライン英会話スクールを立ち上げたのは、「正当に評価されるべき人が、あまりに不当に評価されていた」ことと、「語学習得に必要なのは優秀な先生との出会い」であるという信念が融合したからだ。

そんなことを言っていると多くのビジネスチャンスは逃すし、当たって砕けろの精神で何でもやってみたほうがいいのかもしれない。

それにほかの言語にあまり興味が湧かないのは、とりあえず英語さえ話せるようになれば、世界ではなんとかなるということを経験的に知っているからだと思う。あとは趣味の問題だ。

英語をどうしても話せるようになりたいと思う人のためには力になりたいと思うが、スペイン語をどうしても話したいと思う人がいれば「留学したほうが手っ取り早い」と思ってしまう。(やるとしても、ターゲットはアメリカ人とかのほうが好ましいので、ある意味ロレーナ先生はいいパートナーに出会えたのかもしれない。日本人がゼロからスペイン語を習得するのには多大な時間が必要なので・・・・・あとは留学直前集中コースとか限られたニーズだろうな)

せっかくブエノスアイレスに住んで得難い経験をしているので、この貴重な経験をアウトプットはするつもりだ。今はそのための充電期間だと思っている。今、目の前に与えられた瞬間をより充実したものにしていけば、おのずとその手がかりも手に入るだろう。

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2011年11月 2日 (水)

言いたいことがあるから、話せるようになるということ:語学習得の近道

今日は朝10時からメルセデス先生(30歳・女性)のレッスン2時間、それからお昼ごはんを食べて、マテアス先生(26歳・男性)のレッスンを2時間受けてきた。

マンツーマンのレッスン各2時間の合計4時間のダブルヘッダーだ。

特にマテアス先生とのレッスンは、彼が非常に無口なので、こちらからずっと話して、気がついたら2時間経っていた。もちろん、まだまだ分からない単語が多いので、途中詰まったりしたが、議題は「アルゼンチンの財政破綻と日本の現在の経済状況」という内容だったので、個人的にとても興味深かった。

今更ながら、言いたいことがたくさんあるのだなと痛感した。合計4時間話しても、まだ話し足りないくらいだ。

別にこれはスペイン語に限らず、英語でも、日本語でもたくさん言いたいことはある。話したいことがあるから、人に伝えたいことがあるから、語学を勉強していると言っても過言ではない。

今はメルセデス先生のレッスンが週三回、ロレーナ先生(37歳・女性)のレッスンが週二回、それにマテアス先生のレッスンを週二回受け、合計週14時間のレッスンをこなしている。それでもまだ足りない気がするので、時々パーティーなどに出かけて行ってはスペイン語を話す機会を設けている。(ただ、今の自分のスペイン語だと初対面の人と話すのにはきついので、英語に切り替えたりしている・・・・)

結局のところ、語学を上達するコツはインプットの量による。それは何も語彙や文法といったことに限らず、あらゆる情報を吸収し、そこから自分なりの考え方をまとめるという作業も含まれる。

言いたいことがないやつは、喋れない・・・・・それに尽きる。

それは何もおしゃべりな人間になれというわけではなく、「人に何かを伝える」ということを前提にして話しているかどうかだ。特に海外に出ると、日本の生活や風習に関して意見を求められることが多いので、それらについてきちんと語れることはとても重要だ。

情報をただインプットすることは簡単だ。だが、それらを取捨選択して、自分なりに分析して、外国人にも分かるように伝えるにはスキルが必要だ。新聞の受け流しのような情報は誰も求めていない。彼らにとって新奇で物珍しい意見や主張があれば、ぐっと彼らとの距離は縮められる。

来年3月には一時帰国しようと思っているので、それまでにはひと通りのスペイン語の勉強を済ませて、2年目からはもっと現地の人たちと交流できるように環境を整えていきたい。

Halloween
(ハロウィーンパーティーにお呼ばれしたので行って来ました。けっこう本気で変装している人が多くビビりました。来年は日本に帰国した際に東急ハンズあたりで変装グッズを仕入れてから参加します)


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現実を見つめて自分の頭で判断するということ:明るい未来に向けて

今日のマテアス先生とのレッスンでは「アルゼンチンの財政破綻について」に色々と訊いた。(詳しくはリンク先の記事をお読みください)

アルゼンチンの財政破綻と日本に起こる財政破綻をよく比較する人がいるが、それまでの経緯と経済規模を考えると、似ても似つかないのであまり参考にはならない。だが、これだけ国の借金が膨らんでしまうと、いずれ破綻するのは避けられないのではないかと思ってしまう・・・・・・

実際に一度財政破綻した国に住んでいる身としては、ひとつの国が財政破綻することは容易に想像できるので、そのときのための対策はきちんと考えておかないと思ってはいる。

リアルタイム財政赤字カウンター 11

上記のカウンターを見ると、国の借金はすでに1000兆円を超えている・・・・・・そして、恐ろしいことに一刻ごとにどんどんと増えている。

このような状況のなかでも、大前さんは日本という国に絶望せずに色々な提言を行なっている。日本の膨大な借金にめげずに提言する大前さんの説得力はすごい。

「答えのない時代は自分で答えを出す能力が大切」というのは最も大切な教えの一つだろう。

アルゼンチン人は自分の身は自分で守るということが徹底している。一度、財政破綻した彼らは銀行など信用せずに、お金はモノや不動産に投資して、現金を持たないようにしている。翻って、日本は「日本人は大丈夫」という全く根拠がない自信に支配されて身動きできない人たちが多い。

小さな会社の一経営者として、どんなことがあっても事業は継続できるように、あらゆる手を考えて手を打っていきたい。

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