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2011年8月

2011年8月31日 (水)

文句があるやつは出ていけばいい:これからのノマドのあり方。

日本と違い、世界には「基準:スタンダード」というものがないことが多い。
たとえば、ブエノスアイレスの不動産屋などは、不動産屋によって取るコミッションがかなり違うし、物件自体も本当にピンきりだ。

日本では「掘り出し物の物件」などは中々見つけることは難しいが、ここブエノスアイレスでは東京では考えられないくらい素敵な物件はたくさんある。

だがしかし、ここブエノスアイレスでは通常にメールのやりとりが出来ない。物件が空いているかどうか不動産屋に問い合わせのメールを送っても、たいてい返事は来ない。当然、埋まっている可能性もあるし、そうでない可能性もある。それを確かめるために実際に返事がなかった不動産屋に行って同じ物件について問い合わせたが、あとで調べてメールをくれると言われた。

まあ、当然メールは来ないし、最初から期待もしていない。

なかなか面白い人たちだなと思う。別にこれは外国人に限ったことではなく、最近マンションを購入したアルゼンチン人のロレーナ先生も同じことを言っていた。彼女は政府が特別に作った住宅ローンでローンの借入を行い、そのローンは45日間以内に実際に物件を購入しないとその権利は無効になるという特殊なものだった。

だから、不動産屋に問合わせた時点で「こいつは絶対に物件を買うカモ」という状態なわけだ。それでも、彼女が電話やメールで該当する物件を問い合せても「その物件はもうない」とにべもなく断られることが多々あったらしい。

彼女いわく「ブエノスアイレスは建築ラッシュだから、物件なんて有り余っていて他にもたくさん物件はあるのに、彼らは絶対にそれらを探して提案することなんてしない!」と憤慨していた。そして、続けて「そのくせ、お金がない、お金がない、と文句ばかり言う」とのことだ。

マクドナルドに行っても「スマイルゼロ円」というのはきっとネズミが住む夢の国の話だと思わんばかりの接客態度だし、注文を取ってからノロノロと動くその姿を見ると、「マックジョブ(単純労働)」という言葉の定義すら怪しまれる。

そういったサービスが行き届かないひとつひとつのことを見るのは、ある意味新鮮だ。日本では金太郎飴のごとく均等で均一で高品質なサービスが享受出来るが、そこに個性というものは感じない。

僕は人として、ブエノスアイレスの人々のほうがより自然なのではと思っている。人間なんて、誰からか強制されないと何もしない怠惰な生き物なのだ。きっと、彼らのボキャブラリーに社畜なんて言葉は存在しないだろう。

年間3万人以上の自殺者を出しているいびつな日本社会よりも、犯罪都市ブエノスアイレスのほうがより社会的に豊かだとは言い切れないが、欲望により忠実なのはこの地の人たちであることは明白だ。

自分自身は学者でも政治家でも活動家でもなんでもないので、基本的に自分が所属している社会の社会的問題はすべて個人的な問題だと捉えるようにしている。それらが気に入らなければ、また違う土地へと移ればいいだけだと割り切っている部分があるからだ。

インターネットというツールを手に入れ、英語あるいはほかの言語を習得し、ある程度のソーシャルスキルがあれば、そのような考え方でも生きていける。人はそれを「ノマド(遊牧民)」と呼ぶかは知らないが、自分自身がだんだんそのような存在になっていることを感じてはいる。

だが、たぶんいずれは日本に戻るだろうとおぼろげに思っているので、そのような形で手に入れたスキルを硬直し始めた日本社会で活かせいかなと考えている・・・・・だいぶ先の話になるかもしれないが。

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2011年8月27日 (土)

【書評】大震災のあとで人生を語るということ

アウシュビッツに送られたフランクル博士は、両親、妻、二人の子どもをガス室で失い、その後自分が奇跡的に生還したあと「夜と霧」という極限状態を生き抜く人たちの心理状況を冷静に分析した本を出版する。

収容所は弱肉強食の世界で、時には友人を売ったり、同じ囚人に対してひどい暴力や窃盗を行う人達のことが描かれている。

そうして、フランクル博士は「最もよき人々は帰ってこなかった」と淡々と記している。

この本の作者である橘玲は「自由とは選択肢の数」だと考えていた自分が大震災後、いかに自分自身が無力でなおかつ、その言説のすべてが絵空事だったかに思い当たる。

3.11の大震災では選択肢を持たない多くの老人が津波に流され、生き絶えた。それは彼らの責任ではなく、ただ1000年に1度の震災に自分たちが生きているあいだに遭遇したという現実のせいだ。

最もよき人々は帰ってこなかった。
震災で亡くなった人々は彼らの責任で死んでいったわけではない。彼らの多くは善良で、日々貧しいながらも精一杯生きていた人々だ。しかし、彼らは1000年に1度の大震災のせいで命を落とした。

「自由とは選択肢の数」だと考えいた橘玲にとってみれば、自分の言説がすべて絵空事に思えてしまうほど、インパクトのある事件だった。

本書はそこを出発点としながらも、「自分たちになにが出来るか」を説いた本だ。

国として、個人として今後様々なリスクを想定しながら、具体的にその対応策を記している。個人として世界市場に投資することや、国が同一労働同一賃金、定年の廃止を導入することを提案している。

彼は「最もよき人々が死なない」ために色々なことを提案している。この際の最もよき人々は、「日本をいい国だと盲目的に愛し、将来に対して漠然とした不安を抱えながらも、総じて今は幸せに生きている人たち」を想定している。

国は一人の力で変えることは出来ないが、個人個人の人生はその個人の意識によって変えることは出来る。今度、この国でなにか大きな変化、災難が起きるときは「想定していなかった」と言い訳しないように、自分たちに出来ることは自分たちで精一杯すべきだと思っている人たちにとっては必須の本だ。


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2011年8月24日 (水)

タンゴと文学とブエノスアイレスについて

週二回、タンゴに通っている。

「ブエノスアイレスと言えば、タンゴ」だろうと思い、安易な気持ちで通い始めた。正直、最初は苦痛だったし、今でもたいして楽しくはない。しかし、まだ初めて2ヶ月近くが過ぎたばかりなので、もう少しは続けてみようと思っている。語学と同じで、タンゴの習得には時間がかかると思っているので、「あきらめ半分」で粛々と通っている。何事も最初は諦めて、深くは考えずにとにかく続けるのが何かを習得するためのコツかもしれない。

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通っているタンゴスタジオの近くに「カフェ・トルトーニ」という1858年にオープンしたブエノスアイレス最古のカフェがある。アルゼンチンが誇る作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスも常連だったという。(ちなみにラテンアメリカ文学は独特の味わい深い本が多く、以前に横浜の大倉山に住んでいたとき、大倉山の図書館で散々借りて読んだ記憶がある。ものすごくマイナーなセレクションで素晴らしい本が揃っていた。なぜかほとんどがラテンアメリカの文豪、あるいはイタリアの作家イタロ・カルヴィーノなどが中心だった)

Congreso20110823

ぶらぶらとブエノスアイレスの国会議事堂付近を歩きながら、まさか自分がラテンアメリカに住むとはあの頃は想像もしていなかったなと述懐した。ただ言えるのは、あの頃に読んだラテンアメリカの文豪たちへの違和感は今でも感じている。そのような自分の感覚とはほど遠い肌感覚に惹かれて、ここまで辿り着いたのかもしれない・・・・・こじつけかもしれないが、「理解し難いもの」に関して惹かれるのは人間の性でもある。そうして、地球の裏側に来たり、宇宙に行ったり、まだ見ぬ土地へ、いまだ存在していない「何か」に向けて人は突き進み続けるのだろう。


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2011年8月22日 (月)

ブエノスアイレスの世界で二番目に美しい本屋で考えたこと

本屋というものは、自分にとってはとても神聖な場所だったし、今でも「本を読む」という行為はとても神聖なことだ。

Ateneo20110822_2

今日は「世界で二番目に美しい本屋(英国ガーディアン紙調べ)」に行ってきた。

Ateneo20110822_2_2

元は劇場だった場所を本屋に改築したとのことで、非常に壮麗な建物だった。ただふと思ったのだが、自分たちの孫、あるいはもっとその後の世代に「本屋」という場所はまだ残っているのだろうか?電子書籍が紙媒体に取って代わることはすでに自明の理だが、それでも「本を読む」という行為が以前と同じように神聖な行為であり続けることが出来るのかふと疑問に思った。

FACEBOOKやスカイプのチャットをしながら「この古いロシアの作家、まじ訳わかんねー」とか言いながらドストエフスキーやトルストイを読んでも、自分たちと同じようにその経験が彼らの心に沁みわたるのだろうか?

「本を読む」という行為はとてもプライベートなことなので、それが新しいメディアによって台なしにされないか少し心配になった。

あと10年もしたら「まだ紙の本なんか読んでるの?ださっ!」と言われるかもしれないが、それでも手に入る限りなるべく本は紙で読みたいと思っている。


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2011年8月21日 (日)

ブエノスアイレスという街について

これはブエノスアイレスだけではなく、ロンドンやニューヨーク、ほかの海外の大都市に言えることだが、地区ごとによってそれぞれ特徴があり、街を歩いてもその地区によって住んでいる人たちが全く違い、ただぶらぶらと散歩するだけでも結構面白い。

Pinkhouse20110820_2

これはブエノスアイレスの中心街にある五月広場にある、通称ピンクハウスという大統領府だ。アルゼンチンでは元々「エデラーレス(赤の党)」と「ウニタリオス(白の党)」の2大政党が争っており、19世紀末に20年ほどかけて建設されたとき、当時であるサルミエント大統領が「みんな仲良くするためにお互いの色を混ぜようぜ!」という感じでピンクになったとのことだ。

アメリカはホワイトハウスで、アルゼンチンはピンクハウスというわけだ。これが赤色だと好戦的な感じがするので、ピンクくらいがちょうどいいのかもしれない。

Mayo20110820

これはピンクハウスの反対側から撮った写真だが、いかに当時アルゼンチンが隆盛を極めていたか、よく分かる建物群だ。

ここから歩いて10分ぐらいのところに観光客が集まるサンテルモという地区があるのだが、日本人が好きなタンゴのメッカであり、また毎週日曜日には骨董市が開かれ、よく賑わっている。

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石畳の路を歩いているだけでも、「海外にいるんだな」と実感する。ブエノスアイレスに来た当時はサンテルモ地区に滞在していたが、今は反対側に位置するパレルモ地区という住宅街に住んでいるので、久しぶりにサンテルモ地区を歩いて楽しかった。

新しい街に着いたら真っ先にその街をひたすら歩くので、ブエノスアイレスのように街が碁盤の目のようになっている街であればすぐに土地勘が備わる。そうして、少しつづ現地の空気に溶けこみ、言葉を覚えて、彼らの考え方を吸収していきたいと思う。

何年かしたら「もうブエノスアイレスは十分!」と思うかもしれないし、思わないかもしれない。それは「神のみぞ知る」だが、なるべく彼らの生活の邪魔にならない程度にはこの文化に溶けこんでいけたらと思っている。

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2011年8月17日 (水)

世界を変えるソーシャルビジネスという考え方

ここ、ブエノスアイレスはインフレだ。そのために、例えば一般のアルゼンチン人が賃貸マンションを借りようと思った場合、半年ごとに家賃の10%が上がる契約になる。10万円の家賃が最終的には13万円程度になるという計算だ。(これは大家によって契約が異なる。契約した一年後には20%家賃を上げるという場合もある)

こちらのデータを見ると、だいたい最近では10%づつ物価が上昇しているのが分かる。

しかし、ご多分に漏れず人々の給料は上がらない。

ウィキペディアのデータによると、国民一人あたりのGDPは9138ドル(約73万円:便宜上1ドル80円と計算)とある。

73万円を12ヶ月で割ると、一人あたりの月収が約6万円となる。

このような月収でどのように生活していけるのか不思議になるほど、物価の上昇は凄まじく、日本と比べても物価が変わらないものは多い。(特に洋服などはユニクロなどがある分、日本のほうが安いくらいだ。メルセデス先生などはもう洋服を一年以上買っていないと言っていた・・・・・深刻な問題だ)

傍から見ていると、インフレの国はどこもそうだが、便乗値上げをしているところが非常に多い。とくに家賃などは最たる例で、データを取っても年間10%しかインフレしていないのに、なぜ半年ごとに10%も値上げするのか疑問だ。

このようにして、富めるものはどんどん富み、貧しいものはどんどん貧しくなる。

だからこそ、ソーシャルビジネスを提唱しているユネス氏のように、「利益を運営会社、従業員、顧客」と正しく分配する仕組みが大事になってくる。ワンズワードのHPにも掲げているように「貧困は貧しい人々によって作られたものではない。貧困はわれわれが築き上げたシステムによって築かれたのだ」というユネス氏の言葉は核心を突いている。

そんな素晴らしいノーベル平和賞受賞者のユネス氏の講演の書き起こしはこちらから。

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2011年8月16日 (火)

人は偶然によって行動し、意志によって成果を得る:本当に大事なことは言葉に出来ない。

週末、久しぶりに遠出をして、ブエノスアイレス中心部から電車で1時間ほどのところにあるティグレというところに行ってきた。(距離的には30kmほどしか離れておらず、車で行くと30分で行ける)

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別荘地だけあり、どこか優雅さが漂う街だった。アルゼンチンが世界の先進国だった時代に、ブエノスアイレスの金持ちがいかに豊かな生活をしていたか分かる街並みだった。ブエノスアイレスの街自体にもそれは言える。今、引越しを考えて色々と物件を物色しているのだが、日本と違い石で出来ている昔の建物は耐久年数が100年ぐらいなので、築80年の物件などが賃貸に出ていたりする。

最近建てられた安普請のマンションに比べて、それらの建物はどれも優雅で、どこか荘厳さを湛えている。そんな建物に住めるチャンスがあると思うだけでも、ブエノスアイレスに来た甲斐があると思う。

今日、スペイン語を習っているロレーナ先生に「よくアルゼンチン人にブエノスアイレスになぜ来たのか、不思議がられるし、ブエノスアイレスが気に入っていると言うとみんな怪訝な顔になる」と言ったら、彼女は「それはアルゼンチン人はどこにも旅行に行かないから。彼らが自分たちがどれだけ恵まれているか分かっていない。アルゼンチンでは医療も教育も無料だし、食べ物もおいしいし、綺麗な建物も多い。経済も政治もこれから良くなっていくしね」と言った。

たしかに的を得ている意見だと思う。

ある意味、成り行きというかある種の偶然でブエノスアイレスに来た。しかし、4ヶ月経った今でも住み続けているのは、この街が自分にとって魅力的だからにほかならない。この街が嫌いだったらとっくの昔に引っ越しているし、ブエノスアイレスに自分を留めているものは自分の感情以外にほかに何もない。

これは人生のあらゆることについて言える。人が行動するときはたぶんに偶然に左右される。たとえば、「あの子がちょっと気になる」という理由で話しかけて、付き合うようになり、やがては結婚に至ることもあるし、子供が好きという理由で学校の先生になったり、「本が好きだから」という理由で編集者になったりするわけだ。

あとから考えると現在の結果を導いている「きっかけ」は本当に些細なことにしか過ぎない。たとえば、自分がオンライン英会話スクールを始めたきっかけも元はと言えば「こいつ、すげえ」と思った出会いが最初だ。

だが、しかしそれが現在もなんらかの形で継続し、そのきっかけから成果を得ているのは、すべて自分たちの意志による。

人はなんらかの偶然によって行動するが、結局は意志によってのみ成果を得ることが出来る。「英語が話せるようになれば、もてるに違いない!」と思って英語学習を始めても、最終的に熟達した話者になれるかどうかは自分の意志による。

きっかけはどんなに不純な物であっても、成果としてきちんと手にすることが出来るのは、そこに本物の感情が伴っているときだけだ。

ただ10年後、まだ仮にブエノスアイレスに住んでいるとして、「どうしてブエノスアイレスにそんなに長い間住んでいるの?」と訊かれても、きっと「なんとなく」と答えるのだろう。

本当に大事なことは中々言葉に出来ないし、10年という月日の重みで人々がその理由を察してくれることを願うのみだ。

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2011年8月11日 (木)

客観的な事実と主観的な事実の狭間で・・・・

スペイン語の勉強を初めて、すでに4ヶ月が経った。ようやく少しはこなれてきて、相手がこちらを外国人と認識してくれて、気を使って話してくれれば、だいたいのことは分かるようになった。ただ現地の人が普通のスピードでぺらぺらと話すと、何を言っているのかまだ分からない。

スペイン語の文法の勉強は佳境に差し掛かっており、文法用語でいうと直接法と命令法が終わり、今は接続法という文法を勉強している。スペイン語を全く知らない人にとってみれば、ワケが分からないかと思うが、スペイン語は「果たして、それが客観的事実か、主観的事実か」によって動詞の活用が違う。

そもそも、それが絶対的に主観的か、それとも客観的な事実かなんてことはかなりあやふやなのだが、文法上の決まりとしてあるので、そのルールに則らないといけない。

例えば、英語でよく「I want you to do 〜(私はあなたに〜をしてもらいたい)」という表現がある。これはスペイン語では、客観的な事実としてでなく、主観的な出来事として判断されるので、接続法というものを使う。

スペイン語の文法は、あらゆることについて、それが果たして客観的な事実か、それとも主観的な事実か厳密に判断する。例えば、「愛する」という言葉でも何種類かあり、「この人を一生涯愛していく」という場合は、「Amar(アマール)」を使うが、それ以外の場合は違う動詞という風に使い分ける。
(この愛は一生変わらないという前提でアマールを使い、ガールフレンズ・ボーイフレンド程度なら違う単語という風に使い分ける。ちなみに英語のBE動詞(is,are など)も恒常的な事実を表す「SER」と一時的な事実(場所・状態など)を表す「ESTAR」がある・・・・・ややこしすぎる!)

このように使う単語ひとつとっても、相手への気持ちが分かってしまうというやっかな言語でもある。

表面的な文法などはそれほど難しくないので簡単に学ぶことは可能かもしれない。しかし、その裏にあるこのようなある種哲学的な法則を理解して、その言語を使いこなすにはそれ相応な時間が必要なのだろうなと自覚している。

英語でもスペイン語でも、それに日本語でもそれが当てはまる。「わび、さび」が分からない外国人に日本語が本当の意味で使いこなせないと同じように、客観的な事実と主観的な事実を常に明確にしないと使いこなせない言語がスペイン語なのだろう。


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2011年8月 5日 (金)

コンフォートゾーンから抜けだして、この人生で何かを掴むこと。

最近、三姉妹と話すといつも「語学習得とは?」という話題になる。特に話題になるのが、「話しているだけでは語学は上達しない」ということだ。特にある程度話せる中級者レベルになると、これがよく当てはまる。

同じような言い回し、絶対に間違いのない暗記している単語・・・・・・その結果、当たり障りのない会話に終始してしまい、金太郎飴のようなレッスンが量産される。

ワンズワードで心がけているのは、上記のようなことに陥らないように、生徒様の今のレベルよりも一歩上の教材を提供し、彼らの英語力の向上を図るということだ。ただ、これがなかなか難しい。

間違いを犯すのは恥ずかしい。だから、自分のコンフォートゾーン(気持ちのいい空間)から出ようとせずに、ずっと同じ場所にとどまり続ける。

これは自分がよく経験しているので分かる。自分も英語でもスペイン語でも当然のように間違いは犯すし、とくにスペイン語なんて間違いだらけだ。このあいだはカフェでコーラを注文しようとして、スペイン語で「コカ・コーラって、なんて言うんだっけ?」と考えたが思い浮かばず、結局「COLAをください」と言ったら店員さんに笑われた。

スペイン語で「COLA」はお尻という意味らしい。
たしかに、カフェで「ケツくれ!」と注文するのは、変態だけだろう。

それでも、懲りずに僕は拙いスペイン語でブエノスアイレスの不動産屋に入り、堂々とその拙いスペイン語で「ああだ、こうだ」と言いながら、今では新しい物件を探していたりする。

英語やスペイン語で間違いを犯すのは、恥ずかしい。この感覚はとても重要だ。なぜなら、羞恥心がなくなると、同時に向上心もなくなるからだ。(この地に滞在している多くのアメリカ人のひどいスペイン語を聞いて、本当にそう思う)

恥ずかしいと思うと同時に、その間違いを心に刻み、今度からは間違わないように心がければいい。それでも、しばらくしたら同じ間違いを犯すだろう。そしたら、またその間違いを再度心に刻み、その単語、その文法とともに恥ずかしさを心に刻めば、今度は間違えなくなるかもしれない・・・・・

英語やスペイン語の間違いで人は死ぬこともないし、人は言葉の間違いに関しては寛容だ。別にRとLの区別がつかなくても英語でコミュニケーションを取ることは出来るし、ブエノスアイレスのカフェで「ケツくれ!」とスペイン語で言っても、笑い話になるだけで、誰も傷つかない。

間違いを怖れて同じ場所に留まるよりは、どんどん間違いを犯しながらももっと上の目指すべきだろう。同じことを繰り返すよりは、ずっと何か新しいことに挑戦し続ける人だけが、この短い人生で何かしら身につけることが出来ると思う。

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2011年8月 2日 (火)

人に何かを教えるということについて:ワンズワード流の先生採用

ブエノスアイレスでも、ずっとオンライン英会話スクールのための先生採用は続けており、平均して週5人ほどはSKYPE面接している。そして、4ヶ月目にしてようやく2名ほど最終面接に受かり、現在研修している。

それほど差し迫って先生を採用する必要はなかったので、焦ってはいなかったが、それにしても相変わらず話にならない応募者が多い。

このあいだは英語も綺麗だし、感じも良さそうなどで好印象だった先生がいたが、面接も佳境に差し掛かったときに「それで韓国人を教えるのかしら?」と訊かれてとたんに萎えた。うちの求人広告はかなり特殊で、フィリピンのNGOと提携して高校生を経済的に援助していることや、また顧客満足度でも高い評価を得ていると謳い、何よりもクオリティ重視であることを全面に出している。当然、日本人による日本人のためのスクールであることも明確にしている。

もし、本当にワンズワードで働きたければ、「フィリピンのNGOと提携しているなんて、ユニークな試みでとても共感出来る!」とでも言っておけば好印象は間違いない。
(ちなみに現在研修している1名はまさに上記のことを僕に言って、がっちりハートを掴まれました。人間という生き物は至極単純に出来ており、自分がやっていることに共感されるとその相手の評価は上がります)

時々、いじわるをして「どうして数あるオンライン英会話スクールのなかでうちに応募していきたの?」と訊くと「たくさんのスクールに応募したから、なんでかなんて覚えていない」というとても素直な返事が返ってくる・・・・・あほなのだろうか。
(メールの送信先に他社にCCして一斉送信して送ってくる人もあとを立たないし、カバーレターもつけずに送ってくる人も相変わらず多い。またそのカバーレターにも多くの文法的な間違いがある場合が多い)

そうして、だいたいこのように箸も棒にもかからない応募者が全体の99%ほど占めている。(ワンズワード調べ)

フィリピンは発展途上国だし、日本と同じ基準で判断してはいけないことは百も承知している。しかし、他社に比べて明らかに高い賃金を払うのだから、当然こちらの要求もそれになりに高くなることも理解して欲しい。

自分にとって「何人であるか?」なんてことは関係ない。相手がフィリピン人だからといって諦めるつもりもない。フィリピン人でも自分が求めているクオリティを持っている人がいることは現在在籍している先生たちが証明してくれている。だからこそ、彼らと同等かそれ以上のクオリティを持った先生を見つけるのが自分の使命だ。

時々、自分の直感や判断が間違いであればいいのにと思う。自分の判断が間違っていて、彼らが僕が思う以上に実際はクオリティが高いレッスンを行い、生徒様に満足していただける人たちだったら、どんなにか仕事が楽だろうかと思う。

しかし、残念ながら今まで在籍していた先生、また現在在籍している先生、それに多くの面接落伍者の先生たちを見て、自分が下している判断は大方合っているのだろうなと思う。

「言わなきゃ分からないような人は、いくら言っても分からない。言えばわかる人は、言わなくてもすでに分かっている」というのはユーシン社長・田邊耕二氏の言葉だけど、まさにその通りだと思う。

英語の教え方は研修で教えることはできるけど、「英語を教える心構え」までは教えることは出来ない。もっと具体的に言うと、結局教える相手への共感力だと思う。相手が何を欲し、何を言いたいか、また英語を通じて何を成し遂げたいか、そこまで見通すことが出来る人たちを雇用したい。そして、一度雇用したからには彼らに末長く働いてもらえるように最善を尽くしたい。それがワンズワード流のあり方だと思っている。

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