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2011年7月

2011年7月29日 (金)

アゴラに投稿しました:ノマドワーカーのひとりごと

ノマドワーカーのひとりごと:海外で暮らすということ

ブエノスアイレスの悪口を書きましたが、本当はいいところです。でも東京と比べて成熟度は比較になりません。当たり前の話しですが。

個人的にはブエノスアイレスは自分が実際に住んだことがある、ニューヨーク、ロンドン、スコットランドの首都エディンバラのなかでも、特に気に入っています。

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2011年7月27日 (水)

宿題バンザイ!:自律した学習者になるために

経営者たるもの365日24時間働かなければいけない。また語学学習者もしかり。ついでにいうのならば、筋トレに夢中になっている「ちょっとオレ、ナルシストかも」と思っている野郎どもにとっても同じことが言える。

ようするに、何が言いたいのかというと、「一日の休みを取り返すのに、三日はかかる」ということだ。

このあいだ母親の誕生日だったので久しぶりにスカイプで話したのだが、「あんたブエノスアイレスの生活楽しそうね。テニスやタンゴなんかやったりして」と言われたが、まったく何もわかっていない!

Tennis2011

テニスは日々の仕事のストレスを軽減するための「息抜き」であって、タンゴにいたってはスペイン語しか話せない先生と仕事のストレス解消を兼ねた、いわば一石二鳥なエクササイズなのだ。

けっして「まあ、ブエノスアイレスにいるから、タンゴのひとつやふたつでもやるか」などと安易な気持ちで始めたわけではない・・・・・・たぶん。

特に語学学習は、ただひたすら毎日努力して勉強するしかないので、自律した学習者になるかしか、語学を習熟する方法はない。しかし、これが本当に難しい。

下手な学習方法の本を買って諸々調べるよりは、とっと自主的に机に向かって単語のひとつでも覚えたほうが語学は上達出来る。そして、それが出来ないからこそ、ふらふらとウェブの世界をさまよい、ツイートやFACEBOOKなどをつらつらと眺めて時間を無為に過ごしてしまう。

仕事のためにパソコンを向かうのは簡単だが、スペイン語の勉強のために机に向かうのは至難の技だ。仕事はやらなければいけない強制力はあるが、スペイン語の勉強は当然それほどの強制力はない。

だから、自分のような人間には「宿題」という自主学習の方法があっている。今、メルセデス先生とその姉のロレーナの二人の先生に習っているのだが、二人とも十分な量の宿題を出すので、とりあえずはそれさえやれば復習はばっちりなので、ある意味助かっている。

特に週末は「2日間もレッスンがないからこれくらいは出来るよね?」とメルセデス先生に言われて、10ページ以上も宿題を出されることがある。そして、月曜日に答え合わせをするのだが、「本当に全部やってきたの?」と真顔で訊かれる・・・・・・だったら、そんなに出さなきゃいいのに時々思うが。

人間なんて、不埒で時に情けなく、そして総体的にはくだらないことに常に頭を悩ましているしがない生き物だ。そんな生き物が自分自身に過度に期待するのはよくない。いわく「自分なら出来る!」「この本を買って毎日3ページづつやれば、3ヶ月で終了する!」などという崇高な目標を立てても、それを遂行するには相当な努力と自制心が必要だ。

正直、自分には無理だと思う。だって人間だもの・・・・・・あほなことをツイートしたり、つらつらと人様のブログをうっかり読んでしまい、勉強に身が入らないことのほうが多い。

しかし、毎日レッスンが終わったらその24時間後にまた再びレッスンがある。そしてその前に宿題を絶対に終わらせなければいけない。そんな緊張感がなかったら自主的に勉強なんてしないだろう。

そうして、今日も「ああ、宿題やらなきゃ」と思いつつ、自分のブログを更新したりしてしまっている・・・・本当に宿題やらなきゃ!

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2011年7月26日 (火)

これからのこと:リスクテイカーを目指す世界

「Entrepreneurship(アントレプレナー)とは、自ら事業を興す(起業)者をいう」とウィキペディアにあるが、日本ではたいていの場合はベンチャー企業を指している。

しかし、世界規模で言うと自営業者など(レストラン経営、農園経営、店舗経営)の小規模の事業を営んでいる人たちのことを指す。

日本みたいに新卒一斉採用をしている国などは世界では稀なので、アントレプレナーは意外と発展途上国に多い。

Entrepreneurship Info and Facts

上記記事によると、ヨーロッパではエストニアがアントレプレナーが一番多い国とのことらしい。またCNNの記事によると世界で一番アントレプレナーが多いのは、ペルーとのことだ。(世界ベスト3はペルー、ウガンダ、エクアドルという順番だ。どの記事も少し情報が古いので今は違うかもしれません)

今、住んでいるブエノスアイレスも社会システム全体がそれほどうまくいっていないので、大学を卒業したらコネやツテをたどっての就職活動が一般的で、そのあてがない場合は、アントレプレナーになるとのことだ。

今後の日本経済を考えると、終身雇用制度はとうの昔に崩れたので、ほかの国同様にアントレプレナーを目指す人たちが多くなるかもしれないが、「リスクテイカー(リスクを取る人)」が極端に少ない日本社会では、それもまだ先の話しかもしれない。

しかし、ただ1つ言えるのは多くの国ではアントレプレナーは目指すものではなく、必要に迫られて「成っている」だけであり、そこにはアップルのスティーブ・ジョブズやヴァージングループ率いるリチャード・ブランソンのような夢も希望もない。

自分の子供、孫の世代が見る世界はどんな世界なのだろうか?また彼らのために僕たちは本当に「より良い世界」を残していけるのだろうか・・・・・そんなことを思うとふと不安に駆られるが、自分自身が自分のことで手一杯なので、まずは自分が出来ることから一歩一歩進んでいきたい。

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2011年7月20日 (水)

懲りない人:旅の続け方について想うこと。

自分は懲りない人だと思う。
いい意味でも悪い意味でも懲りないと思う。

僕はブラジルのサンパドールで一週間のうちに二度も強盗に襲われたが、取られたものは保険で戻ったし「ま、いっか」と思った。

ブエノスアイレスでは着いてしばらくして愛しのiPhoneを地下鉄でスラれたが、「財布はスラれなくてラッキー!」と思った。

そして、昨日こっちで知り合った人たちと食事に行ったのだが、そのなかの一人が「ブエノスアイレスで着いてしばらくして、地下鉄に乗ったけど、ちょっと変な人たちに囲まれてモノをスラれそうになったから、それ以来怖くて地下鉄に乗っていない」と言う人がいた。

ちなみに彼ら夫婦は、それ以来交通の手段は地下鉄ではなく、コレクティーボ(日本でいう市バス)かタクシーを使用しているという。(ブエノスアイレスのコレクティーボはアホみたい複雑で、乗り場も分かりづらく、時刻表なんてものは当てにならず、ストレスが溜まる代物だ)

スラれそうどころか、実際にスラれた自分からしてみれば、「あー、面倒くさ」と思ってしまう。地下鉄、ブエノスアイレス、アルゼンチン人など問題を固有名詞に置き換えてしまうと、収まりはいいし、その当人には都合がいいかもしれない。

どの国にもその国特有の問題はあるし、その国の人たちにもその国特有の問題はある。それは否定しない。だが、実際に問題が起こったときに対処する方法としては、その国、彼ら、あるいはまた違う固有名詞(地下鉄、タクシー運転手、不動産屋、メルセデス先生(?))のせいにしてしまうと、逆に問題の解決方法が至極面倒くさいことになってしまう。

たまたま出会ったブエノスアイレスに住んでいる外国人からアルゼンチン人の悪口も聞いたし、ブエノスアイレスの問題点もさんざん指摘された。それにアルゼンチン人からも同様にこの国の悪いところを色々と指摘された。

そのどれもが自分には直接関係のないことだ。

自分は今、日本を離れて外国に住んでいる。この事実だけが重要だ。自分が持っている常識や知識以上のことがいつでも起こり得るし、それに対して想像力を駆使して、対処する方法を見つけなくてはいけない。

常にニュートラルな視点で物事を考え、国や人のせいにするくらいなら、自分のせいだと割りきって、その問題の解へと最短でたどり着きたい。

地下鉄でiPhoneをスラれたのは地下鉄が悪いのではなく、自分の不注意のせいだし、ブラジルで強盗に二度も襲われたのも自分のせいだ。(ちなみにそのあと、素晴らしい出会いもあり、それすらいい思い出になった)

結局、僕は懲りない。

懲りずにまたブラジルに行くだろうし、ずっと旅を続けるだろう。人から裏切られても、人を信じることはやめないし、痛い目にあっても、自分の好きなことはずっと続けるだろう。 

それが自分の生き方だし、自分の活かし方だと心得ている。


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2011年7月18日 (月)

なでしこジャパンに見る世界:震災後の日本

地球の裏側ではコパ・アメリカという南米諸国によるサッカー大会が開催されており、開催国がアルゼンチンだけあって、おおいに盛り上がっている。

日本も参加予定だったので、当然日本戦のチケットは予約したが、残念ながら震災のためにJリーグのスケジュール調整が難しくなり、日本はコパ・アメリカへの参加は辞退することとなった。

しかし、そのときは思いもしなかったのだが、同時期に女子世界ワールドカップが開催予定だったのである。高校の頃は何を隠そう弱小ながらも、サッカー部のキャプテンだった自分としては、これはぜひとも応援したい大会だった。

ブエノスアイレスでは当然ながらテレビ中継などないので、ネット観戦が主だったが決勝戦はなんとか最初から最後まで観戦することが出来た。奇しくも、昨夜のコパ・アメリカでは、アルゼンチン代表がウルグアイ代表に敗れるという大波乱があり、シュートを外しまくるアルゼンチンを見て、「これは負けるな」と思って観戦していた。

すると案の定、アルゼンチンはPK戦で敗退した。

今日のアメリカ代表を見ていて、昨日のアルゼンチン代表を見ているようだった。実力的には圧倒的に日本代表を凌駕しており、そのことを本人たちも自覚している。だから、いつでも点が取れると錯覚しているが、それほどサッカーは甘いものではない。特に今日は世界最高峰の大会の決勝戦だ。そんなスキのあるチームがやすやすと勝てるほど甘くはない。

1対1の同点となった時点から、PK戦になったら勝てると確信していた。なぜなら、PK戦は実力は反映されず、あくまで精神戦だからだ。そして、たいていの場合、試合中にチェンスを外しまくっているチームが負ける、そう昨日のアルゼンチン代表のように。

それにしても、高校の頃は日本が女子とはいえワールドカップに優勝するとは夢にも思わなかった。ヨーロッパのサッカーリーグなんて遠い世界で、インテルにいたマテウス・クリンスマン・ブレーメというドイツ代表の三人を憧れの目で見ていたのが、今では日本代表のサイドバックがインテルのレギュラーでプレーしているのだから、本当に隔世の感だ。

世界中に「TSUNAMI JAPAN」と認知されてしまった日本だが、今度は「サッカー 日本」というキーワードで認知され、日本の健在を周知出来たいい大会になったと思う。

僕が日本人と分かると「Sorry about Tsunami. (津波は大変だったね)」と言われるが、今度からは「Congratulations on Japan! (日本おめでとう!)」と見知らぬアルゼンチン人に声をかけられることがあればいいなと願っている。


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2011年7月16日 (土)

弊社のナンバーワンの先生について:お互い切磋琢磨をする環境を構築するということ

今日はオープン以来、ずっと人気ナンバーワンのJOY先生について、いくつか書いてみたいと思う。優秀な先生=人気のある先生という図式が成り立たないが、彼女に限って言えば、優秀かつ人気もある英語の先生としてずっと君臨してきた。

ワンズワードオンラインの場合は、先生の選別に非常に時間をかけ、厳しい面接を通った先生しか雇用していないが、それでも並みいるライバルを押しのけ、今でも人気ナンバーワンの座を維持している。それは特筆すべきことだろう。(ちなみに最近、赤丸急上昇のANGELI先生も人気を伸ばしているが、それでもやはりまだうちのナンバーワンはJOY先生だろう)

では、なにゆえにそれほどまでに人気があるのかいくつかの証言を元に検証してみたい。

証言1:

名前:BEEJAY先生 住所:フィリピン在住 性別:女性

「このあいだ、近所に住んでいる知り合いの彼氏を紹介されたときのことを話します」と重い口を開いてくれたBEEJAY先生。

すると続けて「その彼はオランダ人だったんですけど、あまりに訛りが強くて、何を言っているの分からなかったんです。妹のKAYEと二人で、顔を見合わせて困っていたのですけど・・・・・・」

「姉のJOYが来て、そのオランダ人と普通に会話をしているのを見て、驚きました!」そのあとBEEJAY先生はこう続けてくれた。

「だから、ワンズワードでもずっとナンバーワンの先生なんだと思いました。彼女のコミュケーション能力をもってすれば、宇宙人とも会話が出来ると思います。人がどのようなことを言っているのか、汲み取る能力が異常に優れているのだと思います」

証言2:

名前:匿名希望(Aさん) 住所:ブエノスアイレス在住 性別:男(身長は公称189cmだが、実際は192cmとのこと)

「いやー、僕が彼女と初めてあったときのことを話しますよ」と日本人にしては大げさなジェスチャーを交えて、Aさんは語ってくれた。

「もう4年くらい前になるかなー、彼女と初めて話したとき、僕の鬼太郎センサーがビビッと来たんですよ!」(鬼太郎センサーに関しては、こちらをクリック)

「回線状態は異常に悪かったのですが、それでも何かある!と直感しました。まさかそのときは一緒に仕事するとは思っていませんでしたが、やはり人間は直感を信じて行動すべきですね」といまいち具体的な中身のない話を熱く語るAさん。

・・・・・・証言2は参考にならないが、生徒様の声を色々と聞いていると、皆様のニーズに合ったレッスンを日々行っていることからこそ、人気があることが分かってくる。個人的な嗜好(その生徒様と気が合うかどうかなど)などは一切排して、プロに徹しつつ、それでも人間的な温かみを持って接しているからこそなせる業だろう。

「相手のためを思う」これは分かっていても、なかなか出来ないことだ。先生であれば、自分がこれと思う指導方法はあるし、金太郎飴のようにどの生徒様相手でも同じようなレッスンを展開することは簡単だが、そのようなことをせずにモチベーションを高く維持して、各生徒様にあったレッスンを行っているのだろう。

ほかの先生も彼女を座を脅かして、お互いに切磋琢磨し、今後も質の高いレッスンを先生みんなが提供出来るような体制を整えていければと思っている。

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2011年7月14日 (木)

ある英語学習の思い出:優秀な先生が人気のある先生になるために

語学学習を再開したので、最近「優秀の先生の定義」についてよく考える。また優秀な先生であっても、人気のある先生であることも限らないので、そのことについても思いを馳せる。

まだ20歳の頃、スコットランドのエディンバラの語学学校で英語を学習していた。その時の担任の先生はスコットという先生で、とても優秀な先生だった。毎日、違う教材を用意してきたし、豊富な経験を活かして、色々なグループアクティビティを行っていた。だから一部の生徒からは人気はあったが、如何せん皆20代前半のいいかげんな年頃なので、生徒の出席率はそれほどよくなかった。

特に冬になると、出席率は悪くなり、クラスの半分以上は欠席した。そうなると、スコット先生もイライラが募り、ある日爆発した。クラスのあまり出来の良くないちょっと太めのギリシャ人の女の子に問題の答えをしつこく訊き、彼女が分からないと分かっているのにも関わらず、それを繰り返した。

クラスの雰囲気は最悪だったし、僕はと言えば「絶対関わりたくねえー」と思って、終始自分の殻に閉じこもっていた。

ようやくクラスが終わると、スコット先生は僕を呼び「君はクラスに溶け込む努力もしないようだし、特に英語を学習したくないならば、この学校を去るべきだ!」と言った。

「ええ!」と思った。そこで僕もまだ若かったので、今日クラスに起こったことを指摘し、「あなたはあのギリシャ人の女の子が答えられないことを分かっていて、何度も差しましたよね。自分のイライラを生徒にぶつけるのは良くないのでは?」と指摘した。
(まあ、このときはまだ英語がほとんど話せない頃だったので、しどろもどろになりながら、上記意味のことを言った)

するとスコット先生は驚いたように僕を見つめた「分かった、たしかに君の言うことに一理ある。明日から僕もああいうことはもう辞めるし、君も態度を改めてクラスに溶け込む努力をしてくれ」と言われた。

で、このスコット先生のすごいところは、本当に翌日から態度をがらっと変えてしまったところだ。それまでは「先生然」としていたのに、翌日からは生徒たちの友だちのように振る舞い、笑顔を絶やさなくなった。だから、生徒同士のパーティーなどにも呼ばれるようになり、そういう場所でも顔を合わせるようになった。(スコット先生は40歳ぐらいだったと思うので、20歳そこそこの若者が集まるパーティーになんか行きたくはなかっただろうが、それも彼の努力の証なのだろう)

そんなスコット先生の態度が急変したのを見て、僕も態度を改めて、クラスに溶け込む努力をした。そうして一週間くらいしたら、またスコット先生に呼ばれて、「ありがとう。君もずいぶん変わったし、クラスの雰囲気もおかげで随分良くなったよ」と言われた。

結局、コミュケーションの問題を相手のせいにしてしまうと、問題の解決は出来なくなるし、状況はさらに悪化してしまう。自分が変われば、相手も変わる。相手を変えようとしても無駄だということだろう。

スコット先生の年齢に近づいた今、自分も彼をもっと見習って謙虚な気持ちで人に接しないとダメだなと思う今日この頃だ。


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2011年7月13日 (水)

気まずい二人:コミュケーション能力を高めるために

想像して欲しい。

地球の裏側の誰も知らない見ず知らずの土地で、異国の人と毎日2時間「あー」とか「うー」とか言いながら、四苦八苦して言葉を覚えている姿を・・・・・

仲の良い友人でも、毎日2時間週五日を二人っきりで一緒に過ごすのは、辛いはずだ。しかも、その相手が特に友だちでもなく、ちょっとSッ気のあるアルゼンチン女性だったら、辛さは倍増する。

彼女の気持ちは分かる。仕事とはいえ、東洋の小国からやってきた背の高い異人に毎日2時間も費やすのは辛い。今日も僕は今まで彼女に何度も今年の4月に来たばかりだと伝えていたが、とぼけたのか「あなたは2月にブエノスアイレスに来たから、ブエノスアイレスの夏の暑さは少しは知っているでしょ?」と訊かれた。

「いやー、知らん。全く知らん」

そこで彼女は「12月なんか45度くらいになるんだから!」と言ったので、「おいおい、嘘だろ?」と言ったら、「ウソじゃないわよ、私は生まれてこのかたブエノスアイレスにずっと住んでいるんだから!」と言われた。

気まずい二人だ。

最初の頃の気を使い合っていた頃とは違い、どこかぎすぎすした雰囲気が漂いがちなので、僕も気を使いどうにかして面白可笑しい話をするように努力はしている。

たぶん向こうは「この外人はいつまで経っても同じようなミスばかり繰り返して、ほんとアホ!」とか思っているかも知れないし、こちらはこちらで「こっちは三ヶ月前なんて、スペイン語のHOLA!(オラ!というスペイン語の挨拶)しか知らなかったんだよ!いわば、オラスタート!なんだよ、オラ!」と思っていたりする・・・・・・・気まずい二人だ。

これが競争の激しいオンライン英会話スクールの場合、「チェンジ」と一声かけて、違うスクールあるいは違う先生を指名すればいいのだが、こちらはリアルスペイン語を習っているので、そうもいかない。

ここで初心に帰り、おとなしくすべては自分のせいだと諦めるのが肝心だ。そもそもスペイン語を話せない自分が悪く、間接目的語と直接目的語の区別もしっかりつけられない自分が悪い。

今、自分は語学学習の一番始めの段階、「文法と語彙」の暗記という段階にいる。とにかく基礎を固めるのが重要なので、今使っているテキスト以外の本を使ってそれらを覚える必要性を感じていない。あまりにも膨大な量なので、いつになったらこれらの基本的な文法、それに動詞の活用を覚えられるのか甚だ疑問ではあるが、残り50ページほどになった動詞の活用の本は終了させたい。

メルセデス先生の好きなカレーでも作って、差し入れをかましつつ、ご機嫌を伺いながら、残りの動詞の活用も頑張って覚えていきたい。(最近、人間が丸くなったとつくづく思います)


(この本を読んで自分を持って言えますが、僕は三谷さんよりはコミュケーション能力は高いです)


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2011年7月12日 (火)

ランナーズハイを目指して:語学をマスターするということ。

正直、勉強は嫌いだ。出来ることなら、やりたくはない。

今までは週五日、一日2時間のプライベートレッスンを受けていたのだが、さらに午後に週二回2時間のレッスンを追加することにした。

なぜなら、勉強が嫌いだから・・・・・・ずっと宿題に追われて、プレッシャーがかかる日々を続けるよりは、とっととスペイン語を上達したいから、もっと自分に負荷をかけることにしたのだ。

語学をマスターするためには自学自習は欠かせない。ただ、これが分かっていても実際行うのは中々難しい。だったら、いっそのことレッスンを増やして、そのなかで今までの復習をしようと思ったわけだ。

今教わっているメルセデス先生の姉のロレーナ先生は同じ年で、話しも合うので、「スペイン語復習大作戦!」にはうってつけの先生だ。それにどんな簡単な間違いをしても、メルセデス先生のように僕を睨みつけない←ここポイント!

よく広告で「楽しみながら英語がみるみるマスター出来る」とかあるが、あほかと思う。

語学学習はマラソンに似ている。日々、ジョギングを欠かさず、一生懸命走りこむことによってでしか、タイムは伸びない。

だが、急にタイムが伸びたりすることもなく、努力の結果がすぐにあらわれることもない。努力しているにもかかわらず、タイムが下がることもある。だからといって、毎日走ることを辞めれば、タイムは下がる一方だ。

「あれ、なんでおれこんなことに取り組んでいるんだろう?」と思うことも多々ある。しかし、今までの努力を無にするわけにもいかず、苦しみもだえ、先生にアホ扱いをされながらも、走り続ける。

外国語で異国の人とコミュケーションをするということは、そのような努力に値するほど素晴らしいことだと思う。スペイン語でぺらぺらと好きな映画や国について話せることを夢見ながら、これからも毎日勉強していこうと思っている。

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2011年7月 7日 (木)

清く正しく美しく生きるということ。

ブエノスアイレスに住み始めてから、ようやく三ヶ月が経過した。区切りがいいので、今までの自分の行動を振り返ってみたい。

1. AIRBNBを通して、今の住居を見つける。
2. ブエノスアイレスクレッグリストを通して、スペイン語の個人教師を見つける。

上記はブエノスアイレスに到着して一週間で見つけることが出来た。悪くない結果だと思う。そのあと、意外と難航したのが、テニススクールを見つけるというものだが、これはFACEBOOKを通じて、なんとか見つけた。(ブエノスアイレスのテニススクールはどこもプライベートクラブなので、会費が異常に高いか、家族や知り合いを通してでないと入会出来ない。テニスはお金持ちのスポーツらしい)

こうして考えてみると、100%ネットのサービスを通じて、今の生活を手に入れている。ネットリテラシーが高くないと、今どきの海外生活はうまくいかない。

ネットがそれほど普及していなかった10年前だと、こんな気軽に海外生活することを考えられなかっただろう。ネットリテラシーと英語力は、今どきの海外生活を満喫するのは必須の要素だと思う。

昔の掲示板はまさにリアルな掲示板だったので、その場所に行かないとその情報を手に入れることは出来なかったが、今ではすべての情報がネットにアップされているので、どこにいようともアクセス可能になった。

ブエノスアイレスに知り合った人たちとはみんなFACEBOOKで繋がっているので、時々こう思う。FACEBOOKも掲示板のひとつではないかと。

「自分」という掲示板がネットに掲げられてて、それが網目状に網羅されている。FACEBOOKを通じて、自分の友人、それに行動までが写真などでアップされ、白日のもとにさらされる。この時代は「あらゆることが可視化され、情報としてアクセス可能である」のだ。そのことを自覚していないと、この先痛い目を見るのだろうなと思う。

生きづらい世の中なのかもしれないが、結局のところ「清く正しく美しく」生きている人にとってみれば、別にどうってこともないのかもしれない。

1968年にウォーホルは「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と言ったが、実際にそれは現実となった。しかし、もう有名になること自体には何の価値もない。どこかの国のアホ大臣みたいに失言すれば、一気に有名になるし、有名人が自分の勤務しているホテルやレストランに来たことをツイートすれば有名にはなれる。

しかし、そんなことにはなんの価値も意味もない。

「清く正しく美しく有名になる」ことにしか意味はない。そして、それが可能となるのは、人々に取って有益な人間、あるいは有益な情報、サービスを継続的に供給出来るかどうかと思う。

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2011年7月 4日 (月)

宿題にまつわる負の感情についての一考察

昔、村上春樹の本のイラストで有名な安西水丸さんの著書を読んだことがある。
そのなかにあったエピソードとして、青山近辺にある公園の話しが印象に残っている。

いわく「昼間、青山を自転車に乗って通る公園があるのだけど、その公園に目を見張るほどの美人な奥さんたちが自分たちの子供を連れてくる。そして、その子供たちを見ると、どの子も母親に似ておらず、あまり可愛くないのだと・・・・・・」

そこで安西さんは彼女たちの旦那さんに想いを馳せて、きっと彼らは頑張ったのだと、彼らは容姿はよろしくないが、その分ものすごく頑張って青山に住めるような地位とお金を手に入れたのだと。

コンプレックスは素晴らしい。それを原動力にして、お金持ちになったり、美人な奥さんを手に入れることが出来るのだから。

外国に住むと、コンプレックスとはいかないまでも、ある種の負の感情が自分に宿る。毎朝のスペイン語レッスンでは「そんなことも覚えていないの?」と蔑まれ、宿題をやらねばという毎日のプレッシャーに耐えながら、仕事をし、飲みに行く。(僕は今年で37歳になるのですが、まさかこの歳になって宿題にプレッシャーを感じることがあるとは想像もしていませんでした。「宿題なんてやらない!」なんて豪快な人間になれればいいのですが、「宿題をやらなかったときのメルセデス先生のリアクションの怖さ」を考えるとリスクは取れません)

飲みに行けば飲みに行ったで、まわりはアメリカ人ばかりなので、彼らの話題についていけないことも多々あるし、常に外国人であるという「危うい立場」は変わらない。

このような状況を考えると、人がなんらかの努力をしようと思うのは、負の感情が原因になっていることが多い。コンプレックス、罪悪感、宿題をやらなかったときの恐怖・・・・・・色々あるが、やはりどれも「今日を楽しく精いっぱい生きていこうぜ!」的なお気楽なポジティブな感情とは正反対の負の感情だ。

どんな人でも意外と他人には分からない小さなことで悩みがあり、それが毎日の活力の要因となっていることもある。負の感情を負のままにしておいたら、なんのプラスにもならないが、それをうまく活力として、プラスに変えていくことをものすごく大げさ、かつ勝間和代さん風に言うと「クリエイティブに生きる」ということなのだろう。

そうして、今日も「くそったれ!」とか思いながらスペイン語の宿題をこなし、そんな思いをして習得しても日本に帰ったら「ブエノスアイレスに一年も二年も住んだらスペイン語なんてペラペラで当たり前だよねー」とかいう心ない人たちのことを思い浮かべて、心のなかで思い切り罵りながら、暗記に励むしかないのだろう。


Catedral03


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2011年7月 2日 (土)

もののけ姫と物事の二面性について

物事には常に二面性がある。

日本人には関係のない話しなのであまり知られていないが、アルゼンチンを始め南米の多くの国は、アメリカ人などに対して、入国時に140ドル程度を課している。(詳細はこの記事でご確認ください)

この話はブエノスアイレスで知り合ったアメリカ人から聞いていたので、そのときは「アメリカ人、大変だなあ」としか思わなかった。

しかし、今日アルゼンチン人のメルセデス先生にそのことを話すと、口調が険しくなり、「私が生まれてからずっとアメリカ人はアルゼンチン人がアメリカ入国時には、140ドルくらいのお金を課している。それなのに彼らはずっとただでアルゼンチンに入国出来たわ!」とまくしたてられた。

この法律はアルゼンチンでは2008年から施行されたので、比較的新しいわけだが、メルセデス先生が覚えている限りでは、相当長い間アメリカ入国時にアルゼンチン人は140ドル程度支払っていたらしい。(ちなみに日本人はアルゼンチンにはただで入国出来る。アルゼンチンは自国の人が支払う同じ料金をその各国の人たちに課すことにしている)

このことについて少しネットで調べたところ、下記記事を見つけた。

Argentina Says Screw You to Foreign Tourists

上記で特に気になった点は「Besides the fact that much of the U.S. cost is because of security and background checks and the Argentine one is simply going into someone’s pocket(USではセキュリティチェックなどでこのお金は使われ、アルゼンチンでは、単純に誰かの儲けになる)」と書かれていることだ。

アルゼンチンでも当然、セキュリティチェックはあるので、そこにコストはかかるし、そもそもアメリカが南米の人たちに140ドル近くもかかるビザ取得を要求しなければ、このようなことにはならなかった。

またアルゼンチンとアメリカは経済格差が大きく、アルゼンチン人にとっての140ドルの負担はアメリカ人にとっての140ドルより大きい。

この記事にはアメリカにとって観光は重要な産業ではなく、例え外国人の観光客がゼロになってもニューヨークやフロリダなどのわずかの州しか影響を受けないが、アルゼンチンにとっては観光は基幹産業なので、大きなダメージを受けるだろうとある。

ここまで来ると、俄然アルゼンチンに肩入れがしたくなる。

今度、アメリカ人が「アルゼンチンに入国するのに140ドルもかかるんだよ、まったくやってられない!」と愚痴ったら、「あんたの国が最初に彼らに対して同じぐらいのお金を徴収するから、そういうことになるんだよ」とやさしく言ってあげようと思う。

このように物事には常に二面性があり、ハリウッド映画のように勧善懲悪とはならないことを彼らが学んでくれることを願う。

(もののけ姫はそのことを教えてくれる)


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