言語へのロマン:ラテンとアジア
日本を旅立つ前、人に「今度、ブエノスアイレスに住むことになった」と言うと、「えっ、ブエノスアイレスって、どこ?アフリカの近く?」なんて答えがよく返ってきた。それも致し方がない。ブエノスアイレスは日本の裏側に位置するし、また多くの日本人にとっては「世界で最も縁もゆかりもない土地」だから。
このあいだ、スペイン語を習っているメルセデス先生と日本の出生率が下がっている話をしたのだが、「それって、一人っ子政策のせいでしょ?」と真顔で言われた。「いやいや、それは中国の話しだよ」と言ったが、メルセデス先生に「アジアの国、すべてがそうだと思っていた」と言われた。
そこで気がついたのだが、アルゼンチンの人にとっては日本は遠い国という同時に、「アジアの国々」という形でひとまとめにされているということだ。そのなかには当然、中国、韓国が入る。それにもしかしたらインドネシア、フィリピン、インドあたりまで入るかもしれない。
考えてみると、南米の国々はブラジル以外はスペイン語が第一言語なので、文化的には非常に似通っている。そんな南米の人から見ると、アジアの国々も自分たちと同じように共通の文化圏で暮らしているというイメージがあるのだろう。
しかし、我々は口が裂けても、「いやー、おれらアジア人だから」とは言わない。なぜなら、彼らが思っているほどにお互いの共通点は見当たらないからだ。
南米の国々の多くの民族が固有の言語を持っていただろうが、結局彼らは最終的にはスペイン語を選択した。もちろん、最初は征服者から強制されたからという理由もあるだろうが、ある時期に彼ら自身が自分たちの言語よりスペイン語を選択しないとそこまで定着はしないはずだ。
アジアの国々は自分たちの国を守ることにしたからこそ、今のようにそれぞれ独自の発展を遂げた。それがいいことか悪いことか分からないが、ただその事実は個人的に面白い選択だと思う。経済合理性を考えると、より多くの国で話されている言語を選択したほうがいいはずだが、そうはならない。例えば世界中で英語だけが話されているということになると、とてもつまらないし、文化的にも豊かなものを形成できないのではないだろうか。
言語と文化は密接に結びついているが、同じ言語を話す南米の国々でも、きっとそれぞれ違う個性があり、実際に行ってみれば、それぞれ新鮮な驚きをもたらしてくれるだろう。それが今から楽しみだ。
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