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2011年3月

2011年3月31日 (木)

Restrain from Despair

Restrain from Despair
MATSUOKA Yu-ki
http://agora-web.jp/archives/1294745.html

English Translation by Tom

I was in Hakone about this time last year. I was staying at a ryokan, and trying to relax. At that time, my wife's phone rang at two o'clock in the middle of the night. Calls in the middle of the night are mostly bad news. And just as I had guessed, it was a call to say that my wife's grandmother had passed away. I could hear a sobbing voice through the receiver. The word was that she passed away so quickly because an aneurism suddenly burst.

After hearing that news and seeing my grieving wife, I didn't know what to do. I had met my wife's grandmother many times, but my sadness could not compare as my wife grew up living in the same house as her grandmother.

I remember those feelings when I see the people who have suffered in the Tohoku earthquake and tsunami. I can't understand their grief. I can only estimate the depth of their emotion. I'm troubled by the same uselessness I felt when I could only move closer to my grieving wife and gently rub her shoulder.

You cannot share grief.

If you lose a common friend or family member, you might be able to share your grief up to a point, but as everyone's connection to the deceased is different, their sadness is their own.

Recently I have felt uncomfortable due to the atmosphere of "self-restraint" that has spread across the Japanese archipelago. I wonder when we might we stop this self-restraint. We won't be able to understand the survivor's emotion. If we face up to this fact, return to our normal lives, and through our jobs and interests indirectly assist them – this should be enough.

Despite all this, life continues.

The road to restoration may be a long, steep path. If that's the case, we should restrain from superficial "self-restraint" and return to our normal lives. It's important to conserve electricity, but cancelling a farewell party will not save power. Even if we restrain from eating tasty food and happy times, the grief the survivors feel will not change. If we continue to cancel events that many people will enjoy, the people will lose vigour and eventually the economy will suffer catastrophic damage.

Those who are living in areas that escaped devastation can help those affected just by restraining from despair.

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悲しみを自粛する:アゴラへの投稿記事

アゴラに投稿しました。

悲しみを自粛する

今週の土曜日、義理の祖母の一周忌であることを知り、あのときのやるせない気持ちを思い出しながら、書きました。


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2011年3月26日 (土)

そうして生き続けるということ:ブエノスアイレスへ。

きっかけは去年行ったインドネシアのロンボク島だった。
何もない辺鄙な島だった。そこでスカイプを使って仕事の連絡を終えたとき、ふと気づいた。「この島で仕事出来るのならば、世界中のどこに行っても同じように仕事が出来るのでは」と。

それから、シンガポール、マレーシア、フィリピン、台湾、そしてオーストラリアを旅して、何のストレスもなく、日本にいるときと同じ生活のリズムで仕事をした。

先月行ったオーストラリアは、具体的に住む場所を探すつもりで行ったのだが、あまりの物価の高さと、賃貸物件を見つける難易度の高さに住むのを断念した。
(シドニーの1DKや2DKの賃貸物件には、1つの物件に20人くらいが殺到して、オーナーが気に入った借主を選ぶという)

そして、ふとブエノスアイレスに住もうかと思った。「南米のパリ」と呼ばれている、その街に以前から興味があった。また英語以外の言語習得にも興味があったので、スペイン語の勉強に打ち込むのも悪くないアイディアだと思った。なんなら、ワンズワードオンライン・スパニッシュでも立ち上げようかとさえ思っている。

ワンズワードの成長は、自分自身の成長がないとあり得ない話しだし、そろそろ変化が必要だと感じていた。イギリスから帰国してすでに10年以上が経ち、東京という街にも飽きてきたのも影響している。ブエノスアイレスに永住するつもりはないが、しばらく違う空気にあたって、全く別の生活様式のなかで自分を順応させる努力をしてみようと思う。

チケットを予約し、不動産屋には3月末に退去することを伝え、すべての準備を整えたあとに震災が起きた。ブエノスアイレスに行く決心は揺らいだが、「東京に居続ける自分」と「ブエノスアイレスにいる自分」の社会への貢献度にたいして変わりがないという現実を見つめた。結局は、震災で困っている人たちに取ってみれば、自分はすこぶる役に立たない存在なのだ。

昔からずっと旅をし続けることが夢だった。今こそそれを叶えるときだ。

まずは1年、自分に時間を与えてみようと思う。今持っている「日本の役に立ちたい気持ち」をずっと持ち続ければ、1年後にはもっと貢献できる方法を見つけることができるかもしれない。

少しづつ、自己実現を果たしていけば、いずれは花が咲くかもしれない。今のままではそれが実現することはないと自覚している。

1年後、東京にいるのか、うらびれたメキシコの海沿いの街に腰を落ち着けているのか想像できないが、1年前にはブエノスアイレスに行くなんてことは想像すらしていなかったわけだから、これからどうなるか楽しみだ。

人には留まり続けて何かを得る時期と、動かないと何も得られない時期がある。イギリスから東京に戻って住むことは甚だ不本意なことだったが、今ではその決断は間違っていなかったと思う。途中で投げ出して、またイギリスに帰ることも出来たが、思い留まった。そうして、世界を旅する環境を手に入れたのだから、結果としては悪くない。

想像可能な未来よりも、想像不可能な未来を手に入れたい。そういう生き方でしか、生きている実感は得ることが出来ないから。

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2011年3月23日 (水)

同情するなら、金使え!

昨日、銀座の街を歩いてみたが、街は死んでいた。
ほとんどのイベントが中止になり、人々が外食を控え、物資の供給がストップしていることが影響しているのだろう。

サービス業を破綻から救え

日本人は極端から極端に走るので、「飲んで騒ぐ」ことはこのような状況下では由としない気持ちも分かる。しかし、このままだと日本全体が沈んでしまう。

逆説的だが、今まで以上に飲んで騒がないと、日本の経済はどんどん落ち込む。震災の影響を受けて消費するどこではない人たちのためにも、被災地以外の人々はもっと消費するのが間接的に彼らを助けることになる。

それでも人生は続く。

今出来ることを何かと考えて、愚直に行うことが今のような状況では必要とされる。「同情するくらいなら、金を使え!」が正しい態度なのだろう。

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2011年3月21日 (月)

英語の達人への道

未曽有の大災害から一週間が経ち、被災地以外の状況は少しは落ち着いてきたが、まだ十分な物資が必要とされる場所に届いておらず、とても心配だ。原発についてはここのところ毎日のようにBBCやガーディアンで情報を取得していたが、「危機的状況は去った」というのが大方の見方であり、それよりも津波による被害のほうがよほど深刻だと書かれている。
(なかには「1000年に一回あるかないかの大災害」でもほとんどの日本の原発が耐えられたので、原発建設をもっと促進すべきだという意見も見られた)

このような状況だったので、何も手に付かない状況だったが、休日ということもあり以前に買った「英語達人列伝」という本を読んだ。


新渡戸稲造、岡倉天心、野口英世、白洲次郎などの日本を支えた偉人たちの英語の達人ぶりを紹介した本だ。何よりも驚かされるのは、その圧倒的な勉強量だ。図書館にあるすべての洋書を読み尽くし、ブリタニカ百科事典を愛読し、シェイクスピアを諳んじる。野口英世に至っては、睡眠時間を極限にまで削り、眠くなったら庭に出て冷水を浴びて、目を覚まさせるという。

「あほか」と思う。

しかし、このような偉大な先人がいたおかげで我々は偉大な発展を遂げ、世界第二位の経済大国にまで登り詰めたのだろう。

一般人に役立つ勉強方法は一切ないが、ひとつ挙げるとすれば、「インプット命」ということだろう。圧倒的な読書量が彼ら偉人たちの唯一の共通点と言っても過言ではない。図書館丸1つ分の読書などこなすことは到底無理だが、今ではネットで簡単に英文が読める時代になった。それを活用しないのは損である。

そうした圧倒的なインプット量を得てから、彼らは発音やスピーキングの課題に取り組んでいる。特に発音などは一番最後にクリアすべき問題で、とにかくまずは英語を話すということから始めている。だが、そこは偉人の偉人たる所以で、最終的にはネイティブスピーカー以上の英語力を身につけてしまう。(著者も何度も語っているが「英語が上手い」とネイティブスピーカーに英語を褒められているようでは、英語初心者なんだと。外国人が英語を話していると気取られてないくらいに上達してこそ、達人の称号を得られる)

英語の達人への道はかくも険しき道なのだろう。

そういえば、買ってまだ読んでいない洋書が何冊もある・・・・・・・読むとするか。百里の道も一足から。これからの日本にも言えることだし、自分自身にも当てはまることだ。


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2011年3月17日 (木)

シロウトのためのシロウトによる福島の原発事故の解説

多くの人々にとっての懸念は、福島の原発事故がチェルノブイリ事故のように広範囲に渡って、影響を及ぼすかどうかということだと思う。

それについて多くの識者が語っているが、予備知識もない我々にとってはどれも分かりづらいので、ではなぜ「チェルノブイリ事故が起きたのか?」という視点から検証してみた。

チェルノブイリ事故は人的、政治的要因を除けば、下記二つの原因に集約される。

1.チェルノブイリ原発では、核分裂反応の主要部分である中性子の速度を落とすため、大量の炭素が使われていた。

2.この炭素に引火し放射性煤煙が生じて、それが風に乗って遠くまで運ばれた。

しかし、福島原発では「中性子の速度を落とすために炭素ではなく水が使用されている。従って、福島原発で放射性煤煙が放出される危険性は高くない」とのことだ。
(引用元:ウォールストリートジャーナル

現在、考えられる最悪の事態は、メルトダウンが始まることだ。それが始まったとしても、「1つの原子炉がメルトダウンしても、被害が出るのは50キロ圏内。2つ以上の原子炉がメルトダウンしても、被害はあまり変わらない」とされている。
(引用元:池田信夫 blog Part2

BBCでは下記のような記事が掲載されている。

How does Fukushima compare to Chernobyl?
(福島原発事故はチェルノブイリ事故と比べて、いかがでしょうか?)

Professor Gerry Thomas, who has studied the aftermath of the Chernobyl disaster, said: "It is very unlikely that this will turn into anything that resembles Chernobyl.
(ガリー・トーマス教授<チェルノブイリ事故の研究者>:福島原発事故がチェルノブイリ事故のようになる可能性は極めて低いと言えるでしょう)

"In Chernobyl you had a steam explosion which exposed the reactor core, which meant you had a lot of radiation shooting up into the atmosphere."
(チェルノブイリ事故では蒸気爆発により、原子炉心が露出されました。それは大気中に多くの放射能が放出されたことを意味します)

Prof Thomas said although the Chernobyl disaster had led to a rise in thyroid cancer cases, the only people affected were those living in the areas of Ukraine, Belarus and Russia that lie closest to the site of the Chernobyl Power Plant, and who were young at the time.
(トーマス教授:チェルノブイリ事故は甲状腺癌を急速に増加させたが、その影響のあった人たちはウクライナ、ベラルーシ、そしてロシアのチェルノブイリ原発近くに住んでいた若い人たちだけです)

最悪の事態が起こったとしても、50キロ以上離れたところに住んでいれば、ごく安全と言える。また英国機械工業会のブラウン博士は「このまま原子炉心の冷却に成功し続ければ、5日から10日間のあいだで事態は完全に収束される」と語っている。

今は、ただ東電の方々と警察および自衛隊が協力して、原子炉心の冷却に成功することを祈るばかりだ。


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2011年3月15日 (火)

不謹慎の境目について

おちまさとさんが、下記ブログを投稿していた。

【特別寄稿】おちまさと『不謹慎』とは何か。

アゴラなどでも、このような事態における「不謹慎」や「ユーモア」についての投稿が相次いでいる。

どれも極端だなと思う。おちさんが指摘するように、不謹慎の境界はあいまいで、それを決め付けることは出来ない。そして、彼のようなバランス感覚が一番重要なのではないかと思う。

スーパーの空になった商品棚を見ると気持ちは萎えるし、トイレットペーパーを買い占める人たちを見ると、たしかに「不謹慎」だなと思う。

普通でいい。別に無理をする必要はない。今後、原発の影響でどのようなことが起きるか分からないが、今現在、普段通りの生活が営めるのであれば、それを続けるべきだ。

下手な感情論に煽られて、被災地に行っても、多くの人は役に立たないのが実情だ。

楽しいことや好きなことを、震災のために我慢するのはどうかと思う。自分の楽しみを犠牲にしても、人は助からない。「被災地の人たちが苦しんでいるのだから、あなたも苦しめ」と言われても困る。ただ自分が出来ることをやっていけばいい。世界中に紛争はひっきりなしに起き、天災も常に世界を襲う。そのたびに「不謹慎」な行動を控えるのだろうか?

自分自身、今回のことで学んだことは、「楽しみを先送りするような人生を送りたくない」ということだ。今、出来ることを徹底してやっていこうと思う。あとあと後悔するような人生を送りたくはない。人生、なにが起こるか分からず、確定的など何一つない。刹那的に生きる必要もないが、「今を楽しく生きる」ということはハードルが高く、難しいことだ。それについて今後も真剣に取り組んでいこうと思う。

【寄付について】
今回、株式会社ワンズワードとして特定非営利活動法人ジェン(JEN)に、東北地方太平洋沖地震の被災地支援のために10万円を寄付しました。その活動内容に共感を覚えたのが、最大の理由です。

ユニクロのように億単位の寄付は出来ないですが、少しでも力になればと思っています。

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2011年3月13日 (日)

我々は音も立てずに復興する:アゴラへの投稿

このような事態に「今、自分に何が出来るか?」を考えることは難しいことですが、今被災している、あるいはこの事態に気落ちしている人たちに向けて、何かメッセージを送ることが出来ないかと思いました。

我々は音も立てずに復興する

情報の集約、分析も大事ですが、今本当に必要なのはビジョンではないでしょうか?

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2011年3月11日 (金)

ソーシャルメディアを駆使するために大事なアナログなこころ

久しぶりにアゴラに投稿しました。

ソーシャルメディアを駆使するために大事なアナログなこころ

最近、先生採用をするときは「この先生を友だちにも薦められるか?」ということを強く意識しています。結局、今も昔も大事なことはそれほど変わらず、ソーシャルメディアのおかげでコミュニケーションの手段が増えただけだと思っています。

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2011年3月 8日 (火)

英語なんて話せなくてもいいじゃん。

時々、思う。
結局のところ、英語を学ぶ目的を明確化しない限りは、英語を習得することは出来ないのではと。「目的を明確化」・・・・・それは人生のあらゆる目標を達成するためにも必要なことだ。

「仕事のため」に英語を学ぶ必要がある人は多いと思う。しかし、もっと具体的に「あのアメリカの企業と契約するためには、これこれこういう類の英語を話す必要がある」「自分の社内のプレゼンスを上げるためには、自社の技術に特化した英語を学ぶ必要がある」など目標をブレイクダウンする作業がとても重要だ。

ビジネス英語は簡単だ。自分の仕事で使用する語彙をあらかじめ調べて、丸暗記し、英文法に則って話せばいい。ビジネスで使う英語なんて、極論すればグーグル翻訳を使って、e-mailで済ませれるようにすれば、事足りるのではと思う。

仕事で英語を使う必要があるので、嫌々英語を学んでいる人は多いと思う。そういう人は英語を学ぶ前に自分の環境を整理したほうがいいと思う。やる気がないのに、英語習得を目指すのなんて時間の無駄だ。英語を学ぶこと自体が苦痛で仕方がないのに、その目的の明確化なんて出来やしない。

「そもそも英語なんて学ぶ必要があるのか?」ともう一度、自分自身に問い質して欲しい。e-mail と翻訳ソフト、それにそこそこ英語が出来る人間(社内、社外問わず)の協力を得れば、嫌いな英語を学ぶ必要はないかもしれない。

僕は成果の出ない努力は嫌いだ。そして、そのようなことをしている人たちをとても気の毒に思う。また最も嫌悪するのは、「成果が出ないと分かっているのに、そのようなことを薦める人」たちだ。

英語を学ぶのが嫌なら、学ぶ必要はない。人生にはもっと有意義なこともあるし、別に英語が話せなくても日本に住んでいる限り、まったく問題ない。

最近の「英語、英語、英語」という風潮は、不幸な人たちを大量生産するだけだと思う。英語、ひいては外国語を学ぶのがイヤならば、それはそれで仕方がない。実際、相当な時間をかけないと、習得出来ないのだから、だったらもっと自分が好きなことに時間を費やしたほうが身のためだ。

英語なんて話せなくても楽しく生きていけるし、ほかにももっと楽しいことはある・・・・・・あと10年くらいはね、と思っている。

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2011年3月 3日 (木)

戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、 戦略の失敗は戦術で補うことはできない

最近も引き続き、先生採用を続けている。これはフィリピン人に限ったことではないかもしれないが、応募者側があまりに採用者側のことを考えずに応募してくるので、けっこうストレスが溜まる。

募集要領には「日本人の生徒対象のオンライン英会話スクール」と明記していても、「中国人教えるの?」って訊いてくるし、今日は約束した15分前にスカイプでチャットメッセージが来て「I am ready.」と言われたので、仕方がなくコールしたがコールを取らず、ずっと鳴らすのもあれなので切断したら、すぐに「I am ready now!」とメッセージが来た。

まあ、どっちなんだよと思う。

約束した時間の前に連絡が来るならまだしも、アポをすっぽかされることもしょっちゅうあるし、遅刻もある。時々、辞めようかなと思うこともある・・・・・・辞めないけど。

それでも採用した面々を思い返すと、やはりそれだけの価値はあると思う。優秀な先生はおそらくたくさんいるが、優秀な先生を正当に評価してくれるスクールはほとんどない。最初から価格競争にどっぷりはまってしまっては、彼らに対する正当な対価など支払えるはずはない。

経営者が熱く企業理念や自身の野心を語るのは、それは彼らの自由だ。でも、その会社で働いている人たちの一番のモチベーションは、お金だと思う。それが満たされて初めて、ほかの高次な欲求が生まれる。巷で言われる、マズローの欲望段階説のように。

Image(引用元:http://www.dango.ne.jp/sri/maslow.htm

よく三姉妹は「あなたは気前が良すぎる」「私たちはお金のために仕事をしているわけではない」などと言うが、別に自分は気前がいいわけでもなんでもない。優秀な人材を確保するために、それだけの金銭的なインセンティブが必要だと思っているだけだ。言ってしまえば、会社が儲かったらお金なんて、貢献してくれた人たちに配ってしまえばいいのだ。それが言わば、うちの経営戦略でもある。

そのあたりのことを彼らに分かってもらうのは、どうやら時間がかかりそうでもある。自分の理想は「先生たちによる先生たちのためのオンライン英会話スクール」だが、なかなか骨の折れる作業になりそうだ。

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2011年3月 2日 (水)

ワンズワードにとって一番ミスマッチな人材とは:三人の新しい先生の紹介を兼ねて

この一年間で先生の採用プロセスは大きく変わった。以前の採用プロセスは下記の通りである。

1.書類選考
2.一次面接
3.英語のテスト
4.最終面接 →(担当、自分)

いわば、自分がOKを出した時点で正式採用だったので、100%確信を持てないと採用しなかった。だが、それでも採用した直後に少しおかしな行動を取ったり、インターネットの接続環境が異常に悪化したりする事態があった。このような理由から、採用プロセスを見直し、上記のプロセスに10人の生徒様によるモニターレッスンというものを付け加えた。

これが当たった。

正式採用の前に以前とは比較にならないほどの情報が集まり、最終的な結論が出し易くなった。また自分が100%の自信がなくても、とりあえずはモニターレッスンで様子を見ることが出来るので、最終面接でのプレッシャーもかなり軽くなった。(それでも落とす奴は落としますがね)

今回正式採用に至ったモニカ先生などは、以前の採用プロセスだと正式採用しなかったかもしれない。

ものすごくいい人であることは面接でも伝わってきたが、オンライン英会話スクールの経験もないし、それにひどく物静かな女性だと思ったので、「大丈夫か?」と思ってしまった。それでもBEEJAY先生がみっちり研修するし、とりあえずはチャンスを与えてみようと思い、モニターレッスンを行うことにした。

その結果、生徒様のレポート内容ははすこぶるよく、正式採用に至った。

例えば、今回モニカ先生と一緒に正式採用したアンジェリー先生などは、3秒で「こいつすげえ!」という何かを持っているので、採用する側も判断しやすい。

しかし、モニカ先生のようないぶし銀な味わいを持った先生は、とても判断に迷うところがある。そういった面を見るためにもモニターレッスンというのは非常に有効だ。元来、話好きとは言えないモニカ先生だが、レッスンではその人格を変貌させるあたり、頭の良さがよく分かる。

そして、今回もう一人正式採用したキャサリーン先生なども、そのスキルの高さはよく伝わってくるので、判断しやすい先生だった。

モニターレッスンの際に送られてくるレポートと、そのあとの先生たちの挙動は恐ろしく一致するので、どの先生がだいたいどのようなことを考え、どれくらい真剣にレッスンを行っているかよく分かる。(もちろん、不真面目な先生など一人もいないが、ちょっとしたアクシデントがあったときに対する行動でその先生のことがよく分かる)

つくづく人間ってやつは面白い。

ちなみにこのようなモニターレッスンを設けても、最終面接で落ちる人はどんな人かと言うと「優秀な人だが、自信過剰な人」だ。経験上、このような人たちが最も扱いにくく、また問題行動を起こしやすい。それにうちの生徒さんは本当に優秀な人たちが多いので、彼女たちも確かに優秀かもしれないが、生徒さんたちに比べると「井の中の蛙」感が強い。

それは生まれた環境に依ることが多いので、とても不公平かもしれない。だが、そのようなことを自覚していないからこそ、自信過剰になってしまう。そのような人たちが一番ワンズワードではミスマッチだと思っている。

「先生」というのは立場的に有利になりやすいので、自信過剰になっても仕方がないが、それでもそれはあくまで「英語」という特定の分野に限っての優秀さであって、人間的に優秀かどうかという目安にはならない。シンプルなことだが、意外と分かってない「先生」と言われる人種は多い。人は謙虚でいるあいだだけ、生産的になるのではないだろうか。下手に自信を持つとろくなことはない。

あらゆる過失は油断から生じる。そして、油断は自信から生じる。自分自身もこのことを肝に命じて、これからも継続していきたいと思っている。

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