ただ一人でいることについて
今回のオーストラリアの旅も明日が最終日になる。今までオーストラリアやオーストラリア人については、漠然としたイメージしかなかったが、今回の滞在でかなり具体的にイメージが湧くようになった。
ロンドンに住んでいるときは、オーストラリア人はどことなく「よそ者」的な感じがしていたが、オーストラリアにいても、やはりその感は拭えない。ヨーロッパ的な伝統を引き継いでいるのだが、地理的に余りに離れているので、どことなくヨーロッパに対しては憧れを感じている人たちなのだろう。(日本人の僕がそんなことを言うのは、あれだけど)
今滞在しているメルボルンはオーストラリアの中でも最もヨーロッパ的な街と言われているが、実際にヨーロッパに暮らしたことがある自分にとっては、どちらかというとアメリカ的な大ざっぱさを感じてしまう。
僕が2年間暮らしたスコットランドの首都エディンバラは、新市街全体が世界遺産に認定されるだけあって、驚くほど美しかった。アートのなかで暮らしているようなものだったが、まだ歴史の浅いこの国ではそれも無理な相談だ。
でも、全般的に見て好印象な国ではある。シドニーなどは独自な文化を発展させて、これからどのような街になっていくのか楽しみだ。
オーストラリア、またヨーロッパに滞在して個人的に気持ちが落ち着くのは、一人で行動してもそれほど目立たないことだ。日本、特に東京では一人でランチならまだしも、飲みに行くのはけっこうな勇気がいる。もちろん、行きつけの店などあればまだ話しは別だが、ただ一人で黙って外で飲みたいときなどはそれも煩わしい。
日本にいると、巨大な会社に勤務している感じがするが、ここはそういう気持ちになることはない。個人対個人の関係がきちんと築ける。それは本当は当たり前なのだが、日本にいるとついついそんなことを忘れてしまうほど、肩書きや年齢に縛られる。
これからどんどん年を取っていくことを考えると、それは考えものだ。そんなものに縛られていると、世界が狭くなるばかりだからだ。祖母が80歳くらいの頃、シドニーを訪れて感激したことは「いい年をした大人が遊んでいる!」ということらしい。もちろん、別に遊ぶことが人生の至上命題でも何でもないのだが、日本ではいい年をした大人の男はせいぜい若い女の子と浮気をし、おばさんは韓流にはまるくらいしか「遊ぶ」ということがないのではと思う。
オーストラリア、カナダ、ヨーロッパなどでは年齢に縛られず、みんな思い思いに生きている。そんな生き方がそろそろ恋しくなってきたのかもしれない。
(スティーブンお薦めのVEGI BARというレストランのナチョスです。うまかったです)
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