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2010年12月

2010年12月30日 (木)

1年を振り返って・・・・・ニュースがなかった。

アゴラで「2010年の私のニュース」というお題で投稿を募集しているので、投稿しよかと色々と自分なりのニュースを考えてみた。以下、それを時系列にまとめてみた(ごめんなさい、たぶん多くの人にとって興味のないことだと重々承知していますが、書かないと頭の中が整理出来ないので書きます)

1月 オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」が本格的に稼働した。これは別にニュースでも何でもなく、ただひっそりと稼働したので、あまり自分的にはインパクトがない事件だった。

2月 ワンズワードオンラインが本格的に稼動して、一ヶ月で12名の会員しか獲得出来なかった・・・・これはニュースだったぜ!いやー、まじあせった。JOY先生なんかは「1ヶ月で12人も生徒さんが入るなんて、すごいことよ」と励ましてくれたが、その言葉が逆に痛い時期でした。

あとブログでちょろっとイ・ビョンホン氏を撮影したことを書いたら、アクセス数が1日2000くらいになってびびった。

でも、韓流ファンと英語学習者はシンクロせず・・・・全く会員獲得に影響のない出来事でした(泣)

3月 このサイトやあのサイトで紹介されるようになり、会員数もようやく上昇傾向となって、一安心した時期だ。

4月以降のことで印象的な出来事はやはりインドネシアでクリスティーンと再会したこと、JOY先生を日本に呼び寄せて、盛大なオフ会を開催したことだろう。

そして12月には2回もセミナーを行った。

こうして書いてみると、なんだかつまらない人生だ。きっと物事順調に進んでいるからそう思うのだろう。艱難辛苦している人の人生のほうがドラマティックなのは当たり前だ。今の規模で事業を継続するのはとても心地いいが、来年は少しは背伸びをしてみようかと思っている。ワンズワードオンラインとは別の事業について現在検討しており、来年リリース出来ればと面白いかなと思っている。

人生、守りに入ってもつまらないので、これからももっと色々なことに挑戦していければと思っている。


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2010年12月26日 (日)

海外でのクリスマス

ご存知かと思いますが、海外、特にヨーロッパではクリスマスは家族と過ごす日である。自分が留学していたイギリスもそれは顕著であり、クリスマスを一人で過ごすと言うと、「なんて気の毒な!」と心配されてしまうくらい家族と過ごすのが大事な日だ。

2,3年前にもロンドンでクリスマスを過ごしたが、地下鉄は全面的に運転を停止しているし、人通りも少なく、クリスマスなんてロンドンで過ごすものではないなと痛感した。24日25日は街は完全に死んでおり、食料すら満足に確保できない。街が活気を取り戻すのは、ボクシングデーである26日を過ぎた頃からである。

クリスマスギフトの箱を開ける日であることから、ボクシングデーと名付けられたそうだが、こちらからしてみれば、とっとと営業が再開して欲しいので、はた迷惑な日だったとしか記憶していない。

クリスマス時期にロンドンに留まっているのは留学生や外国人のみで、街は本当にある種異様な雰囲気になる。現地に友だちがいればいいが、旅行者などはやることもなく手持ち無沙汰になってしまうだろう。

このようなことを考えると、クリスマスは「恋人と過ごす日」と認識されている日本は、平和な国だなと思う。いつからそうなったのか知らないし、知りたいとも思わないが、スーパーや地下鉄が営業停止するイギリスに比べれば、よほど過ごしやすい。

来年の今頃は何をしているのやらと思いつつ、今年のクリスマスも過ぎ去っていった。

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2010年12月23日 (木)

スカイプが全世界的に接続不可

本日、早朝からスカイプが全世界で接続が出来なくなった。

スカイプの発表

スカイプを使ってオンライン英会話スクールを運営している側にとっては、頭の痛い問題だが、スカイプ側の発表を読んで少し違和感があった。

「supernodes」どうこう言われても、こちらに取ってみればどうでもいい問題であり、知りたいのはただ一点「いつ復旧するのか?」ということだ。だが、この問題については「 a few hours(数時間)」という記載のみであり、日時を明確に記載していない。

ネットで検索すると日本時間の朝3時半ごろから接続不可になっていることが分かり、それ以降接続が復旧していない。

会員様に迷惑をかけているので、この点をはっきりしてもらわないと本当に困ってしまう。本来ならばスカイプ側でも、「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」という態度で接してもらえると、ありがたいのだが、代わりに彼らは「supernodes」という技術的な問題を持ち出してくる。ユーザーフレンドリーとはほど遠いところに位置する会社だなと思ってしまう。

とは言いつつも代わりになるサービスはほかにないので、こちらとしても如何ともしがたい。本当に参る。休日なのでレッスンを楽しみにしていた会員様に対して、非常に申し訳なく思っている。自分が逆の立場だったら、やり切れない気持ちになるだろう。

へこむ、かなり。

スカイプはもう電話や水道並の重要なインフラになりつつあるので、今後このようなことが二度とないようにきっちりと対策を取ってもらいものだ。こちらもこのような事態に備えて、代替サービスがないか検討する必要がある。ログインIDなどなくても簡単にすぐ繋がるサービスが出来たら、すぐ導入したい。Viberのパソコン版が出来ればいいのだが・・・・・Google talkなどもテストをしてみようと思っている。

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2010年12月22日 (水)

企業のあり方について:アゴラへの投稿

待ち遠しくなる月曜日のために:企業のあり方について」というタイトルで投稿しました。

最近、飲み会などでは「アゴラー」と言われて馬鹿にされています。それもどうなのかと思いますが、投稿出来る内容の記事が書けるうちは投稿しようかと思っています。

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2010年12月20日 (月)

【書評】ザッポス伝説

ザッポス伝説を読了した。

顧客満足度にフォーカスした会社ということで、ワンズワードの目指すサービスと一致するので、非常に参考になる本だった。また働く人にとっても「幸せの職場」を目指しており、そういった部分でも共感することが多かった。

アゴラにも寄稿したが、多くの企業は「利益の追求」を目指しており、それはそれらの企業に働く人々の個人的幸福とは相容れないものがある。企業の幸福がそこで働く人々の幸福が合致している会社、それがザッポスなのだろう。

大富豪たちの人生の満足度の平均は5.8で、アフリカのマサイ族は5.4というフォーブス誌に掲載されたデータにあるように、金銭的に豊かなになることが幸せ度を増すことにはならない。

この本の巻末には「ハピネスのフレームワーク」として、幸せを感じるための4つの要素を挙げている。

1. 自分で自分をコントロールすること
2. 進歩を感じること
3. つながり
4. ビジョンと意味(自分自身よりも大きなものの一部となること)

特に1番と2番は密接に関係している。会社が社員を信用し、その裁量に任せれば、おのずと社員のモチベーションは上がる。多くの会社でも社員の裁量に任せているかもしれないが、それは「何か起こったらおまえが責任取れよ!」的な後ろ向きな任せ方が多いように思える。

ザッポスが実行していることは、それとは正反対の社員の自由裁量だ。

日本でも「お客さまが神様です」に象徴されるように顧客満足度を優先させる会社は数多くある。しかし、その多くは従業員の献身的な犠牲によって成り立っているのではないだろうか?

以前、テレビで全国に展開しているラーメン店の経営者が自分のラーメン店は「劇場だ!」と言って、従業員にも自分自身がそのステージに立つ緊張感と客を楽しませる術を要求していた。

ただのバイトに無茶を言う。

そんなに言うなら、もっと給料払えと思ってしまうのは自分だけだろうか。多くの従業員にとって重要なのは、まずは賃金だ。それからこの本の著者が指摘しているような4つの要素が来る。それを履き違えないように経営者は自覚する必要がある。

そのような意味では下記本を合わせて読むといいかもしれない。


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2010年12月17日 (金)

アゴラに投稿しました。

じつは昨日、アゴラに投稿しました。

グーグルというコンパスをいかに使っていくか

そして、もう1つちょっと前に投稿しています。

「就職する」ということがどういうことか知ってほしい

アゴラのメンバーアカウントをいただき、自由に投稿出来るようになったのですが、アクセス解析などを見ると1日数万PVもあり、いかにマンモスサイトかよく分かります。

自分のブログと違って、ちょっとした緊張感を伴いながら、投稿しています。
ぽちっと投稿したら、多くの人にさらされると思うと・・・・・・

でも、このような言論プラットフォームはほかにないので、色々と刺激があって投稿することで色々な意見が交わされ、非常にためになります。そういえば、ほかにも毎日留学ナビと100万人の英語にもコラムを連載しているので・・・・・・本業頑張ります!

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2010年12月16日 (木)

知っていることをシェアするということ:1年の終りに思うこと

1年前は、ちょうどワンズワードオンラインのウェブサイト制作が佳境に入り、オープンに追われていた。それまでは毎年年末になるとブラジルに行ったり、ヨーロッパに行ったりと年末=旅する季節だったのが、ひたすら仕事に追われていた。

これからどうなるか分からないオンライン英会話スクールをうっちゃってまで世界を旅するほど、根性は座っていない。今年はそれに比べれば少しは目処がつき、余裕も出来た。何をどうやればいいかぐらいは分かったし、やってもうまくいかないことについては、やり方を変えることも覚えた。

最近、お会いする人からは「これからどのようにビジネスを広げていくのですか?」と訊かれるが、まだそんなことまで考える余裕はない。そもそもビジネスを広げるという感覚があまりない。まずは自分がやりたいことをやって、その精度を高めることが何よりも重要だと思っている。

自分は一人のクリエーターであり、表現者であると思っている。写真を撮ろうが、オンライン英会話スクールを運営しようが、文章を書こうがそのスタンスに代わりはない。自分が未だ知らないことについては貪欲に知ろうとするし、知っていることについてはなるべくアウトプットしたいと思う。

時々、人生は壮大な実験ではないだろうかと考える。自分自身という素材を使った実験。どこか知らない国に行くのも、そのような状況で自分がどこまで出来るのか見極めるためだし、それはオンライン英会話スクールの運営という未知だった分野にも当てはまる。

僕が一番興味あることは、「自分が知らないこと」であり、それを知るために様々な実験を繰り返す。そして実験が成功し、それを自分のものに出来た時点で、ほかの人にアウトプットしたいと思っている。英語習得に関してはもう20年近くも実験を繰り返してきたので、山ほどアウトプットすることがある。

そのアウトプットの方法を今後もっと研ぎ澄ます必要があるのだろう。先生採用やウェブサイトの修正、レッスン内容に関してももっと精度を上げる必要がある。

なるほど、だから僕は「ビジネスを広げる」という感覚が理解出来ないのかもしれない。もっと深く、より深く物事を理解したい。それを理解出来たらアウトプットはするが、自分が理解したことについてほかの人々にまで完璧に理解してもらえるとは思ってはいない。シンプルに分かりやすくアウトプットを心がけるが、僕が深く理解した以上に、ほかの人々がその深みにまで僕自身の経験を通して、到達することは出来ない。

彼らは彼ら自身の実験を通じてのみ、もっと深くその深みにまで到達出来るのだから。
だから、せっせと僕は毎日自分なりに実験を繰り返し、彼らが知らないことを掘り起こそうと思う。今まで多くの人が、彼ら自身の実験を通じて僕の人生に光を与えてくれたように、自分も少しはほかの人々に恩返しが出来ればと願っている。


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2010年12月14日 (火)

フィリピンのクリスマスと先生たちの近況報告

巷では知られていないことだが、フィリピンのクリスマスは長い。
フィリピンでは9月からクリスマスシーズンがスタートし、親戚や友人主催のパーティーは11月くらいからひっきりなしにある。ちなみにそのせいか12月に入っての先生採用は遅々として進んでいない。なぜなら、面接のドタキャンが圧倒的に増えたから・・・・・急に親戚に不幸があったとか、面接直前の1時間前からインターネット接続が出来なくなったとメールがある。(では、どうやってネット接続したのか疑問だが、理由は教えてもらえない)

郷に入れば、郷に従うしかないので、来年1月からしきり直しにするしかないだろう。

時々、自分の面接態度を反省することがある。なんというか、その率直に言うと、「ものすごく感じの悪い面接官」だなと自覚しているからである。もうすでに70人ぐらいをこの二ヶ月で面接しているので、若干食傷気味なのだ。70人のうち採用したのは3名のみという確率の低さなので、その他大勢の人たちのクオリティの低さにやられてしまっている。

面接に際して、一ミクロンも期待など出来ない。どうせダメに決まっているというネガティブな感情に支配されているから、ついそれが態度に出てしまう。江原さん並の人格者でありたいと思う今日この頃だ。

ちょっといいなと思った先生候補でも、最終面接を担当している三姉妹からケチョンケチョンに書かれた不合格通知が送られてくる。仮にも人がいいなと思った人に対して、失礼ではないだろうかと時々思う。もっとオブラートにやさしく包んで欲しいものだ。

この状況が劇的に好転出来る要素がないので、来年も同じような作業の繰り返しだろう・・・・・

先日、先生たち一人一人とスカイプを通じて話した。どの先生も仕事に満足しており、SHAWIE先生などに至っては、よほどのことがない限り、一生ワンズワードで勤めるわと言ってくれた。SARAH先生は「どうしてワンズワードの生徒さんはみんな優秀な人たちが多いのかしら」と言っていた。ひとえに先生方が優秀だから、それに惹きつけられている人たちもまた同じく優秀な人たちが多いのだと思う。

チョイ悪おやじのJOE先生ですら、「ようやく働きがいのある職場を見つけた」と言っていた。リッチー先生は最近、発電機まで購入して停電が起ってもレッスンが行えるように自ら環境を整えている。みなさん、至極満足そうで何よりだ。

JENNY先生はもうなんだかとにかくテンションが高い・・・・・あのままどのように30代40代と生きていけるのか見ものだ。

少なくても、先生たちと生徒さんにとっては有意義な場所として機能していることが素直に嬉しい。これからのことは正直よくわからないが、とにかく今出来ることからやっていこうと思っている。

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2010年12月13日 (月)

やりたいことが見つからない人への処方箋

先週、先々週と二つのセミナーを通して、大学生たちの意見を聞く機会があり、とても興味深かった。

そのなかで気になったのは「やりたいことがない、見つからない」という学生たちの声だ。別にこの問題は今に始まったわけではなく、ずっと前から変わらずあったのだが、今の就職難でクローズアップされてきた問題だと思う。就職出来ない学生は、せめてやりたいことを見つけないと、今後どんどん取り残されていく。そのような危機感は当然学生側にはない。今現在食うに困っていない彼らに危機感を持てというのは土台無理な話だ。

このような人たちに対して、大学や国は今のところ無力だ。本人の自覚の問題だし、他人がとやかく言えることでもない。ただひとつ言えることは、ジョブズのように「Stay hungry, stay foolish.」ということぐらいだろう。

馬鹿でいられる期間というのは人生においては20代くらいまでだろう。自分の20代を見つめ直しても、本当に馬鹿だったなと思う。失敗の連続だったし、何一つうまくいっていなかった。唯一、身に付けた能力である英語力でなんとか今まで生き延びてきている。

馬鹿になるには勇気が必要だが、今の学生たちを見ていると、それすらも持ち合わせていないように見える。行動すらしないから、馬鹿になるにもなれないのだ。

また2月に学生たちを相手に話をして欲しいと頼まれたが、そのような人たちを相手にどのようなことを言えばいいのか・・・・・・

この本一冊読んだほうが、僕の話を聞くより100倍ためになるのではないだろうかと思う。ただ、この本に書いてあることをきちんと「自分ごと」として落としこんでできる学生たちだったら、いずれは自ら身を起こすのだろう。問題はそれが出来ない大部分の人たちなのだが・・・・・と考えたら、話は堂々巡りになってしまう。

でも、そもそも立とうとしない人たちをけしかけて立たせる意味もないような気もする。今の大学って、結構大変な職場なんだと思う。そんな人たち相手に色々と世話を焼くのは本当に骨が折れる作業だ。

「やりたいことが見つからない人への処方箋」の結論は「そんなものはない!」だろう。そんなことを知っていたら、新興宗教でもやってがっぱり儲けている。期待させておいて身も蓋もない結論でごめんなさい。


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2010年12月10日 (金)

子供でも分かるように物事を説明する難易度の高さについて

感覚的に物事を理解する人間は、物事を論理的に説明するのは、本当に苦手なんだなとつくづく思った。

なぜそのようなことを思ったのかというと、明日、神戸・流通科学大学で開かれる「ソーシャルメディア、先進メディアは外国語教育、そして私たちの社会をどう変えるのか?」というシンポジウムで行うプレゼンの準備をしていたからだ。

このシンポジウムでパネリストの一人として、「ソーシャルメディア時代の新しい働き方」というタイトルで発表させていただくのだが、当然自分がよく知っている分野についての発表なので、多くのことは感覚的に理解している。

そうなると、いざそれを説明しようとすると、どうにも説明が足りず、多くの人が理解できない自体を引き起こしてしまうことにようやく気付いた。(気付くのが相当遅いです・・・・でも、今さらながら気付いただけでもヨシとします)

例えば、子供の頃から慣れ親しんでいる「おこめ」について説明しろといきなり言われても、なにをどこから説明すればいいのか分からないはずだ。前提となる知識は一体どこからどこまでなのか、よくよく考えてみると分からない。

今までは、自分が感覚的に理解していることは、相手も理解しているという前提に立っていたが、それが間違いだった。

今、テレビに出まくっている池上彰さんは「子供でも分かるように自分が説明することを想像しながら本を読む」と言っていた。だから、あんなに分かりやすい説明が何に対しても出来るのだろう。

より難しいことをさらにより難しく説明することが頭がいい人間がすることだと勘違いしている人が多いが、そんなことは実は猿でも出来る。難しいことを子供でも理解できるように説明することが出来る人が、本当に頭のいい人なのだろう・・・・・・先は長いぜ!

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2010年12月 9日 (木)

海外生活のススメ:日本人というブランド

自分がイギリスに滞在した2000年頃までは、イギリスはきらきらと輝いて見えた。
ブレア政権が打ち出した「クール・ブリタニア」が見事にはまり、ものすごく勢いがあった。音楽でもオアシスやブラーなどが世の中を席巻し、希望に満ちた時代だった。

その頃は、日本は色あせて見えて、イギリス生活こそが何ものにも代えがたい刺激に満ちていると思っていた。それから日本に帰国し、2年おきにはロンドンに行って旧友と再会しているが、行くたびにその輝きは衰え、今ではあまり行く気にもならなくなってしまった。

もしかしたら自分自身がすっかり日本の生活に順応してしまい、そこにいること自体に快感を覚えるようになってきたのかもしれない。そう思って2年ほど前はロンドンに行ったついでに、ベルリンにも寄ってみた。すると、ベルリンの持つ熱気にすっかりやられてしまい、ぜひとも住んでみたい都市のひとつとなった。今、自分が若いアーティストであれば、間違いなくベルリンを目指すと思う。

だが、総じて考えてみると、やはり10年前と比べて、何かを目指すために海外に出て行く必要性は今はないのでは思っている。東京にいれば必要なものはすべて揃い、それなりに刺激もある生活が営める。

海外生活で得られる刺激とデメリット、東京生活で得られる刺激とデメリットを考えたときに、おそらく後者が選択されるから、多くの人が海外で生活することを控えるようになったのだろう。また言葉の壁という解決し難い問題もあり、彼らが躊躇する気持ちも分かる。

そして、その傾向はますます強まり、人々は日本の生活にどっぷり浸かり、どこにも行かない「アメリカ化」が進むことは自明の理だ。(旅するアメリカ人ほど稀少価値のあるものはない。30カ国ぐらい旅したがアメリカ人に会うのは稀だった)

でも、だからこそ海外で生活するメリットがあるのでは思う。人々がこぞって日本を出たがらない環境だからこそ、今海外生活を体験したものは貴重な存在としてその付加価値が高まる。

人生の多感な時期に2,3年海外に暮らすことは何ものにも得難い経験だ。今の20代の人たちこそ、考えるのはやめて、海外に行くべきだと思う。特に就職難の今、英語やほかの言語を習得すれば、彼らは企業にとって貴重な戦力になるかもしれないし、また海外にそのまま就職するチャンスもある。

日本人がほかのアジア諸国に比べて最大のアドバンテージは「日本人」というブランドだ。
世界中からこれほど好かれている国も珍しい。
(中国や韓国の人々のアジアでの評判は最悪だし、ケチで有名なインド人もあまり評判は良くない。ただぼりやすいから好きという側面もあるが、嫌われるよりもまだましだろう)

今だからこそ、そのアドバンテージは活かせる。今後経済が停滞し、文化的にも存在感が示せなくなってくると、そうは言っていられなくなるだろう。

先人たちがボラれ、騙され、散々痛い目にあってきたおかげで、このようなアドバンテージを得ることが出来たわけだ。同じような目に遭う可能性もあるが、それを差し引いても、十分におつりがくるほどの経験は出来るのではないかと思っている。


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2010年12月 7日 (火)

「大卒」という資格の幻想ーアゴラへの投稿

アゴラに投稿した文章が掲載されました。

「大卒」という資格の幻想

先日行ったグローバルセミナーでも同様のことを言いましたが、これからは資格に頼ることなく、自分の強みを最大限に活かした人しか生き残れない時代になってくるのではないでしょうか?

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2010年12月 6日 (月)

未来は「未来の自分」に任せるということ。

先週、土曜日に行った「会社に頼らない生き方とは:グローバル時代を生き抜くために」というセミナーは無事終り、ほっと一息ついている。セミナーが終わったあとの質疑応答で、少し気になる指摘があった。

「ワンズワードの今ある成功は、運営者自身がお金儲けに興味がないというスタンスであり、それはほかの人が真似できないことだからだ」という指摘である。

おそらく、多くの人が勘違いしていると思うが、これは「お金には興味あるが、お金儲けには興味がない」ということだ。お金自体に興味がなければ、ソローが「森の生活」で書いたような自給自足の生活でもしている。

お金儲け、利益追求に走ってしまうと、どうしても人件費を削るということになり、うちの一番の売りである「優秀な先生の確保」が非常に難しくなる。もちろん、値上げしてその分を確保するという手もあるが、今の厳しいオンライン英会話スクールの価格競争のなかで生き残るのは、今ある価格を据え置かなければ無理だろう。

それにそもそもお金儲けに邁進するならば、オンライン英会話スクールの運営などという七面倒くさいことをやっていない。人を扱うサービス業なんて、手間暇かかるだけで、効率が悪い。

自分自身が持っているノウハウが最大限に活かせる仕事なので、やっているだけである。それに日本の英語教育産業自体に色々どうかと思う点が多々があり、自分ならもっとうまく出来るのでは思い、立ち上げた経緯がある。

そして「今後の目標」についても訊かれたが、「今が楽しければいいのでは」という身も蓋もない内容のことを言ってしまった。(補足すると、今フィリピンで中心的な存在として頑張っている三姉妹が成長していけば、ワンズワードも成長していけるので、彼らの成長が個人的に最も興味のあること答えた・・・・・あ、なんかちっさいな、オレ。今度から嘘でもいいから孫さんみたいに「日本を変えたい」などと言っておこうか・・・・でも、それも馬鹿っぽい気がする。孫さんぐらいのレベルの人だから説得力があるだけだし)

今後どう発展するかどうかより、いかに今優秀な先生を確保するかのほうが個人的な関心度は高い。優秀な先生を雇用しない限り、生徒数も増えないことは自明の理だからだ。結果、今何が出来るかだけを考えればいいのではと思う。先のことは「未来の自分」が解決してくれるだろう。

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2010年12月 2日 (木)

イギリス英語から見るイギリス的生活:一芸は身の助け!

ウィリアム王子が長年の婚約者であるケイトさんと婚約したそうだ。
非常にめでたい。

彼らの英語はいわゆるクイーンズイングリッシュで個人的にはとても聞き取りやすい。また英国人特有の言い回しである「Massively、Definitely 」などを聞いて懐かしくなった。彼らよりももっと階級が下か年齢が下になると多くの形容詞、副詞は「F*cking、F*ck」に取って代わられる。
(*には u が入ります。念のため)

例 1)This is f*cking great coat!

例 2)WHERE THE F*CK AM I?

イギリスに住んでいるときにイギリス人学生とフラットシェアしていたので、毎日腐るほどのFワードを聞いた。本当に表現力に乏しい人たちだなと思った記憶がある。

思うにあくまで第二外国語として英語を話すフィリピン人と、ネイティブスピーカー(イギリス人、アメリカ人など)の一番の違いが、このような各国独特の言い回し、表現ではないだろうか?

もちろん、映画や本を読めばそのようなことを知識として身につけることはできるが、その土地に実際に住んでみないことにはそれは身に付かない。例えば「Fabulous!(素晴らしい)」という言葉がある。これをちょっとオシャレな格好をした日本人男子がイギリスで使うと、まずゲイと思われるだろう。

あくまで個人的経験だが「Fabulous!」という単語をゲイ以外の人が使うことを見たことがない。この単語は僕がロンドンに住んでいたとき、よく行ったパブにいたゲイのスタイリストが連発していたので覚えた単語だ。
(彼はもっとまともな仕事をしたいと言って、ショップ店員になった。日本では普通は逆なのだが・・・・)

同じ意味のことを言う場合にはロンドンではよく「Wicked!(すげえ!)」という単語を使う。ただ外国人の場合、現地に住んでいる場合はいいが、ただの旅行者として行った場合にこのような表現を使うとなんだか小っ恥ずかしくなるので、使わないほうがいいかもしれない。

時々、ロンドンに憧れを持ってる日本人に出くわすが、僕にとってのロンドンは「変態の巣窟」だ。ロンドンみたいな街に行くと、自分がいかにまともで真面目かが再認識させられる。むしろ、変態ぐらいではないとあの街に生き残ることは難しい。特にフリーランスの仕事をする場合は、なおさらだ。

参考文献:http://www.youtube.com/watch?v=cy3ivLZYdyM
(上記のビデオを見ると、そのことがよくわかる。「なせ白いトランクス?なぜ腕立て?どうしてカセットテープ?その踊りで何を表現しようとしているの?」と疑問は尽きないが、ロンドンに住めば謎は解決する。みんなそうだから。みんなやりたいことやって、楽しければいいじゃんと思っているから。特に理由は必要ではない)

一芸は身を助け、それ以外のことでは多くの場合、大目に見てもらえる。フットボール選手がパブで乱闘騒ぎを起こそうが、ミュージシャンがドラックをやろうが見逃される。そのような意味でも完全な階級社会なのである。日本のようにすべてのカテゴリーの人たちが一般常識に従わなければいけない国とは大違いだ。

力士や芸能人に一般的な社会人と同じ常識を求めても仕方がない。彼らは異能の人である、異世界の住人であることを認めれば、少しはこの閉塞感のある社会にも風穴が空くのではと思っている。

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