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2010年9月

2010年9月30日 (木)

マルコム・グラッドウェル、パスタソースと幸せについて

昨日のブログでも紹介したTEDだが、そのなかにかなり面白いビデオを見つけたので紹介したい。

マルコム・グラッドウェルの18分弱のスピーチだが、オチが素晴らしい。ペプシやパスタソースなどの食品の話が延々と続き、それで終わってしまうのか思いきや、人間の幸福に関しての言及がある。とても考えさせられるビデオだ。

28ヶ国語による字幕も選択可能なので、最初は字幕なしで見て次に日本語の字幕付きで見れば、英語の勉強にもなる。マルコムさんの英語はとても聞き取りやすく、語彙もそれほど難解ではないので、楽しみながら英語が勉強出来る。

リスニングの勉強のためにこれから毎日一本はTEDの動画を見ようと思っている。知的好奇心の満足と英語の勉強を兼ねられるので、まさに一石二鳥だ。

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2010年9月29日 (水)

e-learning教材の有効活用とセヴァン・スズキ

以前、とある大学の先生とお話しさせていただいたときにパソコンを使ったオンライン英会話やほかのe-learning教材の話しとなり、その先生は「語学学習はやはり顔と顔を付きあわせて、対面式でやるのが一番だと思います」というようなことをおっしゃった。

うん、それ当たり前。

それがコスト面でも時間的にも出来ないから、オンライン英会話やほかのe-learning教材があるのだ。NHK白熱教室で人気沸騰しているハーバード大学のサンデル先生のような人を自宅に招いて、授業を行えればそれに越したことはないが、それが現実的ではないからビデオ配信をして、仮想授業に参加する。

日本の大学のe-learning環境が欧米に比べて遅れているのは、「e-learningとは」と言ったときにその定義が曖昧だからだ。語学系の教授たちは、あたかもe-learningが自分たちの職を脅かす存在と勘違いしているが、それは大きな間違いだ。

週一二回の授業を補足し、その効果をマックスに高めるためには、e-learningはとても強力なツールとなり得る。個人的に最も共感を覚えるのは、関西大学の竹内先生が提唱されている「授業の円環」という理論だ。(以前、ブログで紹介しました。詳しくはこちらです)

授業外でオンライン英会話やe-learning教材を使えば、授業で行ったことを補足でき、限られた授業の時間を有効活用出来る。巷には無料でとても優れたe-learning教材が溢れている。それを効果的に使用し、自分たちの英語学習に活かすべきだと思う。下記はその中でも代表的なe-learning教材だ。

1. ENGLISH CENTRAL
最新の音声認識エンジンを使って、オバマ大統領や映画の名台詞などでシャドーイング学習が出来る。

2. Lyrics Training
洋楽好きにはたまらない英語学習ツール。

3. LANG-8
無料でネイティブが英語添削を行なってくれる。

4. TED
世界的に有名な人たちが18分間でスピーチを行う。スーパークールなスピーチが無料で聞けます。

では最後に個人的に最もエモーショナルだと思うセヴァン・スズキのスピーチをご紹介します。

な、涙が止まらない・・・・・・このスピーチが行われてからすでに20年近く経過がしているが、世界はより良くなったのだろうか。全く変わっていないどころか、悪化しているように思える。いつになったら、本当に価値がありためになることを我々は行うのだろうか。

せめて自分たちの子供の世代には、より良い世界を残していきたい。

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2010年9月28日 (火)

男と女の事情:フィリピンと日本の場合

オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」には、合計8名の女性の先生が所属している。それに加えて、アメリカ生まれアメリカ育ちのリッチー先生(唯一の男性)が所属している。

女性のうち、既婚者は一名のみである。
皆さん、美人聡明で性格も非常に良い。(また結婚適齢期でもある)

では、なぜ結婚していないのか?
ふと、そのようなことを疑問に思い、色々と思いを巡らしてみた。

1つ目は「フィリピン人男性がダメダメだから」、二つ目は「フィリピン人男性が甲斐性なしだから」、そして三つ目は「フィリピン人男性が身勝手で、言うことを聞かないから独り身のほうがいい」というものだ。

はて?

これは一体どういうことだろう。ようはフィリピン人男性が美人聡明なフィリピン人女性に取ってみれば、相応しくないということなのだろう。これはあまりに個人的に偏った意見だと思い、グーグルさんに訊いてみた。

1. フィリピン人男性(とりわけ十代後半~二十代前半くらいの若い世代)の性格ってどんな感じなのでしょうか?
「陽気で物事を深刻に考えない、面倒臭い仕事はあまりしたがらない(女性は良く働きます)」って、ダメじゃないですか!!!

2. フィリピンつれづれブログ
時々、このブログを読んでいるのだが、フィリピン人男性はことごとく退社していく様がリアルに描かている。(ちなみに著者はフィリピン人在住の会社経営者です)

3. フィリピン人女性は、自分を犠牲にしても、家族に仕送りをするなど、家族をすごく大切にする傾向があると思います。では、フィリピン人男性はどうなんでしょうか?
「とにかく男は女に尽くすもの、というのがフィリピン男性の気質のようです」ということは、裏を返せば男はたいして働かず、家庭第一というのが実情ということか。

東南アジアを旅したことがある人は分かると思うが、男は得てして何もしないイメージがある。ぼーと日長一日過ごしている姿をよく見かける。それとは対照的に女性が働いている姿をよく見かける。もちろん、これは漠然としたイメージなので、本当のことは部外者には分からない。

だが、ムハマド・ユヌス氏が創設した貧困者救済のためのグラミン銀行も、借り手はすべて女性に限っている。理由は「女性はお金を家族のために使い、男性は自分のためにしか使わないから」というシンプルなものだ。

もちろん、例外はあるだろうが、これは一般的な事実としてどこの国にも当てはまるのではないだろうか。女性が博打や酒で身を持ち崩す話はそれほど聞かないが、男の場合は枚挙にいとまがない。

フィリピン人男性がフィリピン人女性ほどよく働き、自分のためではなく、国や家庭のために働けばフィリピンの未来は明るいのではと思う。

ふと、自分の国である日本のことを考えると、この高度に発達した社会では、男性やら女性やらその中間やらの境界が曖昧になってきている気がする。少なくても、フィリピンのように十把一絡で、女性と男性をくくることは出来ない。女性が男性化し、男性が女性化していくなかで、性別というものはどんどんファジーなものになってきている。

それが果たして、文明の目指すべき姿なのかは分からないが、価値観が多様化していくのは少なくても前進している証拠ではないだろうか。

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2010年9月27日 (月)

ワンズワードオンラインのオアシス:レベッカ先生について

久しぶりにオンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」に新しい先生が加わった。リッチー先生以来の加入なので、約3ヶ月ぶりになる。

レベッカ先生は26歳と平均年齢が高いワンズワードオンラインでは比較的若い先生だが、すでにオンライン英会話スクールでの講師歴は3年もある。それにマニラ在住にも関わらず、セブ島まで行ってTESOL(国際的な英語教授法)を取得した点も高く評価出来る。

(これは何度も強調したいことだが、うちではルックスなどは一切考慮せずに、能力と人格のみ評価対象として先生採用を行っている・・・・・・しかし! か、かわいい)

資格や学歴などは個人的にはどうでもいいと思っている。ただわざわざ遠方まで、その資格を取りに行くという個人的努力は評価に値する。TESOL有資格者でも、すでに何人もうちでは不採用にしている。「私、資格持っているのよ」的な態度を取る人は、正直うざいからだ。資格や学歴、それに肩書きをひけらかす人間にろくな人間はいない。

本当に優秀な人間はそんなことに頓着せずに、自分自身の道を突き進んでいる。

そういう意味ではレベッカ先生は非常に謙虚であり、なおかつ向上心がある。そのような人材をワンズワードオンラインでは欲している。この三ヶ月間、コンスタントに面接を行ないようやく探り当てた先生なので、とても期待している。その間、自分自身でもマニラに行き、先生採用については尽力したが、結論としてはこの採用率の低さは劇的に改善しないだろうということだ。

採用の仕方や採用率などの問題ではなく、うちが採用したい人材は人口比率で言うと、全体の1割以下しかいないと思う。そのなかで、幸運にもオンライン英会話スクールで働きたいという人を探し当てる必要がある。新聞広告などを打って大々的に募集しても、探し当てるべき人材の絶対数には変りないので、ただ手間が増えるだけだろう。ようはいかにこの鉱脈を探り当てるかが問題なのだ。

余談だがレベッカ先生は大の音楽好きということで、いくつかのバンド名を挙げてビデオで紹介している。そのなかでも、ヤー・ヤー・ヤーズは僕も好きなバンドのひとつだ。自分は「おお!」となり共感出来るが、あまりにマイナー過ぎてほかの誰の共感も呼ばないバンドだろう。嘘でも言いから「好きなアーティストは、マイケル・ジャクソンとビートルズ!」と言っておけばもっと多くの共感を呼べたのにと思う。(それに加えて、マイナーなバンドを付け加えておけば、通な感じだ。下世話な話しですが)

いつもS的体質な先生方にしごかれている生徒様にとって、彼女がオアシスになるのではと期待している。

Rebeca

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2010年9月25日 (土)

【書評】20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ

この本の副題は「20世紀の半分以下の時間と費用で学ぶ最新最短英語学習法」とある。では、万人にとっての最新最短英語学習法などあるのだろうか?

もちろん、そんなものは存在しない。

各自それぞれの学習スタイルが違うからだ。だが、確かにこの本を読めば20世紀の半分以下の時間と費用で英語を習得することは可能になるのでは思う。

誰でも楽をしたい。願わくば、寝ていながら英語を勉強していれば、英語が話せるようになればいい。しかし、作者も指摘していることだが英語をマスターするのには多大な時間がかかり、最低でも1500時間は必要とのことだ。(ちなみにこのブログでも、過去のエントリーでこのことを指摘している)

重要なのは、あなたにとって英語とはそれだけの時間と努力をかけるだけの価値があるものですか、と今一度問い直すことだ。そこをクリアしない限り、一生涯英語をマスターすることなんてことはないだろう。また作者が指摘しているようにTOEIC900点を取ったところで、そこはまだ高い観点から言うとスタート地点にしか過ぎないということだ。

個人的に一番感銘を受けた箇所は下記だ。

「日本国民全員にそれだけの英語力を身につけさせろとは言いません。でも、せめて上位1割の日本人がこれらの国の人々と対等に渡り合える英語力を身につける教育制度を実施してほしいものです。そして、今のままの教育制度では100年経っても、これらの国に並ぶことはできないでしょう」

日本の学校教育の根本的な問題は、"下手な平等主義”にある。あたかも全員が等しい能力を持っているように扱うので、色々と弊害が出ている。個人個人には得意不得意があり、それを尊重してその能力を効率よく伸ばすことが必要だ。飛び級やエリートコースなどを設定して、彼らの学力を率先して伸ばす必要がある。そして、努力すればいつでもそのコースに編入可能にし、「下克上可能な集団」を構成することが重要だ。(ちなみにこれも過去のエントリーで言及している)

語学留学で英語を身につけた自分としては作者の「私は海外の語学学校には基本的に行かなくてもよいかと考えています」という考えには全面的には承服できないが、気持ちはよく分かる。自分自身の留学体験がある程度の成功を収めたのは、自分が日本人のなかで肉体的にも精神的にもはずれ値だったからに他ならない。
(身長192cmで、ニーチェとドストエフスキー、それにフランスのヌーベルバーグの監督たちをこよなく愛し、いつもUKインディーズロックを聴いていた。当時仲良かったイギリス人からは「君はヨーロッパに生まれていたら典型的なヨーロッパ人だったけど、それが日本だから面白い」と言われた)

たしかに一緒に語学学校に通っていた日本人たちは、どこか馴染めず居心地が悪そうだった。作者も語っていることだが、英語が出来たとしても、自分自身のなかに語るべき何かが存在しない限り、外国人からは相手にされない。自分の場合は、映画、音楽、文学、哲学と言った語るべきことが山ほどあったので、英語が拙い頃でも比較的友人に恵まれた。(そのとき知り合ったクリスティーンとは先月再会した。彼女と共通する話題は、ドストエフスキーだった。僕がサンクトペテルブルクにあるドストエフスキー博物館に行ったことがあると話すと、当時非常に話が盛り上がった)

英語を話すことの目的を「外国人とコミュケーションを取ること」に設定すると、このようなことにも留意して置くことだ。仕事の話しが出来ても、スモールトーク(ちょっとした小話)が出来ない日本人も多くいるので、何か共感し合える話題を自分のなかに持っておくことは必須だ。

この本を通じて、あたな自身の「最新最短の英語学習法」を見つけられたらとても素敵なことだ。最終的には自分の努力を通じてしか、自分自身にとっての英語習得の公式は見つけられないと自覚しつつお読みください。

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2010年9月24日 (金)

ワンズワードオンラインの先生たちのSっぷりについて

生徒様のブログや先生たちのコメントを読むと、いつも思うのは「うちの先生たちって、ほんとSだな」ということだ。きっと彼らの頭の中には「お客さまは神様です」的な日本的顧客第一主義なんて毛頭ないのだろう。

オンライン英会話界のラオウと異名と取っているJOY先生を始め、ほかの先生たちも結構ビシバシ授業を行っている。そのJOY先生すら怖れをなしたのは次女のBEEJAY先生だ。彼女はとある生徒様が自分の指示した通りに学習しなかったといって生徒様を叱責していたらしい・・・・・・こ、こわい。

彼女いわく「そんなことをして意味がないと言っているのに、いつまで経っても同じことをするから」ということらしい。

仮にもお金を支払っている相手に対して本気で怒るというのはどうかと思うが、こと英語学習という観点からはそれくらいの熱情があってもいいのではないかと思う。自分の間違いがおざなりにされたまま放置されるよりは100倍いい。

「間違いを的確に指摘し、それを正すこと」これは優秀な先生の資質として必須の要素だ。もちろん、その各生徒の適性に合わせて行う必要がある。となると、うちの生徒様はM体質が多いということか・・・・・なんか違う気がするが。

ワンズワードオンラインに正規のカリキュラムもテキストもないのは、いかに質の高いレッスンを提供できるかを考えた場合、各生徒様のニーズに合わせたレッスンを行う必要があるという結論に辿り着いたからだ。これもビジネス的に考えたら、「なんちゃらメソッド」的なものを打ち出したほうがメリットが大きい。だが、マンツーマンで行うレッスンなので、その自由度を活かしてカスマイズしたほうが受講者側にはメリットが大きい。

うちの生徒様の質も高く、博士号の論文の添削や原子力の研究の専門用語、アメリカで弁護士として活躍するための英語など多岐に渡ったニーズがある。それらに応えるための、レッスンの自由度とクオリティなのだ。

今のところカスタマーサポートには、「質の高いレッスンで大変満足している」という生徒様からのレポートは数多く届くが、「〇〇先生が余りにSなので、怖い」という声は届いていない・・・・・ずっと届かないことを切に願っている。

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2010年9月23日 (木)

JOY先生来日大計画!:イマジンを聴きながら・・・・・

思えばJOY先生をせっかくだから日本に呼ぼうと行動に移してから、早くもニケ月が経過した。このブログを書いた直後に手続きを始めて、昨日JOYさんが書類を提出し終わり、あと一週間程度で合否が分かるとのことだ。

在フィリピン日本国大使館によれば、必要な提出書類は下記の通りだ。

1. フィリピン共和国パスポート
2. 査証(ビザ)申請書
3. 申請用写真 1 枚
4. 滞在予定表
5. 在職証明書
※自営業者の場合は会社名登録票写し
社会保障カード写し
所属先からの出張命令書、派遣状乃至はこれに準じる文書

招聘元である株式会社ワンズワードからは下記書類を提出した。

1. 招へい理由書
2. 会社間の取引契約書、取引品資料、会議資料等
 〔招へい元が滞在・渡航費用を負担する場合〕
3. 法人登記簿謄本又は会社/団体概要説明書

JOY先生の生徒様にも10月以降の日程が決まらないばっかりにスケジュールをオープンにするわけにはいかず、多大の迷惑をかけている。さらに責任感が強い彼女の心理的負担は多大なものだと自覚している。

もうこれでダメなら・・・・・泣いていいですか?

そんな気持ちになるくらいオオゴトになってしまった。航空券を予約して、ホテルを予約すれば事が済むと漠然と考えていたのが大きな過ちだと気づいたが、時すでに遅かった。最近の彼女の休みは、このビザ取得のために費やされており、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

まだ暖かい9月には呼べると思っていたが、結局早くても10月初旬になってしまう。冬のない国から来ての体力的負担も心配だ。心配は尽きないが、ここまで来たら本当にビザが無事に発給することを心の底から願っている。

JOY先生を日本に呼ぶことは、一人の友人としての善意からの行動だったが・・・・・なかなかうまくいかないものだ。僕の頭の中では、ジョン・レノンのイマジンがずっと鳴っている。

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっと1つになるんだ

でも、ジョン。想像することは出来ても中々実行に移すのは難しいようだよ、それが善意からの行動だとしても人に迷惑をかけることもあるってこと、それも想像したほうがいいようだ。

それに僕たちの時代では想像するだけではなく、実行することでしか評価もされないしね。

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2010年9月21日 (火)

日本の英語教育が問題なのか、それとも学校教育が問題なのか?

楽天の三木谷社長などは日本の英語教育について厳しい見方をしているが、そもそも学校での教育自体に問題があるのではないだろうか?

先のエントリーに取り上げたように、目標設定には達成目標と学習目標の二つがあるが、日本の学校では達成目標しか設定しない。人生について、本当に有意義なことなど何一つ教えてはくれない。中間試験や期末試験の結果などが重視されるが、それらはそのあとの人生そのものには一切関わっては来ない。

では、学校教育全体の質を上げるにはどうすればいいか?

「スタンフォード大学の経済学者エリック・ハヌシュクの概算によれば、劣った教師の生徒たちは一学年で平均して半年分の授業内容を学ぶ。同じく、優れた教師の生徒たちは一学年で平均して一年半分の授業内容を学ぶ。となると、一学年で一年分の差が生まれる

これは下記本の引用だ。

優秀な先生の定義は難しいがこの本によると「フィードバックー生徒の特定の発言に対する、その生徒個人に向けた教師の直接的な反応ーこそが、学力向上と最も深い関係がある」と記述されている。そうなると優秀な先生とは、生徒個人に対してきちんとしたフィードバックを返せる先生ということになる。

学校全体のカリキュラムどうこう言う前にいかに優秀な先生を雇用し、授業の質を上げて、学習の精度を高めるということが学校教育には必要なことなのだ。具体的な例として「優秀な先生をひとり確保するためには四人の候補を試す必要がある」と試算されている。

そして、「本当の意味で優れた教師を集めるためには、現在のように教師の”長期在職権”を機械的に保証するのではなく、また、実際の能力に応じて評価するのであれば、かなり固定した従来の給与体系も見直しが必要だ」と指摘されている。

ワンズワードオンラインで、先生採用を厳しく行っている理由は今まで述べてきたことに合致する。効率よく学習向上を目指すには、優秀な先生を雇用する必要がある。そして、特定のカリキュラムも設定していないのは、生徒様個人のニーズを尊重し、またそのニーズに応えられる優秀な先生しか雇用していないからだ。

TOEICなどの資格試験に関しても、生徒様からの要求がないかぎり、あまり推奨はしていない。英語学習は学習目標であるべきであり、達成目標ではないからだ。それにTOEICで高得点を取るためのテクニックなどは自分で学んだほうがよほど効率がいい。せっかくのレッスンをそのようなことに費やすよりはもっと実際的な問題について取り組んだほうが、英語力全体の向上が期待できる。
(ビジネス的にはきっとTOEIC800点突破コースなんて設定したほうがいいのだけど)

学校教育についても同様のことが言える。達成目標としてではなく、学習目標として勉強を捉え、もっと有意義な時間が費やせるように学校のシステムそのものを変革する必要がある。

「木を見て森を見ず」とよく言うが、日本の現在の閉塞感は万事につけて場当たり的な対応してきた、そのツケではないだろうか。総理大臣はころころ変わり、マスコミはそれを正す機能も果たさず、モノづくりばかりしておけばなんとかなった時代が終わったことにも気付かない団塊世代の経営者たち。

いいものを作れば売れる時代は終り、いいものは当たり前で、なおかつ正しく人々に役に立つものしか売れなくなった。ネットの力で知恵をつけた消費者が今最も正しい行動をしているのもしれない。マスコミ、政治家、企業の広告などに頼ることなく、自分たちの目で何が正しいか判断できるだけの情報を得ることが可能となった。

これからの学校教育は、そのようなことを踏まえて、いかに情報の海から有用な情報を取捨していくかを教えていく必要がある。熱血先生がもてはやされた時代は終り、現在ではグーグルやツイッターを自由自在に操り、生徒の会話に入っていける先生のほうが人気があるのだろう。先生にとっても受難の時代だが、いつまでも「インターネット、よく分かりません」などと時代錯誤的なこを言っている先生たちを見ていると「日本、大丈夫か」と思ってしまう。

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2010年9月18日 (土)

ふるさとは遠きにありて思ふもの:沖繩にて

人に会うと、よく「ご出身はどちらですか?」と訊かれる。いやな質問だ。なぜなら「京都」と答えると「いいところですよね!」と相手のテンションが上がるからだ。住めば都というが、京都は盆地なだけに夏は蒸し暑く冬は非常に寒い。けっして住みやすい街ではない。

そして、「京都のどちらですか?」と訊かれるとまた如何ともしがたい気持ちになる。なぜなら「嵐山」と答えるしかないからだ。

嵐山はとても風光明媚なところで、観光に訪れるには素晴らしいところだと思う。でも子供の頃から清水寺や苔寺と親しみ、渡月橋などは塾に通うために毎日自転車で疾走していた自分に取ってみれば、格別どうという土地ではない。

「京都、嵐山」と聞くと、相手のテンションが上がるだけに、相手の期待に応えてこっちもテンションを上げていきたいが、如何ともしがたい。まず中学二年生という中途半端な年齢で東京に引越し、今現在は京都とは何の繋がりもないからだ。親兄弟をはじめ、友人すらもう京都にはいない。それでも「ご出身は?」と訊かれたら「京都」と答えるしかない。

京都という土地に一切郷愁を感じることはない。
もうただ「昔住んでいた街」という認識しかない。

そして、今沖繩に沖繩出身の友人と一緒に滞在している。
彼が帰郷すると定期的に会う友人が一斉に会し、色々なところへと連れて行く。とても羨ましい環境だ。これが「ふるさと」というものだろう。彼の実家にも招待されご飯を御馳走になった。生まれた土地と密接な繋がりがあり、そこでのネットワークは健全に保たれている。

いかにネットワークを築けるかが現代社会では最も重要だ。生まれ故郷に住むメリットはそこにあり、また違う都市に住む場合はいかにそれを築けるかが重要だ。今の社会では情報量という面ではネットの助けを借りれば、地方都市であろうが東京のような大都市に住もうが大差はない。そして、人と人のコミュケーション、ネットワークはいかにその土地に入り込んでいけるかにかかっている。生まれ故郷にすでにネットワークがあるならば、それはとても有利に働く。

そんなことを考えていくと、元々根無し草のような自分のような人間は、どこに住もうが関係ないのだろうなと思う。ジャカルタだろうがマニラだろうが、ニューヨークだろうがそこそこ生きていける。

でもきっと「ふるさと」は一生手に入らないだろう。
まあ、それに縛られないだけでもよしとしよう。室生犀星も「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの、よしや、うらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや」と謳っていることだし。

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2010年9月17日 (金)

ネイティブスピーカー並に英語が話せるようになるか?:学習目標と達成目標の違い

結論から言うと、無理です。
ネイティブスピーカー並の英語力というものが具体的にどのようなレベルの英語力を示すのか色々と議論はあると思うが、語学学習というものはゴールのない継続的な努力を必要とするものである。

このことについて多くの英語学習者が大きな間違いを犯している。

上記の本の著者であるダニエル・ピンクはそのことについて面白い指摘をしている。下記がその引用だ。

”人は知能について二つの異なる観念を抱いているという。「固定知能観」を抱く人は、知能とは存在する分しかないと考える。もともと限られた量しか備わっていないので、増やすことはできないという考え方だ。一方、「拡張知能観」を抱く人は異なる見方をする。知能は人によっては少し異なるかもしれないが、最終的には努力によって伸ばすことができる、と考える。”

これは元々はスタンフォード大学の心理学教授ドゥエックという学者が唱えている説の引用である。続けて、学習者の目標設定についても言及している。

”目標には二種類あると指摘するー達成目標と学習目標だ。”

実際のテストで難易度の高い問題に遭遇したときに、この違う二つの目標を抱く生徒たちは全く異なる反応を示す。いわく「それが得意と感じていなくても、学習目標があれば生徒は粘り強く頑張れる。結局のところ、彼らの目標は学ぶことであり、頭が良いと証明することではないからだ」と述べている。

”確かに二つの知能観は、努力についてまったく異なる見方をしている。拡張知能観にとっては、努力は肯定的だ。能力は鍛えられると考えられるので、努力は向上の手段とみなす。対照的に「固定知能観は・・・・・容易な成功法を探ろうとする」とドゥエックは語る。このバターンの人たちは、努力する必要があるのは自分がうまく対処できないから、とみなす。したがって、容易に達成できそうな目標を選ぶようになる。現在の能力の確認となるだけで能力のさらなる向上にはほとんど役に立たない。ある意味、固定知能観を抱く人は、熟達する努力をせずに、マスター(達人)と見られたいと望んでいるようなものだ。”

この説を分かりやすく説明すると「ネイティブスピーカー並の英語力を身につけることは学習目標であり、TOEIC900点を目指すことは達成目標である」ということだ。逆説的に聞こえるかもしれないが、達成できないことを目標とすることを学習目標と呼び、達成可能な容易な解決法を見つけられる目標を設定することを達成目標と呼ぶ。

人は自身の能力について分かりやすい尺度を求める。「英語が話せる」と言ったところで、ほかの人には何も響かないことが多いからだ。しかし、英語あるいはほかの言語を学ぶということは、最初から学習目標をきちんと設定し、そこまでに必要な過程をきちんと認識する必要がある。英語学習者のなかにはTOEICで高スコアを取ることに第一義に置いて、このことを全く意識していない人たちが非常に多い。

TOIEC自体は優れたアセスメントテストではあるが、会社や大学などでの運用方法に大きな問題がある。TOEICである程度、基本的な英語力を計ることは可能だが、「英語がビジネスで通用する程度に話せるかどうか」などは判定できない。それを認識した上で、企業は独自にスピーキングテストなどを導入して、正しく英語力を計る必要がある。

学習目標と達成目標は人生そのものについても、深い示唆を与える。人生の目的を達成目標(年収1000万円を稼ぐ、いい結婚相手を見つける、一流企業に就職するなど)にすり替えると、そこに人間的な向上はない。しかし、人生の目的を学習目標のように「達成不可能な目標」に設定すると、絶えざる努力が必要となり、人間的な向上が期待できる。

古今東西の偉人たちは、成したことには一切の興味を抱かず、これから成さんとすることに全身全霊を捧げてきた。それは彼らが人生について深く理解していたからだろう。卓越した個人を育てていくには、そのような理解が必須だ。

ネイティブスピーカー並の英語力を身につけることは無理と理解しつつも、絶えずそれに向けて学習していく人こそ、正しい英語学習者と言える。彼らはその時点で「人生の達人」なのだ。

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2010年9月13日 (月)

友人の定義

週末、友人4人で集まったときに「友人とは」という話になった。例えば、今回の旅でのように15年近くも会わなかったクリスティーンも自分にとっては大切な友人と言える。一方では、毎日のように顔を合わせていても、友人とは言えない人もいる。このくくりは結構難しい。

上記本では、友人の平均数は6人程度とのことだ。ソーシャルメディアが発達している現在、友人の数は爆発的に増えていると錯覚しがちだが、じつはそんなことは全くなく今でも平均6人程度という調査結果が出ている。人間が許容できる友人の範囲というものがあるのだろう。

友人の定義は個人差があるだろうが、多かれ少なかれ「一緒にいてなんらかのメリットがあり、居心地がいい」という曖昧なものに集約されるのではないだろうか。一緒にいればいるほどデメリットになる人とは付き合うわけがないし、またどんなにメリットがあってもいけ好かない人間と時間を共にするのは避けたい。ただこれはごく表面的な定義である、本当のところは「距離感が近い、フィーリングが合う」というなんとも曖昧なものになってしまう。

友人を定義するのに、共に過ごした時間の長さは関係ない。
たとえ毎日会ってはいても距離が縮まらない人もいるし、15年も会わなくても距離が近い人も存在する。それに自分にとってシンガポール人のアーネストのように2、3年に一度しか会わなくても、いつもなんとなく頭の隅で気になっている人もいる。

ある人間とある人間が近づける限界値というものが存在し、そこに到達するのに時間がかかる関係性もあるし、奇跡的にも一瞬で到達する関係性もある。一度、その限界値に到達すると何年も会わなくても、その関係性の近さは変わることがない。

この限界値に到達することを至上命題にしている自分のような人間にとっては、割と早く友人とそうではない人間の区別はつく。それと「人からどう思われても気にしない」という神経の図太さも人との関係性を構築するには有用に作用する。(これは「人と人は一生かけても完璧に分かり合うことはない」いう一種の諦観から来ている考えだ。だからこそ、正常な関係を構築するのには最大限の努力をすべきだと思っている。)

ただこのような人間にとって落とし穴もある、それは「他人から自分は影響されることはない」といううぬぼれだ。影響されないどころか、人は友人からだけではなく、会ったこともない友人の友人からまでも影響を受ける。友人の友人が肥満になったり、不幸になったり、あるいは幸福になるだけで、あなたはその影響をもろに受けるのだ。

「友だちは選びなさい」と子供の頃言われた記憶があるが、それは正しかったわけだ。幼少の頃に友だち選びに失敗すると「20世紀少年」のように世界滅亡の危機にまで瀕してしまう。友だちを介して、自分の人生の記憶は蓄積されていくのだから、出来ればそれはポジティブで世界にとってなんらかプラスになるものであって欲しい。

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2010年9月10日 (金)

独断と偏見によるアジア諸国への評価:日本の生き残りの道

今年の夏は、インドネシア、シンガポール、マレーシア、フィリピンとアジア諸国を回ってきた。21世紀は「アジアの時代」と言われているので、これからは急激にアジア諸国が力をつけていくだろう。その意味ではシンガポールにはとても注目していた。

実際に行ってみた感想は「すでに出来上がった国」というものだ。これ以上発展する可能性をそれほど感じない。特に文化的な面で、それほど独自性を打ち出せておらず、国自体も文化の育成をそれほど大切に思っていないようだ。

シンガポールではアーネストというシンガポール人の友人と行動を共にしたのだが、彼は写真家だけにそのことにとても不満を感じているようだった。

経済政策に関しては、徹底した「金持ち優遇政策」でアジア諸国から多くの富裕層がシンガポールへと移住している。それが、逆に文化的な停滞を生んでいるのかもしれない。あまりにお金儲け重視だと、ペンや筆を取って芸術にうつつを抜かよりは株投資でもしたほうが効率のいい生き方だと人々は思ってしまう。

金持ちが芸術家のパトロンになるような古きよき時代は終り、金持ちはひたすら金儲けに邁進するようになっているのだろう。(ヨーロッパでは国がある程度芸術を保護しているので、まだロマンを抱えて生きていけるが、アジアだとそうはいかない)

逆にマレーシアなどは、まだまだ未開発でこれからどのような発展を遂げるのか期待が出来る。今まで行ったその他のアジア諸国(中国、香港、マカオ、タイ、インド、スリランカ、カンボジア、ベトナム、韓国)なども含めて考えると、一番面白いのは香港かもしれない。もう国ではなく中国の一地区なのだが、それでも未だに独自性を保っているのは驚異的と言える。

ただそれでもやはり中国に違いはないので、ちょっとしたことで財産没収・土地没収の憂き目に遭うかもしれない。多くの香港の金持ちは財産のほとんどを国外に送金し、そのようなことにならないように気を配っている。乱暴な話だが、香港があのままイギリスの領土であったならば、21世紀のアジアの中心になっていたかもしれない。

そのようなことを翻って考えてみると、日本もまだまだ捨てたものではないと思う。徹底したディテールへのこだわりは他の国の追随を許さない。日本式のサービスを諸外国に広めていくなど、まだまだ生き残っていく道はある。21世紀は個人の時代になることは間違いないので、日本式の集団主義から脱却し、世界のスピードに乗り遅れないよう個人の意見を積極的に採用する風通しのいい社会に変えていくことが、生き残っていく際の必須条件だ。

2010年9月10日
何も言わなくてもエンドレスに緑茶とお水が出てくる、古きよき日本式サービスを提供する喫茶室ルノアールにて

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2010年9月 8日 (水)

旅のヒント

かなり昔の話しだが、インドを旅していたとき、深夜にニューデリーの空港に着いた。バスで市内に向かおうと、切符を買って待っていると、同じ切符売り場で切符を買った日本人の女の子が、インド人に囲まれてどこかに連れていかれる場面に遭遇した。

慌てて止めに入り、彼女には一緒に待つように諭したのだが、えらい剣幕でインド人たちに怒鳴られた。彼らは彼女をカモに良からぬことを企んでいたわけで、それを僕が阻止したからその怒りは理解できる。

まあ、でもいい迷惑だ。

彼女いわく「バス亭はこっちだと言われたから付いていった」とのことだが、同じ切符売り場で買った人たちとなぜ一緒に待たなかったのか不思議でしょうがない。

旅慣れていないと、このように周囲の人まで巻き添えを食い、迷惑を被る。
そんな旅慣れていない人たちのために、少しでも役立つように旅のヒントを書いてみることにした。


1.情報はダブルチェック

これは旅の常識だ。道を尋ねるにも、ものを買うときも常に複数の人に尋ねて、その情報の真偽をダブルチェックする。特に旅先では道を尋ねる機会は多いが、かなり高い確率でとんでもない間違った行き先を示される。ヨーロッパの人はともかく自分が知らないと言うのが嫌で、適当なことを言う人も多い。アジア諸国では、すべての情報が曖昧模糊としているので、何事につけても情報のダブルチェックを行うに越したことはない。

異国の人とちょっとしたコミュニケーションが取れるので、けっこう楽しくもある。

2. 通りすがりの人はすべて悪人と思え

時々、道端で声をかけて人と仲良くなって付いていったら睡眠薬を飲まされて身ぐるみはがされ、あるいはディスコに連れていかれ法外な値段を請求されたという人と出くわす。

「日本大好き、日本語習っています」とか適当な理由を付けて、彼らは近寄ってくる。だいたい日本でも、新宿渋谷あたりで声をかけてくる人はたいてい疚しいことを胸中に抱えているのに、それが海外でも適用されないわけがない。

それに通りすがりの人は住所不特定者なので、何かあったときに彼らを探しようがないのも問題だ。

僕はたいてい彼らに話しかけられても、まるで彼らが存在しないかのように完全に無視する。男でもけっこうな数の人間がやってくるが、これが女性だとその倍の数は寄ってくるので大変だ。

とにかく彼らは無視するに限る。

3. 空港からは前払い(PREPAID)タクシーを利用する

交通機関が発達しているヨーロッパ諸国なら問題ないが、アジアだと空港からはタクシーを利用することになる。その場合、前払いタクシーの利用をお薦めする。空港には魑魅魍魎の類がたくさんいて、あなたの到着を今か今かと待っている。

長いフライトで疲れたあなたは正常の判断力が鈍っているので、ついつい彼らの口車に乗せられて、言いなりになってしまう怖れがある。

そのような自体を避けるために、多少高くはあるが前払いタクシーの利用をお薦めする。ジャカルタ、マニラ、バンコク、ニューデリーとどの空港でも前払いタクシーは存在するので、魑魅魍魎で溢れ返っている空港という場所を離れて、とっととホテルに向かうのが賢明だ。

4.ホテルは事前予約

以前は重いバックパックを背負ってホテルを探すのも旅の醍醐味などと酔狂なことを思っていたが、このネットの時代でそんなことをするのはただの暇人かモノ好きしかいない。

それに残念なことにネットで予約したほうが多くの場合、値段が安くなる。今回、マニラで宿泊したH2Oホテルはホテルで直接予約するよりAGODAなどのサイトから予約したほうが全然安くなった。

ホテル側はサイトにコミッションを支払うわけだから、常識的に考えればホテルから直接予約したほうが安くなるはずだが、そうではないらしい。もちろん、ホテルのHPからのほうが安い場合もあるので、AGODAなどのサイトとホテルのHPをチェックしたほうがいい。

5. 格安航空会社を有効活用

以前は旅の移動手段と言えば、バスか鉄道だったが、今では格安航空会社がどこの地域でも台頭してきており、飛行機で移動するほうがずっと安く効率的に移動出来るようになってきた。

LION AIR インドネシアの格安航空会社。インドネシアの中部に位置するロンボク島からシンガポールが約8000円だった。ちなみにシンガポールのシルクエアーでは、同区間は5万円近くだった。

シンガポールの友人アーネストからは、もう二度と乗るなと言われたくらい安全度が低い航空会社らしいが、落ちたという話はまだ聞かない。

セブパシフィック 前述のLION AIRよりは多少は高級感が漂う。だがご飯は出ない。深夜や早朝の便が多いので便利だとは言えないが、安い。

EASY JET 全席自由席というある意味画期的な航空会社。ロンドンからベルリンが時期にもよるが3000円から5000円という安さ。

GOL ブラジルの格安航空会社。なぜかクレジットカードはアメックスしか使用できず。(2008年時点)

こうしてみてみると、どこの国でも格安航空会社というものは存在するなと思う。日本でもスカイマークが台頭してきており、羽田→沖縄が15000円程度で行けるようになった。JALも頑張って欲しいものだ。

6. 安全は金で買え

旅ではホテル、食事、交通手段が主な出費になるが、どれにも言えることはお金を払えれば払うほどより安全度は高まるということだ。個人的には最近ではホテルにはお金をかけるようにし、交通手段(おもに飛行機)はなるべく安く済ませるようにしている。

今回は二週間でインドネシア、シンガポール、マレーシア、フィリピンを回るというものだったので、必然的に同じ土地には長くても3日間しかいられなかった。そうなってくると、やはりホテルはなるべくいいホテルにしたい。

インドやブラジルなどを時間かけてゆっくり回る場合だと、ひとつの土地に長く留まることもあるので、そのような場合は安くて居心地がいいところを探す。一泊目は事前にウェブサイトで予約して、二泊目以降の泊まる場所を散歩がてら、現地に行ってから探すのが賢明な手段だ。

いずれにせよ学生の貧乏旅行でもない限り、ある程度のお金はかけて安全を確保することに越したことはない。

7. ゴルゴ13になれ!

窃盗や強盗を生業としている人たちは、その道のプロである。彼らはきちんと獲物を見極めて、行動を起こす。そうなると、やはり隙のある人間がターゲットになりやすい。

だからこそ、道を歩いているときなどはなるべく自分の背後に人が歩いていないか意識することだ。空港やバス停などでも、背後にはくれぐれも注意して欲しい。

「おれの後ろに立つな!」とゴルゴ13ばりに言うことまではお薦めしないが、少なくても誰が(どのような人物が)そこにいるかぐらいは把握しておくことだ。

色々な国に行って色々な国の旅人を見たが、最も隙があるなと思うのは、日本人女子二人組だ。一人だと彼らも多少は警戒するのだろうが、彼らは二人だとすっかり気が緩むようで、もう全身隙だらけだ。イタリアやスペインで彼らがターゲットになるのは、必然と言える。

そうならないように、意識を周囲に張り巡らし、多少の緊張感を持って海外生活をエンジョイして欲しい。そこは日本とは違い、財布を落としても親切に交番に届けてくれる国ではないのだから。


以上、思いつく限り書いてみたが、最終的にはすべては自己責任なので、くれぐれも気をつけて旅をしてもらいたい。

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2010年9月 6日 (月)

Real Life Foundationについて:素晴らしい給食プログラム!

マレーシアのクアラルンプールから飛行機に乗ってマニラに着いたのは、8月27日の朝5時だった。それからホテルへと向かい二、三時間寝たあと、朝食を取って、タクシーでマカティのオフィスにてフィリピンのTOEIC代表の方とお会いし、今後の先生採用について協力をお願いした。その場で6人ほどの候補を紹介され、とても実りあるミーティングになった。そして、ホテルへと戻り、JOY先生と落ち合い、ご飯を食べながら深夜まで色々と話し合った。

翌朝は6時半に起床し、タクシーでマニラ市内を横断して、朝8時半からREAL LIFE FOUNDATIONが毎週行っている「FEEDING PROGRAM(給食プログラム)」に参加した。

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何が言いたいかと言うと、給食プログラムなんてものに行くモチベーションは限りなくゼロに近かったことだ。JOY先生にも下記のような趣旨のことを言った。

「FEEDING PROGRAM? It doesn't sound so sexy........ It won't be so much fun.(給食プログラム?セクシーな響きじゃないし、ゼッテーつまんないよね)」

では、なんでそもそも行くことになったのかJOY先生に聞かれたので、僕はただ単にREAL LIFE FOUNDATIONのエクゼクティブ・ディレクターのリンさんにアポを取ろうとしたら、土曜日に給食プログラムに参加するから、そのとき会おうと言われたから行くだけだと答えた。

そんな限りなくやる気ゼロだった僕だが、行ってみてめちゃくちゃ楽しかった。なぜかと言うとまずはその施設が素晴らしいし、全体のプログラム構成が子供たちをいかに楽しませるかという観点から組まれており、これまた本当に素晴らしかった。


(リンさんが施設を案内してくれました。エコフレンドリーな施設はエアコンではなく、巨大な扇風機が備え付けられています。なぜエアコンを付けなかったかというと、ここに来る子供たちの家にはエアコンがなく、そのような子供たちがここに来てエアコンに当たると健康に悪影響を及ぼす恐れもあり、またエアコン自体地球環境にやさしくないという理由とのことです。

毎週土曜日に行われる給食プログラムは、3歳児から12歳の子供たち50人程度が参加し、彼らを3等分して、15人程度のグループごとに分けて参加させています。

コンピュータ室には12台のパソコン(すべて一人のビジネスマンからの寄付)が設置されて、週3回子供たちに無料で開放されています。毎日開放出来ないのは、リンさんたちスタッフは4人しかおらず、スーパーバイザーとしてこの施設に毎日来ることは今の人数だとやりくりするのが厳しいという理由からです。

奨学生のプログラムは13歳からなので、ここに来る子供たちのなかから、奨学生となる子供たちを見つけて、将来的にはサポートしていきたいと思っているとのことです。※この施設は今年4月にオープンしたばかりです。ちなみに動画にない内容も翻訳して追記しています)


(この給食プログラムがほかの給食プログラムと一線を画すのは、子供たちをいかに楽しませるかということを第一義に置いていることだ。施設にやって来た子供たちとまずは一緒にゲームをして遊ぶ、それからストーリーを語って聞かせて、話を盛り上げる。それが終わってからようやくみんなで食事となる。

子供たちを見ていると、食事よりもゲームや大人たちと遊ぶことを楽しみにしていることがよく分かる。ここでは彼らが主役であり、とても大切に扱われる。彼らの家はとても貧しく、親もアル中だったり暴力を振るったりするので、この施設に住みたいという子供たちも多い。

彼らがサポートしている60人もの奨学生たちは毎週最低でも週4時間コミュニティサービスを行う必要があり、給食プログラムでは彼らが食器洗いや机を並べたり、トイレ掃除などのハードワークをこなすしている)

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(ワンズワードがサポートした初めての奨学生エリカさんと一緒にプログラムに参加したBEEJAY先生とのスリーショットです。子供と大人ぐらいの身長差があるのは、気のせいです)


(大盛り上がりのゲームの様子です。ボランティアは毎回25名程度参加していますが、リンさんいわくNGOが上手くいかなくなる理由は二つあるとのことです。

1つはボランティアが疲れ切る。
2つ目は資金が尽きる。

当初は、リンさんたちも毎回25名も集めるのは大変なことだと思っていたらしいですが、このプログラムに参加してとても楽しい思いをしたので、今度ここで自分の誕生日パーティーをしたいという参加者がおり、実際やってもらったところ大好評だったとのことです。

それ以来、隔週で誕生日パーティーがここで開かれ、ボランティアは彼らの友人がやってくれるので、人集めに苦労しなくなったとのことです。毎週土曜日早朝からこのイベントに参加するとなるど、どんなボランティアでも疲れ切るので、本当にうまく回るようになって良かったとのことでした。

ちなみにこのイベントを主催するには5000ペソ(1万程度)で出来るので、ご興味ある方はぜひご連絡ください)


(各テーブルには必ず大人が一人つき、子供たちがちゃんと食べているかどうか気にかけ、また彼らに話しかけて楽しませます)

Real Life Foundationは元々は教会のプログラムのひとつとして始まった活動だったのが、あれよあれよという間に規模が大きくなり、今ではナイキやMTVなども寄付を行うフィリピンでは最も成功したNGOになった。

ワンズワードでも今後も継続してサポートしていきたいと思っているし、生徒様を募ってReal Life Foundation体験ツアーを企画しても面白いかもしれない。彼らの活動はとても分かりやすく、また地域に根ざしたものなので、非常に効果的だ。お金の使い方もこれ以上望めないほど正しく、有意義だと思う。

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2010年9月 5日 (日)

クリスティーンという人

インドネシアへと行ってきたが、インドネシアの印象よりは久しぶりに再会を果たしたクリスティーンがあまりに面白いやつだったので、インドネシアを堪能したというよりはクリスティーンを堪能した。

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(彼女とは15年ぶりの再会となったが、ほとんど変わっていない。いつまでも笑顔が素敵な人でいるだろう)

クリスティーンと一緒にいるあいだ、彼女は多くの名言を残したが、そのうちのひとつが次のようなセリフだ。

「 I can not have Sex with everybody but I love everybody.(みんなと寝ることは出来ないけど、みんなのことを愛しているの」

彼女にとっては社会に貢献することが一番大事であり、プライベートのことよりも社会全体に対していかに貢献するかということのほうが優先順位が高い。彼女はフランスのNPOに勤務しており、貧しい人たちに対して色々と世話を焼いている。別に自己犠牲の精神からそうしているわけではなく、そうすることが彼女にとっては自然なことだからだ。

川の流れと同じように、愛も上流から下流と流れる。
彼女にとっては与えることが当然であり、その溢れんばかりの愛情は四方八方に向けられている。

(この動画のように、彼女はもう誰彼構わず話しかけ、誰とでも友だちになる。一緒に泊まっていたホテルでは、僕たちは常に「クリスティーンの友だち」と認識され、ローカルの人々から歓迎(?)された)

クリスティーンのような人たちで特殊部隊を形成し、世界中の紛争地帯に送り込めば、世界には平和が訪れるのでないかと思うぐらい彼女の愛情パワーの破壊力は凄まじい。一緒にいる誰もがハッピーになり、笑顔にさせる何かがある。

思えば15年ほど前に彼女の実家を訪れたときに、彼女がフェアトレードのお店でボランティアとして働いていることを知らされ、そのときに初めてフェアトレードとは何かということを知った。日本では最近になってようやく一般的に知名度が上がってきたが、ヨーロッパほどには普及していない。

社会全体のことにかまけていて、プライベートのことはおろそかになっていたクリスティーンだったが、最近彼氏が出来たらしく、散々その彼のことを聞かされた。

僕たちの別れの当日の朝、フライトは午前10時だったので、最後に僕たちは一緒に朝食を食べた。その席で彼女は彼からのメールをチェックし、次のように言った。

「You know, his e-mail is so long and sooooo romantic!! (彼のメールはとても長くて、それにロマンティックなの!)」

そして、数秒後にまたこう言った。

「You know, his e-mail is so long and sooooo romantic!! (彼のメールはとても長くて、それにロマンティックなの!)」

「クリスティーン、さっき全く同じことを聞いたよ」と僕は言ったが、彼女は特に意に介した様子はなかった。

日本のような他者の目を気にする社会からは、クリスティーン的な価値観を持った人が育つのは難しいかもしれないが、彼女を見ていると社会貢献というものの本質がよく理解できる。

「なぜ社会貢献したいのか?」と彼女に訊けば「だって、そうしたほうがより楽しいから」という答えが返ってくるだろう。彼女は彼女の楽しい人生をより多くの人と分かち合いたいのだ。そして、そこにより不幸で貧しい人がいれば、助けずにはいられない。

日本では社会貢献というととかく頭でっかちに考えがちだが、本来ならばこのような態度が一番正しい。彼女は自分一人の人生に十分充足しているどころか、持て余すくらいの熱量があるので、それを健全な態度で他者に向けているだけなのだ。

何事も上流から下流へと流れ、下流から上流へは何も流れない。
クリスティーンはきっとこれからも世界をより楽しく、美しい場所へと変えていくのだろう。

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2010年9月 4日 (土)

コミュニケーションという言葉の再定義

最近はソーシャルメディアが大人気だ。だが、そもそもソーシャルメディアとは一体なんだろう。

ウキペディアによると、

ソーシャルメディアは、誰もが参加できるスケーラブルな情報発信技術を用いて、社会的インタラクションを通じて広がっていくように設計されたメディアである」

と表現されている。今までのテレビやラジオというメディアは産業メディアと呼ばれ、その違いを下記のよう記している。

「ソーシャルメディアは新聞、テレビ、映画などの産業メディアから区別される。 ソーシャルメディアは誰でも(一人一人の個人でも)利用できて、比較的安価であるが、 産業メディアは新聞の発行や許認可制の放送業務のように、一般的には情報を発信するのに膨大な資源を必要とする。 産業メディアは通常「従来型」の「放送」「マス」メディアと呼ばれる」

ここでひとつ疑問が上がる。メディアという言葉の定義だ。今までの既存のメディアはすべて情報発信をその目的としてきた。だからこそ、企業はこぞってそのために莫大な費用を投下し、自身の製品およびサービスの宣伝をするために、その対価を支払ってきた。しかし、新しい形のメディアが台頭し、その概念を打ち砕いた。なにもそれほどの対価を支払わずとも、誰でも情報を万人に向けて発信することが出来るようになったのだ。それがソーシャルメディアと呼ばれるものだ。

しかし、ソーシャルメディアを通じて情報を発信するという発想そのものが、すでに古くなりつつあるように感じる。ツイッターやミクシィの使い方をつぶさに追っていると、情報発信をしているというよりは、不特定多数の人たちとコニュニケーションを取っているだけのように思える。

一昔前まではコミュニケーションを取るということは、人と直接会ったり、せいぜい電話で話すことを指す言葉だった。(一昔前といっても、ほんの10年ほど前のことだけど)

それが今やe-mailで連絡を取ることは当たり前であり、携帯電話でいつでもどこでも連絡が取れ、友人や知人たちの動向はわざわざ会わずともミクシィやツイッターで知ることが出来る。

コミュニケーションを取るということは、直接的な手段よりはより間接的な手段に頼るようになり、それを含めて「コミュニケーションを取る」ということになってきている。これは非常に重要な変化だと思う。コミュニケーションの定義そのものが変わってきているのだ。

このことの本質を理解していない人たちが「ソーシャルメディアを使ったマーケッティング」などというものにうつつを抜かしている気がする。コミュニケーションを取るということを掘り下げていくと、「お互いになんらかの利益がある関係を築く」ということに他ならない。企業がいかに資本を投下しても、コミュニケーションを取る相手にとって何の価値もなければ相手にはされない。(この場合の利益とはいうのは金銭的な利益だけではなく、彼・彼女と一緒にいると楽しい、あるいは刺激的だというようなことも当然含まれる)

メディアというものはもう情報発信するものではなく、コミュニケーションを取るためのツールとなりつつある。新聞、テレビ、ラジオなどは一方向性のメディアは廃れていき、コミュニケーションのツールとしてのメディアがこれからもどんどん台頭してくるだろう。

我々は言葉の定義が変容していくという稀有な時代に生きている。なんだかそれはとても楽しいことのように思える。人々にとって本当に価値あるものしか残っていかず、不要なもの、価値のないものは淘汰されていく。企業側からの一方的な情報発信には誰ももう耳を傾けない。そのことを踏まえて、きれいごとではなく「人々のために役立つこと」を考えていかないと、取り残されてしまう。

これはやはりどう考えても、楽しくクリエイティブな作業だ。必ずしもそのようないい会社が成功するとは限らないが、少なくても人々のためにならない会社は生き残ってはいけないことだけは確かだ。

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2010年9月 1日 (水)

The last day of my trip

Today is the last day of my trip.
Now I'm at the airport in Jakarta, looking forward to going back to Japan.

During this trip, I met my old friends and had good time with the people I love.
Sometimes, I really need to get away from my country and feel free from everything. Traveling makes me think things quite objectively.

This trip lasted only two weeks but it is surprising how much of memory is built in such a short period of time. That's one of the biggest reasons I like traveling: It gets you busy, gives you so much fun and experiences.

The past consists of memories, now I question myself how many valuable memories I have in my life.

Then, the memories of all the trips I've had in my life come back to me.
They spice up my life and give me the idea of how I've spent my life.

When I was young, I didn't have any past because I was just too young to have one. So I begun traveling, I was in a hurry to build my past and wanted to fasten the process of it.

Now when I travel, everything stops, it gives me some space and somehow can slower my life.
I'm not sure when this has started but I kind of like it.

I used to hate the last day of my trip.
It is funny to think how I feel at the moment, my heart is full and I'm ready to tackle with the life I have in my country.

There is a simple fact in life: Life just goes on.
The challenge is, how you grab the moment and make it special for yourself.

I've just begun to understand the secret of it and try my best to grab every single moment of my life.

Thank you all.

Yuki

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