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2010年8月

2010年8月29日 (日)

より良い世界を求めて:フィリピンで思ったこと。

今日は朝の八時半から、フィリピンのNGO団体「REAL LIFE FOUNDATION」のFEEDING PROGRAM(給食プログラム)にボランティアとして参加してきた。予想に反して、このプログラムはとても楽しく、心底彼らに協力したいと思った。今後はより関係性を深めて、もっと多くのお金を寄付していきたいと思っている。
(このプログラムに関しては、後日詳細にアップします。本当に素晴らしいプログラムです)

そのあとは一緒に参加したBEEJAY先生が、フィリピン市内を案内してくれた。彼女と丸一日一緒に過ごして、色々と話したが、面白いなと思ったのが起業に関する話だ。

世の中には何かしらやりたいことがあって、常にそのことを考えている人は多いが、実際にそれを実行に移すのは少数だという話をした。彼女いわく、「やりたければ、実際にやってみればいいのに」とのことだったが、僕は「結局は彼らは自分の確たるビジョンがないから、やりたくてもできない」という話をした。

思い起こせば、約一年前にフィリピンに来て、彼女ら三姉妹に僕のアイディアを話して聞かせて、かなりの長い時間僕たちのオンライン英会話スクール開校について話し合った。でも、僕以外の誰もがそれが本当に実現可能だとは心底信じていなかった。「先生たちに最高の労働環境を用意し、数あるオンライン英会話スクールよりも割高だが最高にクオリティの高いレッスンを提供し、さらにはフィリピンの経済的に恵まれない学生をサポートする」という夢物語を描いていたわけだからだ。

その夢物語を彼らに聞かせた一年後、僕たちは130名もの生徒様を擁するオンライン英会話スクールに成長し、実際に3人のフィリピン人の高校生をサポートし、合計14万円以上ものお金をREAL LIFEに寄付している。

でも、僕は何一つ満足していない。
なぜならば、僕のビジョンはもっと壮大だからだ。僕はもっと多くのことを期待している。一年前の僕には何もなかったが、ビジョンだけはあった。そして、そのビジョンは今でも変わらない。

僕は常に「より良い世界」を求めている。そして、それを実現させて、みんなと共有したい。だからこその先生たちにとっての最高の労働環境であり、生徒様にとっては最高の学習環境であり、経済的に恵まれないフィリピン人にとっては教育を受けるチャンスの創出である。

僕にとっての世界は最高に居心地がいい場所であり、楽しむべき場所である。そして、それを押し付けがましくも他の人々とも共有したい。

そして、僕はその価値観を人々に今後も押し付けていくつもりだ。彼らが今以上に自分たちの人生に期待できるように。無理やりでも押し付けていく。

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2010年8月22日 (日)

フレンズ・ホッピング

無事にインドネシアのジョグジャカルタで、旧友のクリスティーンと出会い、3日間一緒に過ごした。そして、明日はシンガポールに飛び、数年ぶりにシンガポール人の友人アーネストと会う。

彼は日本に二度ばかり来ており、一度目は友人たちと、二度目は彼女と来た。今、その彼女とどんな関係なのか分からないが、これから会うのが楽しみだ。

クリスティーンとはエディンバラの語学学校で同じクラスで、エディンバラを離れてからも文通を3、4年続けて、フランスの彼女の実家まで遊びに行った。ただそれ以来会っていなかったので、15年ぶりくらいの再会だった。

アーネストとも3年ほど会ってもいないし、特にメールなどのやり取りもしていない。ただ、お互いの国に行く時は連絡を取り、会うというような関係だ。彼とはアムステルダムのワークショップ(ワールドフォトプレス主催の30歳以下の写真家たちの対象)で出会い、そのあと一緒にパリで数日一緒に過ごした。

このように旧友たちを訪ねる旅もなかなか楽しい。
メールやFACEBOOKのおかげで、何年も会わなくても彼らの動向はなんとなく分かるようになった。薄い繋がりだが、再び再会したときはとてつもなく濃厚な時間が共に過ごすことが出来る。

日本にいると、どうしても外国人と触れ合う機会は限られるので、時々こうしてそとに出て、フラットな視点で色々と物事を考える機会を持つことは自分にとってとても重要だ。

クリスティーンと一緒に旅をしていたアレックスは年間10週間休暇をもらえるとのことだ。そして、クリスティーンも年間5週間はバカンスを過ごすという。10週間はどうかと思うが、5週間ぐらいあれば、毎年どこか違う国へと行くことが出来る。

文化の違いと言ったらそれまでだが、日本もせめて年間数週間は休めるような制度があればいいいのにと思う。

(写真をアップしようとしましたが、遅すぎて断念!)

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2010年8月14日 (土)

哲学的に見る「人を喜ばせる術」:プレンゼントをあげるということ。

たしかフランスの哲学者ラカンだったと思うが、「人に何かをプレンゼントするときは、それが実際には役に立たない無用なものであればあるほど、実際の価値は高まる」と書いていた。分かりやすく説明すると、人に何かあげるときに生活必需品(米、トイレットペーパー、箸などなど)をあげても、何の価値もないが、生活に役立たない宝石類や花などをあげると、相手にとってその価値は高まるというものだ。

どうして、そんなことを思い出したかと言うと、フィリピンで会う先生たちを喜ばせるためには、どのようなプレゼントがいいかという形而上学的な重要な問題をここのところずっと考えていたからだ。

そして、実際に購入したものは、マキアージュの化粧品、水彩鉛筆、デジタルカメラ、それにUSBメモリスティックなどだ。なぜマキアージュかと言うと、フィリピンにはマキアージュが売っておらず、価値が高いらしいので、それを購入した。

もし、仕事で必要なウェブカメラやマイク付きヘッドフォンなどを購入してしまうと、あまり喜んでもらえないのではと思う。USBメモリも仕事上使うものかもしれないが、このUSBメモリはオシャレでかっこいいものにしたので、辛うじてOKなのではと甘い予測を立てている。

これらのプレゼントをゲーム形式でみんなに配ろうと画策している。デジタルカメラを巡って、女と女の熱き戦いにならなければいいが、皆さんいい大人なので、そこはクールに徹してくれるだろう。

しかし、それにしても人にプレゼントをして喜んでもらうということは、骨の折れる作業だ。一昔前にヨーロッパに三週間ぐらいい滞在して、そのお土産に彼女にはパリで買ったハート型のペンダントをあげたことがある。

彼女は顔を引きつらせながら「ありがとう」と言ったが、内心は「こんなだせえペンダント着けられるか、ボケ!」と思っていたらしい。そして、プレゼントをあげたあとこう諭された。

「あなたのプレゼントの定義は間違っている。プレゼントとは、自分が欲しいものや相手に身に付けて欲しいものをあげるのではなく、相手が欲しいと思っているものをあげるのよ」と。この意見にラカンはどう思うのだろうか、存命だったら聞いてみたいものだ。

相手にとって無用なものでありつつ、さらにそれを相手が欲していると思われるものをあげる。これには実に高度な人間観察が要求される。その高度な心理戦に勝利したもののみが、大枚はたいて購入したプレゼントをあげて、相手に喜んでもらえるという栄光を手にするのだ。

プレンゼントを購入するときはどうしても自己満足に陥りがちだが、そのような誘惑を退けて、ひたすら相手が欲しているものを想像するという利他的な行動が必要とされる。

このように考えると、プレンゼントを購入するという行為すら、ある種の哲学的な行為に思えてくるから不思議だ。

ちなみに村上龍は25歳で芥川賞を取ったときに出版社の人に銀座のクラブに連れていかれ、そこで会ったとある会社社長にこう諭されたらしい。

「いいか、きみ。今のうちに遊んでおけ。20代だったら女からあわよくば奢ってもらえることもあるかもしれない。しかし、30代になったら花束でもあげないとまず相手にされない。そして、40代になったら宝石だ。50になったら、海外旅行でも連れていかないと一緒にいてもらえなくなる。おれみたいに60代になったら家でも買わないと相手にされない」と。

これもラカンと違った意味で深い。人間の業とはかくも深いものなのだろう。

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2010年8月13日 (金)

夏休み:異国での出会い

今週の日曜日から2週間ばかり日本を留守にする。
行き先はインドネシア、シンガポール、マレーシア、それにフィリピンだ。

そもそものきっかけはエディンバラ留学時代に友だちだったフランス人のクリスティーンからFACEBOOKを通じて「私、インドネシアに行くから来ない?」と誘われたので、「じゃあ、行く」という安易な発想でインドネシア行きが決まった。

そして、まあついでに行ったことのないシンガポールとマレーシアあたりに行くかと思った。フィリピンは完全な仕事だが、それはそれで仕方がない。シンガポールには友人のアーネストに連絡を取り、ご飯でも食べようかと思っている。彼は会うたびに「シンガポールに居ると、気が狂いそうになる」とこぼしているので、実際に行ってどんな国か見てみようと思っている。

よく人から「今まで行った国で一番良かった国はどこ?」と聞かれるが、そういう質問をされて僕が具体的に思い浮かべているのは国よりも、その国で出会った人々のことだ。だから、いつも「インド」と答えている。インドには3ヶ月滞在し、毎日のように素晴らしい人々との出会いがあった。そのような出会いが、僕にとってはタージ・マハルよりもインドを特別なものにし、印象深い経験として心に焼き付いている。

なぜ旅をするのかと人から聞かれると、「人と会うため」と言うだろう。より詳しく説明すれば、「肌の色も考え方も違う人々と会い、楽しい時を過ごすため」ということだろうか。

なんだかんだいって、人生の一番の娯楽は「人との出会い」ではないだろうか。何よりも人間が一番面白く、彼らを通じて多くのことを学べる。僕はより多くの人と出会いたいから英語を学び、外国を旅した。それは今でも現在進行形で続いている。かっこいい言い方をすれば同じような喜びを共有するために、オンライン英会話スクールを作ったとも言える。

人は人生を旅に例えるが、旅は人生を猛スピードで疑似体験出来る機会だと言える。「出会いと別れ」を何度も繰り返し、違う土地を渡り歩く。実際の人生ではそのプロセスはかなり長いスパンで行われるが、旅に出るとバスに乗り合わせた人や電車に乗り合わせた人が友となり、人生の幾ばくかの時を共有して、あっという間にその共有した時は過去のものとなる。

共有した時間の長さよりも、その共有した時間の濃さが思い出の深さに繋がる。これからいくつそんな深い思い出を作っていくことが出来るだろうか。これからも毎年、何週間かどこか知らない土地に行って、せっせとそんな思い出作りをしていきたい。

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2010年8月12日 (木)

南国時間に見るグローバリゼーション

たいていのことはゆっくり流れていく。フィリピンには南国時間が流れており、日本とは違い多くのことに多少なりとも時間がかかる。あまり急かすようなことはしたくないので、こちらもそれを考慮に入れて、もっさりゆっくり受け入れるようにしている。

先生を面接し、その結果を連絡しようとし、何度電話やメールをしても向こうからの返答がないことはざらにある。何事もアバウトな国であるし、これからのことよりは目先のことに集中してしまうお国柄なのだ。

日本の常識は非常識であることは重々承知しているので、たいがいのことは受け入れるようにしている。もちろん、こちらに直接被害を被るようなことは避けるべき努力はしているが、体内時計がゆっくりと流れているからと言って、とやかく言っても仕方がない。

外国人と仕事をする上で重要なことは、相手を受け入れるという態度だ。まずは相手が何を考えているか、それを見極める。こちらが予想だにしない行動論理で動いていることが多々あるので、こちらの常識を振りかざしても意味はないし、かえって大怪我を負うこともある。

グローバリゼーションと声高に叫ばれているが、これは一歩間違えれば、自国の論理を相手に強制させる危険性を孕んでいる。資本主義は弱肉強食の論理で動いており、知らず知らずのうちに「支配する側、される側」の二極化を招いている。

勝つか、負けるかということは本来ならばどうでもいいことだ。それよりも重要なのは、物事をどうやってうまく運ぶかということだ。最も大きな勘違いは「自国の論理を押し通すことが、勝つことに繋がる」という頑なな態度だ。このような硬直した考え方が、無用な争いを招き、事態をより複雑化している。

頭の中には「勝つか、負けるか」しかない人たちと仕事するのは、本当に拷問だ。そもそも彼らにとって仕事を無事遂行することなど眼中になく、ひたすら自分の論理でこちらを攻撃してくる。

そのような人たちを比べると、フィリピン人の人柄の良さには感心するし、体内時計のゆるやかな流れなど取るに足りない、ほんの些細なことだ。

何事も受け入れるということは、グローバリゼーションが進む世界では初歩的な態度だと思っている。

グローバリゼーションとは物事を極端化することではなく、人と人の違いを認めて、多様な価値観を混在する社会を創り上げていくことなのだろう。

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2010年8月 6日 (金)

学習環境をいかに向上するか:外国語教育メディア学会から学んだこと

外国語教育メディア学会 の全国大会に参加してきた。参加するのは今年で4回目になる。語学教育の分野では数多くの学会があるが、そのなかでも一番先進的な学会ではないだろうか。(ちなみに会長は、ワンズワードオンラインに推薦文を書いてくださっている関西大学の竹内理先生が務めている。若くて非常に優秀な先生だ。日本の英語教育を背負って立つ男というのがもっぱらの評判だ)

たくさんの発表と講演を聞き、とても勉強になった。これからも機会あれば、このような学会に足を運び勉強していきたいと思っている。

なかでも印象的だったのは個人的にも親交のある先生の発表でGoogle Analyticsを使った研究だ。まずは授業の円環という理論があり、それは何かと言うと「予習、授業、復習」を含めた授業計画を教師側で行い、それを生徒に課すということだ。
(詳しくは竹内先生が書かれた記事をお読みください)

この授業外活動である予習、復習作業をすべてウェブ上で行うことにより、学習者それぞれの履歴をGoogle Analyticsを使って追跡し、彼らの学習時間、学習傾向、さらには学習者の関係性を研究するという内容だった。

特に興味をそそられたのは、学習間のネットワークを図で示すという試みだ。実際の授業で積極的に発言するA君は、いつもクラスで隣同士であるB君やC君に授業外でも積極的にコミュケーションを取っており、影響を及ぼしていることが図で示された。さらに授業で積極的ではないD君は、やはりそのような活発なネットワークの外におり、授業外でも消極的な姿勢であることが図で表現され、なるほどなと納得した。

ワンズワードオンラインでも生徒間のコミュケーションをいかに促進するかということが至上命題だと思っている。Google Analyticsを使えば、そのコミュケーションの密度と頻度を取ることは可能だが、問題となるとはどのようなものを通して、そのコミュケーションを取ってもらうかということだ。

大学や高校などと違いオンライン英会話スクールでは、先生と生徒間を繋ぐ運営会社が存在する。我々の役目は「より良い学習環境の構築」であり、うちの先生たちはレッスンそのものに打ち込める環境がある。

それこそ集団の質を上げる環境は整っているのだ。
(ワンズワードオンラインの場合は、非常に学習意欲の高い方々ばかりなので、さらなる質の向上が期待出来る)

これからの英語教育の専門家の方々の意見を取り入れ、積極的にコミュケーションを取り、学習環境をいかに向上していくかということを真剣に考えていきたい。

追記:言論プラットフォーム「アゴラ」に投稿したアップルに関する記事が掲載されました。

集団知よりも個人の力量が問われる時代へ

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