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2010年7月 1日 (木)

ワールドカップ個人史、世界の8強へ

いつからワールドカップを見始めたのだろう。記憶をたどっていけば、94年のアメリカで開催されたワールドカップにたどり着く。ちょうどスコットランドに留学する道すがらイタリアに立ち寄り、そこでイタリア人たちと一緒に決勝戦のイタリア対ブラジルを見た。

あのときのイタリアは監督がアリゴ・サッキという戦術家だったのにも関わらず、まるでチームとして機能しておらず、ひたすらロベルト・バッジョの神がかり的なプレーに頼り、実際決勝戦まで勝ち進んだ。イタリア人たちはかなりシニカルで、口々に「今回のチームは最低だ」とこき下ろしていた。

しかし、決勝戦ではそれまでケガで出場出来なかったイタリア代表のキャプテンであるフランコ・バレージがそれまでの鬱憤を晴らすかのような素晴らしいプレーを連発して、チームを鼓舞した。一人のDFのプレーにこれほどの感動を覚えたのは、後にも先にもこのときだけである。

ピンと背筋を伸ばした状態で繰り出されるパスや神がかったインターセプトは今でも忘れることができない。しかし、そんなイタリア代表も最後はPK戦によってブラジルに破れてしまう。バッジョの「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という名言を残して。

そして次のフランスで開催されたワールドカップでは、ロンドンに滞在しており、初出場した日本代表の試合を見るためにかなり骨を折った。テレビを持っていなかった僕はパブでサッカー観戦をするしかなく、ひたすら日本代表を試合を放映しているパブを探し求めた。「ワールドカップ放送中!」という看板を見て飛び込んだパブがサッカーではなく、ラグビーワールドカップを放送していたこともあり、結局アルゼンチン戦とクロアチア戦のみ見ることが出来た。

日本は3戦全敗で、日本が世界との距離を痛感した大会だった。

次の日韓大会では日本に帰国しており、国中がワールドカップ熱に染まる中、それまでの日本代表とは比べ物にならないくらい強くなった日本代表に多くを期待した。だが、トルシエ監督の奇天烈な性格は選手のやる気を削ぎ、最後のトルコ戦のあまりに呆気無い負け方は僕たちを幻滅させた。

2006年のドイツワールドカップは、きらびやかなタレントを擁したが、ジーコ監督の無策とチームとしてのまとまりに欠け、惨敗した。今回のワールドカップの時のように選手から「岡田監督を男にしよう!」なんて威勢のいい言葉は聞こえてこず、中田とその他の選手間での溝はあまりに大きかった。
(ジーコは男の前に神様と崇められていたので、それもそれで仕方がなかったのかもしれない)

今回の日本代表の試合にあれほどの感動を覚えたのは、きっとチームの一体感が観ているものにも伝わってきたからだろう。あれほど一体感があったチームは、ドーハ組と呼ばれた代表以来だと思う。あのときは柱谷哲二がチームを鼓舞し、ラモス瑠偉が吠え、カズがシュートを決めた。

あの頃はワールドカップ出場を懸けた戦いだったが、今回は世界の8強入りを懸けた戦いだった。どちらの戦いにも惜しくも敗れはしたが、20年近く経ってワールドカップ出場を夢見ていた国から世界の8強入りが視野に入る国へと変貌を遂げた。チームとして機能すれば、日本のような国でも十分に世界と戦えることが示して大会だったと言える。

次のワールドカップでは、またどこか外国で日本代表の試合を観ているかもしれないが、一緒に試合を観ているであろうイタリア人やイングランド人に対しても引け目を感じない日本代表となっていることだろう。

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