個人レベルでみる英語の必要性
日本に住んでいる限り、英語を話す必要性は全くない。だからこそ、楽天とユニクロの英語公用語化に関してはとても懐疑的だ。
だが、世界を見渡すと、英語を話せないと話にならないのは確かな事実だ。アジアやヨーロッパを訪れても、「君の英語うまいね」などと言われることはない。なぜならば、英語を話せることはもう当然のことであり、誰もそんなことで驚いたりしないからだ。
英語を話せないと、海外に行っても必然的に日本人同士でつるむことになり、それはそれで楽しいかもしれないが、その他大勢の外国人と知り合う機会を逸することは旅の醍醐味を大きく損なってしまうことも事実である。
この世界の現状を見渡して、「英語を話す必要は全くない」と言い切れる人はいないだろう。自分が英語の勉強を始めた15年ほど前と比較して、今は圧倒的に世界との距離は近い。
FACEBOOKやツイッターなどで日々海外の友人と接することは可能だし、一度彼らと知り合うとずっと繋がっていることができる。以前は住所や電話番号を交換するのが当たり前だったが、今ではFACEBOOKのIDさえ教えておけば一生涯彼らとの交流が途絶えることはない。
SKYPEを使えば海外在住の人たちと無料で通話できるし、インターネットでは英語が最も使われている言語なので、情報を取得する上で英語が読めないことは致命的な欠点となる。
何か物事を始めるにあたって、動機となる要素は二つあると思う。ひとつは知的好奇心、もうひとつは危機感だ。
このような状況に危機感は覚えるか覚えないかはその人次第だが、「英語を話せない」ことによる恩恵は何一つないことだけは確かだ。今後は知的好奇心で英語学習を始める人よりは、このような状況に危機感を覚えて英語学習を始める人が多くなるだろう。
(広告宣伝で集客している英会話スクール(旧NOVAなど)のターゲットは、知的好奇心型学習者だと思う。なぜならば、危機感型学習者は「本当に英語をマスターする」必要を感じている人たちなので、滅多なことでは宣伝文句などに踊らされることはないから。彼らは自分がどのように勉強すれば英語をマスター出来るかということにより自覚的でもある。頼もしい限りだ)
思い返せば、自分自身も初めて行った海外で英語を話せないことに危機感を感じて、翌年留学した。「世界にはこんなに面白い人たちがいるのに、彼らとコミュケーションが取れないなんて」という想いを抱いてだ。そのような想いを抱く人は今後もっと増え続けるだろう。
日本が今後より豊かな社会になるためには多様性が鍵になると思っている。移民をもっと受け入れ、彼らとコミュケーションが取れる程度の英語力を身につけていけば、今のような閉塞した状況は打開できるのではないだろうか。
「人間はひとりひとり違う価値観を持っており、それぞれの目的も異なっている」というシンプルな事実も外国人と付き合うことによってビビットに理解できる。多様な価値観を容認できる社会こそが文化的にも成熟した社会だと言える。そのような日がいつ来るのか分からないが、そのために自分が出来る範囲のことは行っていきたい。
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