佐藤雅彦「これも自分と認めざるをえない展」に行ってきました
美術愛好家でもなんでもないのだが、美術館には結構行っている。これはひとえに一人旅好きの効能だと思う。ロシアのサンクトペテルブルクではエルミタージュ美術館を堪能し、パリではルーブル美術館やオルセー美術館に足を運び、バルセロナではピカソ美術館、マドリッドではプラド美術館、アムステルダムではゴッホ美術館などに行った。
その他にも数限りないギャラリー、美術館に行き、ぼーと絵や写真を眺めている。
ヨーロッパでは犬も歩けば棒に当たるかのごとく、ギャラリーや美術館が軒を並べているので、散歩ついでに美術を堪能できる環境が整っている。一人だから、特にやることがあるわけでもなく、ただただひたすら散歩をし、一息つくために美術館などに寄ったりしているわけだ。
それでもコンテンポラリーアートは敷居が高い。いつも狐につままれたような気分を味わい、残念な気持ちになる。今まで一番印象的だったコンテンポラリーアートは、金沢21世紀美術館で見た「ロイ・ミュレック展」ぐらいだろうか。
知り合いのイギリス人の写真家に大のアート好きがいて、彼曰く「コンテンポラリーアートを観に行く時は、絶対に楽しもうと決意している。もし、楽しくなかったらそれはアーティストのせいではなく、自分のせいだと思うようにしている」と語っていた。そんな本物と美術愛好家に比べると、「お金払っているんだから、楽しませてね」と思ってコンテンポラリーアートを観に行く自分は卑しい人間だと思う。
そんな僕でも今回の展覧会はとても楽しかった。
自分自身を規定しているものがいかに脆弱か、またそんな脆弱のものを頼りに自分自身の存在が社会から規定されていることがよく分かる色々な仕組みが施されていた。
大好きな写真家の一人であるソフィ・カルのビデオが見れたこともなんだか嬉しかった。パリのポンピドゥーセンターで見た彼女の展覧会は今まで見た写真展のイメージを覆すほどインパクトがあった。
たまにはこうして、コンテンポラリーアートに触れて、違った視点で自分と社会を見つめる機会を持つのも悪くはない。そんなことを思った一日だった。
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