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2010年7月

2010年7月30日 (金)

現代版ゴッホのお話し。

友人から誘われて、国立新美術館の「オルセー美術館展」に行ってきた。パリのオルセー美術館には10年以上前に行ったことがあるが、あまりに巨大過ぎてすべてを見切れなかったので、今回はいい機会だと思った。

それにしてもやはりゴッホという画家は別格だ。彼の絵からは、ほとばしるエネルギーが感じられ、「星降る夜」に到っては本当に夜が目の前に現れたかと思うほど、リアルな存在感がある。

Starysky

ふと、彼のような途方もないエネルギーの持ち主が現代に生まれていたら、どのような職業に就くか、夢想してみた。やり尽くした感のある画家という職業には就かないのではないか。このオルセー美術館展に行くとよく分かるが、19世紀末の絵画の世界は激動の世界で、どんどんとスタイルは変わり、発展していった。当時の革新的な考えを持った人たちの多くは、画家か作家だった時代だ。

この現代で芸術家として成功を収めようとすると、村上隆のような形態になってしまう。ビジネスという観点からすると、素晴らしい成功を収めているが、100年後彼の作品を見て人々はどう思うのだろうか?ただ何とも思わないような気がする。少なくてもゴッホの作品から感じるようなエネルギーの発現などは感じないだろう。ゴッホの作品はほとんど3Dと見紛うほど、圧倒的な存在感がある。

今、同じような熱量を持った人物として頭に浮かぶのは、スティーブ・ジョブズだ。彼が創りだした作品の数々、「iPhone、Mac、iPad、iPod」などは100年経ってもその目指した革新性は色褪せないかもしれない。100年後の人たちは口々に「よくこんな時代にこれだけのものを作ったな。ほかの製品見てみろよ、どれも醜く使いづらい。だけど、彼が作った製品だけは違う、どれも美的センスに優れ、思わず触りたくなるくらいだ」と語り合うのかもしれない。

ジョブズは高度に発達した現代版ゴッホなのかもしれない。稀有なエネルギー量と、周囲を巻き込む圧倒的な社会性を身につけ、我々が見たこともない世界を見せてくれる。映画が第7芸術として認められているが、それ以降確定している芸術の分野はない。もしかしたら、近い将来「起業」がそのあとの芸術の分野として認められる日が来るのかもしれない。

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2010年7月29日 (木)

辞書と言えば、紙だった頃。

僕は辞書が好きだった。
それもどんな辞書というわけではない。アンカー英和辞典という名の辞書にぞっこんだった。理由はその例文の数々が非常に哲学的だったからだ。例えば、TRUTH(真理)をこの辞書で引くと、下記のような例文が掲載されている。

Truth is not absolute, it is always relative.
(真理は絶対的ではなく、常に相対的である)

そして、Education(教育)を引くと、下記例文だ。

Education is a ladder of success.
(教育は出世の手段である)

もう手元にないので、当時の記憶を頼りに書いているのだが、このような示唆的な文章が満載されており、いつも辞書を引くのが楽しかった。

英英辞典などの例文は結構味気ないものが多く、あまり調べる気になれなかったが、アンカー英和辞典の場合はこのようなインパクトがある例文ばかりだったので、暗記するのにとても役に立った。電子辞書全盛の世の中で、何も好き好んで紙の辞書を購入する必要はないと思うが、紙の辞書で単語を調べると少し賢くなった気がするのも事実だ。

記憶の定着率を上げるためには、いかに手間暇増やすかということも重要だ。そういう意味では紙の辞書を使うという方法もあながち間違ってはいない。暇なときに辞書をパラパラめくると思わぬ単語や例文に出会い、ちょっとした驚きや発見がある。

一昔前は「趣味は辞書を読むこと」などと言っている酔狂な人もいたが、今では絶滅種だろう。そうして、物事の効率化は音もなく進行し、だんだんと均質化された世の中になっていく。

とは言いつつも、普段は無料のオンライン辞書を使って、効率化された社会を満喫している。そうして、たまに「古き良き時代」とやらを思い出しているのだ。

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2010年7月28日 (水)

人は状況次第で、いかに変わるかということ。

「急に売れ始めるにはワケがある」というなんとも軽薄な本を購入し、読了した。元々は著者であるマルコム・グラッドウェルの文章がどこかで引用されていたので、それ以来気になり、彼の名前を本屋で見つけて立ち読みしてみたら、そのあまりの面白さに迷わず購入した次第だ。

原書のタイトルは「Tipping point(ティッピング・ポイント)」といい、それを意味するところは「あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと」ということだ。

それを様々な現象を例に取って実証検証しており、とても興味深い内容だった。

特に個人的に面白かったのは、「人間はいかに状況に左右されるか」を背景の力として、様々な例を挙げて検証していることだ。人はよく「あの人は本当に利他的で、穏やかないい人」と言うが、その人をある特殊の状況(例えば戦争)に置くと、残酷非道な面が露出し、人を殺すことが生きがいななんとも酷い人間になる。

それはその人が突然豹変したわけではなく、人間は様々な要素で構成されており、状況次第である面が突出する。この本でもあの有名なスタンフォード大学で行われた囚人と看守の実験が取り上げられている。

スタンフォード監獄実験

実験開始からわずか6日間で、看守役の暴力は歯止めが効かなくなり、ついには実験中止に追い込まれるという事態になった。人間は自分自身が思っている以上に日頃から、その置かれている状況に影響されており、あなたが自分自身の個性だと思っているものも実はその状況下によって作られたものかもしれないのだ。

例えば学校のような未成熟な人間が集まっている集団のなかでは、人々の行動はその集団によって取り決められたルールに支配されやすい。イジメなどの行為も率先してやっているのは、せいぜい1人か2人だが、そのカリスマ的影響力によってほかの人間も参加せざるを得ない。

会社などでも「あの人はダメな人」と一度貼られたレッテルは剥がせにくく、貼られた人間もそれを助長する行動を無意識に行う場合が多い。「何がいいか、悪いか」という判断は絶対的なものではなく、あくまでその所属している集団のルールに則って決められているが、当事者同士ではそれはあたかも絶対的なものとして取り扱われている。特に日本はその傾向が強く、そのことについては、子供の頃から恐怖感を覚えていた。だから、それを強制されにくい「自国以外の国」に目が向き、19歳で日本を飛び出したのだと思う。「外国人」という立場は、自国のルールが通用しない、いわば特権階級であることを早い頃から自覚していたのだ。

あともう一つ個人的に気になったのは、新聞報道の弊害だ。自殺者の事件が新聞に掲載されると、その直後には自殺者が増加する傾向にあるという。新聞は本当に「不幸な事件のオンパレード」なので、誰が何のためにこんなものを読みたいのか常々不思議に思っていた。虐殺事件なども報道されるとその模倣犯が必ず現れるので、いっそのこと各都道府県ごとに「幸福新聞」でも発行して、実際にあったハッピーな事柄(〇〇町で三つ子ちゃん誕生!、隣町の山田さんが三億円当選!)だけを載せれば、世のため人のためになるのではと思う。

マーケティングという観点からはあまり役に立たない本だと思うが、人間のことをよく知るためにはとても役に立つ本だ。

追記:「急に売れ始めるにはワケがある」でGoogle検索したら、下記記事を見つけた。

勝間和代さんの本はなぜ急に売れ始めたのか

勝間さんは「どうすればブームを作れるのか、私のバイブルです」と言っているらしいが、この本を読んで実践に役立てるのはあなたのような人くらいです。

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2010年7月26日 (月)

佐藤雅彦「これも自分と認めざるをえない展」に行ってきました

美術愛好家でもなんでもないのだが、美術館には結構行っている。これはひとえに一人旅好きの効能だと思う。ロシアのサンクトペテルブルクではエルミタージュ美術館を堪能し、パリではルーブル美術館やオルセー美術館に足を運び、バルセロナではピカソ美術館、マドリッドではプラド美術館、アムステルダムではゴッホ美術館などに行った。

その他にも数限りないギャラリー、美術館に行き、ぼーと絵や写真を眺めている。
ヨーロッパでは犬も歩けば棒に当たるかのごとく、ギャラリーや美術館が軒を並べているので、散歩ついでに美術を堪能できる環境が整っている。一人だから、特にやることがあるわけでもなく、ただただひたすら散歩をし、一息つくために美術館などに寄ったりしているわけだ。

それでもコンテンポラリーアートは敷居が高い。いつも狐につままれたような気分を味わい、残念な気持ちになる。今まで一番印象的だったコンテンポラリーアートは、金沢21世紀美術館で見た「ロイ・ミュレック展」ぐらいだろうか。

知り合いのイギリス人の写真家に大のアート好きがいて、彼曰く「コンテンポラリーアートを観に行く時は、絶対に楽しもうと決意している。もし、楽しくなかったらそれはアーティストのせいではなく、自分のせいだと思うようにしている」と語っていた。そんな本物と美術愛好家に比べると、「お金払っているんだから、楽しませてね」と思ってコンテンポラリーアートを観に行く自分は卑しい人間だと思う。

そんな僕でも今回の展覧会はとても楽しかった。

「これも自分と認めざるをえない展」

自分自身を規定しているものがいかに脆弱か、またそんな脆弱のものを頼りに自分自身の存在が社会から規定されていることがよく分かる色々な仕組みが施されていた。

大好きな写真家の一人であるソフィ・カルのビデオが見れたこともなんだか嬉しかった。パリのポンピドゥーセンターで見た彼女の展覧会は今まで見た写真展のイメージを覆すほどインパクトがあった。

たまにはこうして、コンテンポラリーアートに触れて、違った視点で自分と社会を見つめる機会を持つのも悪くはない。そんなことを思った一日だった。

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2010年7月23日 (金)

出来る限り楽をするということ。

意外と知られていないことだが、人間が楽をしたいと思うのは、脳に責任がある。

脳は楽をしたがる

ただその脳も楽をするためには、一度は効率化を図る。考えてみると、効率化というと聞こえはいいが、これはただ単に脳が楽をするために行っているごく自然発生的な行動なのだ。

仕事の効率化とは、言ってしまえばいかに自分の負荷を減らし、楽をするかということに他ならない。

ワンズワードオンラインでは、ご存知の通り、先生採用はとても厳しく行っている。先生としての資質だけではなく、その情熱も求められ、また自己管理能力までも審査対象となる。こう書くと非常に聞こえはいいが、これはただ単にこちらが楽をするための所作でもある。

現地時間で夜23時まで教えて、翌日朝4時には起床し、5時からのレッスンを行う、というようなことをこちらがいちいち指示することなく、毎日行われている。そして、毎レッスンの時間はきっちりと守り、滞りなくレッスンが実施されている。もちろん、誰もが間違いは起こすので一度や二度は寝坊したり遅刻することもあるが、それを責めるほどこちらも完璧な人間ではない。そして、こちらが責めるまでもなく、向こうの方から謝罪のメールが届き、責めるタイミングすらこちらに与えないほど優秀な人たちでもある。

優れた製品の大量生産は可能だが、優れた人材は有限だ。このようなスタイルでは規模の拡大は限られるが、とても効率的ではある。彼らの管理を強化するよりは、彼らのやる気を引き出し、彼らがより働きやすい環境を作り、また彼らが目標設定もしやすいように賃金にもインセンティブを持たせる。それがワンズワードスタイルである。

と言ってしまえばこれまた聞こえはいいが、これはただ単に「楽をしたい」という脳の欲求に従ったまでだ。

そして、なるべく確実にレッスンが実施出来るように、生徒様側にはレッスン前日には日時の自動送信確認メールが届き、こちらがわざわざリマインドすることもない。予約、キャンセルもすべて会員メニューで瞬時に行え、それによりこちらが負担を強いられることもない。

情報はすべてHPに開示し、ちょっとした情報はツイッターなどで告知する。本当に便利な世の中になったものだ。

人類の歴史というものは「いかに楽をするか」ということが目的となり、ひたすらそのために労力が費やされ、その結果発展してきたのかもしれない。

もちろん、それでも雑多な作業は発生はするが、それはマイナーなものであり、こちらの作業の焦点は「使いやすく、効率よく英語学習を行える環境作り」というクリエティブな作業に費やされる。

脳の欲求にも素直に応えつつ、さらにそれに付加して自分が思い描いているサービスを提供していきたいと思っている。

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2010年7月22日 (木)

6800円は高いか安いか?:本気で英語をマスターしたい方へ

オンライン英会話スクール「ワンズワードオンライン」の受講料は1ヶ月6800円だ。この料金でマンツーマンレッスン1回50分を4回、そしてスケジュール通りに受講すると翌月使えるボーナスレッスンチケットが発行されて、最大一ヶ月で5回受講できる。

これは高いのだろうか、それとも安いのだろうか?

まず6800円くらいのお金で一体何ができるのか検証してみよう。

1. 都内のマッサージは1時間6000円が相場

2. 一回の飲み会の平均は4530円

3. 都内の美容室の相場は5〜6000円

特に生活に必須のものではなく、趣味あるいは娯楽の領域に属するものの料金だ。どれも1回でこれだけの料金がかかる。

さらに既存の英会話スクールの料金を検証してみた。

1. GABAのレッスン料金
(マンツーマンレッスン1回40分6000円程度。さらに入会金31500円とテキスト代21000円がかかる)

2. ECCのレッスン料金
(8名までのグループレッスン1回80分6000円、レギュラーレッスン受講時の料金)

こうしてみると、6800円で最大5回もマンツーマンレッスンが受講できるワンズワードオンラインがいかに安いかがよく分かる。

では、今度は格安オンライン英会話スクールと比較してみよう。

受講料低額ベスト10 (マンツーマン)
(1ヶ月5000円が相場。そして1回25分のレッスンでは100円前後、これを50分に換算しても1回200円程度。ただし、あくまで一ヶ月30回受講した場合の料金。社会人だと1週間に3、4回程度受講出来ればいいほうなので、それだと一ヶ月合計12〜16回程度になり、1回50分に換算すると625円から833円となる)

ワンズワードオンラインで週二回受講したら(ボーナスレッスンを取得し、追加レッスンチケット1枚1000円を3枚購入した場合)1回の料金は1243円になる。

たしかに高い。

では、それでもワンズワードオンラインを受講するメリットは何か?

1. 少人数精鋭の先生たちなので、どの先生のレッスンを取ってもハズレはなく、レッスンは生徒様のニーズに合ったオーダーメイドのレッスン。
(学習履歴、生徒様の傾向などの情報はすべて先生側で共有しているので、いつもと違う先生を取っても問題なく継続したレッスンが可能

2. 無料のグループレッスン1回50分が週三回無料で受講できる。

3. マイポートフォリオという学習システムがあり、先生に相談しながら精度の高い学習計画が立てて継続した英語学習が可能となる。

そして、最後にこう言いたい。

「ワンズワードオンラインは英語を本気でマスターしたい方のソリューションである」と。優秀なフィリピン人の先生方、また学習意欲の高い日本人の生徒様同士が混ざり合い、質の高い学びの場、それに出会いの場を形成する。そうして継続した英語学習が可能となり、やがては世界中の人々とコミュニケーションをすることも可能となる。それを実現する場として、ワンズワードオンラインが存在する。

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2010年7月21日 (水)

35歳、立ち止まって考えたこと。

以前はこのブログではなく、こちらのブログで自分が思ったことや言いたいことを書いていた。あまりにプライベートな内容が多く、オンライン英会話スクールの運営者としては不適当だと思い、このブログを立ち上げた。

たいしたアクセスもないし、好きなことが書けるので、こっそりたまに更新している。
ふと、もうすでに35歳になってしまい、人生の折り返し地点に見事到達してしまったので、これからのことについて色々と思いを馳せてみた。

今までも人生を総括すると「悪くはない」と思ってはいるが、これからの30年はそれだけではどうかと思う。色々なものを具現化したいが、まだまだ試行錯誤をしている。

ただ結果そのものについて、あまり左右されたくはない。やりたいことをやる、それを促進していきたい。

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2010年7月20日 (火)

日本人の国際感覚について

事の発端は、JOYさんが9月に香港に行こうと思っていると聞いてからだ。だったら、日本に来ればと思い、そう言った。より慎重な彼女は、来年になれば事業も落ち着き、そういう余裕が出来るかも知れないと言い、当初はそれほど乗る気でなかった。

距離的には香港でも日本でもそれほど変わらないが、彼女が香港に行くと言ったのには理由がある。フィリピン人がビザなしで行ける国は、香港・イスラエル・ブラジル・マカオなど一部の国に限られているからだ。かたや日本人は195カ国のうち、一部の地域を除いてビザは不要だ。

Visa Guide: 195カ国の査証(ビザ)・国別情報

(ナミビア、ハイチ、マラウイなどの国でも短期間であればビザは必要ない)

そして、フィリピン人が日本に滞在する場合のビザ取得はなかなか骨が折れる。過去に日本に滞在していたフィリピン人の不法滞在など色々と問題が多かったので、書類などをきちんと用意しないとまずビザは取れない。最低でも一ヶ月はかかるということなので、JOYさんを日本に呼ぶために早速書類を準備した。

今まで個人的にビザ問題ではひどい目に何度も遭っているので、今回は慎重を期したいと思う。イギリスやアメリカなど厳しい入国審査がある国に行くたびに思うが、「通るか、通らないか」は純粋に担当になった人の個人的判断による。以前、アメリカに行ったときは「おまえの名前はある犯罪者の名前に似ている」という理由だけで30分くらい足止めをくらったことがあった。名前が似ているだけで人を止める権利があるのかと思ったが、権力には逆らえない。

そもそもなぜビザが必要なのかと思ってしまう。人も物も自由に行き来出来たほうが、双方にメリットがあるはずだ。当時の権力者たちが勝手に線を引いて決めただけなのに、それ以降その線を超えるためだけにこれほどの努力を強いられるのは納得がいかない。

ジョン・レノンがイマジンで歌ったように国境がない世界が来ればいいのにと思うが、それはまだまだ先の話だろう。アメリカや日本のようにどんどん入国審査が厳しくなっているのが現状だ。だが、日本のように移民の力を借りないと圧倒的に労働力が足りない国が、入国審査を厳しくしてどうするのだろうと思う。

外国人看護師、国家試験合格はわずか3人 日本語が壁

上記のように形だけ受け入れの姿勢を見せておき、内実日本語が出来なければ強制的に退去させる愚行を見るとがっかりしてしまう。251人のうち3名しか合格できないのは、試験自体に問題がある。そう思い、試験内容について調べてみると、下記記事を見つけた。

【主張】外国人看護師 落とすための試験やめよ

褥瘡(じょくそう)なんて漢字生まれてこの方初めて聞いた。お役人の人たちは、一体何がしたいのだろうか?いっそのこと英語の試験にして、日本人が英語を話すようにすればいい。

世界でも通用する会社や人材を育ているためには、こういう発想から変えていかなければどうにもならない。その先頭に立つべき国のあり方が、こんな状態だとお先真っ暗だが、もう国のやり方に見切りをつけて、楽天やユニクロのように民間の力で一気にグローバル化を進めるのもひとつの手なのかもしれない。
(英語公用語化の是非はともかく、やり方としては正しい気がしてきた)

「看護現場に混乱をもたらしかねない」として、外国人の受け入れに消極的だった厚生労働省の方々の国際感覚のなさはある意味、すごいと思う。その時点で、いかに「彼らに働きやすい環境を提供するか」などという発想はないことがよく分かる。

外国人=日本人以下の労働力という図式がいつまで経ってもお役人の頭を支配しているのだろう。そして、褥瘡(じょくそう)なんて問題を出して、答えられないと「やっぱり、彼らは使いものにならない」と切り捨てて、強制退去させる。

フィリピン人でも優秀な人はとことん優秀だし、日本人でもダメなやつはとことんダメだ。そんなシンプルなことがいつまで経っても分からない人たちに対して、とても失望している。JOYさんを始めとするワンズワードオンラインに所属する優秀な先生たちを通じて、そのような先入観を少しでも減らし、彼らの国際感覚が少しでも鋭敏なものになればと願っている。

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2010年7月18日 (日)

漠然としたコミュニティ意識とコミュニティを創るということ。

以前、雑誌の取材でカナダに行き、地域通貨を取材したことがある。カナダのバンクーバー島でLETSという地域通貨の設立者であるマイケル・リントン氏にインタビューをし、その設立の経緯を聞いた。そして、トロントではトロントダラーを考案したジョイ・コガワ女史にどのようにトロントダラーが使われているか詳しく話を聞いた。

1. 卜ロント・ダラー:カナダ・トロント

2. LETS−地域交換交易制度−:カナダ・コモックスバレー

マイケルは元々ヒッピーで、アナーキストという出自であり、彼が目指したのはコミュニティの復興や再生などではなく、既存の社会を否定して、それに代わるものを創り上げることだった。実際、インタビューした頃は彼は無職であり、彼の妻が働き、生活を支えていた。僕の彼に対する印象は「口ばっかりで、たいしたことないやつ」というものだ。

特に彼のビジネス上のパートナーであるアランと食事を共にしたとき、僕が「社会にはルールがあり、それを守りながらプレーをするのが筋ではないか」という話をしたとき、生粋のアナーキストである彼は「いや、ルールなんて守りたくない。そんなものは本当は存在してはならない」と真っ向から対立した。もう10年以上の前のことだから、僕は25歳ぐらいで彼はおそらく僕の父親とそう歳は変わらないはずだった。

すでに在るものを否定しても何も変わらないし、生産性がない。

そして、対照的だったのは、ジョイさんで彼女はすでに成功した作家だったが、社会的弱者をどうにかしたいという気持ちがあり、そのために地域通貨を作った。マイケルたち自身が社会的弱者だったのとは対照的だし、その発想の仕方は根本的に違っていた。(当然、当人たちはそんなことを思ってもいないし、それを指摘したら激怒するだろうが・・・・・)

ジョイさんの話では、トロントの税収の40%はカナダのほかの地域のために使われ、トロントの社会福祉などを充実するためのお金が、トロントには残らないと言っていた。そこでトロントからなるべくお金が出て行かないようにし、なおかつホームレスの人たちが市の掃除や施設のために働くとトロントダラーで支払い、彼らの生活を支える仕組みを作ったとのことだった。(トロントダラーはその名の通り、トロントでしか使用できない。だが、カナダドルとも交換可能であり、その率は10対9である)

ジョイさんとその旦那さんとも会ったが、とにかく彼らはエネルギッシュで、ジョイさんはすでに60歳を超えていたかと思うが、僕たちのほうがへとへとになるくらい、トロント市内を歩きまわり、色々な施設を見せてくれた。それにトロント市長にも会わせてくれて、顔も広く、地域の人たちから尊敬されていた。

どうして、こんなことを書いたかというと、イギリス人のジムが仕事で10月にカナダに行くと聞いて、カナダのことを話すうちに地域通貨の話になったからだ。そして、日本でも地域通貨はあるにはあるが、どれもが失敗していると話した。その原因は「コミュニティを作り、それを盛り上げるために地域通貨を導入するのではなく、まずは地域通貨ありきで始めるから」ということを話した。

そしたらジムが「日本人はみんながある1つの大きなコミュニティに所属しているように思っている。だけど、本当はそんなものを存在しないし、日本人からそれほど強いコミュニティ意識を感じない」と言った。

それは一理ある。それを顕著に表しているのが、「流行」という現象だ。よく雑誌ではロンドンやニューヨークの最新流行ファッションなどが取り上げられるが、現地ではそんなものは存在しない。真冬にTシャツ1枚で出掛けるほど、彼らは服装に対して自由であり、着たいものを着て、それで満足している。

日本では何かに付け「流行」という1つの価値観を創出し、あたかもそれが絶対無二の価値観だと思われている。政治やスポーツでも「流行」は存在し、みんなが右に倣うことを由とする。一人の一人の個性や価値観なんて無視され、尊重はされない。

「流行」にさえ従っていれば、尊重され社会から受け入れられた存在になれると言っても過言ではないほどだ。そして、流行は必ず廃れ、そのものの本当の価値など精査されることなく、姿を消していく。ルーズソックス、サッカー日本代表、民主党、どれも似たような末路を辿り、そのものの本当の価値なんて誰も深くは考えない。

強いコミュニティ意識というものは社会全体を良くする推進力はあるが、このような漠然としたコミュニティ意識は、物事の価値を見えにくくし、弊害が多い。漠然としたコミュニティ意識に基づいて「日本を良くしたい、日本を変えたい」などと言っているよりは、「おらが村を良くしたい、自分の会社を変えたい」といった細分化されたコミュニティに対する発言のほうが
より信用度が高いことも事実だ。

自分自身を例にすると、英語教育界を変えたい、オンライン英会話業界を変えたいなどとはこれっぽっちも思わないが、本気で英語を勉強している人たちに対しては、より良い英語習得法を提示していきたいと思っている。対象となっているコミュニティは漠然としているかもしれないが、コミュニティ意識は高い。ネットの世界だからこそ、それが可能だと思っている。

もしかしたら、ネットの世界、リアルな世界という切り分けはもうすでに意味を成さなくなっており、お互いがお互いを侵食し、補完し合っているのかもしれない。それをなるべく利用して、より高い意識を持った人たちとこれからも知り合い、自分自身を高めて、人と人を繋げていきたいと思っている。

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2010年7月16日 (金)

ワンズワードオンラインの存在意義:双方向なコミュケーション

ワンズワードオンラインの特徴の一つとして、レッスン後に記載されるかなり詳細なアドバイスがある。それについてのフィードバックは生徒様から特に出来なかった。

レッスン自体の評価はこちらで行うことはできるのだが、アドバイスへの返答機能はなかった。だが今回、下記のようにこのアドバイスに関して、生徒様からフィードバックを先生に直接返せる機能を付加した。

Henrei
上記の赤いボタンをクリックして、先生にお礼のメッセージを送ることができる。

Thankyou
そして、先生側のページには上記のように反映されるという、非常にナイスな機能だ。グッドジョブ!と言いたい。しかし、これはこちらの発案ではなく、とある生徒様の発案であり、そのご要望を孫さんよろしく「やりましょう!」と言って実現しただけだ。こちらの努力はミニマムであり、サービスを良くしたいという生徒様の努力の賜物だと思っている。

こちらもなるべくユーザー目線に立ってサービスの運営および機能の追加を行っているが、実際のユーザーとはやはり若干目線の違いがある。こういう機能は、自分たちだけは思いつけなかったし、本当に勉強になる。

この機能を追加してから2ヶ月くらい経ったが、多くの生徒様がこの機能を使って先生たちとコミュケーションを取っている。

ツイッターなども積極的に活用しているが、やはりツイッターだとワンクッション置いてしまい、ピンポイントのコミュケーションは出来ないので、こういう機能はそれを補うことができる。我ながら盲点だったと思う。

正直なところ、「オンライン英会話スクールの運営」には大して面白みは感じないが、「異国の人々がコミュケーションを取る場所、そしてそのコミュケーションの精度を高める場所」の運営はとてもやりがいのある仕事だし、クリエイティブな仕事だと思っている。

気長に自分たちのやりたいサービスを実行していき、少しづつその精度を高めて、自国以外の国の人々とコミュケーションを取りたいと思っている人たちのためになり、彼らの人生に少しでも明るい光があたるような場所にしていければと願っている。

先生、生徒と立場の違いはあるかもしれないが、やはりそこはあくまで対等な人間関係がベースとなるべきだし、そしてそれを理解している人たちしか雇用しないことによって、よりその関係性を促進できるのではと思っている。

もしかしたら、ワンズワードオンラインの存在意義とは「人と人のあいだにケミストリーを起こさせること」に尽きるのかも知れない。今のところ、「先生、生徒」という関係性においてはある程度成功しているが、次のステップとして「生徒同士」という関係性において、いかにそれを起こさせるかが課題だと思っている。

こういう作業はとても楽しく、やりがいがある。焦らず、じっくりと、しかし着実にそれを実現していきたい。

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2010年7月15日 (木)

なぜフィリピンは停電が多いのか?:ツイッターの活用

昨日、マニラなどルソン島全域で停電になった。原因は台風だ。

Eight dead after Typhoon Conson hits Philippines

(フィリピンの天気予報は精度が悪く、昨年9月の台風でも149名が事前に天気予報で注意を呼びかけなかったことが原因で亡くなっている。じつは去年の9月にマニラに滞在しており、帰国当日に台風がマニラを直撃した。間一髪で難を逃れたが、そのあとの甚大な被害を聞いて愕然とした)

この記事でアキノ大統領は、天気予報官たちに対して、

"We rely on you to tell us where the potential problems are."
(我々はあなた方に問題が起こりそうなところがどこなのか、教えてもらえると期待している:ようは暗に天気予報が外れたから、こんなに被害が大きくなったと彼らを非難している)

と語っている。しかし、そもそもの問題は天気予報もまともにできず、また台風が来たくらいで首都圏全域で停電になるというインフラの不備が根本的な問題だ。そして、それを解決するのは国の役目、引いては大統領の役目である。

それを全く当事者意識もなく、お門違いの批判をしているアキノ大統領には何の期待もできない。では、なぜこれほどのまでにフィリピンで停電が多いのか、色々と調べてみた。

1. 電気泥棒

フィリピンは物価に比べて電気代が以上に高く、そのために近所の家の電線から自分のところに電線を引っ張ってくる「電気泥棒」が後を絶たない。乱暴な彼らは人の家の電線を外して、盗電をしていくこともあり、そのせいで停電になることもある。また電気代をまともに払う人が少ないので、必然的に電気代が高くなり、高い割には整備が整わないという悪循環に陥っている。

例:とある家庭の一ヶ月の光熱費

2. 計画停電

電気の供給がその需要に追いつかず、計画的に毎日数時間停電させて、突発的な停電が起こらないようにしている。そもそもの原因は発電所施設の老朽化、その能力不足が原因であり、それに異常気象などで水不足が起きると、頻繁に計画停電が行われる。

参考記事:フィリピンのインフラについて

3. 政治腐敗

これがすべての元凶といえる。あらゆる状況で賄賂が必要な社会であり、警察や小役人まですべてこの賄賂が幅を効かせて、効率の悪い社会を形成している。彼らは自分たちがよもや自分たちの首を絞めているという自覚が出来るマクロ的な視点が欠けているので、一向に是正しようとしない。

毎年のように台風はやって来るし、落雷も起きる。だが、そのたびに停電や数十人もの人が亡くなるのは、天災ではなく人災だ。

早くインフラを整備させて、毎年のように起きているこれらの問題を解決する必要がある。ただ国が率先してインフラ整備をするのにも限界があるので、海外の企業が投資を餌に彼らと協力していくしかないだろう。

停電対策として、ワンズワードオンラインでは発電機の購入を検討しているが、電気があってもネットが使えないと元も子もないので、現在それを調査している。

PLDTの傲慢な姿勢

上記記事を読むと、インターネットプロバイダーも全く信用ならないので、対策に苦労することが予想されるが、自分たちが出来る範囲でベストを尽くすしかない。

人もいいし、天候も温暖で、インフラさえ整えばフィリピンほど暮らしやすい国はないと思うが、やはりすべてが揃った国なんて中々存在しない。

トラブルが起きたときにこそ、人の真価は発揮されるが、そういう面では今回のフィリピンの先生方の対応は非常に素晴らしかった。

特にサラ先生が住んでいる地域は電気がいち早く復旧し、早速連絡をもらって代講の手配が出来た。(結局は他の先生方の電気も復旧したので、その必要はなくなったのだが)

またツイッターで台風とそれによる停電の情報を流したところ、多くの会員様より連絡をいただき、先生たちの安否を気遣うツイートをいただいた。本当にありがたいことだ。これからも積極的にツイッターで情報を開示し、現地の情報を伝え、その対処方法を明確にしていきたいと思っている。

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2010年7月13日 (火)

新聞を捨て、ネットの世界へ行こう

ネット上では「民主党大敗」について、様々な議論が沸き起こっている。

1. 参議院議員選挙雑感  ホリエモン

2. 格差問題@一票の価値 Chikirinの日記

3.  植草一秀の『知られざる真実』

そして、その中でも秀逸だったのが、植草一秀さんのブログだ。まず記事の冒頭で「民主党大敗の責任は菅首相にあり、菅首相の辞任は避けられない」と責任の所在を明確にしている。

次にその原因を「民主党が大敗した大きな原因が二つある」と説き、「第一は、消費税大増税公約を提示したことだ」と書き、それについて様々な分析を加えて、次に「二つ目の原因は、菅首相が編成した新政権が、主権者国民の意思を踏みにじるものであったことだ」と書き、これに関しても詳しい解説を書いている。

とても論理的であり、非常に論点も明確だ。主観的要素は極力抑えられ、その論調は終始客観的である。では翻って、日本の大新聞はどのような意見を述べているのか気になったので、調べてみた。

社説:敗北・民主党 政策の再構築が先決だ 毎日新聞

なんだかよく分からない。特に非常に残念だったのは「民主党政権への期待がなぜ色あせてきたか、冷静な分析が必要だ」と書いており、そもそもそれがジャーナリストの役目でないかと思う。それを放棄した無責任かつ投げやりな文章だ。

植草さんがその見事な論理的な文章で原因を冷静に分析しているのとは、とても対照的だ。どちらの記事をお金を払って読みたいかと問われたら、100人中100人が植草さんの記事を選ぶのではないだろうか。そのクオリティには圧倒的なまでの差がある。

日本の政治がここまで末期的な症状になったのは、政治の番人たるジャーナリズムがこの程度だったのではないだろうか。インターネットが普及したことにより、ようやく有用な批評や意見が共有されるようになり、政治に関しても厳しい目で見られるようになってきた。情報共有、情報の開示がネットの世界では常識であり、その上で批評や意見が述べられる。ただの情報を垂れ流している今どきの新聞とは、そこが決定的に違う。

もうただの情報には何の価値もない。誰もがそのことをすでに理解していると思ったが、どうやら違ったらしい。

「書を捨てよ町へ出よう」と寺山修司は書いたが、今は「新聞を捨て、ネットの世界へ行こう」が正しい気がしてならない。

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2010年7月12日 (月)

国の代表として

南アフリカワールドカップも終り、ようやくこれで不規則な生活ともおさらばできる。結局、優勝はスペインと下馬評どおりの結果となったが、これほど実力と結果が伴った大会は珍しいかもしれない。スペインのような国と対戦して勝てるのは、スイスのように堅守速攻にかけるチームか、ブラジルのようにがっぷり四つに組んでも対抗できるチームだけだろう。その点、オランダは惜しいチームだったが、ひとつひとつのプレーのレベルはスペインが一枚も二枚も上だった。

アフリカ大陸で初めてのワールドカップはこうして、予定調和のように圧倒的な強者であるスペイン優勝で幕を閉じた。

そして、日本では選挙が行われ、こちらも予定調和のごとく国民が今までの鬱憤を晴らし、民主党が大敗を喫した。普天間基地の移設や消費税増税の提言などで失政を繰返してきた民主党は、これでもはや失敗は許されない厳しい状況に置かれた。

ただだからといって、また自民党でいいのかという声を「みんなの党」がしっかり受け止め、10議席獲得という大躍進を果たした。

このようなニュースを見て、ふと「みんなの党」ってどうよ?と思ってネットで調べてみた。色々と検索すると、反日活動家や汚職にまみれた政治家などの中傷記事が目立ったが、下記ブログのように素直に政策を支持する声も多く見られた。

「みんなの党」のマニフェストには「同一労働同一賃金」や「負の所得税」もある

最近思うのだが、国という中央集権型国家はすでに機能しておらず、また正常な判断を下せるだけの情報が彼らに届いていないように思える。だったら、税金などを集める機能だけが国が担当し、実際の判断は「生の情報が入りやすい」市や町単位で任せてしまえば、よほど効率がいいと思う。

そういう部分では、「みんなの党」が提唱する地域主権型道州制には賛成だ。だが、ここでまたふとどのような人種が政治家を目指すのかと考えてみた。今の政治家のイメージは「だらだらと無駄な会議ばかり開き、一向に物事は改善されないし、それに対して働きかけない」というイメージだ。非常に個人的なイメージだが、「なんだかきらきらしている」イメージの政治家なんて見かけたことがない。

同じ国の代表でも、サッカー日本代表のきらきらぶりとは雲泥の差だ。国の代表と言うならば、あれくらいカッコ良くあって欲しい。

それに政治家が「国民」という言葉を発するたびに、ちょっとした嫌悪感を覚えてしまう。彼らの指している「国民」とは一体誰のことなのだろうか?一般の企業だと、あるサービスや商品に対して顧客が満足しているのか調査することや、売る商品やサービスに対しての猿でも分かる説明を行うことはその企業の義務だ。

彼らは「彼らの国民」にそのような働きかけをきっちり行っているのだろうか?ひたすら名前を連呼するだけの選挙活動には誰もがあきあきしている。なんのために、どのように、なぜそれが必要なのか、それを行うと我々の生活の満足度は向上するのか、という視点でモノを言う政治家が入れば、それこそ清き一票を投じたい。

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2010年7月 9日 (金)

優秀な人間とものすごく優秀な人間の違いについて

ワンズワードオンラインのためのSKYPE面接を何十人かこなすうちに、かなりこなれてきた。最もこなれてきた分野が、このSKYPEを使った面接かもしれない。

フィリピン人の方々は南国気質のせいか、驚くほどアットホームな感じで面接に挑むことが多い。面接中に家族は横切り、バックグランドには友達との楽しげな写真が飾られ、挙句の果てに人前で思いっきり鼻をかんだりする。
(「エクスキューズ ミー」の一言って本当に大切だと思う。人が話しかけているそばから、鼻をかまれると、萎える)

まず面接をひとつの戦争と例えてみたい。
そうなると、圧倒的に不利な立場なのは面接者側である。

面接する側の人間は、彼らに対して「履歴書」という圧倒的な情報を持っており、なおかつ僕が受け持っているのは最終面接なので、一次面接の印象および英語テストの結果も把握している。彼らはこちらに対しての情報を一切持たず、好印象を残しつつも果敢にも攻めて「合格」というゴールを決めないといけない。

たかだか英語のひとつやふたつ話せるくらいでは、僕からゴールを奪うことはできない。そんなことは英語の先生として当たり前で、それ以上の何かがないとものの五分も経たないうちに戦いは終わってしまう。

ここでもやはり自覚がものを言う。優秀な人間は多くの場合、自分を過大評価し、ものすごく優秀な人間は意外と謙虚だ。なぜならば、彼らは自分たちよりも優秀な人間がいることも自覚しており、それを知ることによって謙虚になり、努力を怠らない。

優秀な人間の多くがそのポジションに留まっているのには、二つ理由がある。ひとつ目は彼らは自分自身の現状に満足し、そこで努力することを辞めてしまっている。ふたつ目は他者の能力に関して無自覚であり、そのことによって無意識的に自己保身を図っていることに気付いていない。

高校の頃、僕は海外旅行の資金を貯めるために数多くのバイトを経験した。どれも個人的には全く興味のない、お金を稼ぐためだけのバイトだ。僕のバイト面接の時の戦略は「ひたすら相手が欲っしていることを口にする」ことだった。アンケート調査のバイトの時は堂々と「大学では統計の勉強する予定なので、そのための勉強のためにこのバイトに応募しました」と嘘をつき、喫茶店のバイトでは「将来的には飲食店を営みたいので、その勉強のために応募しました」と言い放った。

フィリピンの人たちを面接してきて思うことは、このような非常に嫌なタイプな人間がいないことだ。彼らはとても素直であり、素直であるがゆえの面接時の「アットホームな雰囲気」がある。けれども、面接時の対応は僕が高校生の時よりも稚拙だと思う。「相手が欲っしていることを言う」という面接時の振る舞いは、控え目にいっても最低な人間がすることだと思う。ただ面接という戦いにおいては、非常に効果的な戦い方ではある。

等身大の自分でこの仕事は十分と思う人間はすべて不合格にしている。ワンズワードオンラインはそれほど甘くはない。今の彼ら以上になる準備が出来ている人たちだけ、一緒に成長していきたいと思っている。

また同じように「こちらが期待することだけを気にかけている、あるいはかけている振りをする人たち」も不合格にする。(そのようなフィリピン人には会ったことがない。彼らは良くも悪くも、自然体だ)

結果、先生はいつも不採用になる。ただ、ひとつ言えることは、我々はこの結果に満足している。今、所属している人たちすべてがお気に入りの先生たちであり、どこに出しても恥ずかしくない。ほんの些細な、本当に些細なことかも知れないが、この形をずっと維持していきたいと思っている。

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2010年7月 8日 (木)

より良い英語学習方法を求めて:マイポートフォリオの活用

人間誰でも楽をしたい。なるべく自分に負荷をかけることなく、何事かを成したいと思う生き物だ。英語学習にも同じことが言える。しかし、残念ながらコミュケーションが成立させられるくらいの英語を話せるようになるには、膨大な時間がかかることも事実だ。

英語の習得には何時間かかるの?

上記の記事によると、日本人が英語を習得する場合は3000時間以上かかるとある。中学、高校、大学での勉強時間を1000時間と計算すると、あと2000時間かかる計算になる。

毎日1時間勉強して、たった2000日!

って、無理ですよね。では、ここはひとつ頑張って毎日2時間勉強することにすれば、その半分の1000日かかるということになる。それでもやはり普通の社会人が毎日英語を勉強するためには、2時間もの時間を割くことはあまり現実的ではないかもしれない。

そしてこの2000時間という数字は、1日6時間、週5日間連続で学習を続けた場合の数字である。細切れの時間を確保するしかない社会人は、学習の精度を相当高めないと2000時間という学習時間で英語をマスターすることはできない。

こうなってくると、これだけの時間を費やす前に、英語習得の目的を明確化することと自分自身に合った学習計画を立てる必要がある。特攻隊のように何も考えず奇跡を信じて、闇雲に英語学習をしていても、一向に成果は上がらない。

それを啓蒙する意味でワンズワードオンラインでは、マイポートフォリオという機能を付けた。

Myportfolio_2 上記にように「今週の目標」「学習履歴」「自己評価グリッド」の三つの機能から成っている。「今週の目標」は文字通り、毎週目標を設定してもらい、その達成度を0%から100%で自己評価をしてもらう。そして、過去に立てた目標はすべて「学習履歴」に保存されるので、自分がどのような学習計画を立て、それをどの程度達成してきたか一目瞭然に分かるようになっている。

Cefr そして、自身の学習の進捗具合が計れるようにCEFRを使った「自己評価グリッド」が盛り込まれている。ここで自己評価してもらった結果はすべて先生用ページに反映され、その生徒様の英語力が先生にも分かる仕掛けになっている。

Cefrskill 昨日、先生たちにマイポートフォリオの機能を一つ一つ説明し、なるべくこの機能を使ってきちんとした学習計画を立ててもらいながら、継続した英語学習が可能となるように生徒様をサポートして欲しいとお願いした。

2000時間という時間はひとつの目安であり、その質を高めれば1000時間になるかもしれないし、だらだらと無計画に学習したら3000時間かかっても、一向に英語が話せないままという可能性もある。

ここでもやはり「最小限の努力で最大限の成果」を上げるために、自分にとって最適な学習計画を立てる必要がある。自分自身の貴重な時間を投資するまえに、そのロードマップとなるような計画を立てれば、英語学習を続ける際に道に迷った時も、それが励みになるだろう。

マイポートフォリオは非常にシンプルな機能しか有していないが、継続した学習を行うためにはどれも必須のものだ。言語習得に欠かせない要素として、学習方略というものがある。

学習方略とは、目標(英語習得)を達成するために必要な学習方法の種類と順序性を具体的に立案し、必要な資源(人、物、予算、場所、時間など).を選択し、準備すること、方法を練るということだ。

自分自身にかけた負荷に対して、あまりにも成果が上がっていないようであれば、その方法に問題がある。より良い方法を考案するためには、自分の学習方法に対して自覚的である必要がある。そして、その能力に関しても正しく認識する必要ある。苦手な分野、改善すべき点などをより深く認識すれば、最適な学習方法を選択できる。

マイポートフォリオがそのきっかけになればいいと願っている。

(何度も紹介してすみません。でも、そのタイトル通り、より良い学習方法を見つけるには、とてもためになる本です)

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2010年7月 7日 (水)

ゴールへの意識

別にサッカーの話ではない。小飼弾さんがブログで、楽天の三木谷社長のスピーチについて突っ込みを入れている。

Our goal is to become the No.1 Internet service company in the world.
(我々のゴールは世界でNo.1インターネットサービス会社になることである)」

という彼のスピーチに小飼さんは「Hmm.  No.1.  But No.1 in what? Revenue? Earnings? Market Cap? Customer Satisfaction? (No.1ってなんのNo.1?収益?営業利益?時価総額?顧客満足度?)」と突っ込んでいる。

そして、そのあとに「Mikitani-san, it occurs to me you are already No.1 -- in boringness. And your speak-English-or-get-out policy will definitely secure your position. (三木谷さん、私にとってあなたはすでにNo.1です ー その退屈さにおいて。それに英語が話せない奴はクビにするというポリシーによって、そのポジションを確保し続けるでしょう)と続けている。

なかなか手厳しいが、そのあとアップル社のCMと三木谷さんのスピーチの違いを明確に指摘し、三木谷さんが株主や顧客に向けて、実際は何もメッセージを発していないことを揶揄している。

いわく「アップル社は、自分たちの製品やサービスのように何をオファーしようとしているか明確に話している。彼らはメッセージを持っている」とのことだ。

特に届けたいメッセージがなければ、ウオールマートやエクソンモービルのように、口を閉じて黙っておとなしくしていろというのが、小飼さんの意見だ。

「世界でNo.1インターネットサービス会社になる」になると聞いて、「それはすごい!そんな会社の製品を買いたい。そんな会社に入社したい」などとは誰も思わない。目標としては漠然とし過ぎているし、仮に時価総額や収益でNo.1になると言ったところで、消費者にとってどのようなメリットがあるのだろうか。

個人的な野望を記者会見で言われても、「?」となってしまう。仮に自分があのような場で、顧客に向けて何らかのメッセージを発したいと思った場合、どのようなことを言うだろうかと考えてみた。

「オンライン英会話スクールの顧客満足度で世界No.1になります!」と言ったところで、やはりまだ漠然としている。アップル社のiPhone4のCMを見ると、もう本当に欲しくてたまらなくなる。iPhone4を購入したら、どんなに素晴らしいことを待ち受けているかがとても明確になっているから、一度CMを見ただけで人をそのような気持ちにするのだろう。

「ワンズワードオンラインに所属する優秀な先生たちの指導に従い、英語を自己学習も含めて1000時間勉強すれば、あなたはコミュケーションがきちんと成立する英語が話せるようになります」

これだろうな。語学学習においては、その成果は努力に比例しない。何よりも問われるのは、その努力の質だ。ただだらだらと1時間勉強するのと、頭をフル回転させながら勉強するのとでは、その成果は全く違ってくる。適度な負担をかけて密度の高いレッスンを繰り返し行ない、授業外でも質の高い英語学習が行えるような仕組みを作ることが重要だ。

話せば話すほど英語がうまくなるのであれば、本当にどんなに素晴らしいことかと思うが、残念ながら語彙や文法という基礎がなければ、スピーキング練習をどんなにしても意味がない。そのあたりをきちんと啓蒙し、継続した英語学習を行えるような仕組みを構築していきたいと思っている。

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2010年7月 6日 (火)

なまけものの起業の仕方

唐突だが、仕事が出来る人間の定義について考えてみたい。世の中には優秀な人は非常に多いが、その優秀さが仕事の成果に結びついていない人が数多くいるように思えたのが、きっかけだ。

水準以上の知性を持ち合わせているのに、仕事の成果がまるで上がっていない人たちは下記の二種類に大別できる。

1. 自己保身のためにしか仕事をしない、社内評価ばかり気にして、その先にあるクライアントやユーザーのことなんて気にかけない。

2. コミュニケーション能力が著しく低く、本当に求められていることが理解できず、無駄な作業が多い。

一時期、このふたつにカテゴライズされた人たちとずっと仕事をしていたことがある。ある意味、修行だった。僕のモットーは「最小限の努力で最大限の成果」というものだ。だが、彼らの仕事ぶりは「最大限の努力で、成果は気にしない。やるだけのことはやったから、自分たちが正しい!」というものだった。

個人的努力を理由に自己正当化する人たちほど、厄介な人たちはいない。たしかに彼らは長時間労働を厭わず、傍目からは「頑張っている」と映っているかもしれないが、ほとんどの作業が「成果=クライアントやユーザーを満足させる」ということを考慮に入れていないので、無駄に終わっている。

一言で言うと、「木を見て森を見ず」ということだ。森を見ないどころか、結果的には森林伐採に明け暮れ、結局は荒野と化する場合も多々ある。(どうしても、そういう人たちのやり取りは荒んでくる)

仕事なんてする必要がなければ、しないに越したことはない。本当にその作業をやる必要があるかどうか十分に精査してから取り組むべきなのに、どうしても彼らは「「アリバイ的作業」に終始し、結局それだけで手一杯になり肝心なことをおろそかにしている。

小売業でもサービス業でも、カメラマンでもデザイナーでも、あらゆる仕事は「顧客を満足させる」ということに最終的には帰結する。そのためには社内評価などは二の次なのだが、たいていの場合それらが優先され、ひどくストレスが多いものになってしまう。

起業して一番良かったと思えることは、仕事をする相手を選べることだ。それぐらいいいことがない限り、起業なんて七面倒くさいことは誰もやりたがらないだろう。優秀な人たちと仕事をすると「1言えば10実行」してくれるので、本当に助かる。制作会社の方々やフィリピンの先生たちには本当に感謝している。

「なまけものの起業の仕方」という本でも出せば売れるのではかと、心底思っている。

(本当に優秀な人たちって、こういう人たちのことを言うのだろう。見習おう!って見習えないか・・・・・)

参考記事:残業代もなければ生産性も低い〜日本人の「労働」に未来はあるか

(上記の記事にあるようにシエスタの国であるスペイン人やイタリア人よりも、日本人の生産性は低い。彼らがゆっくりとシエスタ(昼寝)しているあいだも一生懸命働いている日本人は、たいした成果を手にしていないわけだ。

これからは個人の裁量権が増え、一人の人間でも多くのことが成し遂げられることが可能になってくるだろう。そして、それによってダメな組織はどんどん淘汰されていく厳しい時代になっていく。組織であることのメリットがなくなっていく中、集団として質をいかに上げていくかに取り組まなければ、企業は潰れていく。怖い世の中になったものだ)

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2010年7月 5日 (月)

映画「告白」について

中学時代は人生で一番醜悪な時期だろう。肉体的な成長に精神的な成長が追いつかず、そして容姿も脱皮しかかった虫のように中途半端。個性も確立されておらず、自分の考えと他人の考えの区別がつかない時期でもある。

そんな特徴がよく表現されている映画だなと思う。

オスカー・ワイルドは「自覚されたことはすべて正しい」と言った。何もかもが本当は未経験な中学生は、物事を「知る」ことは出来ても、自覚することなんて出来ない。前提となる彼らの世界は異質なものであり、その世界観は自分たちの感情によって歪曲され、彼らのルールはたいての場合極端であり、ひどく残酷でもある。

集団心理に支配されて、逃げるということすらままならない学校という場所は、人間を追い詰めやすい。そして、追い詰めている側はなんの罪の意識もないので、なおさらタチが悪い。

この映画で最も残酷だと思うのは、主人公の少年の唯一の理解者のあのような最期だ。彼女もまた自覚が足りなかったと言えばそれまでだが、彼に対する認識は一番正しかった。そして、それを知った復讐者(松たか子)は哄笑する。その笑いの本当の意味を知るのは物語の最期になるのだが、それとラストシーンの捨て台詞を合わせると、彼女がいかに徹底したリアリズムを元に完璧に復讐を遂行したかが理解できる。

復讐をテーマにした傑作映画はいくつかあるが、そのなかでも個人的に最高傑作だと思うのは「オールドボーイ」という韓国映画だ。映画「告白」はそれに比べると、演出的に重くならないように工夫され、比較的容易に咀嚼できる。
(オールドボーイを観たあとは、腰が抜けて動けなかった・・・・それほどすごい映画と思う)

すべての物語は語りつくされ、復讐劇も古今東西を問わず、様々な形で繰り返されてきたが、演出によってこれほど趣が違ってくるのだなと実感出来る映画だ。特に映画の冒頭シーンの生徒たちが牛乳を飲むシーンはとても印象的だ。あのシーンを観ただけで、これから繰り広げられる物語にとても期待が持てた。

余談だが知り合いの映像編集者は中島哲也監督は「鬼のように人使いが荒く、何人もの知り合いを病院送りにしている」と言っていた。そして、「嫌われ松子の一生」の主演女優である中谷美紀は、その撮影のあまりの過酷さでインドに傷心旅行へと旅立った。

けだし、作品のクオリティと人間的なクオリティは比例しないものだ。中島監督の撮影に参加する人たちは、出来上がった作品のクオリティの高さを信じて、日々の苦痛に耐えているのだろう。

ちなみに「中島哲也監督 鬼」でGoogle検索すると、約 82,900 件ヒットする。そのなかに下記ブログを見つけた。

中谷美紀 VS 中島哲也監督の因縁再び!?「中島監督が大っ嫌い」だった日々を告白

主演女優に対して「殺してやる」と本気で言う人は、ヒエラルキーの一番下に位置する現場スタッフにどのような罵詈雑言を浴びせていたか想像に難くない。

きっと中島組は真性マゾの集まりに違いない。

(文句なしの傑作です。韓国映画史上、最高傑作と言えるでしょう。「冬のソナタ」しか知らない人たちは、韓国映像界に関しての認識を改めると思います。)

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2010年7月 4日 (日)

集団としての質をいかに向上するか

昨日は法政大学のI先生と中学校の英語の先生にお会いして、色々と話しをさせていただいた。そのなかで話題として面白かったのは「ワンズワードオンラインは学習意欲が高い人たちをターゲットとして絞り、一定の成果は出しているが、次のステップとしてそれほどモチベーションが高くない人たちを対象にいかに彼らのモチベーションを上げて、成果を出すかやってみてはどうか」ということだ。

まずオンライン英会話スクールとして取り組むことは不可能と断りを入れた上で、やるならば学校という強制的に学習させられる場が前提になると話した。(元々学習意欲が低い人達がオンライン英会話なんてするわけがないので)

その場では「現時点では興味がない」とお答えしたが、一つの思考実験としては面白いのでこの場でシュミレーションしてみたいと思う。

まず、とある高校がワンズワードに「うちの生徒の英語力をあげてくれ」と依頼したと仮定してみる。それも全生徒の英語力を上げて欲しいと依頼されたとする。

全生徒が対象となった場合、まずはどのようなクラス編成にするかが問題になる。
当然、学力選抜クラスが前提になってくるが、この場合気をつけなくてはいけないのは、人数編成だ。たいていのテストの結果は下記図のように正規分布の形を取る。そうなるとクラスの人数もそれに沿った形にするのが筋が通っている。

Tips_2_19

(引用元:http://software.ssri.co.jp/statweb2/tips/tips_2.html

英語上級者になればなるほど、各自の学習スタイルの違いは顕著になるので、そのスタイルに合った教え方をしたほうが学習の精度は高まる。また成績下位者は「ただ目をかけてもらっている」と実感させることにより、成績は飛躍的にアップする可能性もある。そして、なかには当然人より恐ろしく習得に時間がかかる層もいるので、それだけ根気づよく教えられるようにクラス人数は最小限に抑える必要がある。

1学年の生徒数が100名だと仮定すると、一番人数が多いクラスでも20名までに抑え、一番人数が少ないクラスは5名程度にするのが望ましいだろう。そうなると、一番上位のクラスと下位のクラスは5名づつなので、これで合計10名になる。そして、各層の次の層(上から二番目と下から二番目)は10名づつのクラスとする。ここまで振り分けられた人数は、合計30名になる。手間暇かけて教える必要がある層は、ここまでの層だと思う。大多数の層が所属する中間層は、いかに生徒側の自主性を促進して、彼らにやる気を起こさせるかが重要になってくる。よって残りの70名は単純に4つに分けて、17、18名のクラスを4つ作ればいい。

では、この中間層にいかにやる気を起こさせるかだが、この4つのクラスの平均点を最初の段階で全く同じようになるように生徒を振り分けておく。しかも、成績上位者と下位者を混ざるように意図的に振り分けておく。

そして、この4つのクラスの平均点を毎月競わせるようにする。その平均点がトップだったクラスの上位5名は次のレベルである10名クラスに進級できるようにする。成績下位者の降格に関しては、クラスの平均点は関係なく個人成績のみが対象となるとする。この中間層でも「出来る子」はほかの生徒の学習も手伝うことによって自分たちが昇格できるので、そのように努力するだろう。そうしてクラスとしての連帯感を持つことが出来る。

学習意欲もそれなり、それに比例して成績もそれなりの層にいかにプレッシャーをかけ、彼らを次のレベルの優秀な学習者に仕立て上げるかに、このプロジェクトの成否がかかっている。

一番上のクラスをAクラスとし、次のクラスがBクラス、中間層のクラスは華組、さくら組、星組、梅組と名づけ、次のレベルはDクラス、最下層はEクラスとする。こうしておくと、中間層が昇格したときは「特権意識」が味わえ、逆に降格したときは強烈な「羞恥心」が味わい、努力を促すことができる。

おそらくトップ5名と、一番下のクラスの5名はずっと同じクラスに留まる可能性が高い。ただ彼らが存在することで、多くの生徒が所属している中間層の学習意欲を高めることが出来る。次の層である10名クラスと中間層のクラスの入れ替えは激しくなるだろう。むしろ、入れ替えが激しくないと、このプロジェクトはうまくいっていないことを意味する。

あとはテストの質、それに学外の学習のためにオンライン英会話スクールの活用など色々と考えられる。だが、何よりも重要になってくるのは、集団としての質をいかに高めるかだ。マンツーマンレッスンを基本としたオンライン英会話スクールの経営とそこが決定的に違う。

マンツーマンレッスンだとそのレッスンの質を高めることが学習者のモチベーションアップと、学力向上につながりやすいが、学校のような大人数だとレッスンの質さえ高めればいいと言うわけにはいかない。それ以前にこちらが意図する集団となるような取り組みやちょっとした仕掛けが必要だ。おそらく多くの学校の経営者にはそのような視点が決定的に欠けている。

こうして色々と考えてみると、モチベーションがそれほど高くはない人たちを対象としていかに彼らのやる気を促進するかという取り組みは面白いかもしれない。ただきっとこちらの10の努力に対して、彼らの成果は2にも満たないだろうとは予想できる。モチベーションがそもそも高くはない集団を対象した場合の成果はその程度が妥当だろう。そんななか多くの学校は学校側の協力はたいして得られない中、現場の先生たちの個人的努力で授業を行っているのだろうから本当に大変だと思う。

今度先生たちに会うときはこのアイディアについて色々と聞いてみることにしよう。

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2010年7月 3日 (土)

利益を共有するということ。

ワンズワードオンラインを立ち上げて、半年が経過した。思った以上に時間はかかったが、会員数は100名に届こうとしている。元々、数百人程度の規模を想定していたビジネスモデルなので、とても順調に成長している。

今後はいかに先生、そして生徒様に利益を還元していくか、そのスキームを考えることが重要だと思っている。新しい先生を雇用するたびに無料特典チケットを配っているのも、その一環ではある。ただ、それだとどうしてもアナログなので、ネットならではの仕組みを今構築しようとしている。

ワンズワードオンラインで英語を学習している方々は、とても学習意欲が高い人たちだ。うちは特に宣伝などしていないので、多くは実際うちで学習している生徒様のブログなどで、質の高いレッスン内容を知ってから、入会されている方々が大半を占めている。このようなコミュニティを擁していることは、とても貴重だと思っている。グループレッスンなどを通じて、学習意欲が高い人たち同士を知り合う機会、励ましあう機会を創出しているが、それだけでは十分とは言えない。それをもっと促進する「学びの場」を作れないかと検討している。

そして、先生たちには夏のボーナスを支給をしようと思っている。8月の終わりにフィリピンに行くのでその場で各先生に手渡しをして、御礼を言うつもりだ。

われわれが「英語を教えることに情熱を持っている」ことを先生採用の第一条件にしているのは、そうではないと各生徒様に対してカスタマイズされたレッスンなど出来ないからだ。「好き」だったら人は努力するが、「お金」目的だとその分だけしか働こうとしない。人はどこまでも怠惰な生き物だ。またマンツーマンレッスンという性質上、毎回レッスンをモニタリングすることなど不可能に近い。彼らの自律性に任せることが多いので、お金だけしか興味のない人たちに用はない。

ビジネスをする以上は効率を優先させるべきだが、先生採用だけは効率を優先させない。こればっかりは譲れない。自分たちが納得できるような人しかワンズワードオンラインには所属して欲しくないし、今後も所属することはない。そして、たとえどれだけ時間をかけ採用し、研修その他を行っても生徒様に対して迷惑をかけることがあると判断すれば、解雇をする。

なんだか嫌になることもある。でも、彼らがワンズワードオンラインの主人公たちなので、彼らをなるべくサポートする体制も充実させ、サービスの精度を高めていければと思っている。

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2010年7月 2日 (金)

個人レベルでみる英語の必要性

日本に住んでいる限り、英語を話す必要性は全くない。だからこそ、楽天とユニクロの英語公用語化に関してはとても懐疑的だ。

だが、世界を見渡すと、英語を話せないと話にならないのは確かな事実だ。アジアやヨーロッパを訪れても、「君の英語うまいね」などと言われることはない。なぜならば、英語を話せることはもう当然のことであり、誰もそんなことで驚いたりしないからだ。

英語を話せないと、海外に行っても必然的に日本人同士でつるむことになり、それはそれで楽しいかもしれないが、その他大勢の外国人と知り合う機会を逸することは旅の醍醐味を大きく損なってしまうことも事実である。

この世界の現状を見渡して、「英語を話す必要は全くない」と言い切れる人はいないだろう。自分が英語の勉強を始めた15年ほど前と比較して、今は圧倒的に世界との距離は近い。

FACEBOOKやツイッターなどで日々海外の友人と接することは可能だし、一度彼らと知り合うとずっと繋がっていることができる。以前は住所や電話番号を交換するのが当たり前だったが、今ではFACEBOOKのIDさえ教えておけば一生涯彼らとの交流が途絶えることはない。

SKYPEを使えば海外在住の人たちと無料で通話できるし、インターネットでは英語が最も使われている言語なので、情報を取得する上で英語が読めないことは致命的な欠点となる。

何か物事を始めるにあたって、動機となる要素は二つあると思う。ひとつは知的好奇心、もうひとつは危機感だ。

このような状況に危機感は覚えるか覚えないかはその人次第だが、「英語を話せない」ことによる恩恵は何一つないことだけは確かだ。今後は知的好奇心で英語学習を始める人よりは、このような状況に危機感を覚えて英語学習を始める人が多くなるだろう。
(広告宣伝で集客している英会話スクール(旧NOVAなど)のターゲットは、知的好奇心型学習者だと思う。なぜならば、危機感型学習者は「本当に英語をマスターする」必要を感じている人たちなので、滅多なことでは宣伝文句などに踊らされることはないから。彼らは自分がどのように勉強すれば英語をマスター出来るかということにより自覚的でもある。頼もしい限りだ)

思い返せば、自分自身も初めて行った海外で英語を話せないことに危機感を感じて、翌年留学した。「世界にはこんなに面白い人たちがいるのに、彼らとコミュケーションが取れないなんて」という想いを抱いてだ。そのような想いを抱く人は今後もっと増え続けるだろう。

日本が今後より豊かな社会になるためには多様性が鍵になると思っている。移民をもっと受け入れ、彼らとコミュケーションが取れる程度の英語力を身につけていけば、今のような閉塞した状況は打開できるのではないだろうか。

「人間はひとりひとり違う価値観を持っており、それぞれの目的も異なっている」というシンプルな事実も外国人と付き合うことによってビビットに理解できる。多様な価値観を容認できる社会こそが文化的にも成熟した社会だと言える。そのような日がいつ来るのか分からないが、そのために自分が出来る範囲のことは行っていきたい。

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2010年7月 1日 (木)

ワールドカップ個人史、世界の8強へ

いつからワールドカップを見始めたのだろう。記憶をたどっていけば、94年のアメリカで開催されたワールドカップにたどり着く。ちょうどスコットランドに留学する道すがらイタリアに立ち寄り、そこでイタリア人たちと一緒に決勝戦のイタリア対ブラジルを見た。

あのときのイタリアは監督がアリゴ・サッキという戦術家だったのにも関わらず、まるでチームとして機能しておらず、ひたすらロベルト・バッジョの神がかり的なプレーに頼り、実際決勝戦まで勝ち進んだ。イタリア人たちはかなりシニカルで、口々に「今回のチームは最低だ」とこき下ろしていた。

しかし、決勝戦ではそれまでケガで出場出来なかったイタリア代表のキャプテンであるフランコ・バレージがそれまでの鬱憤を晴らすかのような素晴らしいプレーを連発して、チームを鼓舞した。一人のDFのプレーにこれほどの感動を覚えたのは、後にも先にもこのときだけである。

ピンと背筋を伸ばした状態で繰り出されるパスや神がかったインターセプトは今でも忘れることができない。しかし、そんなイタリア代表も最後はPK戦によってブラジルに破れてしまう。バッジョの「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という名言を残して。

そして次のフランスで開催されたワールドカップでは、ロンドンに滞在しており、初出場した日本代表の試合を見るためにかなり骨を折った。テレビを持っていなかった僕はパブでサッカー観戦をするしかなく、ひたすら日本代表を試合を放映しているパブを探し求めた。「ワールドカップ放送中!」という看板を見て飛び込んだパブがサッカーではなく、ラグビーワールドカップを放送していたこともあり、結局アルゼンチン戦とクロアチア戦のみ見ることが出来た。

日本は3戦全敗で、日本が世界との距離を痛感した大会だった。

次の日韓大会では日本に帰国しており、国中がワールドカップ熱に染まる中、それまでの日本代表とは比べ物にならないくらい強くなった日本代表に多くを期待した。だが、トルシエ監督の奇天烈な性格は選手のやる気を削ぎ、最後のトルコ戦のあまりに呆気無い負け方は僕たちを幻滅させた。

2006年のドイツワールドカップは、きらびやかなタレントを擁したが、ジーコ監督の無策とチームとしてのまとまりに欠け、惨敗した。今回のワールドカップの時のように選手から「岡田監督を男にしよう!」なんて威勢のいい言葉は聞こえてこず、中田とその他の選手間での溝はあまりに大きかった。
(ジーコは男の前に神様と崇められていたので、それもそれで仕方がなかったのかもしれない)

今回の日本代表の試合にあれほどの感動を覚えたのは、きっとチームの一体感が観ているものにも伝わってきたからだろう。あれほど一体感があったチームは、ドーハ組と呼ばれた代表以来だと思う。あのときは柱谷哲二がチームを鼓舞し、ラモス瑠偉が吠え、カズがシュートを決めた。

あの頃はワールドカップ出場を懸けた戦いだったが、今回は世界の8強入りを懸けた戦いだった。どちらの戦いにも惜しくも敗れはしたが、20年近く経ってワールドカップ出場を夢見ていた国から世界の8強入りが視野に入る国へと変貌を遂げた。チームとして機能すれば、日本のような国でも十分に世界と戦えることが示して大会だったと言える。

次のワールドカップでは、またどこか外国で日本代表の試合を観ているかもしれないが、一緒に試合を観ているであろうイタリア人やイングランド人に対しても引け目を感じない日本代表となっていることだろう。

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