語学学習に役立つ自己否定について
毎日留学ナビで月一回連載しているコラムで書いたが、現地に行って言葉が話せないと、当たり前のことだが全く相手にされない。
それはもう見事なほど相手にされない。「ちょっとアレな人」的な扱いをされたことも一度や二度ではない。(緊張のあまり吃ってしまい、そのように扱われたのだと思う)
特に僕が留学していたイギリスは、その傾向が非常に強かった。完璧に英語が話せて当たり前で、それ以下だと残念な人というカテゴリーに入ってしまう。人間必要に迫られないと努力しないので、そうなってくるとお尻に火がつき、なにくそと思って勉強をする。
留学二年目に所属したCAE(ケンブリッジ大学上級試験)対策クラスは、ほとんどがドイツ系スイス人、あるいはスウェーデン人という英語教育が行き届いた国の人たちばかりのクラスだった。そのなかでアジア人は僕一人だった。最初はついていくのがやっとだったが、クラスメイトに恵まれてめきめきと力をつけていった。
だが、一人僕のことを馬鹿にしているスイス人がいた。彼はウースというとぼけた名前の大男だった。その彼は面と向かって「おまえのような英語力でよくこのクラスに入れたな。もっと下のクラスの方が良かったんじゃないか」と言った。しかも、本人特に悪気なしという感じで、そう言い放った。
だいたいにおいて英語教育がまるで機能していない極東の地、日本からはるばるやってきて、母語の文法がほとんど英語と変わらないと奴らと勉強するというのはとてつもないハンデなのだ。それをなんとかCAE対策クラスに入れるまで漕ぎ着けたのに、ひどい言われようだった。スウェーデン人なんて子供の頃から英語の番組を字幕なしで見ているのだから、ほとんどネイティブと遜色ない英語を話すし、スイス人は英語、ドイツ語、フランス語など複数言語を話す人が大勢いる。
しかし、神様はいた。
僕は見事CAEに合格し、ウースは不合格だった。ちなみにウース以外のクラスメイト全員合格した。ウース、カッコ悪。
英語を話せないことによって辱めを受け、侮蔑的な態度を取られることは多々ある。けれども、そうやって何度も自己否定されることにより人間強くなれるし、謙虚になれる。語学学習はそのように人格形成にも関わる得難い体験をもたらしてくれる。
これはどのようなことにも言えるが、自分よりもレベルが上の人と一緒にいると自分を成長させることができる。僕は自他共に認めるCAEクラスで一番の劣等生だったが、それが僕を謙虚にさせて人一倍頑張ることができた。なぜこのような完璧な発音で完璧な英語を話す人たちが英語を習いにスコットランドまで来ているのか訝しがったが、それはもうそれで仕方ない。そこには圧倒的な差が横たわっていたが、そこで自分を出さないと居場所がなかったので、割り切って彼らとも対等な気持ちで英語を話すようにした。
まずは自己否定し、そこから自己を新しく規定し直して、どんな人とでもコミュニケーションを成立できるように趣向を凝らすことが大切だ。英語力が相手よりも劣るのであれば、それはそれでコミュニケーションを成立させる術はある。
サバイバル英語でも世界を旅している人たちが大勢いるように、何事にも柔軟に対応することが完璧な英語を話すよりよほど重要だ。
| 固定リンク
「英語」カテゴリの記事
- マルチリンガルであるということ:メキシコシティにて(2014.02.07)
- 世界の車窓から:変わりゆく世界について(2014.01.14)
- ビジネス英語とは:ブエノスアイレスで考える(2013.12.27)
- みんなフィリピン人じゃない!多様な英語を理解するために(2013.12.12)
- JOE先生から日本人英語学習者へのメーセージ(2013.12.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント