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2010年6月

2010年6月29日 (火)

サステナブルな社会に向けて

時々思うのだが、エコや社会貢献に熱心な人たちは、どうしてこうもカタカナ言葉が好きなのだろう。サステナブルな社会・・・・・舌噛みそうな名称だ。日本語に訳すと、持続可能な社会ということだ。こっちのほうが何倍もしっくりくる。

自給自足の生活を基盤とした社会を構築していくという意味で使われることが多い。

仕事の関係で、このような生活を基盤とした世界中のコミュニティを調べていたのが、その数の多さとバラエティの豊かさに驚いた。(詳しくはこちらをクリック)

大別すると、一人あるいは複数のリーダーを中心とした宗教色が強いものと、コミュニティ意識が強く住民全員で運営しているものの二通りに分かれる。前者は多くの場合、運営資金は寄付で賄われ、後者の場合は住民全員が資金を持ち寄り、有機野菜の販売などの事業を運営して資金に充てている。

日本で代表的なものは、静岡県の富士山の麓を本拠地としている「木の花ファミリー」だ。(海外のウェブサイトは結構垢抜けているものも多いのだが、日本だとどうしてこうも香ばしいのだろう。もっとオシャレでエッジなサイトだと、若い世代も興味を持つと思うのだが)

コミューンやニューエイジカルチャーは日本ではまだかなり馴染みが薄いが、欧米では知識階級を中心にポピュラーな思想でもある。知人に一人二人はどっぷりとハマっている人間がいるくらい身近なものだ。インドなんかを旅しても、そういう思想に浸かった人たちがアシュラム(瞑想道場)に滞在し、毎朝黙々と瞑想したり、歌を歌ったり、ヨガをしたりとても生産的(?)な生活を送っている。

個人的には毎日決まりきったことを行う生活は耐えがたいが、「持続可能な社会」という考え方自体にはとても共感を覚える。あまり極端な自給自足生活には興味を抱かないが、なるべく人様に迷惑をかけないように生きていきたいとは思っている。

今のように「金儲け至上主義」の日本の社会だと多様性が損なわれ、それこそ持続可能な社会とは程遠い。何も全員が全員自給自足する生活を目指したほうがいいとは思わないが、そういう選択をする人も友人のなかで一人二人いるほうがより豊かな社会だとは思う。

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2010年6月28日 (月)

幸せは感染する!より良い人生に向けて。

アメリカのボストン西部の街、フレーミングハムでフレーミングハム調査というものが行われ、ある人が太るとその友人が太る確率が57%も増えることが発見された。この調査の驚くべき発見は、影響が直接の友人に終わらず、友人の友人が肥満になると、直接繋がっているあいだの友人の体重に変化がないのにも関わらず、自分が肥満になる確率は20%増すということだ。さらに友人の友人の友人の体重が増えると、自分も肥満になる確率は10%も増すのである。

クーリエ・ジャポン8月号に掲載された記事の抜粋だが、これらの影響は何も肥満、喫煙などの健康問題だけに留まらず、幸せや不幸せといった感情もお互いに伝播しあうということだ。

そして、傑作だったのは「幸せな友人が一人増えるごとにあなたの陽気さは9%増しになるのに対し、不幸せな友人が一人増えても、あなたの気分は7%しか沈まない。この論理でいくと、人のネットワークの繋がりを増やせば増やすほど、幸せの貯金も増える」という内容だ。

一般的な事実として、陽気な人ほど友人が多い。陰鬱な人なのに、友人が多くて困っているという人など見たことがない。陽気だから友人が多いのか、友人が多いから陽気になるのか定かではないが、友人は多ければ多いほど越したことがないことは確かだ。

人間は自分たちが思っている以上にお互いに影響し合い、感情を水面下で伝え合っているのだろう。なんとなく人助けするときは気恥ずかしい気持ちを抱きがちだが、「これは自分のため、自分が幸せになるため」と割り切ればいい。
(例えば電車で席を譲ったり、道に迷っている人を案内したり、そんなささいな親切ほどなんだか恥ずかしい、それにワンズワードオンラインで英語を学びながら数百円づつ寄付することとか・・・・・なんてね)

それに今はウェブによりあらゆる物事は透明化されつつあるので、そのうち善行.comなんてサイトが出来て、自分がどれだけ「幸せ貯金」をしているか一目瞭然となるような時代が来るかも知れない。そうなる前に、まずは友人たちや家族に普段より優しく接することから始めるとするかな。

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2010年6月27日 (日)

日本企業が行う英語公用語化について

楽天に続き、ユニクロも英語を社内の公用語にすることを発表した。

1. ユニクロ:新世界戦略 英語公用化…12年3月から

2. 三木谷浩史・楽天会長兼社長——英語ができない役員は2年後にクビにします

すべての部署で英語を日常的に使用する必要があれば、当然社内の公用語は英語にすべきだと思う。しかし、実際は特に英語を使う必要のない部署も当然ある。楽天にいたっては、会議に日本人しか参加していなくても、英語を話す必要があるとのことだ。

一体の何のためにこんな馬鹿げたことを言い出しているのだろうか?

英語を話せなくても仕事ができる優秀な人材はたくさんいるだろうし、彼らの能力を最大限生かす努力をすることは雇う側の責務である。英語がまったく必要ない部署にいて、飛び抜けて能力が高いにも関わらず英語が出来ないばっかりに「仕事が出来ない人」というレッテルを貼られる人も出てくるだろう。

英語が出来なくても通訳を付ければ、コミュニケーションは成立させられる。本当に優秀な人であれば、会社としてその人間のために通訳の一人手配することぐらいは何の負担でもないはずだ。

会社は人のためにあるべきであり、会社のために人があるわけではない。楽天の三木谷社長のインタビューを読むと、完全に社員を道具としてしか見ておらず、その道具を自分の野望のためになるべく有用なものとするために「英語をしゃべれない奴はクビ」と言っている風にしか聞こえない。

もちろん、英語習得を強要された側にもメリットはある。語学学習を続ける上で最も重要なことは、いかに必然性を自分の学習環境に作り出すかだ。その観点から言えば、楽天やユニクロに勤務している限り英語を話せないことには昇進は見込めないので、それが学習を継続できるモチベーションとは成り得る。英語をしゃべれるようになりたくても中々しゃべれるようにならない人は、楽天かユニクロに入社すれば否が応でも学習しないと出世は見込めないので、案外成功した英語学習者にはなれるかもしれない。

そして、英語が話せるようになれば、外国人とのコミュニケーションを取ることによって、見識が広がって人生がより豊かになるだろう。

だが、会社としてどの程度まで社員の英語学習をサポートしていくのか疑問だ。特に三木谷社長のインタビューからは、「英語が出来ない奴=仕事ができない奴」という公式が彼の頭のなかを支配していることは明白なので、たかが英語ぐらい自分で勉強しろと言っているような気がする。さらにユニクロのようにTOEIC700点以上という明確な学習目標を提示しているわけではないので、彼が言う「英語が出来る」ということは一体どのレベルを指すのかということも明確になっていないことも大きな問題だ。

TOEIC700点ならば、誰でも勉強すれば取れるスコアだと思う。だが実際に英語が特に必要ではない部署の人たちにとっては「英語をマスターする」という目標が「TOEIC700点取得」という目標にすり代わり、TOEICで高得点が取れるようなテクニックばかり勉強して、結局は英語が話せないという人間が量産されるだろう。

仕事で英語を使うためのアセスメントとして提示するならば、TOIECのようにスピーキングテストがないテストを使用するのは致命的なミスだと思う。ケンブリッジ試験やベネッセのGTECなどスピーキングテストが組み込まれたテストを使用すべきだろう。

革新的なデザインや優れたビジネスアイディアを生み出すための時間が、本当は必要でもなんでもない英語を習得するために費やさなければいけない人たちに対しては心から同情する。

そのような人たちにとっては、英語なんてスキルは犬にとって「お手、おかわり」を覚えさせられるようなことだろう。実生活においては必要ないスキルだが、習得できないとおまんま食い上げというわけだ。

英語なんて習得に阿呆みたいに時間がかかるスキルは、本当に必要な人かいかなる理由であれ心底英語をしゃべれるようになりたいと思っている人たちが身につければいいと思う。「上からのお達し」により英語を勉強する羽目になった人たちが、その中途半端な学習意欲により結局は失敗して、また大量の「英語難民」を作り出さないことを祈っている。

(たしかに三木谷社長の英語は素晴らしいです。でも自分が出来るからといって、ほかの人間も同じように出来るとは限りません。彼は自分自身が飛び抜けて優秀であるということを自覚していないのではないでしょうか?)

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2010年6月26日 (土)

どうしてみんなフットボールに熱狂するのか?

誰も予想していなかったが、日本がデンマーク相手に最高のプレーを見せて、見事一次リーグを突破した。カメルーン戦では低調の試合内容で海外メディアからはひどい評価を受けた日本だったが、この試合では非常に好意的な評価を得ることが出来た。

”A disappointing match, if only because Japan were so very, emphatically superior where I had been anticipating a real battle.”英国ガーディアン紙
(日本があまりに素晴らしかったので、ガチンコ勝負を期待していた私にとっては残念なゲームだった)

まさかこのような素晴らしい試合内容で勝ってしまうとは、本当に驚きだった。この勢いがあれば、岡田監督が目標に掲げていた「ベスト4」も、にわかに現実味を帯びてくる。当初は誰もが失笑をしていた目標だったが、今となっては誰も笑わない、いや笑えない。

サッカー熱が日本列島を支配しているが、なかにはサッカーなんて全く興味がない人たちもいるわけで、その中の一人に「サッカーのなにがそんなに面白いの?」と言われて、理由をいくつか考えてみた。

1. 手を使わず足でボールを扱うスポーツなので、それだけ不確実性が高まり、プレーの幅を広げている。

2. 11人のチームプレイなので、必ずしも身体的に優れているチームが勝つとは限らない。

3. 1足す1が3や4になる場合もあり、また1になる場合もある(今大会で前者が今の日本であり、後者はカメルーン代表だろう)

カンヌでパルムドールを2度も受賞したユーゴ人映画監督エミール・クストリッツァは「ピクシーのフェイントの美しさはほとんどのユーゴ映画よりも価値がある」とかって名古屋グランパスで活躍したストイコビッチのプレーを讃えた。(こちらの記事を参照)

たしかに彼のプレーは一個の完成された芸術であり、日本で活躍した外国人プレイヤーのなかでもその技量は突出していた。

このように人々に感動を与えるほどの高い芸術性を持ったスポーツはほかにない。

高い芸術性を内包していることがこれほどまでに人々をサッカーに熱狂させる最大の理由なのかもしれない。松井大輔のプレーのひとつひとつに「オシャレ」さを感じるのも、本田圭佑の骨太い体から繰り出されるシュートされたボール自体に何かしらの意志を感じるのも、芸術のなせる業なのだろう。

サッカー観戦のせいで寝不足の毎日だが、4年に1度のことであり、また日本が今後これほどまでに最高の状態で決勝トーナメントに進むことはそうそうないので、これからも応援していきたい。



(フットボールをこよなく愛する男の物語。洋書ですがNick Hornbyの英語はとても読みやすくお薦めです)

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2010年6月24日 (木)

昔からわがままな人間だった・・・・社会的に有用な人間とは。

正直に告白すると、生まれてこの方人の役に立ちたいなどという殊勝なことを思ったことはない。そして、そんなこと今後たとえ思っても、公の場でそのような恥ずかしいことを言うことは曲がり間違ってもないと思う。

人の役に立つということは、まず前提条件として「自分がなんらかの形で人の役に立つスキルを持ち合わせおり、恐れ多くも自分以外の他人のために貢献できる」という大それたことを思い抱いているわけである。

たいていの場合、自分自身の人生すらままならない。自分の能力に自覚的であり、それを使って自分自身の人生に役立てて、楽しく生きていくことすらかなりの労力を要する。さらにその上「人様の役に立つ」なんてことには考えも及ばなかった。

もちろん、ソーシャルビジネスを企業理念とする会社を立ち上げ、雇用している先生たちに「最高の労働環境」を提供したり、フィリピンの経済的に恵まれない学生たちを支援してはいる。でもそれはあくまで利己的な思いが発端となっている。自分自身が全責任を負っている会社において、そこで働く人も楽しく働いてもらわないと気分が悪いし、その人たちを雇用している国で本人の責任でもないのにチャンスを与えられない人たちがいるのも、どうにも気分が悪い。

それに同じ志の人が何十人か集まり、月ほんの数百円の負担で半年くらい経てば高校生1人を1年間サポート出来るようになるのは、なんとも気分がいい話ではないか。
(詳しい仕組みはこちらから)

社会のためや誰かのために自分自身を犠牲にする気持ちなんてさらさらないし、それを人に強いることなんて絶対にしたくない。フィリピンという国全体の経済の発展のために捨石となって尽くす気持ちなんて、これっぽちもない。よその国より自分が住んでいる国のほうを取りあえずは大事にしたい。

自分自身が楽しいと思うことを突き詰めて考えた結果、それがたまたまソーシャルビジネスという形に集約されただけである。いくつかの素晴らしい出会いと多くの幸運に恵まれ、今のところ結果も伴っているが、おそらくまだまだ自分たちのポテンシャルを最大限発揮しているとは言い難いと自覚している。

不特定多数の赤の他人のことよりも、自分が立ち上げた事業を通して関わりあった人たちを大事にしたいと思っている。

ああ、なるほど! 漠然と「人の役に立ちたい、社会貢献をしたい」などと臆面も無く言っている人たちに対してイラつきを覚えるのは、その対象が明確になっていないからだ。人の役に立ちたいなどど言っている暇があれば、自分の役に立てと思うし、自分の役に立てるようになれば、今度は周りの人間にとって有用な人間になるように努めればいい。

社会なんて、放っておいても回る。社会全体にとって有用な人間になるには、それこそ並大抵の努力では無理だろう。それを自覚していれば、恐れ多くてアホ面さげて「人様の役に立ちたい」などとけっして言わないはずである。

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2010年6月23日 (水)

はじめはみんなビギナーだった・・・・・・

三十を過ぎてからテニスを始めた。きっかけは今となっては定かではない。迫り来る老いへのささやかな抵抗だったのかもしれないし、単純に運動不足を感じていたからかもしれない。それまで一切テニスには興味もなかったし、プレーしたこともテレビで試合も見たこともなかった。ただ突然、ふとした瞬間にやってみようと思い立った。

そうして、5年が過ぎた。今ではごく平均的なプレイヤーとなり、そこそこ楽しめるくらいにはプレーは上達した。特に特別な努力をしたわけではない。週最低1回テニススクールでプレーし、週末はテニスサークルのようなもの行くようにしてなるべくテニスをする機会を増やしただけだ。トーナメントに出て勝ちたいとか、ウルトラサーブを入れたいなどという野心もない。一緒にテニスをプレーする人たちと楽しくプレーできればいいという、ごくささやかな望みしかない。

テニススクールでは何人ものコーチに教えてもらったが、「教え方が上手い」と思うようなコーチには2人しか出会わなかった。初めてテニスを教えてくれたコーチと、次にテニスを教えてくれたコーチだ。最初の出会いが良かったからこそ、続けてこれたのだろう。

テニスコーチになるような人たちはみなテニスは当然上手い。すこぶる上手い。それでも教え方はとても下手な人が多い。誰もがプロを目指してプレーしているわけではないが、彼らの中の完成形はどうしてもテレビで見るようなプロテニスプレイヤーになるらしく、それを引き合いに出してよくダメ出しをされた。

そもそもテニスが上手くないからスクールに通うのであり、そんなに上手ければスクールなんて行く必要はない。人それぞれ身の丈にあった目標を抱いており、自分のなかの理想形を押し付けられても困ってしまう。一番いやだったコーチは、こちらが出来ないことばかり指摘し、それを無理やり矯正しようとするコーチだった。

「それが出来たら、始めからスクールなんて来ねえよ、バカ」と心の中で悪態をつきながら、仕方がなく彼の練習に1回だけ付き合った。当然、そんなコーチは生徒から人気があるわけがなく、彼のクラスはいつも閑古鳥が鳴いていた。こちらはあくまで金を払う側の人間であり、彼らは我々をエンターテインする必要がある。そんなシンプルなことですら、彼のような人間には理解出来ないらしい。

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、今挙げたようなことはすべて英語学習にも当てはまる。誰もがネイティブスピーカー並の英語力(=プロテニスプレイヤー)など目指す必要はなく、身の丈にあった目標を設定し、そこにたどり着くためには粛々と学習を続ける必要がある。

そうして間違いばかりを指摘するのではなく、こちらのスタイルを理解し、それに沿った教え方をしてくれる先生(=コーチ)を見つけることだ。スクールに通っているのだから、まずは「英語を上手く話せない」ことは前提条件となる。そのような人たちをどのように勇気付けて、間違いを怖れず話せるように導けるかは先生に懸かっている。

そうしてお金をもらっている以上、その時間はお金を払っている側にとって「楽しい時間」である必要がある。もちろん、ただ享楽的な楽しさではなく、「内から沸き上げるような喜びの感情」を共有する必要があるのだ。毎回そのような喜びがあれば理想的だが、実際そこまでたどり着くには多少時間がかかる。でも、方向性さえ合っていれば、やがてそのような時はくるはずだ。

テニスとは、ただラケットを振ってボールを打つというとてつもなくシンプルなスポーツだ。そして、そもそもあらゆるスポーツはごくシンプルな原理によって支配されている。サッカーはボールを蹴ってゴールを決めるスポーツだし、ゴルフは犬のように打ったボールを追い掛け回して穴に入れるスポーツだ。

それらと比べると英語は仕組み的には恐ろしく複雑だ。だが、複雑なだけに間口は広い。シンプルな仕組みのスポーツは圧倒的な優劣の差がついてしまうが、英語はそれほど目に見える圧倒的な差は出にくい。それに言ってしまえば、英語に勝ち負けは存在しない。自分が設定した目標に到達できるかどうかに懸かっている。

そういう意味では英語学習に似ているスポーツはマラソンかもしれない。粛々と自分が設定したタイムに向かって一歩一歩踏み出していくスポーツ。そこに美しさやカタルシスがあるわけではないが、ある種の自己満足に似た達成感が味わえる。

「コミュニケーションを成立させる英語力」という目標に向かって雨の日も風の日も、こつこつと一歩一歩マラソンランナーのように走り続けることが英語上達の一番の近道なのだろう。


(マラソンというスポーツを通して語られる村上春樹の哲学。体力があるからこそ、あれほど長大な物語を書き続けることができるのだろう。春樹さんが嫌っている三島由紀夫はボディビルを選び、あくまで自然体な春樹さんはマラソンを選んだ。どこか示唆的な事実だ)

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2010年6月22日 (火)

サラ先生について

今日はサラ先生の近況を知りたく、SKYPEで話した。彼女はワンズワードオンラインでは最年少の先生だが、その若さに関わらず非常に聡明な女性だ。英語教授法の国際資格であるTESOLも取得しており、とても実力のある先生でもある。

ジャーナリストとしての一面も持っており、100万人の英語コラムでもコラムも書いてもらっている。これからが楽しみな先生だ。今後、グループレッスンの回数を増やす時に彼女にも担当してもらうよう頼み、スケジュールに関しても調整してなるべくオープンにしてもらうよう頼んだ。

ワンズワードオンラインのスケジュールは各先生が自由に入力できるようになっており、彼らの自由裁量によって決定される。だが、そうなるとどうしても早朝や夜23時スタートのレッスンについては先生が足りなくなるので、これについては今後なんらかの対策が必要だと思っている。

一部の先生などは23時のレッスンをした翌日に早朝6時スタート(フィリピン時間の朝5時)のレッスンを担当しているので、体力的にかなりきついのは確かだ。だが、たいてい昼間の時間はゆとりがあるので仮眠や休憩を取って、体力的に無理がないように調整をしてもらっている。

サラ先生にもなるべく夜の時間をオープンしてもらうようお願いした。先生を新規採用するのはどうしても時間がかかるので、既存の先生にもなるべく協力してもらい、彼らの時間をフル活用したいと思っている。

今年の8月にフィリピンに行く予定なので、そのときにみんなで会おうとサラ先生と約束した。今から彼らに会うのがとても楽しみだ。

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2010年6月21日 (月)

先生としての資質: Skype面接を通して

今日はワンズワードオンライン始まって以来、1日に2回もSkype面接を行った。多くは書類面接とフィリピンスタッフによる1次面接で落ちてしまうので、僕が担当する最終面接にはほとんどたどり着かない。だから、1日2回もの面接は今回が初めてだ。

最初の面接は21歳にして大学院に通っている才媛だった。元々、Ego Ugan三姉妹のご両親の知り合いの娘さんで、彼らがオンライン英会話スクールで先生をしていることを聞きつけ、「自分の娘をぜひ!」という母親の強い推薦で今回の面接に至った。

このエントリーでも書いたように元来、若者に対しては偏見があるので、今回はなるべくニュートラルな気持ちで面接に臨むように心がけた。

彼女は両親の期待を一心に受けて、今まで順風満帆の人生を送ってきたがことが伺い知れるくらい真っ直ぐで素直な人だった。きっとまさか自分が面接で落とされるなんて夢にも思っていないのだろう、その自信に満ちた目は眩しいくらいだ。

彼女はとても優秀だと思う、でもそれは同世代の人たちと比較したときの話であり、ワンズワードオンラインで雇用している先生たちと比較したら、足元にも及ぼない。Marie先生は圧倒的な頭の良さとその吸収力の速さは抜群だし、Shawie先生は暖かい母性を随所に感じさせて人を穏やかな気持にさせ、Sarah先生の人間的なクオリティの高さは一目瞭然だ。

とっとと面接を切り上げるために最後に「なにか聞きたいことや言っておきたいことはありませんか?」と彼女に聞いてみた。そしたら彼女は「私は本当は土曜日働けるのだけど、家族がどうしてもダメだと言っています。土曜日は家族と過ごすべきだと言っているので、残念ながら土曜日は働けません」と言われた。

僕の頭の中は、「知るか、そんなこと」という怒りに満ちたコメントに支配されていたが、彼女よりもアダルトな人間として、微笑みながら僕はこう答えた。

ノープロブレム!(日本語訳:全然いいよ、だってあなた不採用だから、残念!)」

二人目はオンライン英会話スクールでの経験はないが、コールセンターでスーパーバイザーとしての勤務経験があり、カスタマーサービスに精通している女性だった。彼女にはいくつか質問をしたが、どれもその答えが長く、的を得ていなかった。

質問に対する答えが長すぎるということは、その答えを吟味せずにただ思い付いたことを話しているに過ぎず、答え自体を本当は持ち合わせいないということの裏返しである。

僕がした質問は「生徒さんのなかには英語をほとんど話せないビギナーもいるが、その生徒さんに英語を教えるに当たって必要なことはなんだと思いますか?」というようなものだ。

彼女はやれ自己紹介をしたりテキストに沿ったりして教えることが大切だと言い放ったが、僕の中の答えは「忍耐力」だった。なぜならば、ビギナーの方々に対してはじっと彼らの話に聞き入り、彼らが話したいと思うことをその拙い英語から推理して正しい英語に翻訳するという作業が重要だからだ。

僕の留学先であるエディンバラで家庭教師をしてくれたサイモンはよく「Filling the gaps(意訳:行間を埋める)」という表現を使い僕の拙い英語を辛抱強く聞いてくれた。文法的にも間違っており使っている単語も正しくなかったが、彼はなんとか僕が本当に言いたいことをよくぞそこまでというほど理解してくれた。忍耐力と人に対する知的好奇心の賜物だと思う。

もちろん、自分が思っている答えが絶対的に正しいと思っていない。もっと違う意見もあるだろうし、もしかしたら自分が間違っている可能性だってある。だが、せめて質問の意図を理解し、きちんとした自分の答えを答えて欲しい。

そうして、見事合格者ゼロ!(泣)

会員数も順調に増え続けており、それに伴って雇用する先生の数を増やしたいのは山々なので、何も好き好んで不採用にすることはないと思うが、ワンズワードオンラインのポリシーは「ワンズワードオンラインに所属するすべての先生は優秀な先生である」なので今回は二人とも不採用にした。

厳選した人たちを最終面接に回してくれるフィリピンスタッフには本当に申し訳ないと思うが、妥協はできない。若干の罪悪感を感じながら・・・・・・・次こそはきっと良い人が見つかるだろうと願っている。

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2010年6月20日 (日)

ワンズワードオンライン顧客満足度調査

ワンズワードオンラインをスタートさせて約半年ほど経過したので、その顧客満足度を計るためにアンケートを実施した。結果はすこぶる良好で、皆様が弊社のサービスに満足していただいていることを改めて確認できた。

もちろん、改善点はまだまだあるが、方向性自体は間違っておらず、今後はサービスを進化というよりは深化させていき、より高い満足度を得られるように再度サービス内容を見直していきたい。

ワンズワードオンラインがこれほどまでに高い支持を受けることができたのは、優秀な先生たちが質の高いレッスンを実施していることに尽きる。そして、そのことを十分に理解し、彼らが働きやすい環境を作り、やりがいを感じられるような労働環境を整えたことがサービスのクオリティをより高めることとなった。

ビジネスありきではなく、先生ありきでスタートしたサービスなので、 それが可能になったのだと思う。これは最近つくづく思うのだが、ただお金儲けやビジネスとして考えたらとてもではないが「オンライン英会話スクール」のような人を介したサービスを行えない。ただ単純に考えて割に合わない。物販などなるべく人を介さないビジネスのほうが手っ取り早く不特定要素が少ない。

日本の英語教育についての問題意識と、オンライン英会話スクールで働く先生たちのあまりにひどい労働環境の改善ということが念頭にあったからこそ、このスクールを立ち上げられた。

先生たちと話すとき、彼らは僕のパートナーであり、お互い対等な立場で話せるように促進している。(まあ、なかには調子こくやつもいるが、それはそれでありだと思う。でも調子こき過ぎるとクビというシビアな処置を待っている。「最高の労働環境」は提供するが、その先には顧客を満足させるという目的に対する結果が伴なう必要がある。なぜ自分たちが高待遇を受けているのか自覚する必要があり、それはこちらが教えられることではない)

お互いプロフェッショナルとして対等であり、友人同士のようになあなあの関係にはならないように気をつけている。そして、それが非常にとても難しいことだと互いに理解しているので、今のところ絶妙なバランスでその関係が成り立っている。

世の中のあらゆる出来事が流動的であるように、ワンズワードオンラインも色々と変化していき、サービスの提供の仕方も変わっていくと思う。しかし、ひとつだけ変わらないことがあるとすればワンズワードオンラインとは「先生ありき」のサービスであり、語学を習得する唯一無二の公式は「優秀な先生との出会い」であるという信念だ。

どんなにテクノロジーが発達してもそれだけは今後変わることはないだろう。そして、その出会いの場をプロデュースし、教える側と教わる側の両者にとって、よりメリットが高められる存在として「ワンズワードオンライン」が存在していければといいと思っている。

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2010年6月18日 (金)

原節子さんのお誕生日に寄せて

多くの人にとってどうでもいいことなのか知れないが、小津映画のミューズであった原節子さんが90歳の誕生日を昨日迎えた。そして、それが英国ガーディアン紙に取り上げられていた。

海外の人にとって日本映画と言えば今では「北野武、宮崎駿・・・・・もっと詳しい人にとっては三池崇史、青山真治黒沢清」ぐらいだと思うが、一昔前は「小津安二郎、溝口健二、黒澤明」の時代だった。(ちなみになぜかフランス人は青山真治の「ユリイカ」が大好きらしく結構な頻度でその話題になる)

日本にいると海外の人から見て日本という国がどのような国だと思われているか、無自覚になっている場合がある。もちろん、未だにサムライ、ゲイシャのイメージ、もしくはテクノロジーの国と見られているケースはあるが、質の高い映画それに漫画を輸出する国として結構高く評価されている。

今でこそ北野武映画が世界的に評価が高いが、それはあくまで「小津安二郎、溝口健二、黒澤明」が確固たる地位を築き上げ、その同じ文脈で語られているに過ぎない。特に小津映画と北野映画の類似点を指摘する評論家は多く、彼らが多用する空のショットになどについて熱く議論されている。

僕は10代の頃、「好きな女性のタイプは?」と聞かれたら迷わず「原節子」と答えていたほどのマニアだった。正直、演技はうまくはなかったが、その誇り高き気品というものがスクリーン全体から漂ってきており、神々しいほどの存在感があった。

日本のこのような誇らしき映画の歴史も知らずに、海外でよく日本のことを卑下している日本人を見かけるが、それは間違った認識と言える。これほど豊穣な映画の歴史を持つ国はじつはなかなかない。スピルバーグもカンヌでパルムドールを二度獲得した今村昌平監督の大ファンであることを公言しているし、タランティーノの日本映画フリークぶりはつとに有名だ。(彼は深作欣二を始めとして、石井輝男、三池崇史などの日本映画が大好きで、彼のほとんどの映画で日本映画へのオマージュが散見される)

別に今更「自国に誇りを持て」などと時代遅れなことは言わないが、外国人とコミュケーションを成立させるにあたり、自国のことを語れない人間はかなりの高い確率で相手からナメられる。映画でも漫画でも、はては茶道でも華道でもなんでもいいが、自分が情熱を燃やせる国産品をひとつ持っておくと、外国人とコミュケーションは取れやすい。

西洋かぶれ(これも死語か?)がかっこいいと思っている時代錯誤の人間はいつまで経っても外国人とまともにコミュケーションなど取れないだろう。

では、改めてこう言おう。
「原節子さん、お誕生日おめでとうございます」

あと10代の頃、鎌倉近辺をさまよい歩き、この辺りに住んでいるのだろうかなどと思いながら、周辺をうろつき回ってごめんなさい。

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2010年6月17日 (木)

若くて優秀な人材求む!

タイトルにあるような求人広告をよく見かけるが、これはあらゆる意味において間違っている。ひとつは「若ければ若いほどどうしようもなく愚かで、自分のことしか考えておらず、頭でっかちの分からず屋」という事実だ。

二つ目に、本当に若くて優秀な人間はそのような求人広告に目を向けず、もっと的確な表現を用いている求人広告に心惹かれる。さらに付け加えるならば、後天的に「優秀な人間になる人たち」は当然のようにもう若くはない。

若い人間を募集するのは、単純に人件費が安いからに他ならない。このような広告のいわんとすることは次のことである。

「安く働いてくれる人募集!出来れば若ければ若いほどいい。それなりに年を取っているにも関わらず使えないと目も当てられないが、若ければなんとかなるかもしれない」

なぜこのようなことを思ったのかいうと、ワンズワードオンラインで雇用している先生たちの平均年齢がほかのスクールよりも著しく高いからだ。そもそもうちの場合、「卵か先か鶏が先か」という理論で言うと、もう圧倒的に鶏だ。鶏というよりはむしろ闘鶏並である。(そして、すでに何羽か飼ってもいる・・・・あえて名前は出さないが)

若くて優秀な人間がいれば、もちろん雇用する。だが、めったにいないことは事実だ。若いとたいていの場合めんどうな奴が多い。それに誘惑が多い年頃の人たちが、腰を据えて頭にヘッドフォンマイクなんぞを付けて、おとなしく家で外国人相手に英語を教えるということは、ほとんど奇跡に近い。

自分が20代の頃を思い出しても、それはよく分かる。週末は友人たちと飲み歩き、平日の夜は友人たちとチャットや携帯電話で無駄話に興じるというのが彼らの本来の姿だ。そんな彼らにプロフェッショナリズムを求めるのはお門違いである。

普通の会社でも「おい、今度の新入社員すごいぞ!うちの部長よりも仕事出来ちゃうんだよ!」なんてことは聞いたことがないはずだ。

だいたいにおいて年を取ると、ろくなことがない。体力は衰え、目は霞み、新陳代謝が悪くなるので豊かな脂肪が付き、頭もボケ始める。肉体的には本当に何一ついいことがない。だからこそ、ひとつやふたついいことがあってもいいのではと思う。それが年を取るにつれて、賢くはなるということだ。もちろん例外はあるが、多くの場合これは当てはまる真実だと思う。せめて、それくらいいいことがないと年など取りたくはない。

自分自身、10年前に今と同じようなことが出来ていたかというと、全く無理だったと思う。今と同じ立場だったら先生たちに向かって平気な顔して「馬車馬のように働け」と言っていたかもしれない・・・・・まあそれはないとは思うが、口が裂けても「最高の労働環境を提供する」なんて殊勝なことは言ってはいないはずだ。

10年というスパンで考えると、人がいかに変わるかということに本当に驚かされる。だから、20代の人たちを相対するときは10年後の彼らの姿を思い浮かべながら接すると、少しは彼らのことを許容出来るようになるかもしれない。今度、20代の人を面接するときは「うぜえ」などと思わず、少しは優しい気持ちで面接しようと思っている。そう、こうして人は少しだけ賢くなっていくのだろう。

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2010年6月16日 (水)

英語で変わる世界の見方:読み物として日本の新聞はどうか?

いつから日本の新聞を読まなくなったのだろう。
朝日新聞、日本経済新聞など色々試したが、どれも読み物としてつまらない。そもそも読み物として新聞を読むのが正しい新聞の読み方がどうかは分からないが、ずっとそのようにして新聞を読んできた。

新聞に夢中だったのは中学生の頃だ。その頃は新聞かテレビしか、外の世界を知る手段がなかった。朝刊を隅々まで読んだあとは、夕刊が届くのを今か今かと待ちわびた。社会欄をもとより、経済欄までくまなく読み、社説なども興味深く読んだ。

それは19歳でスコットランドに留学するまで続いた。そして、それ以降はそれほど日本の新聞を熱心に読まなくなった。なぜならイギリスの新聞のほうが読み物として断然面白かったからだ。23、24歳の頃はロンドンに滞在し、毎日のように階下にあるニュースエージェントでガーディアンという新聞を買っていた。そして日曜日になるとオブザーバーという新聞を半日以上かけて読むのが習慣だった。

ロバート・レッドフォードを取材した女性記者は、彼が自分にだけ紅茶を注ぎ彼女には注いでくれかったことを揶揄し、やっぱり嫌なやつだと断罪し、ジョージ・クルーニーを取材したまた違う女性記者は彼と同じホテルに滞在して、「今度自分が監督する映画の脚本を見せたいから部屋に行っていいかい?」と言われ狂喜乱舞したことを新聞紙上で告白した。

また作家ハンター・S・トンプソンと彼のトレーラーハウスで3日間生活を共にした記者は、プライベートの問題の悩みを彼に打ち明けて、彼の暖かい言葉でずいぶんと救われたことを記した。

彼らが書く記事はどこまでも主観的であり、ウィットに富み、そして皮肉に満ちている。日本の大新聞があたかも自分たちが公平性に満ち、客観的な立場を貫いていると自負していることと非常に対照的だ。

人間はあくまでも主観的な生き物だ。絶対的な客観性を持ち得ることはまずあり得ない。そういう意味では新聞は、どこか恣意的にならざるを得ないわけだ。

日本とイギリスではそもそもジャーナリズムの定義からして違うのだろう。それに英語という言語は「主語」を使わないと成り立たない言語であることも、彼らをより主観的なものの見方に駆り立てる。日本では署名記事はめったにないが、イギリスでは署名がない記事はない。人間誰しも間違えるし、あくまでそれは人が書いた記事であることを前もって書き記すことにより、読む人々もただの一人の人間の意見として受け入れることができる。

日本の新聞を読んでいると、あたかも「新聞」という生き物がそれらの記事を書き記しているかと錯覚してしまう。そんなものは存在しないし、絶対的に中立的な立場を保持することは不可能だ。

そして、われわれはもう「味のしない生ぬるいスープ」のような記事を欲っしていない。もっとクリアでエッジの効いたスープが飲みたい。ネットの世界にはそのような記事がたくさんアップされているので、必然的に情報を取得する手段として、ネットに頼るわけだ。

なにも新聞というメディアが死んだなどというつもりはないし、これからも生き残っていくだろう。だが、今の形のままでは無理だ。日本の新聞はネットのせいで力が弱まっていくのではなく、その記事の求心力のなさでどんどん力を弱めていっていることに気づくべきだ。

たとえネット上ですべての記事を閲覧可能にしても、それほど読者を獲得できると思えない。なぜなら、読み物として圧倒的につまらないから。記事を検閲しすぎて、まともに意見を言えない仕組みを是正しない限り、今後も読者は減り続けるだろう。

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2010年6月15日 (火)

ワールドカップ初勝利!海外での評価

4年に1度のお祭、FIFAワールドカップが開幕し、昨夜日本が記念すべき1勝を挙げた。高校の頃、僕はサッカー部だった。そんな僕は深夜帯でサッカー中継をよく見ていたが、当時の日本サッカーを知る人間として、日本がよもやカメルーンのような強豪にワールドカップという大舞台で勝利することができる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

両チームが入場するときに、ピチピチのユニフォームを着たカメルーン代表の面々が映し出されていたが、日本代表の面々とは明らかに違うレベルの筋力とバネを持っていた。個々の勝負では相手にならないだろう。しかし、サッカーは集団スポーツだ。1足す1が、3にも4にもなる、それがサッカーの醍醐味だろう。あんなに体格の差があるにも関わらず、ワンチャンスをものして日本はカメルーン相手に勝利するという番狂わせを演じてしまった。

カメルーンの出来の悪さにおおいに助けられ、特に右ウイングにエトーを配置するという愚かなフォーメーションのおかげで、カメルーンは得点のチャンスがほとんどなかった。
(エトーにはサイドで何度か突破されたが、あれがバルセロナやインテルのときのように中央でプレーしていたら、結果は違ったものになっただろう)

世界のこの結果に対する評価に興味があったので、イギリスの新聞の記事を調べてみた。

1. 英国インディペンデント紙の記事 

There have not been many surprises at this World Cup but this probably counted as the biggest shock so far.(今回のワールドカップではそれほどの多くの驚きはなかった。しかし、この結果は今までのなかでは最大の驚きだ)

という文で始まるが、最後は「This was their first World Cup victory outside their own country and there were some who might have been happy to return home with just a point.」(この結果は日本にとって海外で開催されたワールドカップで初めての勝利であり、二敗一引き分けという結果でもハッピーな気持ちで帰国するファンがいたはずだ)

で締められている。ようは3ポイント(勝利)取るなんて日本のファンにとっては僥倖以外なにものでもなく、これ以上の結果は今大会においては望むべくもないと言いわけだ。暗にこれであなたたちはウルトラハッピーで国に帰れるでしょうということを示している。

2. 英国ガーディアン紙の記事

"This game is so soporific I am actually contemplating watching the James Corden World Cup Bonanza on ITV Player to keep me awake," writes John Reid. Don't be so ridiculous, man. Nothing's that bad. (このゲームはあまりに眠気を催すから、ITVの「James Corden World Cup Bonanza」を見て、なんとか寝ないようにしようかと考えているとジョン・ リードは書いている。おいおい、馬鹿なこと言うなよ。あれより最悪なものなんてないだろ)

これは記事というよりはツイッター的なつぶやきに近いので、かなりカジュアルな内容だが、それにしても言いたい放題だ。だが、自国以外の国がこんな試合内容でゲームを繰り広げていたら、確かにチャンネルを変えるか、ネットでもしながらぼんやり聞いているだけの試合だったかもしれない。

「ベスト4」を宣言している岡田監督に対して、イギリスのジャーナリズムは「あほか」という論調が多く、それが日本に対しての厳しい見方に繋がっている一面もある。

岡田監督の今回の布陣は「対カメルーン」のために徹底的に考えられたものであり、次戦どのような戦いをするのか全く見えない。かといってコンディションが上がらない中村俊輔を入れて、オランダに対抗できるわけでもない。結果、スタメンは同じメンバーでいき、後半は様子を見ながらマイナーチェンジしていくのだろうか。

今回の戦いでも岡田監督が徹底したリアリストであることが分かったので、次戦のオランダ戦はいわば捨て試合であると彼は認識していると思う。そうなるといかにデンマークに勝つかいうことが焦点になってくる。(日本に負けたカメルーンがオランダに勝つ可能性は限りなくゼロに近く、オランダが予選リーグを突破することは自明の理なので、残り一枠はデンマークと日本の争いになる)

いずれにせよ、次戦はとにかく守りに守って、失点数をいかに少なくするかだろう。最後はデンマークとの争いになることを考えると、2点以上は失点したくはないが・・・・・あの早くて強いアタッカー陣を防ぐ手立てがあるのだろうか。今回のようにワンチャンスをものにする可能性もあるにはあるが、もしそれが出来たらイギリスのジャーナリストも岡田監督の「ベスト4」発言を馬鹿に出来なくなるだろう。

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2010年6月14日 (月)

初のネイティブスピーカー!リッチー先生登場!

今日からリッチー先生が新加入した。ワンズワードオンライン初のネイティブスピーカーであり、男性の先生である。生まれも育ちもアメリカだったのだが、フィリピン人の女性と結婚したことを機にフィリピンに住むことにしたとのことだ。

話してみると、非常に控えめな性格で「とかく自分の優越性を主張しがちなアメリカ人」という先入観が見事に打ち砕かれた。仕事の関係で会ったことのあるアメリカ人は、ほとんどすべての人が「アメリカのルール=世界のルール」という感じだったが、リッチー先生はそんなことはおくびにも出さない。

元から控えめな性格なのだろう。大学での専攻が哲学というのも個人的にはとても気に入っている。哲学なんて、現代社会では何の役にも立たない学問だ。入社面接なので、ニーチェについて熱く語ってもたいてい不合格だが、最新の行動経済学について語ると合格したりするわけだ。(まあ、受けたことがないので実際分かりませんが)

Rich
(いかにもな善人顔です。話してみても、善人ですのでご安心ください。リッチー先生の好きな哲学者を今度聞いてみたいと思っています)

すでに非ネイティブスピーカーの人口がネイティブスピーカーの人口より大きく上回っており、英語を学ぶのにネイティブスピーカーだけに限る必要性など全くない。だが、様々な英語に触れるという観点から言えば、ネイティブスピーカーの英語にも触れる機会があるに越したことはないと思っている。(もちろん、ネイティブスピーカーであるということだけで採用はしない。個人的にはネイティブスピーカーどうこうはどうでもいいと思っている。あくまで先生としての資質にこだわり、その結果リッチー先生を採用した)

今後も優秀な先生を惹きつける魅力的な給与体系、待遇を維持し、彼らのやる気をどんどん促進していきたいと思っている。


(頭の体操としてとても面白い本です)

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2010年6月11日 (金)

本当の戦争の話をしよう

スコットランドに留学しているとき、50歳くらいの男性がクラスに一人いた。セルビアからの避難民だった。バスで学校に向かうときに彼が車から手を振って僕を呼び止めて、車に乗れと合図を送り一緒に載せてもらったことが何度もある。お互い英語がまだよく話せなかったので会話もままならなかったが、「どうしてこの人はこんなに親切なんだろう」と不思議に思ったことを今でも鮮明に覚えている。お互い特に交流もなく赤の他人も同然だったが、彼はなぜかとても優しかった。

クラスでアジア人は一人だったし、どこか孤立した立場だったのを思いやってくれたからだろうか?

チェコのプラハに一週間滞在したとき、とあるアンティーク屋さんに毎日通った。その店主の名前は確かミーシャと言った。彼もセルビアからの避難民だった。行く度においしいコーヒーを淹れてくれて、他愛もない話をした。僕は特に何か買うわけではなく、ただミーシャが持つやさしい雰囲気に惹かれて、その店に通った。ほかのお客さんが来ると、悪いので帰ろうとするいつも「慌てて帰る必要はないから、ちょっと待ってて」と言って僕を引き止めた。

戦争の体験談を語るわ その1
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1351.html
戦争の体験談を語るわ その2
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1352.html
戦争の体験談を語るわ 完結
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1353.html

この戦争体験談を読んで、その点と点が繋がり、なんとも言えない感情が沸き起こった。

人の痛みを知っている人ほど、人に優しくできるのかもしれないが、そんなことを学ぶためにこれほどまでの経験をする必要があるとは思えない。

Prague2010

(数年後、友人がプラハに行くので彼の店を紹介して、メーセージを託したが店は潰れてなくなっていた。ミーシャは元気にしているだろうか)

彼が戦争という言葉を口に出していうとき、苦虫を噛み潰したような顔をしていたことを思い出す。彼にとって戦争はあくまで経験に基づいたものであり、多くの人たちのように「抽象的な何か」ではなかった。彼の国のことを知るにつれ、そのことを思い知った。

今、生死も判然としないスレ主にはこの言葉を贈りたい。

「 Every child comes with the message that God is not yet discouraged of man.(生まれてくるすべての赤ん坊は、神はまだ人類に絶望してはいないという神からのメーセージである)

タゴール

(戦場のシーンが一度も映し出されることなく、戦争のどうしようもないほどの残酷さが描き出される。一遍の詩のように心に突き刺さる名作)

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2010年6月10日 (木)

「英語を話すこと」とコミュニケーションを成立させることの違い

英語学習者に時々見られるが「英語を話すこと」が第一義となっていて、コミュニケーションを成立させようということをおろそかにしていることがある。極論すれば、英語を話すこと自体どうでもいいのだ。ようは英語を話すことなくコミュニケーションさえ取れてさえいれば、それに越したことはない。(ドラえもんの翻訳コンニャク、あるいは高度に発達した音声認識エンジン、はてはテレパシーかそんなものでコミュニケーションさえ取れれば、英語を話す必要もない)

だが、そんなことは今は不可能なので、世界中の人たちとコミュニケーションを取りたいと思ったら、まずは毎日英語をしこしこと勉強するしかない。

オンライン英会話によるマンツーマンレッスンや英会話スクールでのグループレッスンでも自分たちがお金を払っている相手に対して、「英語を話すこと」を第一義に置くことはある程度仕方がない。英語学習初期にはただ話すことで上達できるスキルもある。しかし、「英語を話すこと」の本当の意義を見失っていては本末転倒だ。

海外、あるいは日本にいて外国人と話すとき誰もあなたに「TOEICのスコアは?」や「出身大学はどこ?」など聞きやしない。あなたが一体何者であるか、英語を使ってうまく表現する必要が生じる。英語を英語が話したいがために話すのではなく、相手に自分という人間を分かってもらうために話す必要があるのだ。

会社、大学、持っている資格など取り払ったときにあなたには何が一体残るだろうか?日本人同士だと所属している組織などをコミュニケーションを成立させる土台にすることができるが、外国人にはそんな前提は通用しない。だが、何か情熱を持って取り組んでいることがあれば、それを使ってコミュニケーションを成立させることができる。

英語さえ話せればコミュニケーションを成立させることができると勘違いしている人がいるが、実際はその逆なのだ。コミュニケーションさえ成立させることが出来れば、英語など話す必要がない。

多国籍の人間が集まる語学学校などにいると面白いことが起こる。クラスで人気者になるのは必ずしも英語が上手い人間ではなく、拙い英語でも愛嬌がありコミュニケーションを取ることが上手な人間だ。例えば「H」の発音をことごとく飛ばすフランス人の女の子などが人気者になり、みんなから好かれる。

相手とコミュニケーションを成立させることさえできれば、日本人訛りだろうが「R」と「L」の発音の区別がつかなかろうが、それはそれでありだと思う。自分自身のことを面白おかしく話すことが出来れば、発音なんてちっぽけなことはたいてい大目に見てくれる。世界は寛容なのだ。

ちっぽけな島国の価値観なんて、世界では通用しない。「世界平和のために英語を話そう!」なんてことまでは思わないが、自分が持っている価値観なんて所詮小さなものだと自覚するために、他国の人達とコミュニケーションを取ることはとても重要だ。

すべての争いごとは「自分は間違っていない」という無自覚から起こされるのだから。

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2010年6月 9日 (水)

ビジョン

クーリエ・ジャポンが主催する「森巣博 チューサン階級炸裂トークショー PART2~をもって貴しとせず~」というトークショーに昨日行ってきた。クーリエ・ジャポンで連載されているコラムは毎月楽しく読ませていただき、先日下記著書も購入して読んでみた。


全体的な感想は「なんだかつまんないな」というものだった。森巣氏はやはりトークよりも文章で表現する人なんだなと改めて強く思った。人を惹きつけるトークというのは、お笑い芸人的な要素を除くと、その人にビジョンがあるかどうかだと思う。今まで圧倒的なビジョンを持ち、そのビジョンにひどく感銘を受けたのは2006年ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏の講演だ。あまりに感銘を受けたので、それをわざわざ書き起こして自分のブログに掲載したくらいだ。

森巣氏は日本を憂い、問題点を鋭く指摘しているが、その先にある日本の姿をあまり明確に示してはいない。別にそれはそれでいいのだが、個人的にはその先の姿を描くビジョンを持つ人に心惹かれる。その中の一人であるユネスさんのビジョンに心惹かれるあまりソーシャルビジネスを企業理念とした会社を立ち上げたぐらいだ。

ユネスさんは自国の問題を解決するだけではなく、世界という大きなフレームのなかでいかに社会的問題を解決するかということに尽力している。日本という国にいるとどうしても視点がドメスティックになりがちだが、「世界」を視野に入れてビジネスを展開していくことがこれから生き残っていくうえでは大切な要素だと思っている。

博愛主義者ではないがみんなが楽しく働けるソーシャルビジネスというプラットホームは、今のところとても気に入っている。まずはワンズワードの初めての事業である「ワンズワードオンライン」を成功に導きたいが、その先に何があるのか今から模索していきたいと思っている。

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2010年6月 8日 (火)

ワンズワードオンラインについてのブログ

ワンズワードオンラインの生徒様は非常に英語学習に熱心な方が多く、そのなかでも何人かはブログでレッスンの様子を取り上げてくださっている。

1. 英語学習上達の道
(JOY先生が北斗の拳で例えると「ラオウ」という例えは秀逸です。たしかに「我が授業に一遍の悔いなし」なんて一日の終わりに言ってそうですね)

2. そこそこにほどほどに
(日々の英語学習の取り組みが書かれており、特に早朝からの英語学習には敬服です!)

3. ベリーダンスとオンライン英会話の日々
(ダフニー先生の容姿に対するコメントがけっこうツボにはまりました。週二回レッスンをぜひ実施していただき、記事にしていただくのが楽しみです)

4. 天使のキモチ 悪魔のキモチ
(マイポートフォリオに対する「鼻血が出そう」というコメントに私も嬉しさのあまり鼻血が出そうになりました)

5. Daily English practice!
(先生方も英検対策を入念にリサーチしているようなので、二人三脚で合格をされることを祈っています)

最近の日課はこれらのブログをGoogle Readerでチェックすることだ。レッスンの様子も事細かに書かれているので、とても参考になる。一時期、先生たちのレッスンをモニターするために、自分で彼らのレッスンを取ることも検討したが、たぶん向こうからしたらただのパワハラになるだろうから断念した。

その代わりに生徒様のブログで、レッスンに対する満足度をチェックさせていただいている。先生たちの意外な面も見られて、とても楽しい。まだやはりJOY先生に対する記事が多いが、今後会員増加に伴い、ほかの先生に対する記事も増えてくるのではないかと思っている。

先生たちにもWeb翻訳した記事を送り、定期的にフィードバックしている。顧客満足度を第一に掲げているので、ネット上でのこのような評判は非常に嬉しい。だが、これに慢心せずにさらなる顧客満足度の向上を心がけたいと思っている。

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2010年6月 7日 (月)

FACEBOOKで繋がる世界

最近、外国人と会って必ず交わされる会話は「FACEBOOKやってる?」というものだ。一度、FACEBOOKで繋がってしまえば、住所や電話番号それにメールアドレスを変更してもずっと繋がっていられる。

そして、昔の知り合いなどからも突然連絡があり、旧交を温めることもできる。僕がスコットランドの首都エディンバラに留学していたのは、もう15年も前のことなのだが、その頃に仲良かったフランス人のクリスティーヌからFACEBOOKを通じて連絡があり、今年の夏一緒にインドネシアに行くことになった。

元々、彼女は友達数人と一緒にインドネシアに行く予定があり、僕も友達と一緒にそれに便乗することにしたわけだ。

クリスティーヌとはエディンバラを離れたあともしばらく文通(もう死語か)をしており、彼女の実家にも遊びに行ったことがある。リヨンから車で1時間ほどの田舎町でご両親とおじいちゃんたちと一緒に過ごした。クリスティーヌ以外に英語を話せる家族はいなかったが、お互い笑顔というボディランゲージを駆使して、楽しい時を過ごした。

さすがにフランス人は異性の友人というカテゴリーの人間にも寛容であり、ものすごく歓待された。

それからお互い音信不通になり、10年ぶりに彼女からFACEBOOKを通じて連絡があり、会うことになったわけだ。

フランス訛りの英語というと、僕はいつもクリスティーヌの英語を思い出す。彼女はいつも英語を話すときにことごとく「H」を飛ばして発音し、そのたびに微笑ましく思ったものだ。

一緒に映画などを見た帰り際にいつも彼女はこういった。

「 Tank you! I'm going ome. 」
と。

きっとますますフランス訛りの英語に磨きがかかっているのだろう。今から彼女に会うのが楽しみだ。

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2010年6月 6日 (日)

iPadで変わる学校教育

My Life in MIT Sloanというブログに「出版社が早急に実現すべき電子教科書とは」というエントリーがアップされていた。遅かれ早かれ全生徒対象にパソコンが配布されることは避けられないと思うが、iPadのおかげでその流れが加速するのではないか?

だが、忘れてならないのは文科省は電子黒板という愚にもつかない時代遅れの代物に57億円もの予算を計上していた暗い過去がある。民主党政権のおかげで、事業仕分けの対象となったが(こちらの記事にその経緯が詳しくある)、このやり方を見ていると政府主導でのiPad導入はまず無理だろう。

影響力のある大学などがまずは導入していきその流れを作る必要があると思うが、学校現場にいる先生方がこの最先端のデバイス導入に両手を挙げて賛成するとは到底思えない。「新しいこと=厄介なこと」という図式が彼らの頭にあるので、相当な抵抗が予想される。

しかし、二歳半の子どもでも使いこなせるので、「パソコン苦手、クラウドって雲?」とか思っている化石頭の人たちにも iPadは使いこなせるのではないだろうか?

ちなみに小学校の教師をしているうちの姉の家にはダイヤル回線によるインターネットが導入されている・・・・・・ダイアル回線って、まだ存在しているのですね。

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2010年6月 4日 (金)

語学学習に役立つ自己否定について

毎日留学ナビで月一回連載しているコラムで書いたが、現地に行って言葉が話せないと、当たり前のことだが全く相手にされない。

それはもう見事なほど相手にされない。「ちょっとアレな人」的な扱いをされたことも一度や二度ではない。(緊張のあまり吃ってしまい、そのように扱われたのだと思う)

特に僕が留学していたイギリスは、その傾向が非常に強かった。完璧に英語が話せて当たり前で、それ以下だと残念な人というカテゴリーに入ってしまう。人間必要に迫られないと努力しないので、そうなってくるとお尻に火がつき、なにくそと思って勉強をする。

留学二年目に所属したCAE(ケンブリッジ大学上級試験)対策クラスは、ほとんどがドイツ系スイス人、あるいはスウェーデン人という英語教育が行き届いた国の人たちばかりのクラスだった。そのなかでアジア人は僕一人だった。最初はついていくのがやっとだったが、クラスメイトに恵まれてめきめきと力をつけていった。

だが、一人僕のことを馬鹿にしているスイス人がいた。彼はウースというとぼけた名前の大男だった。その彼は面と向かって「おまえのような英語力でよくこのクラスに入れたな。もっと下のクラスの方が良かったんじゃないか」と言った。しかも、本人特に悪気なしという感じで、そう言い放った。

だいたいにおいて英語教育がまるで機能していない極東の地、日本からはるばるやってきて、母語の文法がほとんど英語と変わらないと奴らと勉強するというのはとてつもないハンデなのだ。それをなんとかCAE対策クラスに入れるまで漕ぎ着けたのに、ひどい言われようだった。スウェーデン人なんて子供の頃から英語の番組を字幕なしで見ているのだから、ほとんどネイティブと遜色ない英語を話すし、スイス人は英語、ドイツ語、フランス語など複数言語を話す人が大勢いる。

しかし、神様はいた。
僕は見事CAEに合格し、ウースは不合格だった。ちなみにウース以外のクラスメイト全員合格した。ウース、カッコ悪。

英語を話せないことによって辱めを受け、侮蔑的な態度を取られることは多々ある。けれども、そうやって何度も自己否定されることにより人間強くなれるし、謙虚になれる。語学学習はそのように人格形成にも関わる得難い体験をもたらしてくれる。

これはどのようなことにも言えるが、自分よりもレベルが上の人と一緒にいると自分を成長させることができる。僕は自他共に認めるCAEクラスで一番の劣等生だったが、それが僕を謙虚にさせて人一倍頑張ることができた。なぜこのような完璧な発音で完璧な英語を話す人たちが英語を習いにスコットランドまで来ているのか訝しがったが、それはもうそれで仕方ない。そこには圧倒的な差が横たわっていたが、そこで自分を出さないと居場所がなかったので、割り切って彼らとも対等な気持ちで英語を話すようにした。

まずは自己否定し、そこから自己を新しく規定し直して、どんな人とでもコミュニケーションを成立できるように趣向を凝らすことが大切だ。英語力が相手よりも劣るのであれば、それはそれでコミュニケーションを成立させる術はある。

サバイバル英語でも世界を旅している人たちが大勢いるように、何事にも柔軟に対応することが完璧な英語を話すよりよほど重要だ。

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2010年6月 3日 (木)

グループレッスンの重要性

多くの英会話スクールが実施しているようにグループレッスンというのは中々ストレスが溜まる。民主主義と同じく「声がでかい」人ばかりが発言権を得て、内気な人間は「もごもご」とするばかりだ。

だからこそ、マンツーマンレッスンは効率良く、そういったストレスを感じることなく行える授業形式だと思っている。もちろん、マンツーマンというシチュエーションが緊張感を強いることは否めないが、グループのなかで発言するよりは緊張せずに慣れない英語を話せるだろう。

では、なぜワンズワードオンラインでは無料でグループレッスンを設けているのか?
それは下記の理由からだ。

1. 英語力の向上自体はマンツーマンレッスンで行うほうがより効果的だが、同じように英語を学んでいる人と触れ合うことにより、刺激を受ける。

2. 語学学習を問わず、どんな学習でも良きライバルを見つけることはとても重要。

3. 自分よりも数段上の英語力を持つ人を目の当たりにして、闘争心を燃やすことも時には必要。

4. リアルなシチュエーションでは、グループで会話することが多く、それに慣れるため。

5. 英語を母語としている人の英語を聞き取るよりは、ノンネイティブの英語を聞きとる方がより難しいし、実際にはそういう機会のほうが多い。

特に2番の「良きライバル」を見つけることは非常に重要だ。一人で学習するよりはライバルを見つけて張り合った方が長続きするし、効果は上がる。

また色々な国を旅して、彼らと混ざり合って痛感するのは、ネイティブだと話は通じ合うがノンネイティブ同士の会話はそれよりもはるかに難易度が高いということだ。スピーキングよりもリスニングのほうがスキル的には難易度が高いということも一因だと思う。

ああ、でも残念なことにグループレッスンの参加者は非常に少ない。
これをテコ入れするために今後は手を変え品を変えていく予定だ。自分の第二言語である英語を見ず知らずの人と話すのはとても恥ずかしいという気持ちは分かるし、それほど自分の英語力に自信を持てないという気持ちも分かる。

じゃあ、一体いつになったら自分の英語に自信を持てるのだろうか?

そんなときはいつまで経っても来やしない。ただ割り切って自分を押し通すしかない。誰もがネイティブ並の英語を話す必要はない。コミュニケーションを成立させるだけの英語力さえあれば、このグローバル化が進む世界で生き残っていけるのだから。

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2010年6月 2日 (水)

国の未来

鳩山首相が辞任するという。
民主党が政権を奪取したときの喧騒が懐かしい。いつの間に我々は民主党に夢も希望も抱かなくなったのだろうか。普天間基地、こども手当、事業仕分けと色々と話題を提供してくれたが、結局なんら自民党と変わらないから希望が持てなくなったのだろうか。

多くの人はご存知ないかと思うが、フィリピンでも先月大統領選挙が行われ、新しく故アキノ大統領の息子が当選を果たした。

日本もフィリピンも国の未来に関しては、全く希望が抱けないという共通点がある。片や電気、交通機関などの基本的なインフラ整備もままならない国と、ハイテクを駆使してGDP世界第二位に登り詰めた国を比べるのは気が引けるが、政治が酷いという補い難い共通点がある。

グローバリゼーションが叫ばれて久しいので、個々の国に関してとやかく言うのはすでに古い考え方だと思うが、まがりなりにもなんらかの関係を持った国々には少しは希望を見出したいと思っている。

そんな考えもあり100万人の英語サイトのコラムに「フィリピン:未来編」というコラムをアップした。

個人的にはフィリピンという国自体にそれほどの思い入れもなく、ある出会いがなければ素通りしていただろう。それが今や彼らと一緒にビジネスをしているのだから、つくづく人との出会いとは不思議なものだ。

今更、国に何を期待するのだろうか?正しい政治がどこかの国で行われたことがあっただろうか。これほどまでに個人の能力ひとつで出来ることが広がった現代で、国や政治ありきの生き方をするなんてことはあり得ない。

ただ一点、僕がどうしても許せないことがある。
それは教育の機会を奪われた人たちがこの世界にたくさんいることだ。それもあって、フィリピンのNPO団体REAL LIFE FOUNDATIONと提携し、ワンズワードオンラインの生徒様の寄付と売上の一部で高校生をサポートしている。そして、写真家としても国際的NPO団体「ルーム・トゥーリード」の活動に共感し、各イベントの撮影を無償で行っている。
(創立者のジョン・ウッドとのツーショットはこちらです)

個人の能力を国や政治などが無関係になるくらいに高めて、ゆくゆくは社会全体に寄与できれば最高だろう。その対象となる国が日本でもフィリピンでも、自分にとっては同じことだ。重要なことは大事に思っている人たちが暮らす場所を少しでも住みやすくしたいという想いだ。

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2010年6月 1日 (火)

追加レッスンチケットの大幅値下げについて

本日より追加レッスンチケット1枚1575円を1050円に値下げした。
正直、ほかに安いオンライン英会話スクールはたくさんあるので、この値下げによって新規会員獲得に繋がるとは思っていない。値下げをした理由は下記の通りだ。

1. 順調に会員数も伸びてきているので、その利益を既存の会員様に還元するため。

2. 時間が許せば週1回ではなく、週2回レッスンを受講してもらいたい。それだけの時間を確保できれば、先生たちが出す宿題、それに予習復習の時間を入れれば一週間を通じて英語に触れる機会ができるので。

3. 最近、担当の先生のレッスンだけではなく、ほかの先生のレッスンを受講する会員様も増えて来ているのでそれを促進し、またなるべくいろいろな先生の英語に触れたほうが英語によるコミュニケーション能力向上に繋がるので。
(そのためのレッスンの継続性を維持するために「情報共有ノート」をリリースした)

ボーナスレッスンチケット取得時には月5回50分のマンツーマンレッスンを受講できるので、追加チケットの購入枚数は最低3枚からにして、追加チケットを購入した月に消化すれば月8回レッスンが可能となるようにした。
(実際はチケット有効期間は60日間あるので、仕事などで時間が取れなくなったときには翌月に持ち越すことができる)

値下げしたからと言ってそれを先生たちに負担してもらうつもりは毛頭なく、すべてこちらで吸収する。今後、利益が増えるにつれて先生にもボーナスなどで還元し、彼らの頑張りに応えたいと思っている。

ここ2、3ヶ月のあいだずっと値下げのタイミングを計ってきたが今がベストだと判断し、それを実行に移すことにした。

値下げする金額に関してもこちらが値下げできる限界まで値下げし、その反応を見るという方法を取ることにした。一度、値下げしたものを値上げすることはほとんど不可能なので、ある意味賭けだが、人生そんなものだと割り切ることにした。

なんだか馬鹿にみたいに聞こえるが「みんながハッピー」でいることが自分にとってのハッピーなのだ。このみんなという対象は「本気で英語を勉強している人たち」と「英語を教えることに情熱を持ち、自分の生徒の英語力向上のために努力を惜しまない人たち」だ。

自分だけ利益を享受してもなにも楽しくない。「ワンズワードのおかげで英語を話せるようになった」、「ワンズワードのおかげでフィリピンに家が建った」と言われるようになりたい。そのための効果的な施策をこれからも打ち出していきたいと思っている。

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