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2010年1月28日 (木)

新しい社会

昨日は茨城の水戸まで行って来た。
仕事で地方に行く機会はよくあるのだが、地方に行くたびに思うのはその景色の均一性だ。どこも東京を薄めたような存在感しかない。もちろん、大阪や福岡のように地域色があるところはあるが、それ以外のもっと辺鄙な都市にいたっては、どこも同じような景色が広がっている。

水戸へ向かう電車のなかで19世紀に書かれた本を読んでいたのだが、そのなかに日本を訪れたイギリス人の著者が日本の風習を見て驚嘆する描写がある。文化的に見て、イギリスよりも日本のほうがより豊かではないかまで言い切っている。行く先々で多彩な文化的風習に彼は心底驚き、賛嘆の声をあげているのだ。

100年くらいまではそれぐらい多様性に富み豊かな社会だったわけだ。ここまで景色が均一になったのは、おそらく富が均等に分配されたということが大きな要因のひとつではないか。インドやブラジルなどBRICsと呼ばれる新興国に行ったことがあるが、どの国も日本ほどどこもかしこも同じ風景ではなかった。またそうなる可能性をまったく感じない。インドの片田舎はおそらく50年前からたいして変わっていないし、今後も変わることがないだろう。それと同じようにブラジルのアマゾンが開拓されて高層ビルが立つこともないはずだ。

「皆平等」を押し進めた結果がこの地方の景色の均一性なのかもしれない。
インドやブラジルなどはそれとは全く逆の考え方、すなわち「自分さえ良ければ、あとはどうでもいい」という価値観が一般的なので地方のインフラの整備に時間がかかっているのだろう。

どちらがより豊かな社会に繋がるかは今の段階では断言できないが、「金太郎飴のようにどこいっても同じ風景」というのはそれだけですでに個性になっていると言える。これをもっと押し進めれれば、独自な日本だけの在り方を創造していけるのではと思っている。テクノロジーがもっと進化し、どこに住んでも同じ仕事、繋がりができるようになるのならば、人が好きな人は東京に住み、刺身が好きな人は那珂湊やほかの港町に住み、寺が好きだからという理由で京都に住むのもありになってくる。

そうなると各都市に同じような趣味を持つコミュニティーが形成され、けっこう楽しい集まりになるのではないだろうか。町や村の統廃合がどんどん進み、価値のないコミュニティーはどんどん淘汰され、そして新しい価値を持ったコミュニティーが創造されていくのだろう。そう思うと、この味気ない地方の景色も魅力的に見えてくるから不思議だ。

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