2006年11月27日 (月)

勝負!

今年もあと一ヶ月ちょっとなってしまった。去年もあっという間だったが、今年はもっと加速した気がする。相変わらず、自分の目標がまるでこなせていない気もするが、ようやく人生の方向性のようなものは見えてきた。

今年はモロッコへ行って、その写真で個展をして、そして4年付き合った人とようやく籍を入れてと、なんとなくすべてが形になってきた一年だ。

よくよく考えてみれば、もう三十歳を超えているのだから、当たり前のことだが。

二十代は後先考えずに色々とやって失敗ばかりしていたが、かといってそれが実となり今に繋がっているのかというと、甚だ疑問と言わざるを得ない。

遅咲きだと思う。

いや、むしろそう思いたい。

継続は力なり、と言うが結局のところ、続けられるというのは、それはそれでそれしかない結果だ。

それ以外の選択肢がない状態では、継続も糞もへったくれもない。

もっといい写真を撮りたいと思う。

最近、切にそう願う。

そのための方法論が自分ではまだ定まっていない。

やみくもに撮る時代はとうに過ぎ去り、これからは色々と見極めないといけない。

自分の中では最高傑作と思う商店街の写真をとある賞に応募したことがある。

もう四年ほど前のことなので、まるで形になっていなくて当然のように落選した。(HPに載っている写真の大半は、それ以降の写真ではある)

審査員のアラーキーさんがコメントをつけてくれて曰く「徹底した愛がない」とのことだった。

まさにその通りだった。

愛はあっても、徹底はしていなかったと思う。

ただなんとなく最近は、自分なりのアプローチもありかなと感じ始めている。

常に傍観者であり観察者でありたい。

目の前にどんなことが起ころうとも、冷静にライティングとアングルを見極め、厳かにシャッターを切りたい。

それが「愛がない」と切って捨てられたら、仕方がない。

切って捨てられないような写真を撮るまで粘るか、評価されるような場所を見つけるかのどっちかだろう。

また商店街の写真を撮ることを再開しようと思う。

徹底した愛は持たず、傍観者のままでどこまで撮れるか同じ被写体で勝負だ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月19日 (日)

必要性

旅に思いを馳せる。

ラオス・ブラジル・ペルー・イギリス・インド・・・・・今年の冬はどこに行こうか迷っている

ひとりでどこか行ったことのない街に行くのもいいが、久しぶりに友人たちに会いにヨーロッパに行くのもいいかもしれない。

行きたい国と聞かれて、即答できない自分がいる。

以前はもっとストレートに行きたいと思う国がたくさんあった。

行ったことない大陸、南米やアイスランドでも行けばまた違うのだろうが、ちょっと枯れた気分だ。

刺激だけを求めているわけではないが、やはり生きている限りは、できるだけ色々なことを体験したい。しかし、それが旅という手段でもいいのだろうか、と根本的なことを疑問に感じ始めた。もっと違ったことでもいいのかもしれない。最近、つくづく自分が温室育ちだと思うことがあり、生き方を見直したい。

旅の写真についても、よく考える。

ジョナス・ベンディクセンの写真集を見ていると、たかだか一週間や二週間滞在したくらいで、いかほどの写真が撮れるのかと思う。

彼は旧ソ連の国々の取材に7年ほどの歳月をかけて、写真を完成させた。

べつに労力と写真の出来が左右されるものでもないかもしれないが、彼ほどの才能を持った人がそれだけの歳月をかけて撮った写真は、度肝を抜かれるほどの出来だ。

旅の写真だけではなく、自分だけにしか撮れない写真について真剣に考えようと思う。

とか思いつつも、ついつい友達と朝まで飲んだりして、何事もはかどらない。

タイムテーブルでも作ってやらないと、間に合わないかもしれない。

撮るものを撮った人の写真は、本当に感動する。

そのストイックな姿勢と、創造ということに対してのあくなき欲求・・・・

頭を垂れて、考える。

「人間は必要に迫られないと、努力しない」とはNYでお世話になったKANさんという写真家の格言だが、その通りだと思う。

「いかに必要に迫られる状況に自分を置くか」というが今の自分の課題だ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月24日 (火)

A BAD DAY IN INDIA

それは前夜から始まった。

デリー発バラナシ着の飛行機は朝の11時発だ。

僕たちがいたアグラからデリーは電車で2時間半かかる。

デリー市内から空港までタクシーで40分かかるが、余裕を見て8時にはデリーに着いていたい。それなら1時間かかったとしても、出発まで2時間ある。

しかし、8時着の電車が満席で7時過ぎ着の電車しかなかった。

朝の4時前には起きないと電車に間に合わなかったが、仕方がない。

タージマハールの前に位置するホテルに宿泊していたので駅までは、リクシャで20分ほどかかる。

そんな朝早い時間にリクシャがいると思えなかったので、近くにいるリクシャに朝の4時に来てもらうように手配する必要があった。

降りしきる雨のなか待っているリクシャは1台しかなく、仕方なくその男に朝の4時に来てもらうよう頼んだ。

翌朝、起きると豪雨だった。

いやな予感がした。

そしてその予感は見事に的中する。

降りしきる雨のなか手配したリクシャの男を捜しても、いやしない。彼には通常の三倍ぐらいの値段を払う予定だったのに、見事に逃げられた。

なんとしてでもその日にバラナシに行きたかった。

雨は小雨になったり激しいスコールのようになったり、それを間断なく繰り返した。

あたりは真っ暗だが、少し歩けば店がいくつかある。

そこまで行ってリクシャを探すことにした。

せめて雨だけは止んで欲しかったが、その思いとは裏腹に段々と激しくなった。

重い荷物を背負いながら、早足で歩いた。

店で雨宿りをしながら、リクシャが通り過ぎるのを待つ。

待てども暮らせども何も通り過ぎやしないので、もう一度約束したリクシャの男が来ていないかチェックしに見に行ってみた。

そのときには豪雨はピークに達しており、全身ずぶ濡れだ。

そんな思いをして見に行ったが、リクシャどころか人っ子ひとりいやしなかった。

また来た道を引き返す。

戻る道すがら、リクシャが通りかかり、救われた。

救いというものは、突然思いもかけないところで訪れる。

その救いの神には奮発してチップを払い、やっとの思いで電車に乗ることができた。あとはデリーまで2時間半の道のりをうつらうつら過ごせばいいだけだと、たかをくくっていた。

River02_3

それは大きな間違いだった。

インドの電車は遅れる。

そんなことは分かっていたが、それまでの道のりは12時間もかかる夜行列車に乗っても、20分ほどしか遅れなかった。

だから2時間半の旅程でも、遅れても20分程度だろうと思っていたのだった。

結局デリーに着いたのは、9時だった。

ほぼ2時間近く遅れたことになる。

2時間半の旅程が4時間半かかったのだった。

インドで物事は比例しない。

常にイレギュラーだ。

慌ててタクシーに乗り込むが、乗り込んだタクシーは出発直後にエンストしてしまった。

ツイていないときは、とことんツイていない。

新しい車に乗り換えてようやく出発することができた。

これで一安心だ。

今度こそ、大丈夫だと自分自身に言い聞かせる。

しかし空港まであと少しというところで、今度は大渋滞に巻き込まれてしまった。

車はまったく動かない。

やっと動いたと思っても、その列の先頭が見えない。

なかにはしびれを切らして歩き出すインド人もいる。

時計の針だけは正確なビートを刻み、出発までそれほど余裕がなくなってきた。

そろそろ歩ける距離ではないかと思い、思案を巡らせる。

運転手にあとどれくらいか聞いてみても「あと3キロだ」という。

渋滞にはまり込む30分ほど前には「5キロ」といっていたから、彼の距離感覚になんらかの不具合があるのは明らかだ。

吉報は寝て待ての言葉どおり、ひたすら渋滞が途切れるのを待った。インドでもどこでも、物事に必ず終わりが訪れる。

やっと抜けた。

渋滞を抜け出した頃には、時計の針は予断の許さない10時半という数字を指していた。

出発まで30分。

そこから空港は目と鼻の先だったので、すぐに着いて慌ててチェックインを済ます。

これで万事めでたし。

それにしても長い旅路だった。

こんなこともあるのだと、つくづくインドの雄大さ、スケールの大きさを感じた。

4時からの出来事が頭のなかをぐるぐる回り、安堵感よりも疲労感に襲われる。

そんな思いを抱きながら、飛行機は無事バラナシへと飛び立った。出発するはずの時間から、1時間半ほど遅れて・・・・

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 6日 (金)

マグナム

今日、注文していたリーズ・サルファティLise Sarfati)の写真集が届いた。

彼女は、アムステルダムで開かれたドキュメンタリーカメラマンのためのワークショップで、僕の教官だったので、少なからず興味を覚えていた写真家だ。

日本ではそれほど知られていないが、ヨーロッパではかなり有名な写真家らしい。

会った当時は、マグナムの写真家というだけでそれほど気にも留めていなかった。

彼女の場合、そのパーソナリティがあまりに強烈だったので、ひとりの写真家として認識するのに、かなりの時間を要した。

最初のレクチャーで、まず度肝を抜かれた。

20人のグループが5人ごとのグループに分かれて、それぞれ一人づつの教官が付くのだが、どの教官も世界報道写真展で有名なワールド・プレス・フォトが主催しているだけあって、選りすぐりの人たちばかりだ。

もちろん、リーズもあのマグナムの一員なので、すごい人に違いない。

しかし、彼女のレクチャーが始まって、20人全員があっけにとられた。

誰もがフランス語を話していると思ったのだが、10秒ほど経ってからようやくそれが英語だと気が付いたのだ。

もしかしたら、レクチャーでは素晴らしいことをいっていたのかもしれないが、あまりのひどいフランス語訛りに誰もが理解不能におちいってしまった。

まあ、しかし言語の問題はどうしようもない。

そのワークショップの課題は「移民」をテーマに各自、写真を撮り下ろすことだった。僕が選んだのはブルガリア人の女の子とオランダ人のカップルで、彼らのあいだには一歳半の赤ん坊いた。

Baby03_3

僕はなぜかその赤ん坊と馬が合ってしまい、彼の写真ばかり撮ってしまった。

言葉をしゃべれない彼は、僕に何語か分からない言語で話しかけ、ひたすら自分の好物のチョコレートをくれたりして、かわいい子だった。

Baby02_2 

リーズにとっては、写真のテーマやコンセプトなんてどうでもいいらしく、「写真は、写真が良ければそれでいいの!!」と身も蓋もないことを言っていた。

挙句の果てに、毎日ワークショップに遅刻してきては、「昨日のマリファナはイマイチだったわ」などといって、ひとりごちていた。

ただ、いざ自分の受け持った写真家たちが発表し、そのなかの一人がほかの人間に批判されると徹底的に擁護するという人間的な面もあった。(でも、そのまえにリーズは批判されたその写真家をこっぴどく批判していたが、ほかの人間から批判されると腹を立てるらしい)

僕の写真はというと、「どうしてあなたの写真はいつも、ボン、ボン、ボーン!なの?」と言われた。

直訳すると、感情をストレートに込めすぎている、とそういうことか?

Baby01_1

物事を好意的に解釈するたちなので、あまり深くは考えなかったが、彼女からはそれほど批判的なことを言われなかったことだけは覚えている。

最近、そのとき一緒だったドイツ人写真家のマークに、インドやモロッコの写真が載っている自分のHPを見せると、「リーズの写真に似ている」と言われた。

内心「あんなやつには似ていない」と断固して思ったことを記憶している。

しばらく経って、よくよく考えて見ると、リーズは恐れ多くもマグナムの写真家なので、それほど不名誉なことではないのだと気付き、彼女の写真集を注文してみた次第だ。

彼女の写真と自分との写真を比較して見ると、パーソナリティの差は歴然としている。

僕のほうは至極まともだ。

マークがいうように、光の使い方や色の使い方などは、ちょっと似ているかもと思うが、なんともいいようがない。

彼女はロシアを精力的に取材していて、とくに秀逸なのがロシアの少年刑務所を撮った写真だ。

僕が気になったのは、光やカラーにデフォルメされたその美しい写真郡は、実際そこにある悲惨な現実がまるで反映されていないのではないかということだ。

ワークショップでも、リーズに聞いてみたが、彼女からはもちろんまともな答えなんて返ってこなかった。

今、分かるのは、彼女はその場にあるリアリティよりは自分の頭のなかにあるリアリティだけを追求しているのだなということだ。

美しく彩られたロシアの刑務所なんて、ひどく残酷なように見えるけど、彼女には色と光とその瞬間しか目に入らなかったのだろう。

そこには皮肉もないし、なんの残虐性もない。

自分が志向している写真も、どちらかというとそういう写真なので、ようやくマークがいっていた本当の意味を理解できた気がする。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月19日 (火)

芸術起業論

最近、村上隆の「芸術起業論」という本を読んだ。

まわりに村上隆を好きだという人間はいないが、嫌いだといっている人間は山ほどいる。

そんなこともあり、興味があったので、六本木ヒルズに行ったついでに、彼の本を買った。

(六本木ヒルズの本屋で、村上隆の著書を買うのは、ある意味奇遇といえば、奇遇だ)

彼のインテリジェンスにはとかく感心させられた。

確信犯的に、自分のアートを海外に売り込み、それをまた逆輸入する方法は、新しくはないが、それ以外に選択肢がないのが現状だ。

オタク文化を「スーパーフラット」という形に昇華させて、オタク的日本=クールという図式を誰もが考えなかった形で実現したのには、すごいことだと思う。

アート業界に留まらず、音楽や写真や映画の世界において、「新しいもの」は常に求められている。

しかし、日本でいう一般的な「新しいもの」はじつは世界的にはなんら新しいものではない。

それらはすでに海外では当たり前になっていたり、むしろ海外に流行っているものをコピーして、最先端としてきたのがそれまでの風潮だった。

それを村上隆は、オタク文化を「スーパーフラット」という一種の記号化することで、全く新しものへと生まれ変わらせ、最先端のアートだと言い切り、世に広めてしまった。

そのことに彼の偉大さがあると思う。

最近、「新しいもの」とは何かと考える。

もし、本当に村上隆が提唱しているように、オタク文化が「新しいもの」というのならば、世間に出回っている新しいとされている海外の模倣品の数々に、なにか意味があるのだろうか?

少なくてもアニメや漫画は、日本の文化に根付いているが、テレビやラジオから聞こえてくる日本人が歌うラップやヒップホップに日本的な文脈はあるのだろうか?

外人が着て似合う服に、日本人が群がる意味はあるのだろうか?

村上隆が成し得た最大限の功績は、海外における日本のアートを北斎などの浮世絵から、ようやくアップデートしたということだろう。

好きから嫌いか別にして、彼のおかげでようやく日本も「車や電化製品だけではなく、なにか面白いものを発信する国」として認知され始めたのかもしれない。

日本人はとかく日本的なものを軽視しがちだが、本当に新しいものいうものは、自分たちのなかに根付いているものから生まれるものだ。

それを鮮やかに証明して見せたのが、村上隆なのだろう。

ちなみに5年ほどまえに、知り合いに誘われて、「スーパーフラット展」に行ったことがある。

正直な感想は「こんなんでいいの?」というものだった。

まだまだ勉強が必要だ。

| コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月22日 (火)

眠れない夜のために

あと数日で10年ぶりにインドの地を踏むことになる。
あれはたしかに21歳の夏だ、初めてインドへ行ったのは。

あれから本当に10年経ったのだと、実感する。
まさかこんな31歳になっていようとは思ってもいなかった。

とくに後悔なんてしていないが、人生不思議なものだ。
もっと旅をしたかったし、成功していたかった。
でも、これが僕の限界だったのかもしれない。

僕の人生プランは、だいたい22歳で尽きている。
15、6歳の頃、夢見ていたのはただひさすら異国の地を旅して周り、海外に生活の拠点を持つことだった。

そうして、僕は19歳でシベリア鉄道に一人に乗って、エディンバラへと移り住み、そこを拠点としてインドやほかのヨーロッパへと旅した。
エディンバラを離れる決意をしたのが22歳のときだ。

僕はエディンバラでずいぶんと満たされてしまった。

エディンバラに住むまでは、あらゆることに飢えていた。
なにかを為すためには、欲することが必要だ。
欲するためには、飢えが必要なのだろう。

それが22歳のときに、すでに決定的に失われてしまった。

また如何ともしがたいことに、僕は野心や欲望を持つような育てられ方をしていない。
なにかを欲するということに対して、どことなく「恥」という概念すら伴う。

この10年、僕はアドリブだけで生きてしまった。
幸運なことは10年間もアドリブだけで生きていけるものを、22歳までに身に着けていたことだ。

それまでにうんざりするほどのたくさん本を読んで知識と教養を身に付け、英語も話せるようになった。
知識を身に着け分かったことは、あらゆることは経験尽くされ、新しいことなどなにもないということだ。

だからこそ、旅に出たかった。
自分の目で、世界を見て確かめたかった。
そして、僕は満たされてしまった。

陳腐な話だが、生きることは素晴らしく、ただ世界は美しかった。

17、8歳の頃は「でかい家に住んで、ポルシェに乗りたい」なんて言っているやつは、アホかと思っていたが、今では非常に健全な精神な持ち主だと思うし、正直羨ましい。

欲するということは、善であり、圧倒的に正しい。

10年アドリブで生きて思ったのは、やはり前へと進むべきだということだ。
欲望でも信念でも自分のツールとして使い、成し遂げることこそが大切である。
理由付けはなんでもいい。
結果がものをいうのだ。

僕は今までプロセスを大切にするあまり、結果を犠牲にしてきた。
今後の10年は結果こそ、求めるべきものだと思う。

精神的に充足するのは、肉体的に充足するよりもじつは簡単なのかもしれない。
誰でも聖者になれるチャンスはあるが、億万長者になれるチャンスはない。

ビル・ゲイツさんみたいにまずは億万長者になってから、聖者になろうとするのはとても健康的なのだ。(その逆は失敗例が多いのは、この説を実証している気がする・・・・)

自分が持っている今最大の欲望を探してみる。
ゴキブリのいない家に住みたい・・・・・
今後の10年がますます不安になってきた夜だ。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2006年8月10日 (木)

ふるさと

“ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの” 室生犀星

久しぶりに京都へ行った。
そして、生まれ育った家へ行った。

正確に言うと、生まれ育った家があった場所へと赴いた。
思い出のたくさん詰まった家は、僕がイギリスに
留学しているときに取り壊されている。
もう十年近く前の話になるだろうか。

家がなくなると聞いて、そのとき僕はなにも思わなかった。
イギリスでなんとか生き抜いていくことで必死だったし、
家というものに対してそれほど執着はなかった。

ふるさとは、家なのだろうか?
家がないものは、ふるさとがないのだろうか?

室生犀星は冒頭に挙げた詩のあとにこう綴っている。

“よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや“

この詩の意味するところのふるさとは、僕にとっては
日本そのものだった。
若い頃は、日本的なものがただただ嫌だった。
それが高じて、海外へ行った。

日本に帰国してから、すでに六年以上経っている。
海外に住んでいた時間よりも、多くの時間を費やしてしまった。

今の僕のふるさとは、なんだろう?
生まれ育った嵐山の街を歩いても、なんの感情も湧いてこなかった。
もっとノスタルジックな気持ちになってよさそうだが、そんな
気持ちは一切湧いてこなかった。

もしかしたら、自分があれほど嫌悪していたものに取り込まれて
しまったのだろうか?

ふるさととは、安住と同意義語なのかもしれない。
肉体的にも精神的にも旅を続けることは、骨が折れる。

いつしか僕はすっかり安住してしまったようだ。
どこにいようと、ふるさと的なものから遠く離れていたい。
そして、夕暮れ時にでもふるさとを思い出して、ひとりごちるのだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 9日 (日)

曲がり角

僕は曲がり角が好きだ。

知らない街を歩いても、美しい曲線を描く路地裏の曲がり角に釘付けになる。

そして、必ずその先にあるものに強烈な興味を覚える。

曲がり角には、それを超えたらそれまで見たこともない光景が広がっている可能性がある。

もちろん、それまでの光景の延長の可能性もあるのだが、わけのわからない期待を抱いてしまう。

初めてヨーロッパを旅したとき、僕はひたすらそういった曲がり角の写真を撮り続けた。

日本では直角の曲がり角がほとんどだが、ヨーロッパの曲がり角は緩やかな曲線を描くことが多い。

それが僕を魅了した。

プラハやパリなどの曲がり角は、本当に美しい。

今でも鋭角的な光線でコントラストをつけた、美しい曲がり角を時々頭の中に思い浮かべることがある。

日本に住み始めてからはそんなロマンを抱くこともなく、淡々と街を早足で駆け抜け、立ち止まって空を見上げることすらない。

金のなかったロンドンに住んでいたときでも、ひまさえあれば街を歩き、知らないストリートで写真を撮り、また次の曲がり角を探した。

今では、知らない街を歩くことさえなくなった。

きっと日本という国は、ほかの国よりも義務や制約が多いのだと思う。

そこで時間と体力を浪費してしまう。

僕は最近になってようやくそういった術を学び始めた気がする。

今まで、まるで無頓着だったし興味もなかったが、今ではそんなことが許される環境にはいない。

曲がり角は美しい。

そういった概念すら、今の僕にはない。

そんな余裕がない。

明日のことを考えることで精一杯になっている。

いつからそうなったのかすら、わからない。

曲がり角に魅かれるということは、言い換えれば未知の事柄に魅かれているということだろう。

未知の事柄を受け入れる余裕すらないなのだろうかと自問自答してみる。

20代なんてなにも持っていなかった。

ようは失うものなんてない人間には、たいした曲がり角なんてない。

すべてが未知であり、挑戦なのだから、僕には選択する必要すらなかった。

しかし、今は違う。

まだ先の話かも知れないが、いつか自分が手に入れたものを捨てるリスクを犯しても、挑戦しなければならないときがある。

そうなったときに、初めて僕は人生の曲がり角というものを経験するのだろう。

| コメント (5) | トラックバック (0)

2006年6月13日 (火)

ワールドカップ

日本は負けた。

完敗だった。

監督のマネージメントや戦術的な理由もあったとは思う。

しかし、最大の問題はまともなシュートを打てないことではないだろうか?

彼らのシュートからは「何が何でも決めてやる」という気概は感じられなかった。

対照的にオーストラリアが放ったシュートからは強烈な自己主張が感じられた。

べつに精神論をぶつつもりはないが、同じような実力のチームが相対すると気持ちが強いチームが勝つ。

ゴール前まで行ってパスするフォワードなんて、見たくはない。

そこまで行ったら最後まで責任を取って、シュートを打ってほしい。

柳沢や高原は素晴らしい才能を持った選手だと思う。

ゴールを決めること以外の仕事では、ロナウドよりも能力はある。

でも、その肝心のゴールという結果だけで評価されるポジションがフォワードだ。

国民性といったら仕方がないのかもしれないが、シュートという責任を取るのが彼らは恐れているように見える。

ロナウドやアドリアーノなんて、柳沢のように色々な可能性を吟味して最善の選択する、なんてことをゴール前で考えていない。

彼らはゴール前では、自分がゴールするという強い意志以外なにもない。

あわよくば味方のボールを奪ってでも、シュートしてゴールするのが彼らのメンタリティだ。

クロアチアには勝つしかなくなった。

でも案外こういう状況のほうが日本の選手は吹っ切れるかもしれない。

アジアカップの再現は難しいかもしれないが、逆境に強いのが今の日本のチームだ。

負けず嫌いのジーコだから、次のゲームにはなんらかのショック療法を仕掛けてくるだろう。

ツートップ総入れ替えぐらいのことはしてもいいと思う。

どうせ後がないなら、巻を入れてガムシャラに前へと進んで欲しい。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

メタルマクベス

メタルマクベスというミュージカルを見た。

劇団☆新感線は噂ではよく耳にしたが、実際見るのは初めてだった。

http://www.vi-shinkansen.co.jp/

脚本はクドカンだけあり、凝りに凝っていて、なおかつ面白い。

シェイクスピアを心から敬愛するイギリスの人々が見たら、激怒するかもしれないが、マクベスという古風な演劇を現代風に解釈したら、あながち間違った解釈とはいえない。

それに役者がとても輝いて見えた舞台だった。

なかなかそういう舞台は少ない。

特に松たか子さんは完全になにかを吹っ切ったのか、素晴らしい演技を披露している。

演技力など細かいことはよく分からないが、存在感というもの関しては分かる気がする。

人物写真を撮るとき、一番重要だなと思うのがその存在感だからだ。

大勢の人がいるなかで、その人だけが一段と輝いて見えることは、それはすでに才能と言える。

演劇の醍醐味はそのライブ感だ。

以前は、映画にしか興味がなかったが、演劇のライブ感を味わうと、けっこうはまる。

来月は、以前レプリークという雑誌で撮影させていただいたご縁で、舞台を見に行ってすっかり大ファンとなった宇宙レコードの公演がある。

待ち遠しい限りだ。 

| コメント (0) | トラックバック (1)

2006年5月26日 (金)

発展的な何か・・・

写真展が終わった。

ふと、どうして僕は写真展をやろうと思ったのかと思いを巡らす。

Fh020036

僕はきっと不器用な人間だと思う。

もっとうまく生きれたらと思う。

ここ12年で周りの環境が劇的に変わり、それに対応するだけの何かを捜し求めている。

写真展はそういった試みのひとつだ。

区切りをつけたかった。

これからも旅をするだろう。

それは生まれ持った宿命みたいものだ。

今まで以上に、色々な場所や違う価値観を持った人々に会うと思う。

僕はいちいち反応してられない。

外の人間に対して、彼らが望むような反応をするほどウブではなくなった。

人のために生きるほど自分自身は充実していないし、そんなひまもない。

写真展に来てくれた人々を見ながら、様々なことを考えた。

彼らもまた異世界に憧れて、見も知らない写真家の個展に来てくれた。

その期待に十分に応えられた自信はないが、これほど多くの人がそんな気持ちを抱いているとは新鮮だったし、純粋に嬉しかった。

僕はもっと知りたいし、経験をしたい。

そして、それらを共有したい。

その手段として、自分にとって最も有効な手段が写真だということが、今回の個展であらためて理解した。

今まで不特定多数の人に対して、写真を撮ってきた。

それから得たものはそれほど多くはないが、生きていくためには必要だった。

写真展は、特定の人々を対象にしたものだ。

その場所にいかないと、それらの写真は見れない。

そんな単純なことがとても新鮮だった。

劇的な変化は望んでいない。

少しずつ、変わりたい。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

写真というメディア

個展が始まった。

オープンニングパーティーには大勢の人が来てくれて、大盛況だった。

この場を借りて、御礼を申し上げます。

Desert06

これがはじめての個展だ。

今まで何回か個展をやろうと思ったことがあったが、決断するまでには至らなかった。

今回は様々な偶然が重なり、モロッコから帰国してわずか四ヶ月のうちに個展が開催されることになってしまった。

勢いというの非常に大切だ。

http://www.upfield-gallery.jp/index02.html

色々な人から、フィードバックがあり、ためになる。

本当はこういう写真が撮りたかったのだなと痛感した。

写真を始めた頃はお金に目がくらみ、ファッションなどの商業的な写真に目がいってしまったが、写真を始めた理由はもっと純粋な動機だ。

自分自身だけでは満足できないのだと思う。

自分が考えていることや感じたことを、ほかの人々と共有したいのだ。

その手段として、たまたま写真を選んだ。

写真というメディアの一番の特徴は、それはあくまで現実であるという縛りだ。

作為性がある写真も多々あるが、それを突き詰めていくと絵画と同じような表現手段になる。そうなると、絵を描いたほうがよほど効率がいい。

アンリ・カルティエ・ブレッソンは「決定的瞬間」という写真集で一世を風靡した。

写真というメディアを端的に表しているタイトルだと思う。

それはあくまで瞬間であり、それ以上でもそれ以下でもない。

写真はストーリーを見る人に感じてもらうには最適なメディアだ。

ストーリーを語らせるということになると、映画や小説の世界になってしまうが、写真は一枚の写真から全体のストーリーを内包するだけの力があるメディアではある。

解釈は苦手だ。

感じてくれればいい。

僕が撮った写真を見て、その人々がモロッコに行った気分になったとしたら、それは僕の意図が成功を収めたということだ。

| コメント (3) | トラックバック (1)

2006年5月 2日 (火)

Travel, Time, Morocco

子供の頃から、旅することを夢見ていた。
成長し、旅が出来るようになる年齢になると、旅することに夢中になった。

だが、その熱中も長くは続かない。
その転機となったのはインドへの旅だと思う。
インドに三ヶ月居て思ったのは、これほどまでの興奮と刺激を再び旅することで得ることは難しいということだ。

それでぴたりと旅することを止めてしまった。
もちろん、仕事などで他の国へ行ったり、ヨーロッパに住む友人たちに会いに行ったりはした。
でも、それらは厳密の意味で旅とはいえない。

旅を定義することは難しい。

ただひとつ言えることは、旅は物事を早く経験するためにはとても有効な方法だということだ。
若い頃の自分は、待つことなどできなかった。
とにかく早く、誰よりも早く生きたかった。

そうして、インドを旅して10年経った。
僕はモロッコへと旅立った。

もう興奮や刺激などは求めていない。
日常生活でもそれらを手に入れる術を身に着けられるように努力もしてきた。
20代の頃のように、やみくもに誰とでも友達になろうとしなくなった代わりに、信頼できる友達の数は増えた。
そして、いくばくのストレスを抱え、責任も増え、漠然とした将来の不安も抱えている。
ようはあらゆる意味で年を取ったということだ。

旅へのアプローチの仕方も変わり、興奮や刺激を求める代わりに、違う何かを求めている。

今回は初めて、写真を撮りに旅をした。
純粋に知らない土地に行って、自分自身だけが見たり聞いたりするだけでは満足できなかった。
自分が見て聞いて、感じたものを人に伝えたかった。

自分自身をそとに向けるのに、10年もの月日を要した。
長くはなかったかもしれないが、短くもない。

人に何かを伝えるほど豊かな人間ではないかもしれない。
しかし、それを補って余りあるほどに、世界には美が転がっている。
それを拾って、丹念に磨き、少しでも伝わりやすい形に還元できればと思う。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月14日 (火)

ゴミ

今日、久しぶりに荷物を整理した。
生きれば生きるほど、ゴミは溜まる。
人生の総量なんて、ゴミの数で決まるといっても過言ではないのかもしれない。

どうして捨てられないのだろう?
とりあえず取って置こう思ったものなんて、たいてい二度と必要ない。

そのまま放っておくと、いつしか本当に必要なものですら、どうでもいいものに紛れて見失ってしまう。

現実のゴミの問題に話を戻そう。
自分が撮った写真が掲載された雑誌群が大事にとってある。
もちろん、ゴミではないのだが、すでに邪魔になってしまっている。
愛着のあるものもあるが、そういったものの多くはプリントにして取ってある。

なんのために今までこのような大量の雑誌を何年のものあいだ取っていたのだろう?
誰かに見せるためだろうか?

よくは分からないが、惰性なのかもしれない。
しかし、いざ捨てようとなると中々捨てられない。

でも、捨てる決意をした。
ふとこう思ったのだ。
十年後、自分に子供がいると仮定したとき、果たして自分の仕事だと言って、それらの雑誌を見せることができるだろうかと。

ひとの価値というものはそういうことで決まるのかもしれない。
自分イコール、といえるようなものを作り上げる必要があるのだ。

もしかしたら、一銭にもならないかもしれないが、そういった価値観で生きていけたらと思う。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 6日 (月)

空を見ることが好きだった。
小学生の頃、空ばかり見ていて先生によく叱られた。

新鮮味のない授業を聞いているよりは、雲の流れなどを見つめているほうが楽しかった。
きっと変化が欲しかったのだろう。
雲は風で流されるので、それでようやく自分もどうやら前へ進んでいるらしいという気になった。

Sora01

小学校二年生くらいの頃、校庭でみんなが楽しそうに走り回ったり、ドッチボールをしたりするのを見て、「彼らは本当に楽しいのだろうか?」と思ったことがある。
「こんなに毎日毎日同じことを繰り返して、本当に彼らは楽しいのだろうか?」と僕はそのとき心の底から疑問に思ったのだった。

そして次の瞬間、隠さねばならないと感じた。
自分がドッチボールなんてすでに興味を失くし、一緒に走り回ったり、意味のないことで笑ったりすることに本当に飽き飽きしていることを他の子に知られてはいけないと直感した。
そのとき、自分があと四年間も同じような毎日を送らねばらないことを自覚していたのだ。

きっと多かれ少なかれ、みんなうんざりしていたと思う。
変わり映えのしない学校生活に。

日常生活とはそういうものかもしれない。
毎日が冒険であるはずがないのだから、規則正しいルーチーンこそが生活を支えている。
たとえば、毎朝七時に起きたり、犬を散歩させたり、定時に会社に出勤したりすることだ。

そういったことは儀式に似ている。
やらねばいけないことは、やらねばいけない。

しかし、自覚しているだろうか?
もっと豊かな生活があるのかもしれないと。

僕は毎日つまらない授業を聞いたり、楽しくもないドッチボールをしたりはしたが、心の奥底ではもっとましな意義がこの人生にはあると信じた。
だからこそもっと先に進みたいと思い、当時行った自分の判断には従うことはなかった。

そのスタンスは今でも変わらない。
今抱えている悩みなんて、一年後にはどうでもいいことになっていることを知っている。
そして、その証拠に去年何にそんなに悩んだかなんて今となっては思い出せもしない

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月27日 (月)

Travel, Time, Morocco(5)

今日、ギャラリーに行ってモロッコ写真展について、色々と決めてきた。
初めての写真展なので、正直不安はあるがなんとかなるだろう。

タイトルは「 Travel, Time, Morocco」とそのままフォトダイアリーのタイトルをつけることにした。
開催時期は正式決定ではないが、GW直前から五月半ばまでを予定している。
とても楽しみだ。

Night03

いつしか写真でお金をもらうことをばかりを追いかけて、なぜ写真を撮るのかということを忘れてしまった。
この個展を期に、そういったものを一度リセットできたらと思う。

ロンドンから日本に帰国して手当たり次第に雑誌に電話をして営業をした頃を思い出す。
営業に行った先の編集者はたいてい「何かあったらお願いします」と言って話を切り上げた。
馬鹿正直の僕は、それを肯定の意味だと思い、ひたすら連絡を待ったものだ。
同じような話をギャラリーの人から聞いた。
とくに海外に行って帰ってきた人間は、しばしば日本式のNOを理解できずに妙な期待をして、落胆してしまう。

誰もがわかりやすいものを求めているし、得体の知れない人間に仕事を与えるほど余裕はない。

今日何気なくテレビをつけたら、歌番組をやっていた。
J-POPと言われる歌を延々と流していたが、僕にはどれも同じにしか聞こえなかった。
結局、そういうことなのだろう。
似たものを似たものが補う、それぐらいしか求められていない。

別に現状を嘆いているわけではないが、今自分がどうありたいかということを問う時期だと思う。
人生なんて賭けるものは自分自分しかないのだから、今年はなるべくその可能性にすべてを賭けて、どうなるか見てみたい。

何を持って成功かということを推し量るのは難しいが、やるだけのことはやって満足感を得たい。
自己満足に終わることなく、得るべきものは得られるようにそれなりの仕掛けはしたい。
ひとつだけ確かなことは、二回も個展をする予定なので、今年は貯金することは無理だということだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月14日 (火)

Travel, Time, Morocco(4)

なぜそもそもモロッコだったのか?
同じようにモロッコを旅した友人と共に、色々と考えを巡らしてみた。

べつにチベットでもベトナムでもラオスでも、どこでもよかったはずだ。
ただ刺激が欲しかっただけなのかもしれない。
でも、やはりモロッコでなくてはならない気がする。

人は伊達や酔狂で、二十時間以上もかけて異国へと赴かない。
なにかしらの予感、あるいは確信めいたものがあるはずだ。
結論から言えば、自分にとってモロッコとは砂漠であり、その青い空であり、写真を構成するにあたって必要なものを提供してくれたかけがえのない国だった。
僕の中にはモロッコに行く前にモロッコ的なイメージが頭のなかに出来上がっており、それを実際にこの手で作り上げたかったのかもしれない。

今回の旅では僕のなかでは定番となっているポートレート写真を一枚も撮らなかった。
それは自分の中ではモロッコ的ではなかったからだ。

「ものとは、ひとの眺めるその眺めかたに従って存在する」とオスカー・ワイルドは書いている。 人は自分なりの現実を知らず知らずのうちに作り上げている。

現実とは、各人の見方によって存在しているといっても過言ではない。

表現者とは、きっと自分の現実をほかの人と共有したいと思っている人種のことだ。自分が見ているこの素晴らしい世界を心底共有したいと思っている人々が、芸術家と呼ばれる人々だと思う。

モロッコから帰ってきて、自分が撮った写真を多くの人に見せた。
たいていの人の感想は、「本当にこれが現実なの?」とか「砂漠に字を書いたのは、やらせ?」とか様々な意見が出た。
個人的な意見で言えば、べつにやらせでも何でもいいのだと思う。
それが最初からきちんとした意図を持って撮影されたものであれば、作品と言えるのではないだろうか?

でも僕が実際に撮った写真は、特殊加工などしていないし、やらせなど一切ない。
ただ目の前にある僕の現実を切り取っただけだ。

たまたま撮れたといえる写真ばかりだ。
だが、そのたまたまは一瞬しかない。
それだけのことだ。

Desert05

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 8日 (水)

Travel, Time, Morocco(3)

砂漠の朝はゴージャスだった。
強烈な朝日に照らし出された砂漠はなんとも神秘的で、筆舌に尽くし難いとはこういう光景のことをいうのだろう。

Desert04

砂漠以降のモロッコの風景はどれも色あせて見えるほど、砂漠の光景は印象深かった。
あの砂漠を見ただけでも今回の旅には意味があったと思える。

Desert03

砂漠からの帰り道は、過酷だった。
ワルザザートからマラケシュまで本来ならばバスで三時間の道のりなのだが、大雪に見舞われ16時間もかかってしまった。
遅々として進まないバスには、普段だとイライラするのだがモロッコにいるとそんなことでも受け入れてしまう自分がいる。
外の猛吹雪を見れば、時速三キロだろうが進んでいること自体に感謝の念さえ覚えるくらいだ。
国も違えば、自分の許容範囲も広がるものだ。

Snow01

ようやくマラケシュに着きホテルも決まったところで、ちょうど同じようにチェックインしようとしていた中国系オーストラリア人の青年と仲良くなった。

彼の名前はマリオ、その名前のおかげで不幸な幼少時代を送ったらしい。
ひたすら「スーパーマリオ」とからかわれた彼は、ここモロッコでは「ナカタ」呼ばわりされてからかわているという。

Mario

もし「中田英寿」の名字が「綾小路」や「武者小路」ならば、どうなっていただろう?
われわれ日本人、ひいては中国、韓国をなどのアジア人たちはここまで全世界的に「ナカタ」呼ばわりはされなかったのではないか?
ナカタ・・・・なんて外人にとって発音しやすい名字なのだろう。
これも彼が海外で最も成功を収めたサッカー選手となった所以かもしれない。

日本嫌いのほかの韓国人や中国人たちが地球の裏側まで旅して、「ナカタ」呼ばわりされていると思うと、なんだか世界が少しは平和になる気がするから、やっぱり「ナカタ」でよかったのだろう。

そんな名前の因縁を持つマリオとともにマラケシュは歩き回った。
彼にとっては初めての街だったが、自分のとっては二度目だったので、地理はだいたい頭に入っていた。
取りとめのない話をしながら街をぶらつく。
僕が旅でいちばん好きな時間かもしれない。
お互い一人旅ということで、似たもの同士であったから話は途切れることはなかった。

Night02

マリオとの話で興味深かったのは、オーストラリアで育った多くの中国人は中国人同士でしか親交を深めようとしないらしい。べつに語学の問題はまったくなく、誰もがネイティブ並みの英語を話すらしい。
ロンドンやパリなどの大都市では語学ができないばっかりに、日本人同士でしか仲良くなれない人々が多いが、それとは全く別問題らしい。

アイディンティの問題だろうか?
やはりオーストラリアは自分の国ではないから、それを引け目に感じているのだろうか?
あるいは中国人の血を誇りに思って、外国人であるオーストラリア人とは親しくならないと心に決めているのだろうか。
マリオもなぜかは分からないと言っていたので、部外者である自分が解ける問題ではないが、色々と考えさせられる問題だ。

個人的には自分と違う価値観を持つ人間といるほうが刺激的で面白いと思う。
だから僕はロンドンや東京など多種多様な人間が集まる大都市が好きだ。
だいたいひとつの価値観しかなく、ひとつの人種しかいない世界なんて、存在するに値しない。

世界がなぜ存在するか、ということを根本的に突き詰めていくと、その多様性を人類に認知させるためなのかもしれないということに思い当たる。
言い換えるならば、「色んな人間がいるんだから、そいつらとうまくやれよ」ということになるのだろう。

そういえば学校では多数決が正義だった。
「それじゃあ、多数決で決めようよ!」とクラスの優等生くんは言う。
僕はよく「それじゃあ」の意味が分からない、と突っ込むようなませたガキだった。
今でもそのスタンスは変わらない。

Night01

つづく

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月30日 (月)

Travel, Time, Morocco(2)

記憶は混濁する。
結局、人間は記憶のうえで存在しており、自分以外の人々を思い出すのはそういった記憶のうえでの話だ。
毎日、顔付き合わすことのない膨大な数の人々は、その記憶のうえでのみ存在することになる。

あんなに色鮮やかな記憶だったモロッコの思い出も今となっては、すっかり色あせた。
だが、思い出す必要はない。
忘れることはないのだから。
ただ、ひとつひとつの映像が記憶の奥底に蓄積されるので、ビビットに視覚化されるまでに時間がかかるだけだ。

砂漠に辿り着くまでは、孤独な旅だった。
誰とも知り合うこともなく、とくに知り合いとも思わなかった。
長旅の疲れもあったし、写真を静かな環境で撮りたかった。

Desert

砂漠までラクダで二時間のところまで来た。
長い道のりだったが、ようやく砂漠が眼前に広がっている。

砂漠の村に向かう一行のなかに日本人とブルガリア人とのハーフの女の子がいた。
その子と他愛もない会話をしながら、ふと気付いたことはまともに会話するのが日本を発って初めてという事実だ。
たまにはそんな静かな旅もいいだろう。

Kasumi

砂漠の光景は、現実感が湧かないほど圧倒的だった。
目の前に出来の良い映画が上映されているかと勘違いするほど、現実感がなかった。
ダリの絵のような光景があたり一面に広がっていた。
僕の見た風景のなかでも、ピカイチの迫力だ。
一生に一度は砂漠に来てみるものだと心底思った。

Desert02

宿泊場所のベルベル人のテントに着く頃には、あたりは真っ暗になっていた。
そして、急激に寒さが増していた。
空を見上げれば、気持ちの悪くなるくらいの星が大空に広がっている。
でも、ロマンチックな気持ちになれないほど、寒かった。
人間、哲学的になったり詩を読み上げる気分になるには、ある一定の条件が満たされないと駄目らしい。
砂漠で露天風呂でも経営すれば儲かるのではないかと考えたりしたが、星空を見上げながら永遠の愛について考えようなんてこれっぽっちも思わなかった。

ただなぜか頭の中には「星の王子さま」が浮かび、「本当に大切なものは目に見えないんだよ」と囁いたりしたが、だからといって寒さは一向に改善されず、一睡もせずに朝を迎えた。

僕の隣のテントにはフランス人の中年カップルが泊まっていたのだが、驚くべきことに一晩中そのテントから獰猛な動物のようないびきが聞こえてきた。
チーズを食べると保温効果のある皮膚になるのだろうか?
とにかく僕はそのいびきを聞きながら、星空が透けて見える布製テントで一晩を過ごしたわけだ。

Asahi

つづく

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月23日 (月)

Travel, Time, Morocco(1)

人はどうして旅に出るのだろう。
旅をするたびにそう思う。

Morocco02_1

モロッコは僕の思い描いていた通り、異国の地だった。
東南アジアやヨーロッパの風景に見慣れた自分にとっては、まさに未知の土地だ。
その匂いや空気にとても興奮させられた。

いつものようにろくな予定を立てていなかったが、今回の日程は思いのほか短いので行けるところは限られた。
日本からカサブランカまで20時間以上かかったが、時間を無駄にすることなくその日のうちにマラケシュへと移動した。
映画「カサブランカ」のファンであったが、映画のようなシチェエーションは望むべくもないので、モロッコの心臓とも言えるマラケシュへと急いだのは結果的には正解だった。

マラケシュの広場は、まさにモロッコそのものと言えるような熱気に満ちており、そこにいるだけで否が応でも自分が異邦人であることを思い知らされた。

マラケシュで犯した最大の過ちはガイドブックに頼って、最初の宿を探したことだ。
ガイドブックの地図を片手に、その宿を探したが迷路のように入り組んだマラケシュで目的地を見つけることは至難の技だ。
一時間あまり重い荷物を背負い歩き回ったが、ロンリープラネットいちばん推しの宿は見つからない。
地図を指しながら4、5人のモロッコ人に道を訊いたが、どの人も違うことを言うので訊くことが馬鹿馬鹿しくなってしまった。

この旅ではもう二度とガイドブックには頼らないと心に決め、行き当たりばったり歩き、適当な宿を見つけた。
目的がなければ、そもそも迷うこともないのだ。

翌日は、スークと呼ばれるモロッコ風のアメ横をひたすら歩き回り、写真を撮った。 一人旅なので、誰にも気兼ねすることなく撮影にいそしむことができる。

Morocco05_2

今回の旅の目的のひとつは、写真を第一義に置くことだった。
今までの旅では、写真を撮ることは二の次だった。
旅自体が楽しすぎて、写真を撮ることを忘れることもしばしばあった。
プロになる前とはいえ、インドに三ヶ月も居たのにフィルム5本しか写真を撮らなかったぐらいだ。
モロッコではそんなことがないように、いかなるときにでもカメラを携帯するようにし、撮影の機会を逃さないように気をつけた。

マラケシュには見所がたくさんあり、ここにずっと居てもいいかもと思えるくらい、気に入った土地だった。しかし、人間一人きりでいると飽きるのも早い。何せやることと言ったら、歩き回って写真を撮ることだけだ。まさにカメラが友達という状況では全く違う被写体を撮りたくなってしまう。それに砂漠にはどうしても行きたかったので、マラケシュにわずか二泊しただけで砂漠のゲートウェイ、ワルザザートに向かった。

ワルザザートはマラケシュに比べるとおおざっぱな街だったが、砂漠に行くためにはどうしてもここに一泊は滞在する必要があった。ホテルを見つけ荷物を下ろすと、早速砂漠への旅をオーガナイズするために、旅行代理店を回った。
ドライバー付きの四駆を借りると、大きな出費となったが誰かとシェアすると撮影の邪魔になるので、一人きりで行くことにした。

Morocco03_2

モロッコにはモロッコ時間が流れており、電車は平気で一時間は遅れるし、バスはもっと遅れる。そして、人々は約束の時間なんて守りはしない。
僕の運転手ハッサンは約束の時間の三十分遅れで来て、さらに朝飯がまだなので近所のカフェで食べてから行こうと言う。
郷に入れば、郷に従うしかないので、カフェに入ってミントティーを飲むことにした。

モロッコ滞在中、僕はすっかりミントティーの虜となり、ミントだらけの体となった。一日、5杯は軽く飲んでいた気がする。モロッコのミントティーは死ぬほど甘かったが、疲れた体にはちょうど良かったのかもしれない。
移動につぐ移動の旅だったので、十分なカロリー摂取をしないと体が持たない。

飛行機に合計34時間、バスに16時間、電車に10時間、タクシーに四時間、そしてハッサン操る四駆に丸一日半、それと駱駝に五時間ほど乗っていた。これが九日間の旅で要した移動の全容である。旅の半分ぐらいは移動に費やしている。なんともせわしない旅だった。

モロッコに行くまで、モロッコでは英語が通じないとは聞いていたが、「まあ、なんとかなるさ」とタカをくくっていた。しかし、これが甘かった。本当にまるで通じない。そういうことなので、ハッサン操る四駆は、会話が一切ない瞑想的な空間となった。相手に言葉が通じないとなると、案外気は楽ではある。

適当な場所が見つかると「ストップ」と言って車を止めてもらう以外、ほとんど口を利かなかったが、モロッコの大地を眺めているだけで満ち足りた気分だったので、いい時間を過ごせた気がする。

いくつかの観光スポットに寄り、午後三時には大砂丘そびえるメルズーカに着いた。
そこから駱駝に乗って、ベルベル人の村まで行き、そこで一泊する予定だった。

つづく

| コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月31日 (土)

さらば2005年

くそ忙しい年末にぎっくり腰になった。
そして、そんな日にロンドン時代の友人のゴウくんが我が家にやってきた。

僕の腰は人類の進化過程に例えると、猿人なみの曲がり方をしており、かといって六年ぶりに日本に帰ってきたゴウくんを歓待しないわけにはいかない。

大体ぎっくり腰というネーミングはふざけている。
まるで痛みが伝わらない。
骨髄性うんたらかんたらというネーミングだったら、この激痛を少しは万人と分かち合えると思う。

モロッコ出発まで一週間ということもあり、予断は許さない状況ながら僕の腰は日に日に良くなり、ゴウくんが大阪へと出発する日にはクロマニョン人ぐらいには回復した。

ゴウくんが滞在した四日間の酒量はハンパなものではなかったが、二年に一度の頻度でしか会わないのでそれもそれで仕方がない。
しかし、ぎっくり腰の痛みは如何ともしがたかった。

腰の痛みが消え去るともに、僕は新しい年を迎え、そして無事モロッコへ旅立つことが出来た。

さらば2005年!!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 5日 (月)

殻を破る

昨日は友人達とともに、ちゃんこ鍋を食べに行った。
「本格的なちゃんこを食べたい」という要望に応えて、色々と店を探したが、そもそもちゃんこなんて、いい加減な食べ物だ。

それなのに、本格的というリクエストを出されて、少々戸惑った。
何を持って、ちゃんこかという括りが良く分からない。

昨日行った店には「味噌ちゃんこ」、「醤油ちゃんこ」、それに「キムチちゃんこ」まである。正直、「キムチちゃんこ」と「キムチ鍋」の境目なんてあるのだろうか?

世の中には不思議なことがたくさんある。
ちゃんこを食べ終わった後、男友達二人で青山のバーに飲みに行った。

くだらない与太話から、哲学的な話までいろいろと話し合った。
青山のバーなので、当然のようにチャージがかかる。
チャージなんぞ取られても、案外平気な大人になった。

年を取るとともに、そういう余裕が出てくるのだろう。

余談だが、先日テニスの練習帰りに生まれて初めてジャージ姿でご飯を食べに行った。
自分の殻をひとつ破った気がする。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月28日 (月)

決断のとき

決断は受動的な行為だと思うことがある。
「決断する」というが、果たして我々には選択の余地が残されているのだろうか?

たとえば、自分自身の場合。
僕はスコットランドのエディンバラという辺鄙な土地に留学し、写真を志した。

時々、人に訊かれる。
「どうしてエディンバラに留学しようと思ったの?」とか「どうして、カメラマンになったのか?」ということをだ。

こういうとき、本当に返答に窮してしまう。
僕がエディンバラに留学すると決断したと仮定しよう。
だけど、本当の話自ら進んで決断するなんてことはしていない。

それ以外に選択の余地なんてなかっただけだ。
迷いのかけらもなかった。
それはあらかじめ決められていたかのように、ひどく当然の成り行きだった。

写真を志したのも、同じことだ。
単純にそれしかないと思って、突き進んだだけだった。

こうして、いくつかの自分の人生の転機を考えるに当たって、いかに自分が能動的に行動し、決断したか熟考してみる。
考えれば、考えるほど自分は受動的だったと言わざるを得ない。

僕が自分の直感に従わずに、ニューヨークに最初に留学したとしよう。
確かにそういう場合は、とても能動的な決断だ。
しかし、きっと僕の人生は大きく狂い、今のような人生は形成されていなかっただろう。
それが良いか悪いかなんて、分かるはずがない。
それも可能性としてあった、と思うがそれを選択しなかったという事実だけが残る。

こういう考え方に沿って、僕はいくつかの自分の人生の決断について考えてみた。
そうすると、ほとんどのシチュエーションで自分がまるで決断していないことに気付く。

僕はこうあるべきだと自分の信念に近いもの従い、生きてきた。
人は信念を持って行動する限り、決断をしないのかもしれない。

最も恐れるのは、自分が課せられた最低限の可能性の人生しか生きていないのでは、とふと疑問に思うときだ。
僕の信念とは、言い換えれば運命というやつかしれない。

運命には努力は必要ない。
それに付き従い生きることは簡単なことだ。
かといって、直感に従わずに生きるということは、その最低限のノルマである運命を全うできない可能性も孕んでいる。

今まで自分のことを行動的で決断力に富むという自己評価をしてきた。
多分、それは今となっては怪しい事実だ。

ここで重要なのは自分自身という素材だ。
自分に何が求められ、課せられているか?

答えることができない問いを抱えながら生きるのが、人生というやつなのかもしれない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月27日 (日)

親切なクムジャさん

「オールド・ボーイ」の監督の新作を観に行った。
「親切なクムジャさん」といういわくありげなタイトルの映画だ。

さすがに「オールド・ボーイ」と比べてしまうと、いまいちの出来だった。
それは当然といえば、当然だ。

北野武も名作「HANA-BI」のあとはしばらくパッとしなかった。
「座頭市」で監督しての力量を見せつけるまで、しばらく時間がかかった。

「HANA-BI」のような作品を撮ってしまうと、自分の創造性のピークを意識してしまう。
そのあとの映画群を見ると、北野監督のその迷走ぶりが理解できるが、プロの監督して撮った「座頭市」は他の追随を許さない出来となり、健在ぶりを見せてくれた。

カンヌでグランプリを獲った「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督もしばらくは迷走するかもしれないが、また素晴らしい作品を作り上げてくれるだろう。
欲張りな観客たちは常に最高傑作を期待してしまうが、そう何度も創造性のピークで映画を撮ることはできない。

パク監督は北野武よりは監督してもっと成熟した腕を持っているので、次の作品あたりでまたすごい作品を撮りそうな予感がする。
ただ個人的には「オールド・ボーイ」よりもすごい作品なんて想像もできないが。

北野武の荒削りの感性に世界中は熱狂したが、映画のよりテクニカルな部分を駆使して、観客である僕たちを楽しませてくれるパク監督はより深い狂騒へと導いてくれるかもしれない。それが今から楽しみだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月22日 (火)

モロッコの夢

ふとモロッコに行こうと思った。

それは突然の考えではなく、積もり積もった考えだったのかもしれない。
でも、近所のモロッコ料理屋に入った際に、突如その考えは具体的な思考となった。

最近は折に触れて、モロッコが友人・知人のあいだで話題に上ることが多かった。
ことの発端は、モロッコには素晴らしいアマン・リゾートがあると発見してからだ。
それから、モロッコを夢想するようになった。

今回はアマン・リゾートには行かないが、いつかは行ってみたい。
モロッコへの出発日は2006年の1月1日だ。
一年の始まりを北アフリカの土地で迎えるのは感慨深い。

モロッコはこれまで何度も行こうと試みたが、治安やタイミングの問題で行けなかった国の一つだ。
ベトナムやラオスに行けないのは残念だが、それはまた今度の旅に取っておこうと思う。

そして、いつかは世界をゆっくり時間をかけて周遊してみたい。
世界の存在を頭では理解しているが、体で実際に体感してみないと僕は納得しない。

それまでは、ピンポイントに国々を旅して、世界を夢想することにしよう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月14日 (月)

スロー・ライフ

あらゆる物語は語り尽くされている。
その通りだと思う。

最近、旅関係の本をよく読む。
それらのなかに著者がアフリカを旅して、その国の人と恋に落ちて、でも結局は互いの環境の違いを克服は出来ないだろうと判断して、その恋をあきらめるという本を読んだ。

なんだかどうでもいい話である。
僕はよその国のことをよりよく知りたいという知的好奇心で、その本を買った。
それなのに、対して興味のない著者自身の恋愛物語が延々と語られているのだ。

たぶん見当違いをした僕が悪かったのだろう。
ただ、正直な僕の感想を言えば語るに値しない物語をわざわざ本という形にする意味が理解できない。
本人にとっては、素晴らしい経験だったとは思う。
気をつけなければいけないのは、それが第三者に向けても発信するに値する物語かどうかということだ。

稀有な経験をした人ほど、物語を語るにあたって過ちを犯しやすい。
なぜなら、彼らは自分たちが他の人間がなし得ないことをなし得たという慢心があるからだ。

大方の伝記のほうが自伝よりも、面白い読み物になるのはそういったことに関係するのかもしれない。

ノンフィクションの世界では、上記のようなことが起こりがちだ。
フィクションの世界では、ノンフィクションで語られる終着から語られることが多い。

たとえば、その著者がアフリカの人と本当に日本に帰って結婚し、生活したら面白い話になったかもしれない。僕たちの興味は平凡な現実的な判断を下す人間よりも、そういった非現実的な判断を下した人間に傾く。ノンフィクションの世界だとそういったやり方は体がいくつあっても足りないが、フィクションの世界はあくまで自由だ。

肝心なのは、どんな物語でも形を変えてすでに語られているということを自覚することだと思う。それでも、語ろうする人はそれだけのものを備えているはずだ。そうでなくては読み手に失礼になる。
前回紹介した沢木耕太郎は「深夜特急」を書くのに、10年近くも経験を熟成させた。その過程で伝えるに値すると思ったものだけが残り、多くの人の共感を呼ぶことができたのだろう。

語ることがないのは別に恥ずかしいことではない。
でも、語ることがないのに語ろうとするのは自らの恥をさらすことになる。
誰もが主張する必要もないし、正しい必要もない。
僕たちは僕たちなりのペースで生きて、可能性を追求していけばいいのだ。
その過程で他者に語るに値する物語があれば、語ればいい。

焦らなくてもいい。
あらゆる物語は語り尽くされているのだから。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 7日 (月)

個人の行方

“旅行とは目的地に着いたときに、帰りのことを考えるもの。
旅とは帰ることを考えないもの” ポール・ポウルズ「シェルタリング・スカイ」

今日は夕方から、ひどい雨になった。
こんな日は外出を控えるに限る。

本屋で沢木耕太郎の「深夜特急」を特集している雑誌を見つけて、購入する。
バックパッカーならば、誰でも知っている本だ。
旅のバイブルといっても過言ではない。

個人的に彼の旅の最終地点であったロンドンに辿り着いた、その後のことが気になっていた。
購入した雑誌にはそういったことが詳しく本人自ら書き記しているので、欲求は十分に満たされた。

彼も自分の本に詳しく書いているが、旅に出るとふと「このまま帰らなければ、どうなるんだろう」と思う瞬間が多い。とくに一人旅のときは、その疑問に常に向き合う旅になりがちだ。

さすがに最近、一人旅に出てもそこまで強くそう思うこともなくなった。
20代前半頃の旅は、どこにいくにも一人だったし、どこに住んでもいいと思っていたので、よくそんなことを夢想しながら旅をしていた。

旅と旅行の定義は色々あるが、映画「シェルタリング・スカイ」の冒頭で述べられているように、旅とは本来帰ることを考えないものなのかもしれない。

インドやタイ、あるいはロンドンやパリのように土地の吸引力が強いとこに行くと、今でも時々帰るのが億劫になる。

もちろん、億劫になるだけで本当に帰ってこないわけではない。
ただ少なくても、日本に居心地の良さを感じるよりは、海外に居るときの方が居心地良いと感じている自分のほうがバランスは取れている気がする。
逆説的な言い方かもしれないが、自分の居る場所に安住するようになったら、成長もないし、つまらない毎日になってしまう。

個人の衰退が始まるのは、年齢によってではなく、成長を自ら諦めることによって始まるのかもしれない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月31日 (月)

Enjoy yourself!

「Enjoy yourself!」とホームステイ先に滞在しているときによく言われて「そのyourselfとは何か?」と非常に悩んだと話してくれた人がいた。

正直戸惑った。
その人は東大を出て、一流企業に就職し、ひたすら働いてきた人だった。
なので、半年ほど海外に出たときに初めて「自分とは何か?」という疑問を抱いたのかもしれない。

勉強でも仕事でもがむしゃらに打ち込めることがあるのは、とてもすごいことだ。
でも、何かに打ち込むだけでは満たされない。
一番重要なのは、myself=自分自身なのだ。

とりあえず、物事は始めることに越したことはない。
失敗すると分かっていても、進むべきときは多々ある。

ただその人にみたいに、一直線に猛烈な勢いで走ってきた人は、止まる事を覚えないとパンクしてしまう。
自分を楽しむ、いや楽しませることを覚えないと、生きていくこと自体辛くなってきそうだ。

自分を楽しませるには、必然的に自分自身について自覚が必要だ。
自分のことを理解していない人は、本当に自分を楽しませることはできない。

そういえば、僕がこのあいだとある高名な占い師に占ってもらったとき、「あなたみたいな人は損得勘定などではなく、楽しいか楽しくないかで判断したほうが人生うまくいく」と言われてしまった。

今までの人生の節目節目を振る返って見ると、確かになんとなくノリで決めてしまっていることが多い。
なんとはなしに、「こっちのほうが楽しいだろう」という感じで決断している。

人生急いだところで、どうせ壮大な遠回りになる。
それならば、楽しんだほうがいいに決まっている。

Enjoy yourself!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月24日 (月)

このHPを立ち上げて、そろそろ一年が経とうとしている。
日記を読み返して見ると、更新の頻度があまりに不定期なのに愕然とする。

最初の意気込みはどこへやら。
仕方がないので、今後はせめて週に一度は更新しようと思う。
毎週、月曜日に更新することにしよう。
一週間にいい区切りがつき、時間の歩みを遅らせることができるかもしれない。

最近、つくづく時間は限定されていると思う。
たとえ、それが概念に過ぎないことだとしても、その使い方次第で人生の行方は決まってしまう。

残念なのは、誰もその行く先を知らないことだ。
誰にも何も教えられず、僕たちは時を過ごす。
それがまた醍醐味でもある。

人生には意味があると思う。
でも、それは常に複数形であるべきだ。

信念はことを成就させるには必要だが、信仰にまでなってしまうと目的を見失うことになる。信仰は人に考えることを放棄させてしまう。

首尾一貫した人は何事にも動じない。
きっとそういう人は、自分の信念を使い捨てできるからだ。
いくつかの物事に対して、信じるに足ると思ったことに邁進し、間違っていると分かったときに方向転換する。
そういう人間に憧れる。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月12日 (水)

真夜中の散歩

「同じ河に二度入ることはできない」 ヘラクレイトス

時間はひとつの概念だ。
実際に存在はしない。

とはいっても人間の生活の指針になる最大の要素が時間だ。
人々は鏡に映るしわの数や、肌の質感やなんかで自分の過ぎ去った時間を実感する。

日々の生活のなかで、今この瞬間はもう二度と存在しないのだと実感することはとても難しい。

明日と今日、それに昨日の区別がつく人が何人いるだろうか?
漠然と過ごしてしまえば、一週間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。

最近、僕は一人になって考えるようにしている。
そうすると、時間の存在を感じることができるから。

誰かと一緒にいると、時間は闇雲なスピードで過ぎていく。
一時停止させるには、一人になるのが一番だ。

思春期の頃、よく僕は真夜中に散歩した。
そうすることによって、自分の存在を確かめたかったのだろう。
誰もいないからこそ、自分の存在が感じられた。

最近、また真夜中の散歩をするようになった。
以前とは全く違った理由で。

なんとか危機感を持って生きていたい。
そんな願いを込めて、僕はふらふらと真夜中の散歩に出かける。

| コメント (0) | トラックバック (0)

«人生ゲーム