2006年11月27日 (月)

勝負!

今年もあと一ヶ月ちょっとなってしまった。去年もあっという間だったが、今年はもっと加速した気がする。相変わらず、自分の目標がまるでこなせていない気もするが、ようやく人生の方向性のようなものは見えてきた。

今年はモロッコへ行って、その写真で個展をして、そして4年付き合った人とようやく籍を入れてと、なんとなくすべてが形になってきた一年だ。

よくよく考えてみれば、もう三十歳を超えているのだから、当たり前のことだが。

二十代は後先考えずに色々とやって失敗ばかりしていたが、かといってそれが実となり今に繋がっているのかというと、甚だ疑問と言わざるを得ない。

遅咲きだと思う。

いや、むしろそう思いたい。

継続は力なり、と言うが結局のところ、続けられるというのは、それはそれでそれしかない結果だ。

それ以外の選択肢がない状態では、継続も糞もへったくれもない。

もっといい写真を撮りたいと思う。

最近、切にそう願う。

そのための方法論が自分ではまだ定まっていない。

やみくもに撮る時代はとうに過ぎ去り、これからは色々と見極めないといけない。

自分の中では最高傑作と思う商店街の写真をとある賞に応募したことがある。

もう四年ほど前のことなので、まるで形になっていなくて当然のように落選した。(HPに載っている写真の大半は、それ以降の写真ではある)

審査員のアラーキーさんがコメントをつけてくれて曰く「徹底した愛がない」とのことだった。

まさにその通りだった。

愛はあっても、徹底はしていなかったと思う。

ただなんとなく最近は、自分なりのアプローチもありかなと感じ始めている。

常に傍観者であり観察者でありたい。

目の前にどんなことが起ころうとも、冷静にライティングとアングルを見極め、厳かにシャッターを切りたい。

それが「愛がない」と切って捨てられたら、仕方がない。

切って捨てられないような写真を撮るまで粘るか、評価されるような場所を見つけるかのどっちかだろう。

また商店街の写真を撮ることを再開しようと思う。

徹底した愛は持たず、傍観者のままでどこまで撮れるか同じ被写体で勝負だ。

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2006年11月19日 (日)

必要性

旅に思いを馳せる。

ラオス・ブラジル・ペルー・イギリス・インド・・・・・今年の冬はどこに行こうか迷っている

ひとりでどこか行ったことのない街に行くのもいいが、久しぶりに友人たちに会いにヨーロッパに行くのもいいかもしれない。

行きたい国と聞かれて、即答できない自分がいる。

以前はもっとストレートに行きたいと思う国がたくさんあった。

行ったことない大陸、南米やアイスランドでも行けばまた違うのだろうが、ちょっと枯れた気分だ。

刺激だけを求めているわけではないが、やはり生きている限りは、できるだけ色々なことを体験したい。しかし、それが旅という手段でもいいのだろうか、と根本的なことを疑問に感じ始めた。もっと違ったことでもいいのかもしれない。最近、つくづく自分が温室育ちだと思うことがあり、生き方を見直したい。

旅の写真についても、よく考える。

ジョナス・ベンディクセンの写真集を見ていると、たかだか一週間や二週間滞在したくらいで、いかほどの写真が撮れるのかと思う。

彼は旧ソ連の国々の取材に7年ほどの歳月をかけて、写真を完成させた。

べつに労力と写真の出来が左右されるものでもないかもしれないが、彼ほどの才能を持った人がそれだけの歳月をかけて撮った写真は、度肝を抜かれるほどの出来だ。

旅の写真だけではなく、自分だけにしか撮れない写真について真剣に考えようと思う。

とか思いつつも、ついつい友達と朝まで飲んだりして、何事もはかどらない。

タイムテーブルでも作ってやらないと、間に合わないかもしれない。

撮るものを撮った人の写真は、本当に感動する。

そのストイックな姿勢と、創造ということに対してのあくなき欲求・・・・

頭を垂れて、考える。

「人間は必要に迫られないと、努力しない」とはNYでお世話になったKANさんという写真家の格言だが、その通りだと思う。

「いかに必要に迫られる状況に自分を置くか」というが今の自分の課題だ。

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2006年10月24日 (火)

A BAD DAY IN INDIA

それは前夜から始まった。

デリー発バラナシ着の飛行機は朝の11時発だ。

僕たちがいたアグラからデリーは電車で2時間半かかる。

デリー市内から空港までタクシーで40分かかるが、余裕を見て8時にはデリーに着いていたい。それなら1時間かかったとしても、出発まで2時間ある。

しかし、8時着の電車が満席で7時過ぎ着の電車しかなかった。

朝の4時前には起きないと電車に間に合わなかったが、仕方がない。

タージマハールの前に位置するホテルに宿泊していたので駅までは、リクシャで20分ほどかかる。

そんな朝早い時間にリクシャがいると思えなかったので、近くにいるリクシャに朝の4時に来てもらうように手配する必要があった。

降りしきる雨のなか待っているリクシャは1台しかなく、仕方なくその男に朝の4時に来てもらうよう頼んだ。

翌朝、起きると豪雨だった。

いやな予感がした。

そしてその予感は見事に的中する。

降りしきる雨のなか手配したリクシャの男を捜しても、いやしない。彼には通常の三倍ぐらいの値段を払う予定だったのに、見事に逃げられた。

なんとしてでもその日にバラナシに行きたかった。

雨は小雨になったり激しいスコールのようになったり、それを間断なく繰り返した。

あたりは真っ暗だが、少し歩けば店がいくつかある。

そこまで行ってリクシャを探すことにした。

せめて雨だけは止んで欲しかったが、その思いとは裏腹に段々と激しくなった。

重い荷物を背負いながら、早足で歩いた。

店で雨宿りをしながら、リクシャが通り過ぎるのを待つ。

待てども暮らせども何も通り過ぎやしないので、もう一度約束したリクシャの男が来ていないかチェックしに見に行ってみた。

そのときには豪雨はピークに達しており、全身ずぶ濡れだ。

そんな思いをして見に行ったが、リクシャどころか人っ子ひとりいやしなかった。

また来た道を引き返す。

戻る道すがら、リクシャが通りかかり、救われた。

救いというものは、突然思いもかけないところで訪れる。

その救いの神には奮発してチップを払い、やっとの思いで電車に乗ることができた。あとはデリーまで2時間半の道のりをうつらうつら過ごせばいいだけだと、たかをくくっていた。

River02_3

それは大きな間違いだった。

インドの電車は遅れる。

そんなことは分かっていたが、それまでの道のりは12時間もかかる夜行列車に乗っても、20分ほどしか遅れなかった。

だから2時間半の旅程でも、遅れても20分程度だろうと思っていたのだった。

結局デリーに着いたのは、9時だった。

ほぼ2時間近く遅れたことになる。

2時間半の旅程が4時間半かかったのだった。

インドで物事は比例しない。

常にイレギュラーだ。

慌ててタクシーに乗り込むが、乗り込んだタクシーは出発直後にエンストしてしまった。

ツイていないときは、とことんツイていない。

新しい車に乗り換えてようやく出発することができた。

これで一安心だ。

今度こそ、大丈夫だと自分自身に言い聞かせる。

しかし空港まであと少しというところで、今度は大渋滞に巻き込まれてしまった。

車はまったく動かない。

やっと動いたと思っても、その列の先頭が見えない。

なかにはしびれを切らして歩き出すインド人もいる。

時計の針だけは正確なビートを刻み、出発までそれほど余裕がなくなってきた。

そろそろ歩ける距離ではないかと思い、思案を巡らせる。

運転手にあとどれくらいか聞いてみても「あと3キロだ」という。

渋滞にはまり込む30分ほど前には「5キロ」といっていたから、彼の距離感覚になんらかの不具合があるのは明らかだ。

吉報は寝て待ての言葉どおり、ひたすら渋滞が途切れるのを待った。インドでもどこでも、物事に必ず終わりが訪れる。

やっと抜けた。

渋滞を抜け出した頃には、時計の針は予断の許さない10時半という数字を指していた。

出発まで30分。

そこから空港は目と鼻の先だったので、すぐに着いて慌ててチェックインを済ます。

これで万事めでたし。

それにしても長い旅路だった。

こんなこともあるのだと、つくづくインドの雄大さ、スケールの大きさを感じた。

4時からの出来事が頭のなかをぐるぐる回り、安堵感よりも疲労感に襲われる。

そんな思いを抱きながら、飛行機は無事バラナシへと飛び立った。出発するはずの時間から、1時間半ほど遅れて・・・・

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2006年10月 6日 (金)

マグナム

今日、注文していたリーズ・サルファティLise Sarfati)の写真集が届いた。

彼女は、アムステルダムで開かれたドキュメンタリーカメラマンのためのワークショップで、僕の教官だったので、少なからず興味を覚えていた写真家だ。

日本ではそれほど知られていないが、ヨーロッパではかなり有名な写真家らしい。

会った当時は、マグナムの写真家というだけでそれほど気にも留めていなかった。

彼女の場合、そのパーソナリティがあまりに強烈だったので、ひとりの写真家として認識するのに、かなりの時間を要した。

最初のレクチャーで、まず度肝を抜かれた。

20人のグループが5人ごとのグループに分かれて、それぞれ一人づつの教官が付くのだが、どの教官も世界報道写真展で有名なワールド・プレス・フォトが主催しているだけあって、選りすぐりの人たちばかりだ。

もちろん、リーズもあのマグナムの一員なので、すごい人に違いない。

しかし、彼女のレクチャーが始まって、20人全員があっけにとられた。

誰もがフランス語を話していると思ったのだが、10秒ほど経ってからようやくそれが英語だと気が付いたのだ。

もしかしたら、レクチャーでは素晴らしいことをいっていたのかもしれないが、あまりのひどいフランス語訛りに誰もが理解不能におちいってしまった。

まあ、しかし言語の問題はどうしようもない。

そのワークショップの課題は「移民」をテーマに各自、写真を撮り下ろすことだった。僕が選んだのはブルガリア人の女の子とオランダ人のカップルで、彼らのあいだには一歳半の赤ん坊いた。

Baby03_3

僕はなぜかその赤ん坊と馬が合ってしまい、彼の写真ばかり撮ってしまった。

言葉をしゃべれない彼は、僕に何語か分からない言語で話しかけ、ひたすら自分の好物のチョコレートをくれたりして、かわいい子だった。

Baby02_2 

リーズにとっては、写真のテーマやコンセプトなんてどうでもいいらしく、「写真は、写真が良ければそれでいいの!!」と身も蓋もないことを言っていた。

挙句の果てに、毎日ワークショップに遅刻してきては、「昨日のマリファナはイマイチだったわ」などといって、ひとりごちていた。

ただ、いざ自分の受け持った写真家たちが発表し、そのなかの一人がほかの人間に批判されると徹底的に擁護するという人間的な面もあった。(でも、そのまえにリーズは批判されたその写真家をこっぴどく批判していたが、ほかの人間から批判されると腹を立てるらしい)

僕の写真はというと、「どうしてあなたの写真はいつも、ボン、ボン、ボーン!なの?」と言われた。

直訳すると、感情をストレートに込めすぎている、とそういうことか?

Baby01_1

物事を好意的に解釈するたちなので、あまり深くは考えなかったが、彼女からはそれほど批判的なことを言われなかったことだけは覚えている。

最近、そのとき一緒だったドイツ人写真家のマークに、インドやモロッコの写真が載っている自分のHPを見せると、「リーズの写真に似ている」と言われた。

内心「あんなやつには似ていない」と断固して思ったことを記憶している。

しばらく経って、よくよく考えて見ると、リーズは恐れ多くもマグナムの写真家なので、それほど不名誉なことではないのだと気付き、彼女の写真集を注文してみた次第だ。

彼女の写真と自分との写真を比較して見ると、パーソナリティの差は歴然としている。

僕のほうは至極まともだ。

マークがいうように、光の使い方や色の使い方などは、ちょっと似ているかもと思うが、なんともいいようがない。

彼女はロシアを精力的に取材していて、とくに秀逸なのがロシアの少年刑務所を撮った写真だ。

僕が気になったのは、光やカラーにデフォルメされたその美しい写真郡は、実際そこにある悲惨な現実がまるで反映されていないのではないかということだ。

ワークショップでも、リーズに聞いてみたが、彼女からはもちろんまともな答えなんて返ってこなかった。

今、分かるのは、彼女はその場にあるリアリティよりは自分の頭のなかにあるリアリティだけを追求しているのだなということだ。

美しく彩られたロシアの刑務所なんて、ひどく残酷なように見えるけど、彼女には色と光とその瞬間しか目に入らなかったのだろう。

そこには皮肉もないし、なんの残虐性もない。

自分が志向している写真も、どちらかというとそういう写真なので、ようやくマークがいっていた本当の意味を理解できた気がする。

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2006年9月19日 (火)

芸術起業論

最近、村上隆の「芸術起業論」という本を読んだ。

まわりに村上隆を好きだという人間はいないが、嫌いだといっている人間は山ほどいる。

そんなこともあり、興味があったので、六本木ヒルズに行ったついでに、彼の本を買った。

(六本木ヒルズの本屋で、村上隆の著書を買うのは、ある意味奇遇といえば、奇遇だ)

彼のインテリジェンスにはとかく感心させられた。

確信犯的に、自分のアートを海外に売り込み、それをまた逆輸入する方法は、新しくはないが、それ以外に選択肢がないのが現状だ。

オタク文化を「スーパーフラット」という形に昇華させて、オタク的日本=クールという図式を誰もが考えなかった形で実現したのには、すごいことだと思う。

アート業界に留まらず、音楽や写真や映画の世界において、「新しいもの」は常に求められている。

しかし、日本でいう一般的な「新しいもの」はじつは世界的にはなんら新しいものではない。

それらはすでに海外では当たり前になっていたり、むしろ海外に流行っているものをコピーして、最先端としてきたのがそれまでの風潮だった。

それを村上隆は、オタク文化を「スーパーフラット」という一種の記号化することで、全く新しものへと生まれ変わらせ、最先端のアートだと言い切り、世に広めてしまった。

そのことに彼の偉大さがあると思う。

最近、「新しいもの」とは何かと考える。

もし、本当に村上隆が提唱しているように、オタク文化が「新しいもの」というのならば、世間に出回っている新しいとされている海外の模倣品の数々に、なにか意味があるのだろうか?

少なくてもアニメや漫画は、日本の文化に根付いているが、テレビやラジオから聞こえてくる日本人が歌うラップやヒップホップに日本的な文脈はあるのだろうか?

外人が着て似合う服に、日本人が群がる意味はあるのだろうか?

村上隆が成し得た最大限の功績は、海外における日本のアートを北斎などの浮世絵から、ようやくアップデートしたということだろう。

好きから嫌いか別にして、彼のおかげでようやく日本も「車や電化製品だけではなく、なにか面白いものを発信する国」として認知され始めたのかもしれない。

日本人はとかく日本的なものを軽視しがちだが、本当に新しいものいうものは、自分たちのなかに根付いているものから生まれるものだ。

それを鮮やかに証明して見せたのが、村上隆なのだろう。

ちなみに5年ほどまえに、知り合いに誘われて、「スーパーフラット展」に行ったことがある。

正直な感想は「こんなんでいいの?」というものだった。

まだまだ勉強が必要だ。

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2006年8月22日 (火)

眠れない夜のために

あと数日で10年ぶりにインドの地を踏むことになる。
あれはたしかに21歳の夏だ、初めてインドへ行ったのは。

あれから本当に10年経ったのだと、実感する。
まさかこんな31歳になっていようとは思ってもいなかった。

とくに後悔なんてしていないが、人生不思議なものだ。
もっと旅をしたかったし、成功していたかった。
でも、これが僕の限界だったのかもしれない。

僕の人生プランは、だいたい22歳で尽きている。
15、6歳の頃、夢見ていたのはただひさすら異国の地を旅して周り、海外に生活の拠点を持つことだった。

そうして、僕は19歳でシベリア鉄道に一人に乗って、エディンバラへと移り住み、そこを拠点としてインドやほかのヨーロッパへと旅した。
エディンバラを離れる決意をしたのが22歳のときだ。

僕はエディンバラでずいぶんと満たされてしまった。

エディンバラに住むまでは、あらゆることに飢えていた。
なにかを為すためには、欲することが必要だ。
欲するためには、飢えが必要なのだろう。

それが22歳のときに、すでに決定的に失われてしまった。

また如何ともしがたいことに、僕は野心や欲望を持つような育てられ方をしていない。
なにかを欲するということに対して、どことなく「恥」という概念すら伴う。

この10年、僕はアドリブだけで生きてしまった。
幸運なことは10年間もアドリブだけで生きていけるものを、22歳までに身に着けていたことだ。

それまでにうんざりするほどのたくさん本を読んで知識と教養を身に付け、英語も話せるようになった。
知識を身に着け分かったことは、あらゆることは経験尽くされ、新しいことなどなにもないということだ。

だからこそ、旅に出たかった。
自分の目で、世界を見て確かめたかった。
そして、僕は満たされてしまった。

陳腐な話だが、生きることは素晴らしく、ただ世界は美しかった。

17、8歳の頃は「でかい家に住んで、ポルシェに乗りたい」なんて言っているやつは、アホかと思っていたが、今では非常に健全な精神な持ち主だと思うし、正直羨ましい。

欲するということは、善であり、圧倒的に正しい。

10年アドリブで生きて思ったのは、やはり前へと進むべきだということだ。
欲望でも信念でも自分のツールとして使い、成し遂げることこそが大切である。
理由付けはなんでもいい。
結果がものをいうのだ。

僕は今までプロセスを大切にするあまり、結果を犠牲にしてきた。
今後の10年は結果こそ、求めるべきものだと思う。

精神的に充足するのは、肉体的に充足するよりもじつは簡単なのかもしれない。
誰でも聖者になれるチャンスはあるが、億万長者になれるチャンスはない。

ビル・ゲイツさんみたいにまずは億万長者になってから、聖者になろうとするのはとても健康的なのだ。(その逆は失敗例が多いのは、この説を実証している気がする・・・・)

自分が持っている今最大の欲望を探してみる。
ゴキブリのいない家に住みたい・・・・・
今後の10年がますます不安になってきた夜だ。

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2006年8月10日 (木)

ふるさと

“ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの” 室生犀星

久しぶりに京都へ行った。
そして、生まれ育った家へ行った。

正確に言うと、生まれ育った家があった場所へと赴いた。
思い出のたくさん詰まった家は、僕がイギリスに
留学しているときに取り壊されている。
もう十年近く前の話になるだろうか。

家がなくなると聞いて、そのとき僕はなにも思わなかった。
イギリスでなんとか生き抜いていくことで必死だったし、
家というものに対してそれほど執着はなかった。

ふるさとは、家なのだろうか?
家がないものは、ふるさとがないのだろうか?

室生犀星は冒頭に挙げた詩のあとにこう綴っている。

“よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや“

この詩の意味するところのふるさとは、僕にとっては
日本そのものだった。
若い頃は、日本的なものがただただ嫌だった。
それが高じて、海外へ行った。

日本に帰国してから、すでに六年以上経っている。
海外に住んでいた時間よりも、多くの時間を費やしてしまった。

今の僕のふるさとは、なんだろう?
生まれ育った嵐山の街を歩いても、なんの感情も湧いてこなかった。
もっとノスタルジックな気持ちになってよさそうだが、そんな
気持ちは一切湧いてこなかった。

もしかしたら、自分があれほど嫌悪していたものに取り込まれて
しまったのだろうか?

ふるさととは、安住と同意義語なのかもしれない。
肉体的にも精神的にも旅を続けることは、骨が折れる。

いつしか僕はすっかり安住してしまったようだ。
どこにいようと、ふるさと的なものから遠く離れていたい。
そして、夕暮れ時にでもふるさとを思い出して、ひとりごちるのだ。

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2006年7月 9日 (日)

曲がり角

僕は曲がり角が好きだ。

知らない街を歩いても、美しい曲線を描く路地裏の曲がり角に釘付けになる。

そして、必ずその先にあるものに強烈な興味を覚える。

曲がり角には、それを超えたらそれまで見たこともない光景が広がっている可能性がある。

もちろん、それまでの光景の延長の可能性もあるのだが、わけのわからない期待を抱いてしまう。

初めてヨーロッパを旅したとき、僕はひたすらそういった曲がり角の写真を撮り続けた。

日本では直角の曲がり角がほとんどだが、ヨーロッパの曲がり角は緩やかな曲線を描くことが多い。

それが僕を魅了した。

プラハやパリなどの曲がり角は、本当に美しい。

今でも鋭角的な光線でコントラストをつけた、美しい曲がり角を時々頭の中に思い浮かべることがある。

日本に住み始めてからはそんなロマンを抱くこともなく、淡々と街を早足で駆け抜け、立ち止まって空を見上げることすらない。

金のなかったロンドンに住んでいたときでも、ひまさえあれば街を歩き、知らないストリートで写真を撮り、また次の曲がり角を探した。

今では、知らない街を歩くことさえなくなった。

きっと日本という国は、ほかの国よりも義務や制約が多いのだと思う。

そこで時間と体力を浪費してしまう。

僕は最近になってようやくそういった術を学び始めた気がする。

今まで、まるで無頓着だったし興味もなかったが、今ではそんなことが許される環境にはいない。

曲がり角は美しい。

そういった概念すら、今の僕にはない。

そんな余裕がない。

明日のことを考えることで精一杯になっている。

いつからそうなったのかすら、わからない。

曲がり角に魅かれるということは、言い換えれば未知の事柄に魅かれているということだろう。

未知の事柄を受け入れる余裕すらないなのだろうかと自問自答してみる。

20代なんてなにも持っていなかった。

ようは失うものなんてない人間には、たいした曲がり角なんてない。

すべてが未知であり、挑戦なのだから、僕には選択する必要すらなかった。

しかし、今は違う。

まだ先の話かも知れないが、いつか自分が手に入れたものを捨てるリスクを犯しても、挑戦しなければならないときがある。

そうなったときに、初めて僕は人生の曲がり角というものを経験するのだろう。

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2006年6月13日 (火)

ワールドカップ

日本は負けた。

完敗だった。

監督のマネージメントや戦術的な理由もあったとは思う。

しかし、最大の問題はまともなシュートを打てないことではないだろうか?

彼らのシュートからは「何が何でも決めてやる」という気概は感じられなかった。

対照的にオーストラリアが放ったシュートからは強烈な自己主張が感じられた。

べつに精神論をぶつつもりはないが、同じような実力のチームが相対すると気持ちが強いチームが勝つ。

ゴール前まで行ってパスするフォワードなんて、見たくはない。

そこまで行ったら最後まで責任を取って、シュートを打ってほしい。

柳沢や高原は素晴らしい才能を持った選手だと思う。

ゴールを決めること以外の仕事では、ロナウドよりも能力はある。

でも、その肝心のゴールという結果だけで評価されるポジションがフォワードだ。

国民性といったら仕方がないのかもしれないが、シュートという責任を取るのが彼らは恐れているように見える。

ロナウドやアドリアーノなんて、柳沢のように色々な可能性を吟味して最善の選択する、なんてことをゴール前で考えていない。

彼らはゴール前では、自分がゴールするという強い意志以外なにもない。

あわよくば味方のボールを奪ってでも、シュートしてゴールするのが彼らのメンタリティだ。

クロアチアには勝つしかなくなった。

でも案外こういう状況のほうが日本の選手は吹っ切れるかもしれない。

アジアカップの再現は難しいかもしれないが、逆境に強いのが今の日本のチームだ。

負けず嫌いのジーコだから、次のゲームにはなんらかのショック療法を仕掛けてくるだろう。

ツートップ総入れ替えぐらいのことはしてもいいと思う。

どうせ後がないなら、巻を入れてガムシャラに前へと進んで欲しい。

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2006年6月 6日 (火)

メタルマクベス

メタルマクベスというミュージカルを見た。

劇団☆新感線は噂ではよく耳にしたが、実際見るのは初めてだった。

http://www.vi-shinkansen.co.jp/

脚本はクドカンだけあり、凝りに凝っていて、なおかつ面白い。

シェイクスピアを心から敬愛するイギリスの人々が見たら、激怒するかもしれないが、マクベスという古風な演劇を現代風に解釈したら、あながち間違った解釈とはいえない。

それに役者がとても輝いて見えた舞台だった。

なかなかそういう舞台は少ない。

特に松たか子さんは完全になにかを吹っ切ったのか、素晴らしい演技を披露している。

演技力など細かいことはよく分からないが、存在感というもの関しては分かる気がする。

人物写真を撮るとき、一番重要だなと思うのがその存在感だからだ。

大勢の人がいるなかで、その人だけが一段と輝いて見えることは、それはすでに才能と言える。

演劇の醍醐味はそのライブ感だ。

以前は、映画にしか興味がなかったが、演劇のライブ感を味わうと、けっこうはまる。

来月は、以前レプリークという雑誌で撮影させていただいたご縁で、舞台を見に行ってすっかり大ファンとなった宇宙レコードの公演がある。

待ち遠しい限りだ。 

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2006年5月26日 (金)

発展的な何か・・・

写真展が終わった。

ふと、どうして僕は写真展をやろうと思ったのかと思いを巡らす。

Fh020036

僕はきっと不器用な人間だと思う。

もっとうまく生きれたらと思う。

ここ12年で周りの環境が劇的に変わり、それに対応するだけの何かを捜し求めている。

写真展はそういった試みのひとつだ。

区切りをつけたかった。

これからも旅をするだろう。

それは生まれ持った宿命みたいものだ。

今まで以上に、色々な場所や違う価値観を持った人々に会うと思う。

僕はいちいち反応してられない。

外の人間に対して、彼らが望むような反応をするほどウブではなくなった。

人のために生きるほど自分自身は充実していないし、そんなひまもない。

写真展に来てくれた人々を見ながら、様々なことを考えた。

彼らもまた異世界に憧れて、見も知らない写真家の個展に来てくれた。

その期待に十分に応えられた自信はないが、これほど多くの人がそんな気持ちを抱いているとは新鮮だったし、純粋に嬉しかった。

僕はもっと知りたいし、経験をしたい。

そして、それらを共有したい。

その手段として、自分にとって最も有効な手段が写真だということが、今回の個展であらためて理解した。

今まで不特定多数の人に対して、写真を撮ってきた。

それから得たものはそれほど多くはないが、生きていくためには必要だった。

写真展は、特定の人々を対象にしたものだ。

その場所にいかないと、それらの写真は見れない。

そんな単純なことがとても新鮮だった。

劇的な変化は望んでいない。

少しずつ、変わりたい。

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2006年5月 4日 (木)

写真というメディア

個展が始まった。

オープンニングパーティーには大勢の人が来てくれて、大盛況だった。

この場を借りて、御礼を申し上げます。

Desert06

これがはじめての個展だ。

今まで何回か個展をやろうと思ったことがあったが、決断するまでには至らなかった。

今回は様々な偶然が重なり、モロッコから帰国してわずか四ヶ月のうちに個展が開催されることになってしまった。

勢いというの非常に大切だ。

http://www.upfield-gallery.jp/index02.html

色々な人から、フィードバックがあり、ためになる。

本当はこういう写真が撮りたかったのだなと痛感した。

写真を始めた頃はお金に目がくらみ、ファッションなどの商業的な写真に目がいってしまったが、写真を始めた理由はもっと純粋な動機だ。

自分自身だけでは満足できないのだと思う。

自分が考えていることや感じたことを、ほかの人々と共有したいのだ。

その手段として、たまたま写真を選んだ。

写真というメディアの一番の特徴は、それはあくまで現実であるという縛りだ。

作為性がある写真も多々あるが、それを突き詰めていくと絵画と同じような表現手段になる。そうなると、絵を描いたほうがよほど効率がいい。

アンリ・カルティエ・ブレッソンは「決定的瞬間」という写真集で一世を風靡した。

写真というメディアを端的に表しているタイトルだと思う。

それはあくまで瞬間であり、それ以上でもそれ以下でもない。

写真はストーリーを見る人に感じてもらうには最適なメディアだ。

ストーリーを語らせるということになると、映画や小説の世界になってしまうが、写真は一枚の写真から全体のストーリーを内包するだけの力があるメディアではある。

解釈は苦手だ。

感じてくれればいい。

僕が撮った写真を見て、その人々がモロッコに行った気分になったとしたら、それは僕の意図が成功を収めたということだ。

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